Chapter05 重力 06

 イギリスの首都ロンドンを構成する区画の一つ、ウェストミンスター区。

 同区の名を冠する寺院や大聖堂、更にバッキンガム宮殿など名のある建築物が集中するこの区画は、イギリスを代表する観光スポットの一つである。

 また英国議会もこの区で開催されるため、政治の中心でもある場所だ。故に、多くの人や車が忙しく道を行き交っている。

 そんな最中で特に目を引くのは、やはり定期的に道路を走り往く赤い二階建てバスだろう。

 通称、ルートマスター。ウェストミンスター区のみならず、ロンドン全域へ張り巡らされた路線を毎日駆け巡っている、市民達の足である。

 ロンドンの代名詞の一つでもあるこのバスの歴史は古く、初期型の生産が開始されたのは実に一九五九年の事だ。

 今日も大勢の老若男女を運んでいく長大な車体は、しかし帯刀たてわきの目には灰色に見えた。幻燈結界げんとうけっかいの展開中に撮った映像なのだから、当然ではあるのだが。

「ふむ」

 立体映像モニタ中のルートマスターから視線を外しながら、帯刀はコーヒーを一口すすった。熱い苦みが喉の奥を、むせるような香りが鼻腔と部屋の中を、それぞれ満たす。

 帯刀は今、自衛隊出向部にあてがわれた天来号の執務室に居た。

 面積自体はファントム・ユニットの部屋より二回りは広い。だが壁に並んだロッカーや、部屋中央でスクラムを組む部下達のワークデスク群などにより、少々手狭な印象があった。

 さりとて、今はまだ良い方だろう。何せ帯刀以外に誰も居ないのだから。

 平素であれば部下達や凪守なぎもり職員が忙しく出入りするのだが、現在の時刻は午前一時少し前。部下達は皆寝ているか、起きていてもロンドンで怪盗魔術師を警戒しているかのどちらかだ。

 この部屋に誰も居ないのは当然であり、だからこそ立体映像モニタに映るロンドンの町並みが際立っていた。

 格子模様を描き出せるほど、幾枚も並んだロンドンの映像。大部分の格子に映っているのは、やはりウェストミンスター区の町並みである。日本のような猥雑な看板など一切なく、高さと概観を揃えられた建物が並び、幾台ものルートマスターが市民を運んでいる。

 まさに異国の風景だ。それだけに、日本と変わらぬカラスの姿が良くも悪くも目に付いた。

 これらは全て、現地での演習および警護活動中に部下が撮った記録映像である。

 エルドの犯行予告日まであと二日。ファントム・ユニットに変わる補充戦力として送られる以上、いつにも増して訓練は怠れない。

 普段から険しい顔をしている帯刀が、いつにもましてむっつり気味なのはそうした理由からだろう。

 残っていたコーヒーを一息に飲み干して、帯刀はじっとモニタを睨む。

 四角く切り取られた風景の中、幻燈結界の向こうに居る人々は、皆思い思いの方向へ歩き続けている。そのすぐ傍らで、巨大なロボット――もとい、大鎧装が見下ろしていた事など、露とも知らずに。

 実に二十メートルもの身長を誇る大鎧装の名は、零壱式れいいちしき。二○○一年に凪守で正式配備された機体である。

 重装備の歩兵をそのまま巨大化したような、無骨かつ角ばった影を落とす濃緑色の装甲。

 装備はアサルトライフル、コンバットナイフ、胸部バルカン砲といった標準のものが一式。当日はこれらに加え、補助武装と利英りえいが現在急ピッチで構築中の特殊装備が加わる手筈である。

 またモニタ中央の格子には警護状況を現す地図が表示されており、零壱式のみならずイギリス側の退魔組織、BBBビースリーの配備予定すら一目で分かった。

 ニュートンの遺産が霊力を補充する拠点、ウェストミンスター寺院。そこを中心として、円状に配置されている幾つもの白い光点。

 この点こそイギリスの大鎧装、ディスカバリーⅢの位置を示しているのだ。

 更にエルドから予告された人造Rフィールド対策として、エッケザックスから派遣されたフェンリル憑依者も控えている。

 名前はオラクル・アルトナルソン。以前ギノアが襲撃した際、予定通りなら日乃栄ひのえ高校へ赴く筈だった名前が、地図の中に点滅していた。

 そんな配置状況を眺めながら、帯刀は呟く。

「――少ないな」

 通信を告げるコール音が響いたのは、丁度その直後だった。

 机上の通信機からも小さな立体映像モニタが投射され、通信相手の名前が表示される。

 五辻いつつじ いわお。時計はジャスト午前一時を指している。予定通りの時間だ。

 空のカップを机の隅へ押しやった後、帯刀は着信ボタンを押す。

『どーも、お疲れ様です帯刀一佐』

 モニタ越しに頭を下げる巌。相変わらず締まりの無い顔であるが、目元に隈が浮かんでいるのを帯刀は見逃さない。

「ああ。その言葉、そっくりそのまま返させて貰おうか―― 一体どこまで調べたんだ、五辻」

『一口には答えきれないですねー。気になる所は徹底的に掘り返してますからー』

 何でも無い事のように言う巌に、帯刀は小さく眉をひそめる。地位を追われ本名を剥奪されても、人脈はまだまだ健在と言う事なのだろう。それがこの男の恐ろしい所だ。

『資料は纏めてそちらに送っておきましたー』

 そんな帯刀の内心を知ってか知らずか、にやり、と巌の唇がつり上がる。労苦に見合う収穫はあったらしい。

「そうか。では聞こう」

 言いつつ、帯刀は机上に立体映像モニタをもう一枚表示させる。調査資料は既に届いていた。

 ――二人が行っているこの情報共有は、非公式のものである。以前、エルドの襲撃でうやむやになっていた結託の提案。あの後、帯刀はそれを了承していたのだ。

 帯刀がこんな時間に一人で居たのは、残業にかこつけて巌の連絡を待っていたためである。

『まず推察ですが、敵の指揮系統は恐らく二つあります。ギノア・フリードマンを操っていた者達と、エルド・ハロルド・マクワイルドの協力者達ですねー』

 その推察は的中している。サトウ達と、ギャリガン一派。彼等は巌達と同様、ある目的を果たすため協力している間柄なのだ。

 しかして今この段階でそこまで突き止められる筈もなく、帯刀は片眉をつり上げる。

「なぜそう思う? 根拠は?」

『目当てとしている物が違いすぎるんですよー。同じ人造Rフィールドを持ちながら、ギノアはEマテリアルを、エルドは最後の魔術師の遺産を狙っています』

「成程」

 別の物を狙っている連中が、同じ特注品の術式を用いている。確かに妙な話だ。

 恐らく一方の勢力が、もう一方へ人造Rフィールドを提供したのだろう。だが――。

「――我々のように志を同じくするならともかく、利害の一致で協力している関係というのは、大抵の場合ギブアンドテイクだろう。もう片方の連中は、人造Rフィールド提供の見返りに何を受け取った?」

『恐らく、活動に必要な要素でしょうねー。拠点、資金、それから……多分、コネクションも』

 スポーツの試合、ゲームの対戦、あるいは受験。どんな形であれ、勝負とは事前にどれだけ用意が出来たかであらかた決まる。

 戦争、政争ともなれば尚更だ。自らの戦力を増強し、敵対戦力を弱体化させ、確実に勝てると踏んだタイミングで仕掛ける。定石手段の一つだ。

『エルドとその黒幕が持っているコネは、恐らく相当根深いものなんでしょうねー。少なくとも凪守の一部に繋がってる筈です』

 サトウ達と何らかの形で繋がった間者が、凪守のどこかに食い込んでいる――結託話を持ちかけた時と同様の理論を、巌は述べる。

 確かにそう考えれば、日乃栄の霊地へギノアが易々と進入した事を初め、色々な事柄に説明がつく。

 だが。

「全てはまだ仮定の話だろう、五辻」

 今ひとつ信じ切れない。それが帯刀の率直な感想だ。敵が技術と資金の相互提携をしているまでは良しとしても、そこまで深く食い込んだ間者など本当に居るのか。正直まだ半信半疑だ。

 そんな帯刀の疑問に、巌は意外にも素直に頷く。

『ええまぁ、仰る通りですねー』

 実際、それを裏付ける物証はまだ一つも無い。サトウの隠蔽工作が功を奏している事もあるが、そもそも巌は敵の規模どころか、組織名すら掴めていないのだ。そんな状態で推論を並べるなど、成程無茶も良いところだろう。

『ですけど、僕はそういうやり方をする連中に、心当たりがありましてねー』

「……スティレットか」

 先んじる帯刀に、巌は口の端を少しつり上げる。

 目元の隈と巌自身の因縁が、微笑に凄然な影を落とした。

『ええ……そう言う事です。彼等のやり方は良く知っていますので、ね』

 スティレット。それは神影鎧装レツオウガを開発した組織の名前である。

 二年前、巌はレツオウガの起動実験を阻止した。その後いくらかの悶着の末、パイロットと機体を試験運用する外様の独立部隊――ファントム・ユニットの隊長となった。

 有名な話だ。少しあからさま過ぎるくらいに。

『そもそも、彼等以外にEマテリアルを求める理由を持ってる連中と言うのは、そうそう居ない筈です。利英……や、身内のエンジニアのお陰で、解析自体は既に完了してますからね。それこそ、模造品を造れるくらいに』

「故にオリジナルを狙ってくる輩は、未だ解析できていない何かが含まれている事を知っている連中――つまり、元の製作者であるスティレットに他ならない、と言う訳か」

 説明に相槌を打ちつつも、帯刀は巌の口調の変化を見逃さない。

 少し早口気味になっている。よほど触れられたくない話題なのだろうか。

 どうあれ、今切り出しても意味は無い。なので、帯刀は巌が話題を修正するままに任せた。

『そういう訳です。もっとも、この予測にしたって仮定の域を過ぎない話ばかりなんですけどね』

 とは言いつつも、巌は何らかの確信を持っているのだろう。そうでなければこうも手際の良い論理展開は出来まい。それは一体何なのか。

 気になるところではあるが、今重要なのはそこではない。

「その仮定が事実だとして、だ。エルドとその一派共は、人造Rフィールドでニュートンの遺産をどう盗むつもりなんだ?」

 真正面、相変わらず格子状に連なっている立体映像モニタ群。その最上段の左端を帯刀は見る。

 他のモニタとは違い、そこだけロンドンの町並みが映っていない。

 代わりにあるのは黒く透き通る星の海と、赤々と滾る炎を封入した一個の球体のみ。

 最後の魔術師の遺産の状況が、監視衛星のカメラから中継されているのだ。

 リアルタイム映像だと言うのに、炎は微塵も動かない。結界内部に張り巡らされた擬似超重力場により、内部の時間が静止しているためだ。いわゆるブラックホールの内外における時間経過の差違を、霊力で擬似再現しているのである。

 巌も同様の映像を手元のモニタに映しており、細い眼差しが凍り付いた炎をじっと見る。

『宇宙空間に浮かんでいて、凪守とBBBに監視されていて、時間を止めるほどの超重力に包まれている。なーるほど、確かに一見すると恐ろしく強固な守りに見えますねー』

 遺産の現状を端的に述べる巌。やはりと言うべきか、口調は元に戻っている。

『ですが、少なくとも重力場は割と簡単に突破できると思いますよー。そのために時間を指定してるんでしょうし』

 ――疑似超重力障壁がいかに強固であろうと、所詮それは術式だ。霊力の補充を怠れば、たちどころに消滅してしまう。故に遺産は数ヶ月に一度、イギリス上空を通過しながら無形の霊力を補充しているのだ。

『エルドが指定した犯行時間は、ニュートンの遺産が霊力を補充する時間と重なっています。恐らくエルドはこの時にRフィールドを展開し、遺産へ取り込ませる腹積もりなのでしょう』

 どうとでも加工できる無形の霊力ならばともかく、Rフィールドはフェンリルで噛み砕かねばどうにも出来ない存在だ。そんなものを力場へ取り込ませたら、一体どうなるか。

「そうなれば誤作動を起こす、程度では済むまいな」

『ええ。霊力供給路にそってRフィールドが拡大し、遺産を包みながら擬似超重力場を浸食。そうして力場が壊れると同時に、剥き出しになった遺産が落ちていく――そんな感じになると思います』

 この辺は利英と共にシミュレートした内容だ。経緯はどうあれ、ファントム・ユニットは人造Rフィールドの解析に関して一日の長がある。そうそう狂いは無いだろう。

「ふむ」

 モニタ上の資料を読みながら、帯刀は目を細める。

「……特に興味深いのは、Rフィールドの中へ遺産が取り込まれる、という点だな」

 ニュートンの遺産の中には、何が封印されているのか今でも分からない。稀代の天才錬金術師ですら匙を投げたものなのだから、ひょっとすると予想を遙かに超える危険な産物かもしれない。

 幻燈結界で包み込んで回収すれば、という案も出なかった訳では無い。だが幻燈結界とは、壊そうと思えば割と簡単に壊せるものなのだ。以前日乃栄高校でキクロプスがやって見せたように、薄墨色と干渉するよう術式を調整すれば、それだけで事足りてしまう。

 もしも何らかの理由で、封印されたものが幻燈結界と干渉したら――その危惧と、何より失敗した場合の落とし所が定まらず、回収作戦は実行できなかった。

 だが、Rフィールドとなれば話は別である。

 理論上、Rフィールドを突破するにはフェンリルの力が必要になる。回収用の網として使うなら、なるほどこれ以上のものはあるまい。

『エルドでなくともニュートンの遺産が一体何なのか、気になっている人は多いですからねー。安全に開封出来れば良し、中身を回収出来れば尚良し、と言った所でしょうかー』

 しれりと、何でも無い事のように巌は言う。

 しかして、帯刀はその裏にある意味を、すぐさま見て取った。

「ほ、う」

 喉元まで上がりかけた声を、帯刀はすんでのところで飲み込む。

 長年捕まらない怪盗、どうにも貧弱な警備網の現状、そして最後の魔術師の遺産。

 全ての疑問が、一本の線で繋がる。

 浮かび上がったのは、恐るべき陰謀のパッチワークだ。

 尋常では無いその模様に、それを調べ上げた巌の手腕に、帯刀は久々に背中へ生温いものを覚えた。

「……五辻。その中身を回収したい連中というのは、どこの誰だ?」

『そりゃもちろん欲しがってる人達ですよ』

「BBBへ連絡したのか?」

『まさかー、まだ裏取りが終わってない話ですからねー。これを知ってるのは僕と、情報を提供してくれたキューザック卿と、帯刀一佐だけです』

「……それは、それは」

 呆れ半分、感心半分。小さく頭を振った後、帯刀は腕を組む。

 巌は笑顔を崩さない。ただ、口の端が少し柔らかくなった。

『さて。長々と話し込んじゃいましたが、帯刀一佐にして頂きたい事は、今までと特に変わりませんねー』

「分かっている。全力を持って、確実に、エルド・ハロルド・マクワイルドを捕縛する」

 派遣時に言い渡されている、ごく当たり前の任務内容。それを今、帯刀は改めて宣言した。

 一語一句、力と決意を込めて。

『それから、僕達ファントム・ユニットは当日、月面でレツオウガの運用試験や戦闘訓練をする予定です』

「そうか」

 帯刀の口元が吊り上る。『いつ呼び出されても問題なく対応できます』と言われたのと同義なのだから、さもあらん。

「……しかし、綱渡りもいいところの計画だな。穴もある。そのくせ攻撃は恐ろしく大胆だ」

『準備はなるべく入念に、決断はなるべく迅速に、がモットーですから』

 あくまでにこやかに、巌はつぶやく。

『それに、やられっぱなしってのも性に合わないんですよねー』

 それはやんわりとした、しかしれっきとした、反撃の狼煙であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る