ヒルコ

「・・・僕もちょっと気になったことがあるんだが、いいかい?」

「?

 ・・・なんですか?」


と、先生は背もたれに預けていた身体を起こし、姿勢を正しながらこちらに向き直った。


「本当は、加賀瀬君が起きてる時に話したかったんだが・・・。

 起きて前進を再開したら、もうこんな話をしてる余裕はないだろうからね」


そしてそのまま、俺が机の上に置いたメモ帳とシャープペンシルを手元に引き寄せる。


「さっき僕が説明しかけた、『ヒルコ』を覚えているかい?」

「・・・職員室から逃げ出す直前に言いかけてたやつですか?」

「そうだ。

 『ヒルコ』というのはこの日本に古くから伝わる神様で、文字通り・・・

 ・・・こう、『蛭』の『子』と書く」


言いながら、先生は開いたメモ帳の1ページ目に漢字を書き始めた。


・・・『蛭』・・・『子』。


・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・あれ?


「・・・先生、この名前って、ひょっとして『えびす』とも読むんじゃ?」

「ほう、よく知ってるじゃないか」

「いや、そんな苗字の芸能人がよくテレビに出てるんで・・・。

 ・・・あれ?漫画家だっけ?」


・・・まあ、それは今はどうでもいいか。


「そう。君が今言ったように、『蛭子』は『えびす』とも読む。

 ・・・イザナギ神とイザナミ神くらいは、高加君も知ってるだろう?」

「イザナ・・・。

 ・・・この国の最初の神様でしたっけ」


なんで今その名前が出てくるのかは、よく分からないけれど。


「厳密には少し違うが、まあその認識で問題ない。

 ・・・記紀神話によると、ヒルコはイザナギとイザナミの最初の子どもだったが

 不具の子であったがゆえに嫡子と認められず、クスノキの船に乗せられて海に流された・・・とある」

「不具というのは?」

「名前に『蛭』の文字が入っていることや、三歳になっても足腰が立たなかったという記述から、

 骨なしの奇形児だったとか、身体がヒルのように人の形を成してなかったとか言われることもある」

「・・・・・・・・・・・・」


ちょっとひどい話だとも思ったが、なんせ大昔の価値観で書かれたお話なわけだし、

なにより神様のやることだからなあ・・・。


・・・それよりも、『身体がヒルのようになってしまった神が海に流された』という設定の方が

今の俺には引っかかった。


・・・ヒル・・・神・・・。




・・・・・・ヒル人間・・・・・・?




「・・・もうここまで言えば、僕の言わんとしてることが大体分かると思うが・・・。

 日本の一部の神社では、蛭子神と恵比寿神は同一視されている。『えびす』の当て字も、恐らくはその名残りだ。

 『恵比寿様の通り道』にそういう名前がつけられたのも、海流を流れゆく水死体というモチーフが

 蛭子という悲劇の神の海流しを連想するから・・・というのもあったんだろう」


・・・なるほど。

それでさっき先生は、職員室で『ヒルコ』のことを説明しようとしたわけか。


「そして、ヒル人間と『とおりゃんせ』だ。

 『恵比寿様の通り道』を連想させる水死体が、『ヒル』人間というヒルコを想起させる怪異になり果てたのは

 やはり僕には偶然だとは思えない。

 ・・・僕はさっき、とおりゃんせの歌詞の中の『天神さま』とは、菅原道真を祀る天神宮のことだと言ったね?」

「え?ええ・・・」

「・・・だが、もしかしたらあのヒル人間たちが歌っている『天神さま』に限っては、

 天神は天神でも道真公のことではなく、『天神地祇てんじんちぎ』の天神のことなのかも知れない」

「テンジン・・・チギ?」

「天神とは天津神・・・つまり、記紀神話において天より舞い降りたとされる、皇祖神たちのこと。

 そして地祇とは国津神・・・この日本の地に古くから住まう、土着の神々のこと。

 つまり、それらを合わせた『天神地祇』とは、日本古来の八百万やおよろずの神々のことさ」


・・・次々と聞きなれない固有名詞が先生の口をついて出てくるので、俺はいちいちゆっくりと相槌を打つことにした。

でなければ先生はどんどん勝手に話を進めて、ついていけなくなってしまいそうだったから。


「そしてヒルコは『天神さま』・・・つまり、天津神に属する神格だ。

 ・・・もっと言うと、さっき言っていた『要石が埋め込まれている神宮』は日本に二社現存しているが、

 その二社のいずれもが、それぞれ有力な天津神を祭神としている。

 しかも、そのうちの一社である鹿島神宮の所在地は、この茨城県だ」

「え、さっき言ってた要石って、うちの県にあるんですか?」


・・・言われてみると、その『カシマジングウ』の名前くらいなら、確かに何度か聞いた覚えがあった。


「・・・あ、いや、要石の祭神の方に関しては、ちょっとこじつけっぽいかも知れないが・・・。

 ただね、僕が言いたいのは、君のいうこの現象の『支配者』とやらは、

 明らかに『天津神ヒルコ』を強烈に意識しているということだ。

 ・・・そして恐らく、それは単にあやかっているとかそういうのではなく、ヒルコであること自体に強い意味がある」

「意味・・・」


確かに、『天神さまの細道』が『天神ヒルコが流された海の道』を意味するなら、

替え歌の方の『恵比寿さまの細道』・・・つまり、『恵比寿様の通り道』とも、綺麗に符合する。


「・・・まあ、僕の推論は高加君のとは違って、この空間を脱出する上での手がかりにはならないと思うが・・・。

 ただ、『支配者』・・・つまり、真犯人の素性を突き止める上では、何かの指針にはなるかも知れない」

「そうですね・・・。

 結局この迷宮を破ったとしても、また術をかけ直されたんじゃたまったものじゃないし。

 いずれは直接対峙しなきゃいけないのかも・・・」


実際、一回攻略したくらいじゃ何ら根本的な解決にならないってのは、

田園から校舎に移動する間で大して時間が経っていないにも関わらず

再度引きずり込まれてしまった事実が証明している。


「とりあえず、全ては加賀瀬君が目覚めてからだな・・・。

 先に進んでここを抜け出さないこ」


と。

そこまで言いかけて、突然西宮先生の身体がびくりと震えた。


「・・・うん?先生・・・?」

「・・・・・・・・・・・・」


先生は応えない。


「先生?ちょっと、先生!」

「・・・・・・・・・・・・」


やはり先生は応えない。


・・・応えないが、代わりにその指先でゆっくりと、俺の胸元より少し下辺りを指し示した。


「え、俺?俺がな」


・・・・・・そして俺もまた、そこまで言いかけたところで

身体をこわばらせながら絶句する。


「・・・・・・高加君・・・・・・」


先生が指差したのは俺ではなく、机の上のメモ帳だった。

先ほど、ヒルコの説明のために先生が漢字を書き込んだ、メモ帳の1ページ目。


「・・・・・・」


俺は断じて、何も書いていない。

西宮先生もまた、『蛭』『子』の二文字以外には、何も書いていないはず。




・・・・・・だが、そこには・・・・・・。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――

そとをみろ。そとをみろ外をみろそとを見      

ろ今外外外見ろ見て外をすぐ今今今すぐ、      

外をみろ。見ろ見ろ外をみろ。見ろそとを      

見ろすぐに見て外をみろ。外外見外外いま      

すぐに外を見るのお願いそとを見ています 蛭    

ぐに今今今今すぐに見ろすぐに今今今そと      

をみて。窓の外をみろ。見るの。外を。外      

を見なさいそとをすぐみて、おねがい。す    子 

ぐ窓から外みろ。見るの。外を。外を。外      

を窓から外を見ろ。みて。みろお願いだか      

ら窓から外みて。そと外外外外外を見ろ。      

図書室の外をみろ。見るの。いますぐに。      

すぐに外を見ろ。すぐにそとをみろすぐに      

みろ外を。みるの。としょしつの外を見ろ      

今すぐによ。そとをすぐにみろ。見て。ま      

どのそとをすぐにみろ。今すぐ外をみるの      

よ窓窓窓今から見るの。今から外みろ。す      

ぐにみろ今すぐにみろ。今すぐ外を見ろ外      

を外外外今からすぐにみなさい外みなさい      

そとを、今みろ窓の外をすぐ外をみろすぐ      

に窓窓窓窓からすぐにみろ外を。お願いす      

ぐ図書室の外を見なさい見ないと終わる。      

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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