アルビノ(後)

「―――先輩!!

 俺ちょっと今からムチャするんでっ、死なないようにとにかくなんかサポートしてくださいっ!」

『え?

 ・・・高加くん!?』


―――俺が叫ぶが早いか、それまで虚しく空を掻いていたヒル人間たちの両腕が突然、だらんっ、と力なく垂れ下がった。


『・・・おぃ、・・・わ・・・・・・』

『・・・ぃ、・・・・・・』


同時に、その緩慢な歩みまでもがぴたりと止まり

地下下水道内に不気味に響いていた呪歌が一斉に鳴り止む。


まるで、操り人形の糸が切れたかのような止まり方だった。


『!

 ・・・これは・・・』


・・・後ろを振り返っているヒマはなかったが、おそらくは後方の四体も同じように停止しているだろう。

なぜなら。


「・・・ぉおっ!」


目前にまで迫った白ワニがあぎとを開きかけたのを見て、俺はあえぐような雄叫びと共に前方へと跳んだ。

まるで白ワニの背中に飛び乗ろうとするかのように。


・・・というか、まさしく飛び乗ろうとしたのだ。


《・・・ァ・・・ギ!?》


俺にかぶりつこうとひときわ鋭く踏み込んできた白ワニは、己の顎が空を切ったのを理解してか、かすかなうめき声を上げる。


「・・・く!」


同時に、俺はワニの背中につま先から足を着ける。

さんざん汚水に晒されてきた長靴のゴム底が、純白の外皮に黒茶色の汚らしい飛沫を飛び散らせた。


『この動きは・・・

 ・・・「精霊憑き」か!』


そう。

七段の跳び箱すら跳べたことがない普段の俺じゃ、こんな動きは到底ムリだったろう。

しかしゴモリーの言うとおり、今の俺には精霊が憑いていた。


死者の怨念という、ひどく不純な精霊が。


「・・・よし!」


ルシファーの啓発によって使えるようになった、死返まかるかえしの術の応用技。

ヒル人間たちの原動力である残留思念を己の肉体に宿らせて、超人的な身体能力を発揮するわざ


白ワニの背中に乗った俺は、そのまま倒れ込むようにしてワニの眉間に右手を掛ける。

同時に左手を喉下辺りに滑り込ませ、頭部を上下から押さえ込む形となった。


《・・・・・・ガ!!》


狙いはとにかく、口を開けさせないようにすることだった。

ワニの顎というのは閉じる力の凄まじさに対して、開ける時の力はかなり貧弱らしい。


「・・・せんぱいッ!!」


・・・とは言え、それはあくまで相対的に弱いというだけであって

普段の俺の腕力と体力じゃ、閉じたまま押さえつけ続けるなんて芸当はとてもじゃないがムリだろう。


・・・・・・普段の俺なら。


『・・・しィッ!!』


ゴモリーの掛け声と共にホタルたちが舞い戻り、ふたたびワニ目がけて飛び掛かる。

狙いは―――


ドッ。


ドッ。


《!!

 ・・・・・・ァ!!》


ワニの頭部に覆い被さっていた俺の懐へ、四つの光球のうち二つが高速で飛び込んできたかと思うと

かすかに湿り気のあるような、二つの鈍い衝突音を上げた。


ワニの眼球を貫いたのだ。


《ゥ・・・・・・ゥゥ・・・

 ・・・・・・ゥ!!》


両眼を突き潰された白ワニの口端から、人間の悲鳴にも似たか細い呻きが漏れる。

おそらくは苦悶の雄叫びを上げたかったのだろうが、俺が既に上下の顎を抱きかかえてクラッチしているため、叫ぶに叫べないようだった。


「うぉ・・・おっ!」


ワニが苦痛に任せてバタつくたんびに、チェーンソーのように乱立した歯が回した腕や肩をかすめ、服の生地が細かく裂ける。

丸太のような尻尾が重々しく空を切り、ワニの上で這いつくばっている俺の頭上をびゅんびゅんとかすめる。



・・・・・・正直、怖い。



やらなきゃ恐らくは噛み殺されていただろうとはいえ、我ながらよくこんなクソ度胸を絞り出せたもんだ。

普段はカエルに触れるのすら抵抗があるのに。


『高加くん!』

「・・・っだ、だい、じょ・・・・・・ぶ!」


本当なら俺が抑えつけているスキにヒル人間たちに攻撃させるのがベストなんだろうが、あいにく今周囲にいる六体は『バッテリー切れ』の状態だ。


なぜなら、ヒル人間たちのエーテルを俺自身の身体にかき集めてしまったから。


白ワニに飛びかかる直前にヒル人間たちの動きが停止したのは、そういうことだ。

ルシファーはこの新たな能力に関して、腕力とか身体能力を向上させる術だと説明してくれたが

むしろ重要なのは、ヒル人間たちが吸い上げたエーテルを俺自身の肉体に還元フィードバックできるという点だった。


今まではヒル人間に吸わせたら吸わせっぱなしで、そのエーテルがどこに行くのか及びもつかなかったが

今はその『吸い上げたエネルギーの流れ』が感覚的に理解できるのだ。

そして鞍馬山からここに及ぶまでの合間に色々と試してみた結果

『精霊憑き』モードに切り替えた際、還元したエーテルが多ければ多いほど身体能力も跳ね上がるということが分かった。


『!

 ワニの色が・・・』


と。

一心不乱にしがみつきながらも、ゴモリーの言葉にふと前方を見ると

ワニの右顎辺りがうっすらと黒く変色していってるのが見て取れた。


《・・・ァ、グ・・・・・・ギ・・・ィ》


ちょうど俺の両手がクラッチしている右側の口端辺りから、まるでなにかの病に冒されていくかのように

純白の外皮に薄黒い波紋が広がり始めていたのだ。


『高加くん!

 そのワニのエーテルを今、あなた自身が吸い上げているのよ!

 だから、その体勢を維持していれば倒せる!!』

「・・・・・・ッ!」


・・・一瞬でも気を抜けば腕を持ってかれかねないような状況で、簡単に言ってくれるもんだ。


とは言え、のたうち回るワニの力は最初に掴みかかった時をピークとして

徐々に弱まっていっているのが俺にも感じ取れた。

今のゴモリーの言葉通り、俺自身がワニのエーテルを両の掌からどんどん吸い上げていってるのだ。

黒い変色は、蓄えたエーテルが枯渇し始めているのを意味しているようだった。



――ヂ!ヂ!!



《・・・ゥ・・・・・・ァグ・・・ゥ!!》


光球たちが三たび宙を飛び交い、ダメ押しとばかりにワニの四肢を細かく切り刻んでいく。

顎と尾はまだ生きているものの、もう勝負は決していると俺は感じ始めていた。


《・・・・・・グ・・・・・・》


黒い波紋は、見る見るワニの全身に広がっていく。

両手越しに伝わっていた生命の躍動が、徐々に、徐々に失われていくのが感じ取れた。


「・・・・・・・・・・・・」


・・・借り物の力とは言え、自分の手で直接殺生をするのなんていつくらいぶりだろう。

いや、そもそも初めて・・・

・・・いやいや、蚊とかゴキブリだって立派な生命なんだから、殺生なんて頻繁にしてることになるのか。


『・・・高加くん、もう大丈夫だと思うわ。

 ・・・・・・離しても』

「・・・・・・・・・ええ」


クラッチしていた両手を離すと、ワニの大顎がぐにゃりと傾き

ざぱん、と力なく汚水の中に突っ伏した。


「・・・。

 死んだ・・・んですかね?」

『「死んだ」、ではなく、「殺した」、と言うべきね。

 ・・・戦いに身を投じるのならば、そういう風に気持ちを持っておいた方がいいわ』

「・・・・・・」


ゴモリーはワニを見つめたまま、色なくそうこぼす。

まるで、俺が先ほどかすかに抱いた殺生への抵抗を、見透かしているかのような口振りだった。


『・・・正直、感嘆したわ。

 よくもぶっつけ本番であんな動きができたわね?』

「俺の力じゃないでしょ、こんなの。

 ルシファーがヒルコの力を上手く引き出したってだけですよ。

 ・・・俺、体育の成績悪いし」

『知ってるわ。

 ・・・一学期は「2」だったわよね?確か』

「・・・・・・・・・」


・・・なんであんたがんなこと知ってんだ。


『だからこそ驚いているのよ。

 ・・・運動神経は鈍くても「殺すためのアンテナ」は鋭い人間とかたまにいるから、もしかしたらあなたもそういうタイプなのかも知れない』

「カンベンしてくださいよ。

 ・・・殺生の才能とか、冗談じゃない」


っていうか、それじゃまるで俺がシリアルキラー予備軍みたいじゃん・・・。


「・・・それはそうと、なんなんですか?こいつは。

 回収用の使い魔は、普通のワニと大差ないはずだったんじゃ?」

『・・・・・・』

「エーテルを蓄えてたから、さっきの五匹より強いのは分かりますけど。

 でも、それにしたって差がありすぎるでしょ」


俺はすっかり黒く変色しきってしまった元白ワニの亡骸を見下ろしながら、ゴモリーに抗議混じりの疑問を投げかける。


『・・・このワニ・・・。

 まるで脇目もふらず、まっすぐにあなた目がけて突進してきたわよね?』

「え?

 ええ・・・」

『ちょっと不自然に思わなかった?』

「・・・」


そこでようやく、ゴモリーは俺の方へと顔を向ける。


「肉食獣が獲物を襲う時なんて、そんなものじゃ?」

『そうだけど、わたしには目もくれなかったでしょう。

 ・・・高加くんという「個人」を認識して仕掛けてきたように見えた』


・・・向けてきたその表情は、やはりいくばくかの険しさが残ったままだった。


「・・・・・・何が言いたいんです」

『・・・分かるでしょう?

 あなただって、使い魔を使役する立場なのだから。

 このワニの今の動きは、「放し飼い」の状態ではなかったわ。

 ・・・近くで、使役者が精密に指令を出している時の動きだった』

「アガレスがこの上京区にいる、って話なら、さっきも聞きましたけど・・・」

『そういうレベルじゃないのよ。

 すごく、すごく近くにいる。

 ・・・ものすごく、近くに。

 だからパワフルで、狙いが正確だった。

 ・・・・・・おそらく、さっきの―――』

『―――さっきの、ホームレスどもが怪しい。

 ・・・か?』

『!!』

「ッ!?」


と。

そこで突然、下水道の奥、大ワニの亡骸の向こう側から声が響き渡った。



―――皺がれた、低い男の声が。

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