Chapter04 交錯 04

 欺瞞、目算、権謀術数。

 どこかで、誰かが、思惑を練っている。恐らくは今、この瞬間も。

 神影鎧装しんえいがいそうを、Eマテリアルを、それらの筋道上にある利権を。

 飽きもせず、懲りもせず、虎視眈々と狙っている――。

 天来号てんらいごうへ出入りする度、凪守なぎもりの同僚と顔を合わせる度に、そんな空気を辰巳たつみは嗅ぎ取っていた。

 気のせいだ、と言われればそうかもしれない。そもそもが死に損なった身の上なのだから、過敏になっていると言えばそれまでだ。

 だが。

 それでも笑い飛ばせない何かが、先日の戦いに端を発する何かが、どこかで動き出しているような気がしてならない。

 ――そんな思考を巡らす辰巳の耳に、きんこんと飛び込む鐘の音が一つ。授業終了のチャイムが鳴ったのだ。

「きりーつ、れーい」

 日直の気だるげな号令に従い、立ち上がってお辞儀をする辰巳。考えすぎで忘れていたが、一限目の歴史の授業中だったのだ。

 担当の矢木沢やぎさわ先生が教壇から降りるより早く、一斉にしゃべり出す二年二組の同級生達。

「最近新しく出たスマホがさー」「あー数学の宿題忘れてたー」「昨日のあのテレビ見た?」「購買のパンの種類増えねえかな」「おでんたべたい」「ああもう、まーた笠木かさきのヤツが――」

 等々。耳を澄ますまでも無く、聴覚へ雪崩れ込んでくる声、声、声。

 平和で、平穏で、穏やかにも程がある日常の空気。

 変わらない。死を覚悟する前と、何ら変わっていない。

「は、は」

 気付けば、辰巳は苦笑をこぼしていた。

 さもあらん。本来なら、辰巳はこの場にいるはずが無いのだから。

 だから、辰巳はその因果を覆した元凶を――霧宮風葉きりみやかざはの姿を見た。

 風葉は、笑っていた。友人の女生徒達と、とても楽しそうに。

「へぇ」

 自分でも良く分からない感心をしながら、辰巳は頬杖をついた。

「でさ、風葉っち。悪いんだけどアタシ、数学の宿題忘れちゃってさ」

「んもーしょうがないなぁ。解き方のコツなら教えたげるから、ほらノート出した出した」

「……そのぅ、丸写しっていう選択肢はダメなんでしょうかお代官さま?」

「だめだめ、ちゃんと自分で考えなきゃ。問題数自体は多くないんだし、チャチャっと出来るでしょ」

 と、そんなこんなで短い時間ながらも友人と宿題を解いていた。

 二限目の始業ベルが鳴ってからも、辰巳はそれとなく観察を続けた。

「ふむ」

 そうして、分かったのだ。

 一言で言えば。霧宮風葉は、いい人なのだと。

 実に、いい人なのだ、と。

 ――例えば、一限目の休み時間にやっていた数学の宿題。

 友人と一緒に考えすぎて、チャイムが鳴っても続けていたので先生に怒られた。もっとも、問題自体はどうにか解き終わったようだが。

「いやぁ、集中すると周りが見えなくなるタチでして……えへへ」

 そんな言い訳をしながら、風葉は笑った。

 ――更に、二限目の休み時間に鉢合わせた図書委員。

 大量の古本を移動させる手伝いをしようとして、結局腕力不足で立ち往生してしまった。もっとも、見かねた辰巳がてきぱきと終わらせてしまったが。

「あ、ありがと五辻くん」

「ただの慣れさ。いつももっと酷い山を崩してるからな」

 今日も造山運動を続けているだろう、利英りえいの研究室前を思い出しながら、辰巳は頭をかいた。

 ――更に更に、三限目の休み時間に奇声を上げた同級生。

「しまったァ! お弁当忘れて来ちゃったー!?」

「ええっ!? 何で!?」

「いや、星占いが一位だったから舞い上がっちゃって、つい」

 そいつは下から数えて一位なんじゃないのか、と辰巳は思わず言いかけた。

「困ったなぁー。私は寮生だから、おべんと分けてあげらんないし」

「……あー、まったく」

 眉根を寄せる風葉の肩を、辰巳は軽く叩いた。

「わ!? あ、なんだ五辻くん」

「任せろ。俺にいい考えがある」

 半分くらい呆れが滲んでいる辰巳の顔だったが、切羽詰まっていた風葉は素直に喜んだ。

「そうなの? じゃあ、お願いするよ」

 ああ、と頷く間も無く四時限目のチャイムが鳴り響く。なので二人は急いで席に戻った。

 古文担当の丸橋まるばし先生が入ってきたのは、その直後だった。

「おーし、授業はじめっからお前ら静かに……してるな。珍しい」

 満足げに頷く丸橋先生であるが、まぁ無理もない。

 何せ二年二組の生徒達からすれば、あの路傍の石塊のようだった五辻辰巳が、霧宮風葉と『初めて』、しかも親しげに喋ったのだ。

「……いかん」

 この状況、この空気。風葉の犬耳を初めて見たと同じだ。そして今回、幻燈結界げんとうけっかいのアシストはあるまい。

 それとなく風葉を見やれば、ものすごく微妙な表情がこちらを見ていた。きっと自分も同じ顔をしているのだろう、辰巳は溜息をつく。

「こいつは、禍退治以上に難題だったな」

 チャイムと同時に爆発するだろう同級生達をどう避わすか、辰巳は頭をかいた。


◆ ◆ ◆


 そんなこんなで昼休み時間、翠明すいめい寮付属の食堂。やややつれた顔をしながら、辰巳と風葉は配給の列に並んでいた。

「いやぁ、大変だったね」

「まったくだな。教室の扉があんなに遠く感じたのは初めてだ。月より遠かったんじゃないか」

 ――時間にすれば十分そこそこだが、まぁ色々あった。

 端的に言えば。二年二組は数学の授業終了と同時に、洗濯機と化したのだ。

 先日ほどの意外性がなかったせいか、はたまた丸橋先生の授業が緩衝材になったためか。勢い自体は先日ほどではなかったが、それでも纏わり付く興味を振り払うのに、二人はたいへん苦労した。

 ふとしたトラブルがあって、それを二人で解決する羽目になって、色々あって友達になったのだ――そんな感じの説明を、辰巳と風葉は繰り返した。

 大抵の連中はその説明で納得か、あるいは半笑いを浮かべて引き下がった。腹が減っていたという事も大きいだろう。

 だがそれでも食い下がったのが、原因となった弁当を忘れた女生徒、長浦亜紀ながうらあきであった。

『ホントにそれだけの関係なの?』『そのトラブルっていつあったワケ?』『昼ご飯? そんなの良いからもっと話を――』

 いわんや、彼女は無類の噂好きなのだ。

 しぶとく食い下がる長浦に、辰巳は自室から持ってきたカップ麺を押しつけた。いい考えとはこれの事である。

『お湯は給湯室にやかんがある。食うのは談話室辺りで、音とにおいでバレないよう注意な』

『じゃあ、私達もごはんだから、これで』

『あ、ちょっと二人とも――』

 がやがやとやって来た上級生の一団を隠れ蓑に、二人はそそくさと食堂へ避難した。そうして、今に至る訳である。

「しかしアレだ。霧宮さんはいい人だな」

 頭一つ低い同級生にそう言いながら、辰巳はトレイを一枚とった。

「え? そ、そうかな」

「ああ、いい人だ。行き過ぎなくらいにな」

「ん、まぁ、良く言われるよ」

 大分前、知り合ったばかりの頃。いずみにされた指摘を、風葉はなぞる。

「人助けはいいけどキャパ足りてないじゃーん、ってコトでしょ?」

「ああ。いくら困ってる相手だからって、何で届きそうに無い場所にも手を伸ばそうとする?」

 列の流れに乗り、辰巳は配膳係のおばちゃんからごはんを受け取って一歩進む。少し遅れて風葉もそれに続く。

「んー、性分なんだよね。困ってる人を見ると、ほっとけないんだよ。役に立てないかも、って思っててもね」

 湯気の立つご飯茶碗をトレイに乗せながら、風葉ははにかむ。

 それは間違いなく、混じり気の無い本音だろう。

「ムリかもしれない。ダメかもしれない。けどそこで諦めて止めちゃったら、『かもしれない』はホントになっちゃうじゃない」

 口元には笑みを、目元には本気を。それぞれ浮かべながら、風葉は言い切った。

「成程、な」

 辰巳は納得する。めげず、諦めず、ひたむきに努力し続ける。

 それが、風葉の当たり前なのだ。

「俺に嫌いだ、って言ったのもソレが理由か」

 確かにそんな風葉なら、あの辰巳の決断を許容できまい。

 無理だ、と。駄目だ、と。理由はどうあれ、抗う事を諦めていたクラスメイトを見過ごす事など、絶対に。

「けどよ。こうして上手くいったいいものの、失敗したらどうする気だったんだ? ただじゃ済まなかったぞ」

 言いつつ、辰巳はおかずの配膳スペースに着いた。今日は焼き魚と野菜炒めの二択であり、辰巳は迷わず焼き魚を選んだ。

「ん、ん」

 おかずと返答。風葉はしばし逡巡して、野菜炒めに手を伸ばした。

「正直言うと、決めた時はゼンゼン考えてなかったんだよね。で、レックウに乗って、Rフィールドを見て、ちょっと……ううん、かなーりやっちゃった感に苛まれたね」

「おいおい」

 呆れながら味噌汁を受け取る辰巳。だが続く風葉は真剣な表情を崩さない。

「だって、ホントに気に入らなかったんだもの。それに、困ってる人を助けるのに大した理由はいらないでしょ?」

「ま、そうかもしれんがな」

 それを実行するのは、とても勇気と決断力のいる事だ。もっとも風葉の場合はいくらかの向こう見ずさと、何より憑依したフェンリルの影響もあるのだろうが。

「それに、五辻くんだってそうだったんじゃない?」

「へ? 何が?」

 首を傾げる辰巳に、風葉はくすりと笑う。

「だってさっき助けてくれたじゃない、古本運びと亜紀のごはん。今までの五辻くんだったら、ゼッタイ我関せずだったよね」

「む」

 言い返したい辰巳だったが、考え直してみると実際その通りだ。

 冷や飯食らいの位置とはいえ、自分は、五辻辰巳は凪守なぎもりの一員である。それ以上でもそれ以下でも無い。

 その組織名のごとく、凪のように穏やかな日常を影から守る事――それが自分に出来る全てだ。そして、その穏やかな日常への干渉は、極力するべきではない。そう思っていたし、今でも変わらずそう思っている。はずだ。

 だが、ならば。なぜ自分は、さっきあんな事をしてしまったのか。

「霧宮さんだから、かな」

「えっ?」

「それだけ近いってコトさ」

 眉根を寄せる風葉に背を向け、辰巳は手近な席に昼ご飯一式の揃ったトレイを置いた。

「ま、そんな事よりメシにしようや」

「むぅ」

 やや不満を顔に貼り付ける風葉であったが、結局空腹には勝てず辰巳の対面にトレイを置く。

 その、直後だ。

「――!」

 辰巳は経験で、風葉は直感で、弾かれるように窓の方を見た。

 きしりと鳴る空気。ざわりと震える霊力。それらに導かれるかのごとく、突風のように吹き付けた薄墨色が、食堂を吹き抜けた。

 幻燈結界が発動したのだ。

「えっ、ちょっ、なんで!?」

「どっかでまがつでも出たんだろ。竜牙兵はそろそろ湧き潰したと思ってたんだが――」

 頭をかく辰巳の左腕から、唐突にコール音が響く。いわおから緊急指令のメールが届いたのだ。

 すぐさま立体映像モニタを表示し、辰巳は内容を確認する。

「……町の北の方に、竜牙兵の一団が沸いて出たようだ。迎撃に出てくれ、とさ」

 メールに添付されていた地図から視線を外し、辰巳は改めて風葉を見る。

「行けるかい、霧宮さん」

「え、それはまぁ、行くよ? 私も一応五辻くんの仲間なんだし」

 迷わず即答する風葉。その意志を裏打ちするのは、果たして風葉自身の決意だろうか、それともフェンリルにもたらされた闘争本能だろうか。

 凪守上層部では未だその辺について纏まっていないが――どうあれ、辰巳は信頼する事に決めていた。

 少なくとも、今はまだ。

「けど、五辻くん」

「何だい?」

「このごはんは――」

 どうするの、と風葉が言いかけた矢先、二人の生徒が前を横切る。

 そして、ごく当たり前のように辰巳達の席へ座り、ごく当たり前のように辰巳達が取った昼食を食べ始めた。

 その光景を不審に思う者は、食べている当人達をも含めて、誰一人として居なかった。

「と、まぁこの通り無駄にはならんさ。これも幻燈結界による思考最適化の一つだな」

「ご、ごはん」

 お腹を押さえながら落胆する風葉に、辰巳は肩をすくめる。

「とにかくさっさと片付けて来ようぜ。じゃないと並ぶ時間すら無くなっちまう」

「ごーはーんー……」

 そうして辰巳はてきぱきと、風葉はのろのろと、薄墨色の食堂をすり抜けた。

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