古都

「―――よーし。

 じゃあ、ここでいったんトイレ休憩に入るぞー」


車窓から望む景色が完全に静止したかと思うと、担任の奥川は座席から立ち上がり

俺たちがいる後部座席へと大声で呼びかけてきた。


「次に降りるのはいよいよ京都市内になるから、みんな気合入れてトイレ行っとけよー」

「うーす」

「20分後の11時25分に出発予定だから、くれぐれも遅れないようにな。

 ・・・あ、あと、市内に入ったらすぐ昼メシだから買い食いするなよー」

「うーっす」

「・・・・・・つか、気合入れてトイレってなんすか先生・・・」


―――同日、午前11時5分頃。

俺たち山海高校一年C組の生徒を乗せたバスは京都府へと入ったのち、トイレ休憩を入れるためにここ府内北部に位置するパーキングエリアに停車していた。


・・・寒いし、ちょっと眠い。

奥川が今言ったように、日程では京都市内で昼食となっているため

俺たちは当然のことながら、昼前には京都入りしなければならなかったのだが・・・。


・・・茨城から、である。


・・・・・・別に文句とかじゃないんだけど。

寒いし、ちょっと眠い。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



『―――おお、あれって大江山じゃない。

 久し振りに見たわ』


俺が軽くあくびしながらバスを降りると、先に降りていたゴモリーが物珍しそうに遠景を眺めている姿が視界に入ってきた。


「・・・大江山?」


釣られて、その視線の先へ目を向けると―――

―――そこには、色あせた緑と紅とに覆われた、なだらかな山脈が望んでいる。


『あらなに、知らないの?高加くん。

 日本人のクセに』


ゴモリーは口元に手を当てながら、小馬鹿にするかのようなにやけ顔でこちらへと振り向く。


「・・・・・・」


・・・どうやら、先ほど車中で赤っ恥かいたのを根に持っているらしい。


「・・・そりゃ、住んでるとこから離れた他県の山なんて、日本人だろうがなんだろうが普通は意識しないですよ」

『興福寺が奈良県にあるのは知ってたのにぃ~?』

「・・・・・・」


・・・・・・めんどくせぇ・・・・・・。


「・・・正体明かしてからのゴモリーさんって、以前にも増してウザくなってるよねー・・・」


その時、少し遅れてバスを降りてきた美佳が

ゴモリーに対し、背後から呆れがちに言葉を浴びせてきた。


『なっ!

 ・・・ちょっと、ウザいとはなによ失礼ね!』


・・・まあ、こればっかりは美佳に同調せざるを得ない。


『・・・・・・と、とにかくっ。

 ・・・話を戻すとね、あそこに見えているあの大江山は、かの酒呑童子が根城にしていた山なの。

 わたしも直に見るのは久し振りなのだけれど・・・』

「・・・シュテンドウジ・・・?

 って、おとぎ話に出てくる、鬼の妖怪・・・だかでしたっけ?」

『おとぎ話というよりも、民間伝承ね。

 10世紀ほど前にあの山を拠点として大暴れしていた、オニの頭領よ。

 ・・・それで、ミナモトノヨリミツ配下の武将であったサカタノキントキが、神様の助力を得て退治した

 ・・・・・・と、人間の伝承は伝えているわ』

「はあ・・・」


・・・なんというか。

ゴモリーが得意げに語っている伝承の内容自体よりも、今ここに実在している西洋の悪魔が

実態すらあやふやな日本の伝承を解説しているというこのシチュエーションに

俺はなんとも形容しがたい違和感というか、滑稽さのようなものを覚えてしまっていた。


「・・・やっぱり、そのシュテンドウジっていうのも実在していた魔物なんですか?」

『まあ、ね。

 ・・・わたしも当時の日本にはほとんど関知していなかったから、その童子さんのこと、さほど詳しく知っているわけじゃないのだけれど。

 でも、日本にはそういう体制側に逆らう悪鬼フィーンドのお話が、色んな時代の色んな地域に散見できるから。

 ・・・そのもっとも強大なものの一つが、美佳さんの中に在る「もの」なんだけれど』

「・・・・・・」


ゴモリーのその言葉を受け、無意識にか、美佳は半歩ほど後ずさる。


『酒呑童子もまた、悪名だけではなく、地方の有力者としての一面や、鬼神の如き一面もあった。

 ・・・天津甕星アマツミカボシが、そうであったように。

 敢えて・・・決定的に違うところを挙げるとするなら、彼は神様にではなく、人間に敗れてしまったという点かしらね。

 同じ歴史の敗者にしても、人間の英雄に敗れた神魔の末路は、特に悲惨だわ』

「・・・そういうものですか」

『ええ。

 天津神から聞かなかった?

 人間は、現世の規範スタンダードだから。

 人間に敗れた神魔は、理念やそれまでの行動原理までもが否定されてしまう。

 ・・・逆に、上手く乗っかれば大儲けすることもできるのだけれど・・・』


そうこぼすゴモリーの表情からは、いつしかにやけ笑いは消えていた。


「・・・前にも聞きましたけれど、その『大儲け』って、具体的にはなにがどうなるんです?

 なんか株式かなんかに例えてましたけれど・・・」

『例えっていうか、株式そのものよ。

 ・・・別に、そんな難しいことじゃないわ。

 わたしたち神魔の世界にはね、あらかじめ特定の人間の評価を「先物買い」する、証券システムみたいなのがあるの』

「・・・」

『それで、その人間が実際に何らかの功績を上げると、その度合いに応じた配当が還ってくる。

 ・・・投資のしかたや、その人間が活躍した分野によって

 還ってくる配当の形式もさまざまで・・・例えば、属している神族内外での発言力が増したり、「王」から重用されるようになったり、その分野での権威として地位を確立したりできるの』

「それで、先輩は・・・」

『そ。

 ・・・わたしの場合は、天津神よりも先に高加くんを買っていたということで

 日本国内での安住権や発言権を得たというのと・・・。

 なにより、ルシファー聖下の御心に適う「かも知れない」人間を発掘したことで

 同族内への発言力と、御聖座ごせいざからの庇護権が得られた』

「・・・・・・」

「・・・ヘンなの。

 別にゴモリーサンが発掘したとかじゃなくて、さっちゃんが自分の実力で勝ちえたことだと思うんですけど~?」


ゴモリーのその説明を受けて、美佳はむくれっ面で彼女を軽く睨みつける。


『まあ、それはそうね。

 わたしの手助けなんて、ほんとに些末なものだったし』

「・・・」

『・・・ただね、お二人さん。

 わたしが言いたいのは、程度の差こそあれ

 あなたたちはそういう伝承上の英雄と同じ武勇を挙げた、ってことなの。

 これは現代においては、あなたたち自身が思っているよりもずっとセンセーショナルなことなのよ』

「武勇なんて、俺は・・・」

『でも、みんなそう見てる。

 ・・・天津神があなたたちにアインとの決闘を託したのも、要は同じ株買いシステムを利用したものなの。

 神様の信任を得た人間が敵対する神族を破れば、さっき言った「配当」として、相手の政治的指針を大きく挫くことができるから』

「・・・もしかして、神様の助けを得た人間が魔物退治する・・・ってパターンが伝承上にやたら多いのも、そういうことなんですか?」

『・・・ま、そういうことね』


―――神の武器を携え、魔神退治。


・・・アインと戦った際、その構図にある種皮肉めいたものを感じてはいたが。

皮肉どころか、俺たちは魔物退治の伝承そのもののことをやった・・・ということになるのだろうか。


「・・・じゃあ結局、自分のケンエツのためにわたしたちを利用しただけってことじゃないですか!」

『・・・・・・』


むくれっ面でゴモリーを睨んでいた美佳が、しびれを切らしたように声を張り上げる。


「・・・それを言うなら、検閲じゃなくて権益だろ」

「えっ?

 ・・・そ、そう!それっ!・・・ケンエキ!」


・・・そして俺の淡々とした突っ込みを受け、ちょっとだけしどろもどろになってしまった。


『・・・・・・でもね。

 神魔が人間を愛するってことは、そういうことなのよ。

 わたしたちにとって、「好き」ってことはすなわち、「投資する」ってことだから』

「・・・」

『・・・何より、あなたたちが成果を上げ続ければ

 わたしはあなたたちのそばで、あなたたちのことを見続けていられる』


遠景の大江山へと視線を戻しながら、ゴモリーは言葉を続ける。


『・・・・・・わたしは魔神ゴモリーとして、永きに渡り

 愛おしいものを勝ち得ようと、悩み、迷い・・・そしてあがき回る人間たちを見てきた。

 暗いものや醜いものを抱えた人間も多かったけれど、単なる情愛や恋慕を超えて、高潔さや真摯さを示した人間もたくさんいたわ』

「・・・・・・」

『・・・それもまた人間に芽生えたひとつの「知性」なのだと、わたしは考えている。

 かつて聖下が人間に撒いた種が、ひとつの形として結実したのだと。

 わたしはなにより、それを見続けていたい・・・』



・・・風になびく赤銅色の髪から覗いた横顔は、俺が知ってる後森綾とは別人のように見えた。

伏せった睫毛は、物憂げで・・・・・・そして、普段のにやけ顔など忘れてしまいそうになるほどに。


―――遠くを見つめるその眼差しは、涼やかだった。

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