遠まわしの仕返し

 ~本編、二章あたりに入れ損ねたエピソード~


 何日か経つと、イリヤの世話にも慣れてくる。

 世話というほどでもなく、食料を運んでくるか、寝るときにくっついて暖めるか、体を起こしたり移動させたりするときに少し手伝うだけ。

 それしかできないので覚えるも何もないけれど、そのおかげか洞窟にニンゲンがいるということにもいい加減慣れてきた。


 食後、イリヤの傍で毛並みを整えながらくつろいでいたエーリャはふとイリヤの顔をじっと見つめた。


「イリヤはおす? めす?」


 ニンゲンの性別はよくわからない。

 イルビスだと匂いからしてまず違うので間違えることはない。そうでなくともイリヤは匂いが薄いのだ。それでも癖のようにくんくんと鼻を鳴らしながら、エーリャは尋ねた。

 イリヤはそんなエーリャの無邪気な質問に、なにやら含み笑いを浮かべた。


「エーリャはどっちだと思う」

「めす!」


 ぴくっ、とイリヤの笑みが反応する。


「一応聞いておくけど、なんでかな」


 やや単調な声音になったイリヤの様子に気づくこともなく、エーリャは意気揚々と答えた。


「だって、なんか、イリヤ、かあさんみたいにきれいなきがするから!」


 イリヤはかあさんとおなじではないけれど、おなじくらいにいい匂いがするし、毛並みもサラサラで艶々している。

 きっと雌なのだろう、と自信満々に当たりを付けた。なんなら褒めてあげている気にもなっていた。


「ふーん。残念、ぼくは雄でした」

「えー」


 おもむろに、イリヤはエーリャを指で引き寄せるとおもむろに脇の下に両手を潜り込ませ、ひょいとエーリャを裏返す。イリヤの膝の上であおむけにさせられたエーリャは突然のことに目を白黒させた。


「あ、エーリャはめすだね」


 両手を並べて大人しくしているエーリャの全身をしげしげと眺めながら、イリヤはにやっと口角を上げた。


「そうだよ! なんでわかったの?」

「エーリャが可愛いから」


 言いながらエーリャの顎の下を擽り、もう片方の手ではエーリャの腹の白い毛をかき混ぜるように撫でてはならす。

 もうイリヤの手つきは慣れたもので、エーリャのいいところを知り尽くしている。エーリャももうその手に慣れ切っていたので、心地よい愛撫に尻尾の先までだらけきって、くふくふと笑った。


「えー、うふふふふう」

「ふふふふふ」


 甘やかし甘やかされ、和やかに二人の時間は過ぎて行った。



*****



 イリヤと旅立ったエーリャはある日突然思い出した。

 あの忌まわしきやりとりを。


「うガアアアアアア」

「どうしたの」

「イーリャ、あのとき、エーリャのおっ……おっ……」


 人間としての意識が邪魔してか、その先の言葉が出せない。

 獣のころにはほとんどなかった羞恥心が湧いてきたおかげでいま余計なことを思いだしたのだ。あの時イリヤが何を確認していたのか、今のエーリャだからこそ思い至ることができた。

 しかし思い出しても恥ずかしすぎる。

 ならばいっそのこと忘れていればよかった、と思ったものの後の祭り。

 エーリャが取り消す前に、イリヤがその言葉の続きを引き取った。


「おっぱいを見たかって? そうだね。裏返したんだから当然見たよね」

「うガアアアアア」


 見た本人は恥じらいの欠片もなく告白し、見られた本人は激しく取り乱す。

 地べたにごろんごろんと転げまわったりひっくり返ったりする獣を見下ろし、イリヤは爽やかな微笑で追撃を下した。


「でも獣はちょっとそこだけじゃわかりづらいから下も……」

「うわあああああん! イーリャのぶぁか!」


 そこまで聞いていない。

 羞恥心が限界を迎えたエーリャはイリヤを置いて、見えなくなるほど遠くまで全力疾走で駆けて行った。その様子を見送ったイリヤはくすっと微笑んで、


「だってぼくのこと雌なんて言うから」


と呟いた。

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