株式会社×秘密結社
阿井上夫
序章
無駄に壮大な発端
西暦三二五年に行われたある会議の記録が、歴史の中に残されている。
ニコメディア南部の都市、ニカイア(現在のトルコ共和国ブルサ県、イズニク)にあった教会で開催された、キリスト教が全教会規模で召集した初めての公会議である。
今日では開催地の名をとって「第一回ニカイア公会議」という名称で呼ばれている。
開催期間は五月二十日から六月十九日までの一ヶ月間。参加者数には諸説あるが、有力な説は約二百五十名と言われている。
このうち西方教会からの参加者が五名、残りは東方の教会である。司教は配下の司祭や信徒などを伴っているので、実際には数百名が関係していた。
この会議が開催されることになった背景には、キリスト教の教義解釈の深化と勢力の拡大がある。
キリスト教の教義が体系化されていく過程で、キリストという存在をどのように位置づけるのか、三位一体をどのように解釈すべきかについて、さまざまな視点から論じる流れが生じた。
極端な考え方を信奉する一派も現れて『異端』と呼ばれて排斥されたが、この「ある思想が正統か異端か」を判断する場合、ニカイア公会議以前は地方毎に会議を開催して意見を統一するのが一般的であった。
しかし、キリスト教の勢力範囲が拡大すれば、異端の勢力範囲も拡大する。
三世紀頃から台頭したアリウス派は、地方の司教が議論しただけでは解決困難なほどの勢いを持っており、かといってそのまま放置すると教義解釈の違いからキリスト教の分裂を招きかねない。
また、キリスト教を帝国統治に利用しようと画策していたローマ皇帝コンスタンティヌス一世にとっても、キリスト教の分裂は回避したいところである。
そこで皇帝の庇護下、教会の代表者が文字通り一堂に会して会議が開かれることになったのだ。
第一回ニカイア公会議の議題は、アリウス派への対応、地方により異なる復活祭の日付確定、異端に認定された司祭による洗礼の是非、リキニウス帝の迫害で棄教した信徒の復帰、などであった。
その中で最も多く時間を割かれたのは、やはりアリウス派をめぐる問題である。それは、簡単に言えばキリストの神性をどのように解釈するかという問題だった。
長々とした論議の結果、アリウス派の思想を退ける形でニカイア信条がまとめられ、採択されたが、そこで「御父と御子は同質である」という表現が使われた。
これが、聖書に出てこない言葉を教義に取り入れた初めての例となる。
公会議に一ヶ月もかかったのは、この「同質」という表現と「相似」という表現のいずれを正式な教義とするか、議論になったためである。
出席者は宗教的熱意に溢れた者たちであるから議論は白熱していたが、その合間には気の抜けた時間も存在する。
反アリウス派の急先鋒であったアレクサンドリアの司祭は、ある時、あまりにも細部に入り込んでしまった議論にいらだって、次のように発言した。
「集団で議論しても埒が明かないのであれば、いっそのこと考え方の異なる同士、一対一で勝負をして決したまえよ」
主導的立場にある人間は言葉を慎まなければならない。その発言がどのような結果を生み出すか分からないからだ。
この投げやりな発言は公式記録にこそ残されなかったが、東方教会の司教が手元に残していた。それは後日、本人の意図から完全に逸脱して、組織の中で文言を追加され、紛争解決の手段として体系化されてゆく。
その途中でラテン語に置き換わる際、解釈に誤りが生じたと主張する学者もいるが、ここではそこまで細かい議論には踏み込まない。
この、決して本筋ではない考えは、教会組織の底辺に浸透して、最終的には国際条約化した。
今日、それはこのような名で呼ばれている。
「秘密結社法」
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