ダンジョン・アット・ホーム
石之宮カント
第1話 不帰の迷宮
深い森の中を、馬車がゴトゴトと進んでいた。
木で出来たその箱馬車には装飾らしいものが一切なく、頑丈そうな扉には太い閂がかかっている。格子の嵌った窓がその無骨な印象を更に強くしていた。
御者台の脇にはスペースがあり、そこに武装した兵士が三人、座っている。
それは罪人を運ぶための護送車だった。
「ついたぞ。アレフ、出ろ」
やがて馬車は動きを止めて、兵士は扉を叩きながら閂を外す。兵士の声は極めて横柄だったが、同時に僅かな恐れをその奥に秘めていた。
馬車の車体がぎしりと揺れて、扉が開く。
中から出てきたのは見上げるような大男であった。
二メートルは軽くあろうかという巨体に、隆々とした体躯。大きな身体を窮屈そうに折り曲げて扉をくぐるその男は、粗末な囚人服を着て、両の手首を木製の枷で縛られていた。
「行け」
と、兵士は槍を突きつけて顎をしゃくる。
その先には、巨大な穴がポッカリと口をあけていた。
森のなかにあいているそれは不自然なまでに綺麗な円形をしていて、底はどこまでも深く見通すことが出来ない。
アレフと呼ばれた男は槍を向けられながら、その穴へと歩を進める。
そして穴の手前で、ぴたりとその足を止めた。
「行け。穴の中に落ちるんだ」
兵士は槍を突きつけたまま、アレフにそう命じる。だが彼は兵士たちに背を向けたまま動かず、その身体をプルプルと震わせた。
「何だ。怯えているのか」
兵士たちから思わず、嘲笑が漏れた。
「悪鬼と怖れられた男でも、極刑の前ではこんなものか」
「そら、さっさと行け。行かねばこの槍で突き落としてやるぞ」
先ほどまで張り詰めていた彼らの空気は弛緩して、兵士は槍の穂先の腹を使ってアレフの腕を叩く。
その時だ。
ビシリ、と何か不吉な音が鳴った。
「……何だ?」
兵士たちは音の発生源を探して辺りを見回すが、それらしいものは見つからない。そうする間にも音は更に大きくなり、アレフの震えは大きくなる。
「おい、さっさと――」
瞳に不安の色を滲ませながら、兵士が再びアレフの腕を槍で打とうとする。
その柄が、太い腕に掴まれた。
「えっ」
状況を把握するより前に槍がぐいと持ち上げられ、しなる柄に弾かれるようにして兵士の身体が宙を舞った。
「お、おいっ! こいつ、手枷が外れてるぞ!」
別の兵士が、悲鳴のように声を上げた。アレフの両腕を縛っていた木製の手枷は、信じられないことに中央から真っ二つに割れてしまっている。
「き、貴様……!」
地面に激突してぐったりと動かない兵士を除き、御者を務めた兵士も加わって三人が剣を抜き、盾を構える。アレフは折れた槍を捨てながら、彼らにゆっくりと向き直った。
鎧兜に身を包んだ兵士たちはいずれも、屈強な選りすぐりの精兵だ。それが、三人もいる。
対してアレフはたった一人、武器すらなく、身につけているのは防具どころか粗末な麻の服だけ。そしてその背後には大穴が開いていて、逃げることも出来ない。
にも関わらず、まるで蛇に睨まれた蛙のように、兵士達は全く動けずにいた。強者であるからこそ、彼我の力量差を敏感に感じ取っているのだ。
「我々を殺して、どうする気だ」
兵士の中でも隊長格の男が、そう尋ねた。
「お前に行くところがあるのか。生家などとうになく、国に戻れば石持て追われるお前が。野山に隠れ住むか。それとも、言葉もろくに通じぬ隣国にでも逃げるつもりか」
「行くところなら、あるさ」
そこで初めて、兵士達はアレフの声を聞いた。
悪鬼の異名で知られた、無慈悲な殺戮者。
もしくは、迷宮送りになる程の罪を犯した大罪人。
そのどちらにもそぐわぬ、涼やかな声だった。
「あんた達が連れてきてくれたじゃないか」
アレフは背後の大穴を一瞥する。
「ついでにこれも貰っていくよ」
そう言って彼はいまだ地面に転がる兵士の腰から剣を引き抜くと、軽やかに大穴へと身を投じた。
底も見えない大穴に向かって落ち行く男を、兵士達はただ茫然と見送った。
――その表情に笑みが浮かんでいる事になど、気付きようもなく。
思っていたよりも、衝撃は少なかった。がしゃんと派手に音を立て、アレフは地面に辿り着く。大地にぽっかりとあけられた穴の下は、自然に出来た谷間でも、洞窟でもなかった。
ところどころ綻び、苔生し、風化しかかっているが……壁も、床も、敷き詰められた煉瓦で出来ている事は間違いない。明らかに、人の手によって作られた場所だった。
それは、地下迷宮に他ならない。
不帰の迷宮。
一度入れば二度と外に出ることが敵わない、絶対脱出不可能なダンジョン。
この国で極刑を言い渡されたものは、皆この迷宮へと落とされる。
それは実質的な死罪を意味していた。
「おっと……先輩、これは失礼を」
アレフの身体を受け止めたのは、大量の骨だった。肉は一欠けも残っておらず、カラカラに乾いている。彼と同じようにこの迷宮に打ち捨てられた罪人達のなれの果てだ。
落とされた時に運悪く死んだのか。それとも、出口を恋しがってここで死んだのか。
わかるのは、ここに留まり続ければ、アレフも早晩彼らの仲間入りをするという事だけだった。
「さぁてと……」
アレフは凝りをほぐすかのように肩を回すと、着地の際に投げ捨てた剣を拾い上げて肩に担ぐ。
「……鞘も持って来るべきだったかな」
抜身の刀身にそんな事を思ったが、今更悔やんだところで仕方がない。
不帰の迷宮の名前は伊達ではなく、天井を見上げても真っ暗な闇がわだかまっているばかりで、流石の彼もとても登れそうになかった。
「まあ、いいか」
食料も水もなく、帰るところも、着替えすらない。
だが彼には剣と自由、そして何よりも鍛え上げた肉体があった。
――それだけあれば十分だ。
心の中でそう嘯いて、アレフは暗がりの道を悠々と歩み始めた。
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