第4話 下水道味の水
「ぎーぎぎぎぎぎーぎー、ぎーぎぎぎぎぎぎぎーぎー」
機嫌よく鼻歌らしきものを歌いながらチョコマカと歩くギィの後ろを、アレフは早足気味についていく。
身長差は倍以上だが、意外と彼女の歩みは早かった。見た目が小さくても、元々そういう種族の彼女は成体ではあるはずだ。しかし、細かく走ったり飛び跳ねたりするギィの動作はまるきり子供のように見えた。
妖精は無邪気で奔放なものだというから、先祖返りしたギィも本質的にそういうものなのかもしれない。
「うおっと」
突然壁から突き出してきた槍を、アレフは屈んで避けた。前を行くギィは殆ど罠に引っかからない。スイッチを踏んづけても、体重が軽すぎるせいか発動しないのだ。アレフ一人が罠を警戒し、いなしながら付いていかなければならないのも、歩幅で大きく勝る彼が早足にならなければならない理由だった。
「本当にこっちであってるのか?」
「ぎっ!」
少し不安になって問えば、しっかりとした答えが返ってくる。心外だ、と言わんばかりであった。
ギィに案内してもらっているのは、水場だ。当座の食料は何とかなったが、水がなければ数日もしないうちに乾き死んでしまうだろう。だが、その事情はギィたち
そんなわけで、彼女が普段使用している水場への案内を頼んだのだが。
「ぎぃっ!」
小さな胸を張って誇らしげにギィが指し示したのは、壁に空いた小さな穴だった。アレフの指の太さと同じくらいの大きさのその穴からは、確かに水が出てきている。壁の表面をわずかに湿らせるくらいに垂れ落ちる水滴の周りには、青々と藻だか苔だかわからないような植物が生い茂っていた。
「ぎぃー」
ギィは躊躇うこと無くその穴に舌を這わせて、流れる水を啜る。その下の地面に溜まった小さな水たまりよりはマシだろうが、とても衛生的とは言えない水源だった。見た目的には下水道から滲み出ている水を飲んでいるのが近い。
「ぎっ」
嬉しげに場所をあけられて、アレフは戸惑う。確かに自分も泥水を啜るような生活はしてきたつもりだがそれは比喩であって、ここに来るまで暮らしていた王都では食事は質素でも水はそれなりに綺麗なものだった。ギィが飲んでいるからには毒なんかはないだろうが、彼の腹が耐えられるかはまた別の話だろうと思われた。
「あー、ギィ。ここの他には水はないのか?」
アレフの問いに、ギィは小首をかしげた。
「ぎぃ?」
そして目の前の水を指す。ここにあるのになぜ他の場所に行かなくてはいけないのか、というようなジェスチャーだ。
「あー……ほら。俺は、お前より大きいだろ。だからもっとたくさん水が必要なんだよ」
「ぎぃ。ぎぃー……」
苦しい言い訳だったが、どうやらギィは納得したようだった。だが納得した所で、どうしたらいいのか思い悩むように眉根を寄せる。
「まあ知らないならいい。気長に……」
「ぎっ!」
最悪この水を飲むことも考えなきゃいけないか。と覚悟しながらいうと、ギィは突然ぴょんと跳ねた。
「どうした、何か思い当たったのか?」
「ぎぃ!」
こくこくと頷くギィに連れられるまま、アレフは迷宮の道を進んでいく。ギィの足取りには迷いはなく、アレフには同じようにみえる石造りの通路を軽い足音を立てながら駆けた。
「ぎっ!」
「おお……!」
びしっとギィが指をさした先に、アレフは目を見開いて感嘆の声を上げた。
そこには地下迷宮の中だというのに、青々とした大きな木が何本も生えていたのだ。近くに寄れば、さんさんと降り注ぐ陽の光が目に入ってきて、アレフとギィは並んで手で覆いながら目を細める。
と、その時。アレフの目が突然鋭くなって、彼は剣を一閃させた。キンと硬質な音が鳴り響き、何かがくるくると宙を舞う。
「ぎーっ!」
目の前に刺さった矢に驚いて、ギィは慌ててアレフの背後に隠れた。
「帰りなさい」
凛とした女の声が、どこからか響いた。矢の飛んできた森の中からだろうと推測は出来たが、声はあちらこちらに反響してどこから聞こえてくるのか全く判別できない。
「そこから先に進もうとするなら、次は当てるわ」
「試してみなよ」
ギィに待っているよう手で合図して、アレフはそのままずんずんと歩を進めた。
「ほっ」
すかさず肩口を狙って飛んできた矢を、アレフは手で掴む。
「なっ……」
飛んでくる矢を手で受け止めるのは流石に予想しなかったのだろう。女は驚きの声を漏らした。
「ほら、当たってないぞ」
「くっ……」
アレフが更に前進すると、まるで雨のように矢が降り注いだ。一人で撃っているなら信じがたい速射だ。
だがその全てを、アレフはやすやすと受け止めた。
「聞いてくれ。俺はあんたが誰か知らないが、別に悪さしようってわけで来たんじゃないんだ」
とうとうアレフは森の目の前まできて、そこに今まで受け止めた矢をどさどさと下ろす。
「この辺に水場はないか? 知ってたら教えて欲しい。勿論、あんたが必要な分まで奪おうってつもりはない。余ってる分があれば分けてくれないか?」
アレフが木々を見上げながらいうと、しばらくの沈黙の後、再び矢が飛んだ。しかしそれはアレフを狙ったものではなく、森のある広間から続く別の通路に突き刺さる。どうやら、そこへ行けということらしい。
「ありがとう。助かるよ。ギィ、来い」
アレフが振り向いて手招きすると、ギィは壁に張り付くようにして広場に入ってきて、だっと駆けると迅速にアレフの影に隠れ、彼の足にしがみついた。
「大丈夫だよ……俺はアレフっていうんだ。こいつはギィ」
ぽんとギィの頭を撫でてやった後、木々に向かってアレフは声を張り上げる。だが、先程までの攻撃が嘘のように森は静まり返っていた。
「あんた、優しいな」
アレフはふっと笑んで、ギィを連れて示された通路へと歩いて行く。
――その背に向けて、彼女は弓を引き絞った。
静かにキリキリと音を立てる弦を最大限まで引いて、狙いをつける。
絶対に外す事のない距離。
相手は背を向けていて、こちらの正確な位置にすら気づいていない。
間違いなく、殺せる。
しかし。
数秒の後、いや、と首を振りながら、彼女は弓を下ろした。
間違いなくという意味では、二度目の射撃で無力化できていたはずなのだ。
あの大男は底が知れない。
敵意がないというならわざわざ攻撃して刺激するのは悪手だ。
それにどのみち、彼らは『避けられぬ死』に向かっているのだから。
彼女はアレフたちの背をじっと見つめて、深く息を吐いた。
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