既視の迷い路(前)

「―――っ!?

 ・・・うおぉっ!?」


暗然と下ろされていた夜の帳を引き裂いて、閑静な住宅街の一角で天を突くようなかがり火が巻き起こった。


『・・・ヒヒヒヒヒっ。

 燃えろ。燃えろ。

 この穢土えどを、我が業火で・・・

 ・・・清め、贖わん!!』


火の手が上がったのは、直前までその『右手に炎を持った人影』がいたと思しき小丘だった。

規模は・・・。


・・・・・・。


・・・ここからでは遠近感がよく分からない。


「おい!あいつ火を点けやがったぞ!

 俺らと全然関係ないとこに!」


・・・口に出してから、我ながら馬鹿なセリフだと思った。

そんなの見れば分かることだし、こいつが不審火の犯人だというのならば容易に想定できた行為だからだ。


「こんな市街地で・・・と言うか、無差別か、これは・・・」


誰にともなく、勝史さんがぼそりと漏らす。

時間が時間だけに歩行者の姿は見えないが、あの様子では人の多寡に関わらずあちこち放火しかねない。


・・・いや、今はそんなことより自分たちの心配をせねば。


「勝史さん、あいつを振り切って何とか大甕神社まで入れないんですか?」

「さすがにムリだ。単純に空を飛行しているというわけではなさそうだが、それにしたって追跡速度が速すぎる。

 ・・・それに、大甕神社に入ったらどうにかなるというわけでもあるまい」

「・・・」


それに関しては異論があった。

勝史さんから聞いた情報やその後ネットで調べたニュースによると、こいつが犯人と思しき不審火は大甕神社を『取り囲むように』放たれている。


・・・つまり、大甕神社そのものには危害を加えていないのだ。

何かしらの理由があって大甕神社自体にはあえて攻撃していないのか、それともしたくてもできないのか、それは分からないが・・・とにかく、大甕神社に入りさえすればこいつの追撃から逃れられる可能性はある。


・・・入りさえすれば。

しかし・・・。


「・・・だめ。さっちゃん。このままだとたぶん、三分・・・ううん、二分もしないうちに追いつかれちゃう!」


すぐ右隣で、美佳が狼狽気味の声を上げる。

俺よりずっと動体視力に優れている美佳がそう目測したなら、そうなんだろう。


時刻は現在、午後8時27分。

表示されている到着予想時刻は先ほどより少しずれ込んで、20時31分にまで伸びていた。


・・・とてもじゃないけど間に合いそうにない。


「・・・おい!

 お前ら、なんだって俺らを狙うんだ?

 何が目的だ?なんでこのタイミングで襲ってきた?」


俺は液晶画面のスピーカーに向かって、矢継ぎ早に問いかけた。


『・・・うぅ~ん?

 追い立てている獲物にいちいちそんなことを教えてやる間抜けがおると思うか?』


スピーカーから、小ばかにしたような男の声が響く。


「だって妙だろう。

 お前、ちょっと前まで大甕神社からゆっくり南下してたじゃないか。

 ・・・なんで俺らが大甕神社に接近した途端、急にUターンしてきた?」

『・・・』

「お前、さっき『どっちにしろ今日中に俺らを殺すつもりだった』みたいなことを言ってたな?

 ・・・その言葉自体には偽りはなくとも、予定よりかなり焦って俺らを追跡してきたんじゃないのか?」

『・・・・・・』


男の声は黙している。


「つまり、俺らに大甕神社に入られると都合が悪い『なにか』があるんだな?

 だから、お前は―――」

『おおっと!そこまでにしてもらおう』


と。

そこで突然、俺の言葉を男の野太い声が遮ってきた。


『・・・聞いておるぞ。汝はアンドラスめを、舌先三寸だけで言いくるめてまんまと追い返したそうだな?』

「・・・」

『粗忽者のアンドラスには通用したかも知れぬが、儂は聞く耳持たぬ。

 ・・・稀におるのだ。取るに足らない人間の分際で、スキあらば我らの調子を狂わせようとする、汝のような小癪な輩が!』


・・・やはりダメか。

言葉で動揺を誘って足を鈍らせられれば、と淡い期待を込めたんだが。


『ゴモリーはそれを聞いて大はしゃぎしておったがなあ。

 ・・・お喋りは以上だ。駄弁にて我が進撃を侮辱せしめんとしたこと、後悔させてくれよう!』


男の声が途絶えるのと同時に俺が後方を振り返ると、炎を持った人影は、既に―――恐らくは100m以内であろう距離にまで迫っていた。

勝史さんが先ほど言ったように空中を飛行しているというわけではなさそうだが、かと言って地面を駆けているようにも見えない、奇妙な動きだ。


何というか・・・例えるなら、スケボーやサーフボードに乗って疾走している時の動きに近いだろうか。

しかし実際にそうしたものに乗っているかどうかは、暗さと速度のせいで判然としない。


俺は再び前方へと向き直り、運転席前の計量器へと目を向ける。


・・・車速は既に60kmを超えていた。


「・・・勝史さんっ・・・!」


既に大通りを抜けて比較的細い道へと入ってしまっているため、車速はこれが限界だろう。

これ以上の速度を出せば、じいさんの車の二の舞になりかねない。


「さっちゃん・・・」

「・・・・・・」


・・・どうする。

せめて、あともう二分でも時間が稼げれば・・・。




と、その時。




・・・車内に突如、聞き覚えのあるメロディが鳴り響いた。


「!

 これは・・・」


・・・・・・勝史さんの携帯の着信音だ。


「なんだ?こんな時に・・・」

「・・・」


とてもじゃないが、今は電話に応対しているような余裕はない。

俺のスマホなら、あるいは後森先輩から・・・という淡い期待も、ほんのわずかに湧いていたかも知れないが・・・。


・・・しかし。


「・・・高加君。

 すまんが、俺の代わりに出てくれないか」

「えっ?でも・・・」

「いいから。

 ・・・左胸のポケットにあるから、君が出してくれ」

「・・・」


妙に迷いのない勝史さんの指示を訝しく思いながらも、俺は後部座席から身を乗り出して勝史さんの左胸に腕を伸ばした。


「・・・多分、君が出ても彼らは分かるはずだ」

「・・・『彼ら』?」


ポケットから引きずり出した携帯を開いて画面を見ると、そこには―――


「・・・『島取しまとり警備会社・建部たけべ』・・・?」


この会社名には憶えがある。

・・・というか、今の俺たちにとって警備会社といえば一つしかなった。


「同行している警備員の一人だ。

 ・・・今、具体的にどれくらいの距離にいるかは分からんが、このタイミングで掛けてくるということは異変を察知しているんだろう」


着信音に聞き覚えがあるのは、昨日勝史さんがせわしなく電話に応対しているのを見ていたからだった。

勝史さん自身が着信音だけで判別できるということは、あれも警備会社との連絡だったんだろう。


俺は通話ボタンを押して、携帯を耳に当てた。


「・・・もしもし」

『―――もしもし。

 ・・・こちら、島取警備会社の建部』

「あー・・・。

 今勝史さんは運転中で、俺は・・・」


俺は電話に応対しながらも、ちらちらと落ち着かない調子でバックガラスへと振り返る。


『それはいい。

 ・・・時間と余裕がないであろうから、要点だけを告げる』

「えっ・・・」


・・・予想外のつっけんどんな言葉に、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。


『今、其方そちらの前方に信号機が見えているであろう。

 ・・・そこを左折せよ』

「はあっ?」


さらに予想外の一言を受けて、俺は思わずフロントガラスからの前景とナビ画面とを交互に見た。

確かに200mほど前方に、信号機が設置された交差点があるようだが・・・


・・・ナビは直進を指示している。


「な、なんで」

『良いから告げた通りにせよ。

 ・・・どの道、そのままでは打つ手なしであろう』

「・・・!」


・・・なんだ?この警備員・・・。

指示も意味不明だが、なんで・・・

・・・ちょっと嫌らしい言い方になるけど、なんで雇われてる立場なのにこんな微妙に高圧的というか、尊大な口振りなんだ。


それに『打つ手なしであろう』って。

まるで、今俺たちが置かれている状況を正しく把握いるかのような・・・。


・・・・・・。


「・・・勝史さん。

 そこの信号機のとこ、左折して下さい」

「・・・は?左折?なんで・・・」

「いいから。

 ・・・つーかっ、もう通り過ぎちまう!」


追い立てるような俺の声に応じて、勝史さんは慌ててハンドルを左へと切った。


「さっちゃん・・・?

 ・・・きゃっ」


そのやり取りを怪訝そうに見守っていた美佳が、突如小さな悲鳴を漏らす。

急な左折だったため車内に若干の慣性がかかり、俺と美佳の上半身が右側へと揺さぶられたのだ。


「・・・・・・っ。

 ・・・もしもし?

 指示通り曲がりましたけど、一体・・・」

『良し。

 ・・・次は、一つめの信号機を越えた直後の交差点を左折せよ』

「・・・」


・・・なんなんだ一体。

つーか、また左折したらUターンしちまうんじゃ・・・。


「・・・勝史さん。

 そこ、前方にまた信号機のある交差点が見えてますよね?

 そこを越えてすぐの十字路を、また左折しろって言ってます」

「・・・言ってます、って・・・警備員がか?

 と言うか、また左折したら逆戻りになってしまうが・・・」

「・・・俺にもよく分かりません。

 でもこの警備員が・・・」


と、俺が言いかけた、その時。


「さっちゃん!

 ・・・おじさんっ!」


美佳が突然、素っ頓狂な声を上げた。


「な、なんだ?」

「・・・星!

 星が出てるっ!」


思わずそちらへ目を向けると、美佳はシート越しにフロントガラスを見つめながら、驚愕気味の表情を浮かべていた。


「星・・・?

 星って・・・」

「今指示されたとこ!

 信号機越えたとこに、星が出てるの!」

「・・・は・・・」


星?

今、警備員に指示された左折路にか?

・・・つーか、言ってる内に最初の信号機がもう手前まで迫ってきてしまっていた。


「よ、よく分からんが・・・。

 ・・・勝史さん、美佳がそう言うなら、もう曲がるしかない!」

「・・・あ、ああ!」


信号機の交差点を越えると、勝史さんは先ほどよりは余裕を持ってハンドルを左へと切り始める。


「―――もしもし!

 ・・・また左折した・・・しました!」

『―――良し。

 あとは・・・。

 ・・・・・・加賀瀬美佳の赴くままにせよ』

「っ!?」


・・・・・・。


・・・どういうことだ。


なんでこの人らが美佳のことを・・・と言うか、明らかに美佳の異能を知っているかのような口振りで喋るんだ。


「・・・。

 あんたら、一体・・・」

「さっちゃん!おじさん!」


と、俺が電話向こうに問いかけようとした途端、美佳が再び声を上げた。


「・・・今度はなんだ?」

「また左折だよ。

 そこの二つめの信号機のとこ。

 ・・・その左側の曲がり角に、また星が出てるの!」

「・・・・・・は!?」

「え・・・

 ・・・いや、はあっ!?」


今度は俺・・・と勝史さんの方が、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「ちょ、待て待て待て!

 何言ってんだ!?三回連続で左折したら、元の場所にもどっ・・・」




―――と。

そこまで言いかけて、はっとしながら思わず口元に手を当てる。




・・・俺は今、自分自身が発した言葉に、鮮烈な既視感を覚えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る