PM06:45
俺も西宮先生も、一言も発することができないでいた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
そりゃそうだろう。ちょっと目を離したスキに、メモ帳にびっっ・・・しりと怪文書が書き込まれていたんだから。
しかもなんだ、『外を見ろ』って。校庭を見ろってことか?
「・・・・・・」
・・・恐らく今、先生と自分は全く同じことを考えているんだろうと思った。
正直、見たくない。怪談やホラー映画で登場人物がこういうヘンなメッセージに従うと
たいていはロクなことが起こらないからだ。
もし、振り向いたら窓にヒル人間が張り付いてたとか、
窓の外からヘンなものがものすごい勢いで接近してくるとかだったら・・・。
かと言って、見ないという選択肢はもっとありえない。
このメッセージが明らかに常軌を逸した手段で書き込まれたものであろう以上、
窓の外で『なにか』が起こっているのは確実なわけで、見ずに無視しようとすれば
その『なにか』に対する対処が遅れるだけだ。
こうしてる間にも、その『なにか』は俺たちににじり寄ってきているのかも知れないし・・・。
「・・・高加君・・・」
「・・・先生・・・」
間違いなく俺と先生は今、全く同じことを考えている。
「・・・ジャンケンでいきます?」
・・・すなわち、『どっちが先に振り向くか?』だ。
「・・・・・・」
ここまできてマヌケな駆け引きをしてるものだと我ながら思ったが、
もし振り向いたのをトリガーにして何かが起こるのなら、やはり自分がその引き金を引くのは嫌だ。
「・・・いや、二人で同時に振り向こう。僕はジャンケンが弱いし、そこには『すぐに見ろ』とある」
「へっ?」
・・・予想外の返答に、俺は思わず上ずった声を漏らしてしまった。
「じゃあ、いくぞ?せーの・・・」
「まままま、待ってくださいよっ!心の準備・・・って言うか、そんな律儀にこの文書に従わなくても――」
「・・・二人とも、なににらめっこしてるのぉ~?」
「おぅわあぁあっ!!?」
「うわぁっ!?」
不意に耳元から聞こえた声に、俺と先生は――と言うか、専ら俺だが――は、大声を上げながら椅子から飛びのく。
「み、美佳っ!?」
「ふわあぁ・・・。おはよ、さっちゃ・・・ふわぁあぁ・・・」
そう。いつの間にやら美佳が目を覚まして、俺たちの無駄な駆け引きをすぐそばから覗き込んでいたのだ。
「加賀瀬君、もう平気なのか!?」
「・・・んにゃ。おはよーございます、西宮先生・・・。
さっきは、なんか急に眠くなっちゃって、たいへんごぶれーを・・・」
「美佳・・・。どっか調子悪いとことかはないか?」
「ん~?
・・・ん~、べつにないと思うよ~。むしろさっきよりスッキリしてるくらい」
やはり、本当に眠り込んでしまっただけらしい。
恐らくは星を見るために集中しすぎて急速に消耗したとか、そんなんなんだろうが・・・。
と、美佳は机の上のメモ帳に気づいて、ぎょっとしたような声を上げた。
「うわっ、なにそのメモ書き。早口言葉の練習?」
「・・・・・・」
・・・メモ帳に書いたって早口言葉の練習にはなんねーだろ・・・。
「『今すぐ外を見ろ』・・・?
・・・うん?窓の外になにかあるの?」
「えっ?
・・・あっ!ちょ、おい!」
なんと、美佳は俺と先生があれほど見るのを尻込みしていた窓の外へと、
あっさりと振り向いてしまったのだ。
・・・そしてそれに釣られた、俺と先生も。
「!!」
「!
・・・え!?」
「・・・これは・・・」
そして、そこには。
・・・何の変哲もない、いつもの南側グラウンドの風景。
「・・・・・・・・・・・・」
そう。『いつもの』『何の変哲もない』光景だったんだ。
広がりゆく夜の帳によって地平線へと追い立てられた、夕焼け空。
校庭で部活動の後片付けに勤しむ、まばらな生徒。
フェンスの外に広がる、田園風景。
そして、景観の左側1/3ほどを遮るように建つ、南校舎。
まぎれもなく『元の世界』だった。
「も・・・戻ってきたのか!?」
「・・・」
「どう見ても、さっきまで迷い込んでた空間とは雰囲気が違うな・・・」
そうだ。すぐ眼下に居残りの生徒たちが見えるのだから、
間違いなくさっきまでの異次元迷宮とは異なる、まっとうな空間のはずだ。
「とにかく、助けを呼んで・・・い・・・いや、普通に廊下から出ればいいのか?」
と。
そこで美香が突然、窓のカギに手を掛けたかと思うと、そのまま窓を思いっきり開けっぱなした。
そして――
「うおぉぉおおおおぉお――――――――――――――――――いっ!!」
「っ!?」
「か、加賀瀬君?」
何を思ったのか、美佳は校庭に向かって思いっきり大声を張り上げ始めたのだ。
「うおぉ――――――いっ!!だれかぁ――――――っ!!こっちみてぇ――――――っ!!
ファイトぉ――――――っ!!いっぱぁ――――――つっ!!
さっちゃんはやくこくはくしろぉ――――――――いっ!!」
「な、なにやってんだよお前!?」
「・・・・・・・・・・・・」
突然の美佳の奇行――まあ、こいつの奇行自体はそんなに珍しくないんだが――に、
俺は美佳の肩に手を掛け、その身体を軽くゆする。
「ぜぇ・・・。ぜぇ・・・。
・・・や、やっぱり・・・。だ、ダメかぁぁ・・・・・・」
「おい、何だよ今の。ちゃんと説明しろ」
・・・ひょっとして、助けを求めたつもりなのか?
でも元の世界に戻ってきたなら、普通に廊下から出ればいいだけじゃ・・・。
「・・・・・・見て。
グラウンドの人たちも、校門へ向かう人たちも、南校舎の人たちも、誰一人としてこっちに気づかない・・・」
「・・・え・・・。
・・・・・・・・・・・・」
・・・確かに。
美佳の声に反応して流れや動きを変えた生徒は、一人もいないようだ。
恐らくは日没直前の時間帯でしかも4階からの景観だから、地上の生徒たちの姿はあまりはっきりとは見えないが、
それでもあれほどの大声を張り上げたのだから、
何人かは立ち止まるなり振り向くなりのリアクションを返してくれてもいいはずなのに・・・。
「・・・それにね、竹刀を構えてみると、まだ暗いの。窓の向こうも、廊下も。
元の世界に戻ってこれたなら、こんなに暗くは感じないと思うんだけれど・・・」
「・・・つまり、まだ違和感があるから、それを確かめるために地上の生徒に声を掛けたのか」
・・・その割に、最後の雄たけびはなんか全然関係ない不審な内容だったような気がするが。
・・・・・・まあ、聞かなかったことにしよう。
「そもそも、この図書室自体がなんかヘンなの」
「ヘン?
・・・でも、ここに入れって指示したのはお前だよな?」
つか、ヘンとか言い出したらなにもかもヘンだよ。
「うん・・・。
・・・さっき、渡り廊下を曲がった辺りから目がショボショボしだして、
この階に着いて足を止めた途端、ものすごく眠くなってきちゃって・・・。
それで急に『星』が見えづらくなったものだから、寝ちゃう前になんかさっちゃんに次の指示出しとかなきゃと思ってたら、
この図書室が視界に入ったんだけれど」
「・・・つまり、この図書室に対して『星』が見えたってわけではないってことかい?」
「はい。
その代わり、この図書室は妙に明るく見えたんです。星が出てないのに、妙に明るかった」
言いながら、美佳は『明るさ』の再確認のために構えた竹刀を、ゆっくりと下ろした。
「今までは、星が出てる方角は周囲も比較的明るく見えて、星が出ていない方角は基本的に暗かった。
だから、星が出ていないのに明るく見えるなんてケースは初めてで・・・」
「・・・」
「途中、ここに来るまで、何度も色んな教室の前を通り過ぎましたよね?
その中に時々、ものすっごく暗い教室があるんです。
もう、真っ暗というよりも、真っ黒の。
・・・あれは、『絶対に入ってはダメな教室』なんだと思います。
実際に入ったらどうなるのかとかは、わたしにもさっぱりなんですけれど・・・」
聞きながら、背筋が凍る思いだった。
俺たちは今まで、そんなヤバいとこのすぐ横を何気なく通り過ぎてたのかよ・・・。
しかも、何度も。
「だから単純に明るいこの部屋は、正解の道からは外れてるかも知れないけれど
大丈夫な場所なんだろう・・・って、なんとなく・・・」
「なるほど・・・」
「言われてみれば、全然ヒル人間の歌声が聞こえてこないな。
いくら遅いといっても、さすがに追いついてきそうなものだが・・・」
言われてみて、俺はふいっと室内の壁掛け時計を見上げた。
6時45分。
西宮先生が最初に外の異変に気づいてから、少なくとも時計の上では一分たりとも進んでいない。
秒針も止まっている。
逃走中に何度かスマホで時刻を確認した時も同様だった。
時間の進み具合にまで異常が発生しているのは最初に田園を抜けた時にも気づいたことなので
今さら驚きはしなかったが、図書室に入ってから実質的な時間がどれだけ経過しているのかは少し気になった。
・・・にしても、『こっち側』は時間が止まっているのに、
窓一枚隔てた『あっち側』では何事もなく日が暮れなずんでいるとは・・・。
しかもスマホの内臓時計まで律儀に停止させるとは、ホントにどういう原理なんだ、この術は。
俺はさっきのぬか喜びも相まって、少し恨めしい思いで下校していく生徒たちを眺めた。
・・・早く、あの日常に戻りたい・・・。
誰が何の意図で俺たちに『これ』を見せているのかはさて置き、ここから見えるこの景色は、間違いなく現実のものなんだろう。
そう確信せざるを得ないくらい、この暮れゆく黄昏時の景観は生々しく、生活臭に満ちて、ありふれた・・・
・・・けれども、恋しい風景だった。
ふざけながら校門へと歩いていく、男子生徒の群れ。
夕日を受けてわずかに輝く鉄棒。
北側グラウンドのものよりは清潔な、屋外トイレ。
フェンス脇に倒された、サッカーのゴールポスト。
そのゴールポスト辺りからフェンスに沿って延々と続く、一本残らず伐採された
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・うん?
・・・・・・『一本残らず』・・・・・・?
「・・・先生」
「うん?」
「・・・先月、生徒がフェンス近くでカイガラムシだかに刺されたとかで親からクレームが来て、
フェンス沿いの楠を一本残らず伐採するって話になってましたよね?」
「あれか・・・。正直、虫に刺されたくらいで迷惑な話だったが・・・。
ただでさえこの学校の周囲は緑が少ないのにな」
全く同感だった。敷地外の緑が乏しいのに、学校内の緑まで刈っちまってどうすんだと。
・・・でも、今はそんなことを言ってる場合じゃない。
「・・・あれ、俺が昨日の午後に南側グラウンドで体育の授業を受けた時点では、
屋外トイレの脇辺りに、まだ切り倒されてないのが何本か残ってたと思うんですけれど・・・」
「ああ、それなら今日の昼間に業者が来て、残りの分もすべて伐採していったよ」
「・・・『すべて』、ですか?」
「そのはずだが・・・」
「北側グラウンドのも?」
「?
そうだよ?」
「一本残らず?」
「・・・・・・。
高加君、一体・・・?」
怪訝な顔でこちらを見てくる先生の前を通り過ぎて、俺はずかずかと廊下側へと歩いていった。
「・・・さっちゃん?」
「お、おい高加君。どうしたんだ急に」
「・・・さっき、廊下で美佳が倒れる直前・・・」
・・・そして、先ほど入ってきた図書室の入り口の前に立つ。
「俺は廊下の窓から、北側グラウンドの景観を見ていた。
・・・その時は、フェンスの向こうの暗黒空間っぷりにばかり気を取られて気にも留めなかったけれど、
今思い起こすと、フェンスの内側・・・つまり、北側グラウンド自体にも不審な点がある」
「不審・・・?」
「・・・楠が、3本ほど切り倒されずに残っていたんです」
「!」
俺は少し深呼吸してから、ドアの曇りガラスをじっと見つめた。
「しかも位置が不自然だった。その残されていた3本は、まばらに・・・
・・・つまり、それぞれが数十メートルほど距離を開けて立っていた。
周囲の他の楠は全て切り株と化していたのに、なぜかその位置もバラバラな3本だけが残っている」
「・・・」
「・・・さっき廊下から眺めていた時点では、昨日のこともあって
まだ伐採作業が完了してないんだろうくらいにしか思ってなかったけれど・・・。
そもそも業者が作業を切り上げて残していったなら、俺が昨日の体育の授業中に南側グラウンドで見たように、
屋外トイレの脇に数本とか・・・要するに、ある程度まとまった位置に残すはず。
・・・それに、より広範囲に生えている南側の木立は全て伐採したのに、
それより範囲が狭い北側の楠をたった3本だけ残して引き上げるのは、ちょっと不自然だ」
そう。
まず最初に不審に思ったのは、ここから見える南側グラウンドの楠はすべて伐採されているのに、
さっき眺めていた北側グラウンドの楠は、なぜか半端に残されていた・・・
・・・いや、『残されているように見えた』という点。
次に、今西宮先生に確認してみたところ、少なくとも現実世界では北側グラウンドの楠まで
一本残らず切り倒されているはず、という点。
そして、その西宮先生の証言と矛盾するように立っていたあの三本の楠は
なぜ位置がバラバラなのかという点。
「・・・高加くん、それって・・・つまり」
「・・・先生がさっき言ってた『なにかしらの違和感』なのかも知れません」
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