Chapter04 交錯 03
チン、と到着を告げるエレベーター。パネルの数字は地上が遙か遠くにある事を示している。高層ビルの最上階なのだから当然だ。
「では、参りましょうか」
そう言ったのは黒いスーツに黒メガネの男、サトウである。今日も能面のような笑顔を貼り付けながら、サトウは誰も居ない廊下をまっすぐに進む。
「うぃーす」
次いで気だるげ言ったのは、仮面の男ことグレンだ。決まりが悪そうにコメカミを小突いた後、軽く勢いを付けて踏み出す。
途端、むせかえりそうな霊力がグレンの身体に纏わり付いた。さながらゼリーの中をかき分けるような感覚に、仮面下の眉間が歪む。
これは、余剰分だ。壁、床、天井。申し訳程度に装飾が施された建材の向こうで、莫大な霊力がゆっくりと拍動しているのだ。センサーを走らせれば、数センチ下に走る毛細血管の如き霊力のラインが見える事だろう。
入り口付近から結構な霊力の流れを潜ませていたこのビルであるが、心臓部たる場所の近くとなると、最早それを隠そうともしないわけだ。
一般人どころか駆け出しの術師すら当てられてしまいそうな霊力の中を、二人の男は平然と進む。
「しっかし、いつ来ても息詰まっちまいそうなトコだよなー。窓も無ェし」
などとグレンがぼやいた直後、右手の壁に立体映像モニタが灯る、灯る、灯る。瞬きする合間に、一メートル四方の正方形が突き当たりまで等間隔に浮かび上がったのだ。
中に映っているのは、強い日差しに晒される外の町並み。外縁部にある監視カメラの映像を直結しているのだろう。さながら窓だ。
「……お気遣いどーも」
ひらひらとぞんざいに手を振るグレン。口の端を少し歪めながら、しかし振り向く事なく歩き続けるサトウ。
そうして十字路を右に曲がり、やがて二人は扉の前に行き当たった。
今までの簡素な風景とは打って変わり、木製の重厚な両開きの扉を、サトウはノックする。
「失礼します」
そして、扉を開いた。
狭くも広くも無い、絶妙な大きさの執務室であった。部屋の左奥には観葉植物が置かれ、敷かれた絨毯は落ち着いた臙脂色だ。
ここまではごく普通の執務室だが、目を引く点が二つある。
一つは観葉植物の反対側、壁際にある大きな止まり木だ。蔓草のような装飾が施された止まり木には、大きなカラスが二羽、サトウ達をじっと見ていた。
もう一つは、止まり木の手前でコーヒーを入れているメイドの姿だろう。黒い肌、スラリと高い背丈、腰まである長い髪。清潔なエプロンドレスをそつなく着こなすメイドは、流れるような手つきでコーヒーをドリップしている。
鬱陶しい霊力と打って変わって、鼻腔をくすぐる芳醇な香り。
部屋の主に挨拶しながら、サトウは微笑を深めた。
「ただいま戻りました、ギャリガン社長」
「ああ、お勤めごくろうだったねサトウくん。こちらも話がついたよ」
真正面、来客用テーブルの向こう側。小さな目に満面の笑みを浮かべながら、ギャリガンと呼ばれた老人がサトウ達を見据えた。
温厚そうな老人である。
七十代か、あるいはもっと行っているかも知れない。頭髪は大部分が抜け落ち、残った後頭部も見事に白色だ。肌も負けず劣らず真っ白く、くしゃくしゃのシワが陰影と齢を刻み込んでいる。
当然手足は枯れ木のように細く、車椅子から立ち上がれそうな気配はまったくない。だが着込んでいる臙脂色のシャツと、何より輝く青い目が、漲る力を物語っている。
「まぁ、まずはかけてくれたまえ。遠路はるばる疲れただろう」
「いえいえ、グレンくんの力があればどこへでも一瞬で行けますからね」
言いつつ、対面のソファに腰を下ろすサトウ。グレンもその隣に座る。
「Eマテリアルが手に入りゃ、もっとスゲー事も出来るんスけどね」
肘掛けに頬杖をつき、にやり笑うグレン。
『ケェーッ! 頭の悪いガキめ! 何がスゲーものか!』
そんなグレンのドヤ顔に、甲高い声が冷水をぶっかける。
「……あ? んだとコラ?」
グレンは立ち上がり、部屋の隅を――止まり木のある方を睨む。
淡々とカップの準備をするメイドの向こうで、一匹のカラスがギャーギャーと騒いでいた。良く見れば、カラスの胸元には血のように赤い石が輝いている。
このカラスは、ギャリガンの使い魔なのだ。
『取らぬタヌキの皮ザンヨーだ! 手元にないモノの話をしてどーする! バーカバーカ!』
バタバタと翼をはためかせながら、カラスは正論でグレンをいたぶる。
「クソトリがぁぁ……! 今日という今日は緩さねぇ! 絞めて捌いて唐揚げにしてやる!」
勢いよく立ち上がるグレン。「今日という今日は」の言葉通り、彼らは顔を突き合わせる度こんな漫才を繰り広げていたりする。
「やめてくださいグレンくん社長の所有物なんですから」
「唐揚げか、おいしそうだねぇ」
苦笑するサトウ、微笑みを崩さぬギャリガン。両者とも間には入らぬ構えだ。何せ仲介人は既に決まっているのだから。
「こ、の……?」
まさにグレンが踏み出そうとした直前、ずい、と鼻先に突き付けられるコーヒーカップが一つ。つい今しがたメイドが煎れ終えたのだ。
「な、んだよ」
半眼になるグレンだが、メイドの眼差しとコーヒーの液面は微動だにしない。その泰然とした佇まいと、何より鼻腔をくすぐる芳醇な香りに、グレンはすっかり気勢を削がれてしまう。
「……あー、ったくよ。命拾いしやがったなクソトリめ」
コーヒーを受け取り、もとのソファにどっかと腰を下ろすグレン。それを確認する間も無く、メイドはすぐに振り返ってカラスにもコーヒーを突き出す。
『うむっ、チョージョーである。ミルクはたっぷり入っとるね?』
頷き、メイドは備え付けの餌台にコーヒーカップを二つ置いて、更にストローを刺す。これはおしゃべりカラスが二杯飲む訳では無い。黙っていたもう一匹の分である。
「さぁて、レクレーションも済んだところで本題に入ろうか」
「そうしましょう」
いつの間にかメイドが出していたコーヒーを取り、口を湿らせるサトウとギャリガン。当のメイドは既にギャリガンの後ろへ下がっている。
「さて。サトウくん達が来る少し前だがね、最後まで渋ってたネストルが返事をよこしたよ」
「ほほう、どのような?」
「手のひら返しさ。期せずして、世界で一番強力なフェンリルという抑止力が現れたからね。ヤツも乗る気になったんだろう」
ギャリガンの言うフェンリルとは、無論
「……そうですね。実際あれは怪我の功名と言うべき出現でした。おかげで自壊術式を分析する手間も省けましたし」
「けどその分、アパートに仕掛けた解析術式が無駄になっちまったよなー」
ぶつくさ言うグレン。と言うのも、解析術式はグレンのフォースアームシステムと連動していたためである。
あの時、ギノアを転移させた青い魔法陣。いずれレツオウガが使うだろう、自壊術式を解析するために、グレンはずっと門を開けていた。が、その努力は霧宮風葉という一般人の機転によって無駄になってしまった。
しかして、それは大した問題では無い。むしろフェンリルという代替手段が現れたのだから万々歳である。
だからグレンを苛立たせるのは、それ以前。苦し紛れにファントム4が放った、一発の銃弾にある。
「あのニセヤロウ、まぐれとは言え解析術式に傷つけやがったからな」
大した事はないが、それでもアパートの弾痕も含めて、失点である事に変わりは無い。
『だとしても、敵ながら大したものッスね。流石は重要対象ッス』
今まで黙っていたもう一匹のカラスが、不意にストローからクチバシを放した。その胸には青い宝石が輝いている。
「おうアホトリ、あんなニセモノ褒めてんじゃねえよ」
口を挟むグレン。仮面の下でも不機嫌を隠そうとしない同僚に、サトウが苦笑する。
「そうですね。ゆくゆくはEマテリアルを、可能であればオウガローダーそのものも手に入れなければいけません。ですが、今は――」
「ああ、そのための計画をすすめなければな。僕達が組んだ条件なのだし」
ぱきんとギャリガンが指を鳴らせば、周囲に浮かび上がるのは無数の立体映像モニタ。そのうちの一つ、部屋の中央に浮かぶ一際大きなモニタに、全員の視線が集まる。
メートル単位の正方形にまず映りだしたのは、鉄塊のような双盾を振り上げる虎頭の
「ファントム・ユニットだったかな? 中々やるねえ彼ら」
コーヒーの香りを楽しみながら賞賛するギャリガンだが、眼差しは笑っていない。ただの好々爺ではないのだ。
「優秀な指揮官がいるのでしょう。あの保険が本当に役に立つとは、少々予想外でした」
サトウの言う保険とは、すなわちファントム2の追跡を妨害したリザードマン達の事である。
「あんなに早く嗅ぎ付けてくるとは思いませんでしたからね。おかげで今後の要となるグレン君の大鎧装を見られてしまいました」
「そうかね?」
ぱきん、ともう一度ギャリガンは指を鳴らす。ファントム2の映像が消え、グレンの大鎧装が代わりに写り出す。
「実のところ、あまり問題ないんじゃないかな?」
形はどうあれ、笑いを貼り付けたまま向かい合うサトウとギャリガン。一言も喋ろうとしないメイドと二羽のカラス。コーヒーを飲みきってしまって手持ち無沙汰なグレンは、両者の化かし合いに鼻をならす。
「……まぁ、実際その通りですね」
先に折れたのはサトウの方であった。サトウは懐からスマートフォンを取り出し、今までの情報をもう一度改める。
「二年前、我々スティレットが起こしたあの事件。当事国の日本を守護する
「真偽はどうあれ、それを引き出せるコアユニットがまた世に出て来た訳だ。利用したい派閥と封印したい派閥で分かれるのは、簡単に予想がつくね」
グレンの大鎧装を見るギャリガンの笑みに、鋭い光が一瞬走る。
「その通りです社長。事実、Rフィールドに関連して凪守内部はお世辞にも連携が取れているとは言えないようです」
更にそうした不和の隙を縫い、己の立場と部隊を維持させるという手腕を見せた男の情報もあるのだが、あえてサトウはその話を飛ばした。
――さらりと語られてはいるが、これは重大な危機である。彼等がこうした情報を掴んでいると言う事は、凪守に内通者がいる証なのだから。
だがその重大さを理解出来る者がここに居るはずも無く、謀略の組み立て作業は尚も続く。
「そうした連中に揺さぶりをかければ、計画の進行をより早める事が出来るでしょう。何せこちらにはグレン君がいます。技術、情報、その他諸々。魅せ方はよりどりみどりです」
「ま、肝心なトコまでやらせる気は無いけどよ」
肩をすくめ、おどけるグレン。何が気に入らないのか、その口元は苦々しいへの字に曲がっていた。サトウは苦笑を深める。
「うん、その通りですよグレン君。Eマテリアルを運用するのはワタクシ達であり、計画は全てその為にある」
「そしてその第一歩が、今順調に進んでいるという訳だ」
満面の喜色を浮かべながら、ギャリガンは三度指を鳴らす。またもや部屋中央のモニタが切り替わる。
モノクロの町並みを侵食する赤は、一体どこで撮ったものなのか。紛れもなく、日乃栄高校に発生した人造Rフィールドの映像であった。
「凪守のみならず、ほとんどの組織の目が人造Rフィールドに向いています。そしてこうも考えているでしょう。『これを作った連中は、一体どんな売り込みをかけようとしているのか』とね」
宣伝文を読み上げるように、淀みなく語るサトウ。
「それこそがワタクシ共の狙いです。最後の候補だったネストル氏との話もついたようですし、何より――」
つい、とサトウはメガネを押し上げる。微笑が、喜悦に歪む。
「――本当の目的を隠すためには、その方が好都合ですからね」
そんな本当の目的を纏めたファイルを、サトウは転送。手元に浮かぶ小さい立体映像モニタがデータを受信し、ギャリガンの笑顔がことさらに深まる。
「ふむ、いいねえ。実に楽しみだ」
高速でモニタをスクロールさせ、サトウのデータを確認するギャリガン。
その笑顔とコーヒーを傾ける口が、不意に止まった。
「……ふむ、だがこの計画進行だと、準備にもう少し時間がかかるようだね」
「ええ、その通りです。なので、外野の目をRフィールドへ確実に釘付ける手を打とうかと。つきましては――」
「何だ、また荒事かい。良し、だったら今度はぼくの方から戦力を提供しようじゃないか」
「え」
と、絶句したのはグレンである。仮面の下の双眸は、恐らく点になっているだろう。
「いえ、社長には資金面の捻出でお世話になっておりますし――」
「気にしない気にしない。君達にばかり負担させるのは悪いからね。それに、グレン君のお披露目ももう終わってるだろう?」
「――」
ぴくりと、サトウの眉が動いた。
ギャリガンの指摘は的を射ている。ファントム2の速攻で前倒しになってしまったが、凪守にコアユニットの存在を周知させるのが、裏の目的だったのだ。
それを、ギャリガンは看破した。
「――少々お待ち下さい、今確認しますので」
笑顔を貼り付けたままスマートフォンを操作するサトウ。ギャリガンはあくまで外部の協力者であり、直属の上司ではないのだ。
どうあれ、電話は五分も経たぬうちに完了する。
「――はい、上の了承がとれました。お願いしてもよろしいでしょうか」
言いつつサトウは更にスマートフォンを操作。二回目の襲撃計画のデータを転送し、ギャリガンがそれを確認。
それから両者は小一時間ほど話し合い、大まかな骨組みを作った。
「……では、そのお二方でよろしいですね?」
「よろしいとも。状況的にも戦力的にも、実に適任の二人だ」
言いつつ、ギャリガンはようやく飲み終えたカップをテーブルに置いた。メイドが音も無くそれを下げる。
「では改めて計画を上へ伝えますので、今日はこの辺で失礼いたします……グレン君?」
「んぁ……?」
二人が話し込んでいる間肘掛けにもたれかかっていたグレンは、仮面を被り直しながら大きくあくびをする。
「あー、やっと終わったんだ」
「ええ。帰りますよ」
かくしてサトウは流れるように、グレンはぎこちなく礼をした後、ギャリガンの執務室から退出した。
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