第二幕 進化と退化
発端 二〇一三年 春
福岡県北九州市にある古い二DKのマンション。
振り分け六畳二間の一方から、低い振動のような鼾が聞こえてくる。
高い音と低い音の二人分だ。
日曜朝九時を回っていたが、二人とも起きる気配はなかった。
(僕が十一時に寝た時にはまだ誰も帰っていなかったから、午前様だったのだろう)
三人分の朝食を準備しながら、笠原渉(かさはらわたる)は考える。
(果たして、今日はどの人だろうか)
*
渉の実父と実母は七年前、渉が小学校低学年の頃に離婚した。
実母はその時点で生活保護の申請を行った。生活保護というのは、ごく簡単に言えば『厚生労働省が定める地域別の最低生活費』と『実際の収入』に差がある場合に、その差額を補助する制度である。
計算にあたり、まずは『厚生労働省が定める地域別の最低生活費』を考える。
福岡県北九州市は、厚生労働省の地域区分で「一級地」に該当し、これは比較的生活費の高い地域であることを意味する。
独身者でも最低生活費はそれなりの額になるが、母子家庭の場合は更に加算がある。
子供の数に応じた「母子加算」の金額は、子供一人当り「二万二千円」強となる。更に、中学終了前の子供がいる場合は「一万五千円」が加算される。続いて、教育費、医療費、家賃などの負担分も、最低生活費計算時に加算される。
結果、北九州市で小学生がいる母子家庭の最低生活費は「十四万円強」となり、これよりも収入が低ければ、差額分が生活保護費として支給されることになるのだ。
そこで今度は『収入』を考える。
母子家庭の場合、子供が十八歳未満で収入がなければ、児童扶養手当を受給することが出来る。
認定されれば子供一人につき月額「四万円」程度が支給されるが、所得制限があり、元夫からの養育費があれば減額されるし、三親等以内の援助可能な親族がいれば支給が却下される場合もある。
また、中学卒業までの子供がいる場合、児童手当が支給され、第一子であれば月額「五千円」となる。
さらに、十八歳までの子供がいる場合、児童育成手当が一人当たり月額「一万三千五百円」支給される。
無職で収入がなく、元夫からの養育費もない母子家庭の場合、児童手当、児童扶養手当、児童育成手当を合算したものが収入となるから、これは「六万円」程度だ。
従って、最低生活費「十四万円」と収入「六万円」の差額である「八万円」が、生活保護となる。
他にも母子家庭に対しては、医療の助成、所得税や住民税の減免措置、国民年金や国民健康保険の保険料減免措置や公共交通機関の割引制度、粗大ごみの処理手数料減免制度、上下水道料減免制度といった措置がある。
これらの公的扶助制度の趣旨は、母子家庭が貧困に陥るのを回避させることなのだが――渉の両親は、離婚後も殆ど一緒に生活していた。
いわゆる『偽装離婚』である。
実父の収入は扶養削除により控除額が減少し、手取額が減少する。しかしその一方で生活保護が支給されるから、実質生活費は大幅増となる。
賃貸契約の名義を実母とし、車など家財の名義を実父とすることで、実質的には車や家電を所有する余裕があるにもかかわらず、生活保護を受給しており、近隣住民も薄々その事実に気が付いていた。
当然である。
渉の実父と実母はそれを隠そうとはしていなかった。役所の調査員が生活調査に来る時だけ、同居の痕跡を隠して車を移動させる程度である。調査員は必ず事前連絡してくるから、何も恐れることはない。
調査の時以外は同居と何ら変わらなかった。
両親は「俺たちは賢く暮らしているだけで、他の家が馬鹿なだけだ」と、周囲を見下してさえいた。
ところが、渉が小学校高学年になった時期に、両親の間で激しい諍いがあり、その結果『離婚』が偽装ではなくなる。
既に離婚していたわけだから、今更『養育費』の話を持ち出すことはできない。また、偽装離婚で生活保護を不正受給していたことがばれれば、以降の生活保護が認定されなくなるから、実母側の生活が成り立たなくなる。
そして、実父の収入分が消滅し、生活保護での生活になったにもかかわらず、一度上昇した生活水準を切り下げることはかなり難しいから、実母は生活を切り詰めることができなかった。
途端に家計が逼迫しはじめる。
仕方なく実母は就職しようとした。しかし、それまで無職の生活を謳歌していたものだから、経験もなければ根気もない。バイトやパートなどの簡単な仕事でもすぐミスをして、怒られるたびに仕事を止めるということを繰り返した。
一方で、実母は(これは幸というべきか、不幸というべきか悩ましいが)、容姿に恵まれていた。だから、風俗業や水商売での転職にはさほど苦労しなかったが、さすがに転々としていると次第に待遇が悪いところしか残らなくなってくる。
「彼女はすぐにやめるから」という噂も立ち始め、次第に追い込まれていった。労働条件の厳しいところが多くなり、深夜勤務が常態化する。
すべてが悪いほうに転がっていった。
現在、実母は昼起きないし、夜はいない。完全な育児放棄状態である。
もし、彼がしっかりしていなければ虐待死しかねない有様だった。
*
公立中学の二年生に進学する頃になると、渉(わたる)は家事全般を一人で問題なくこなせるようになっていた。
むしろ、学校の家庭科で本気を出してしまうと、その手慣れた様子が逆に問題になりかねないほどである。そのため、彼はあえて授業で手抜きをしなければならなかった。その辺の専業主婦よりも、家事の段取りが素早く、そして手際もよい。日々の生活のノルマをこなしながら、自分の学業にあてる時間を捻出することくらいは楽にできた。
障害がありながらも(あるいは、それゆえ)彼の成績は常に学年トップであり、中学入学以来それを維持していた。なんとか費用を捻出して受けた全国規模の模試が非常に好成績であったため、春休みに開催された研修会に参加するよう、塾から直接勧誘があったほどである。
その研修会は無料であったから参加できたものの、残念ながらそれ以上の余裕はなかった。
家計全般は渉が管理している。無駄な支出を極限まで省くことで、なんとか模試の費用など最低限の教育費を捻出し、日常生活を維持していた。
しかし、実母の生活能力のなさに起因する貧困は、これ以上渉の力では改善のしようがなかった。
彼自身が働いたほうがよほど改善が見込めそうだったが、中学生ではその点はいかんともしがたかった。
また、彼が中学生になった頃には、実母はもう「自力での生活向上や待遇改善の努力」を、完全に投げ出していた。
彼女は、『なんとかして夫を確保して、扶養される』方向へと生存戦略を切り替えていた。仕事先で少しでも可能性のありそうな男性を見つけては擦り寄り、相手を木本良くさせるためならば何でもやり、昨日のように自宅まで連れて帰ることも頻繁にあった。
現時点で、一か月に三回以上顔を見る男性は三人いる。
それ以下の候補者については、渉は数えたくもなかった。
酔って帰ってきては、「いつか父親ができるからね」と化粧の崩れた顔で繰り返し語る母親に、渉はすっかり幻滅していた。本人が自覚していないのが不思議なくらい、「三十台後半の女が無理な服装に身を包んで、周囲が白い目で見るほどに媚を売る」姿は醜悪だった。
もちろん、母がそうやって得た収入で生活していることを、渉も重々承知している。その点まで否定したい訳ではない。
しかし、生活をまともにする方法ならば、他にも一杯あるはずなのだ。
単純労働に耐えるだけの辛抱強さがあれば、むしろ今より効率的な生活改善の手段があるはずなのだ。
渉は一度、駅前の商店街で実母の姿を見かけたことがある。その時は、母親は酔ってだらしなく男性にもたれかかっていた。
渉は母に気づかれないように、急いで自分の姿を隠した。街中で母から「あらー、渉じゃないのー」と、大きな声で呼びかけられるのが、死ぬほど嫌だったこともある。
しかし、その時彼がなによりも嫌だったのは――
実母が「とても楽しそうな顔」をしていたことだった。
その出来事以来、彼は実母が「楽しく仕事をして、その結果楽になりたい」だけではないのか、と疑っていた。
*
「おほよう。あれ、今日は土曜日だったっけ?」
前日の深酒で瞼(まぶた)が浮腫(むく)んだ、四十代後半ぐらいの男性が起きてきた。
(確かこいつは『井沢浩一(いざわこういち)』だったな)
と、心の中でフルネームを確認しながら、渉はにこやかに笑って応対する。
「いやだなあ、井沢さん。今日は日曜ですよ。もう十一時を過ぎてますけど、何か食べますか?」
「あ、毎度毎度、済まないね。今日は何にしたの」
「簡単なものしかなくて申し訳ないんですけど、メインは目玉焼きにベーコンです。それに豆腐とえのきだけと葱のお味噌汁と、キャベツを昆布と鰹節で和えたやつが副菜」
「そいつはすごいや。渉君、まだ中学生だよね。これは直ぐにでも嫁にいけるレベルだよ」
「そんなことないですよ。まあ、冷めないうちにどうぞ」
と言って、渉は井沢に椅子をすすめる。自分はご飯をよそうために、彼に背中を向けた。
――実は、そうしないと軽蔑の色が顔に浮かぶのを隠し切れない。
(こんなやつに名前を呼ばれるなんて、勘弁してほしい)
しゃもじを持つ手が小刻みに震える。
井沢の本業が何かは渉は知らないし、興味もない。しかし、どうせ禄でもないものであろうことは、彼の姿形から想像できた。
井沢は、全体的に「水死体が自立して歩いているような、ふやけた」太り方をしていた。
まばらになった髪を必死に一九分けにしているが、今はそれが乱れて、それこそ水死体のように見える。
黄ばみが抜けなくなった白ワイシャツの襟から、アルコールと加齢臭が入り混じった臭いが、視覚化できそうなぐらいの濃度で立ち上(のぼ)っていた。
生理的嫌悪感を抑え込むことに四苦八苦しながら、渉はご飯を茶碗によそった。
渉は自分の本心を隠すことに、すっかり慣れている。
まだ小学生だった頃は、渉も本気で実母のことを守ろうと努力していた。
そして、小学五年生の時点では実母も「まっとうな母親であること」を放棄していなかった。
保護者面談や家庭訪問には、普通の家庭と同じように準備をして、普通の家庭と同じように先生とどうでもよい話をした。
しかし、小学校六年生以降になると、実母はもうそんな『世間体』さえかなぐり捨てており、進路相談や家庭訪問の連絡すら真面に読もうとしなかった。
そんな実母を守るために、渉は学校の友達関係はもちろん、先生にも自宅の様子が漏れないように徹頭徹尾隠し続けた。
進路に関する保護者面談や家庭訪問の案内には「母子家庭で、母の仕事の都合が全然合わない」と嘘をつき続ける。
さすがに先生たちは良い顔はしなかったが、渉の日頃からの「優等生ぶり」から、最終的には何も言わなかった。
『悲劇』というのは『無関心』や『無神経』の下に隠されるのが常である。
中学校に進学する頃には、家事、家計、学校関係その他諸々の『本来であれば親が果たすべき役』一切合財を渉がこなしていた。
そのことについて母親は「渉が親思いで本当に助かる」と感謝していたが、彼女はこの状況が本当は何を意味しているのか全く理解できていなかった。
中学生の渉にとって母親は、「生活費を家に入れてくれれば、それ以外はまったく無用な存在である」と質的に変化していたのだ。
さらに、中学生という自意識が形成される重要な時期に、有象無象の男たちを自宅に引っ張り込む実母に、次第に渉は薄汚さを感じるようになっていた。
そして、引っ張り込まれる男達の下品さや卑しさは、人一倍強い彼の自意識を責め苛(さいな)み続けた。
(あんな大人にはなりたくない、あんな大人にはなりたくない)
夜毎の大騒ぎを、彼は布団の中でそう唱えながら乗り越えてきた。
そしてとうとう、確実な収入源が他に確保できるのであれば、彼にとって母親は切り捨てるべきリスクでしかなくなった。
小学生と中学生は、時として『違う人種』となる。
北九州市のとある駅前で繰り広げられる母の醜態は、次第に渉のネットワークの末端で囁かれ始めていた。
それが彼の学校生活を脅かすのは、時間の問題である。このままでは、実母の存在が彼の未来を閉ざすかもしれない。
(あの女の息子かよ)
そんな言葉が彼の耳元で囁かれる日も近い。彼が最も恐れていた事態が、刻一刻と迫っていた。もはや猶予はない。
繰り返すが、渉は自分の本心を隠すことにすっかり慣れていた。
始まったカウントダウンとその先に想定される結末を、彼はまったく表に出さなかった。
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