弥生 二〇一五年 春
(今日も駄目だったか――)
神奈川県横浜市青葉区。
東急田園都市線『青葉台』駅から出る路線バスの中で、私、笹宮弥生(ささみややよい)は窓の外に視線を向けながら、実際には何も見ていなかった。
バスは駅前のお店が立ち並んだところを抜けると、住宅が密集する地域の上り坂を進んでゆく。この沿線には、体育系しかない大学と、偏差値は聞かないほうがよい高校と、化学会社の総合研究所が並んでいる。朝、駅のバス停で『乗る方の客』の列を見ると、青白い顔をした企業の研究者と、やたら体格と血色の良い大学生と、不可思議な髪型と不健康な顔色をした高校生が、一列に並んでいるところが見られるので非常に面白い。
「企業がフレックスタイム制を導入する前から、高校ではフレックス導入済みだった。既に高校生は、通学がオフピーク対応済みである」
という冗談があるほどだ。
私はその流れとは常に逆方向なので、一緒に乗っているのはサラリーマンや学生が殆どだった。バスの中の雰囲気はいつも均等で、全員が礼儀正しく一定の節度を保っている。そのことが、むしろ私には面白くなかった。
(せめて悠太と一緒だったらよかったのに――)
私はため息をついた。
*
私の家は、曽祖父の代からずっと青葉区桂台に住んでいる。
昔はそこに結構な広さの土地を所有していたけれど、ちょうどバブル期に祖父が亡くなったため、そのままでは相続税を払いきれず不動産業者に分割して売却してしまった。私の家は残った一角に規模を縮小して、今でも存続している。
そして、(これは我が家には直接は関係のないことだけれど)購入した不動産業者が建売住宅を建築し、さあこれから売り出そうという矢先に。バブルが崩壊した。その「購入した不動産業者」はかなりの痛手を蒙ったらしい。新築住宅は業者の間で何度か転売されて、やっと十年後に買い手がついた。その買い手が城島悠太(じょうじまゆうた)の家族だった。購入前、悠太の家族は父親の仕事の関係でシンガポールに住んでいたが、急に日本帰国を命じられて、子供が二人いることから広めの家を探していた。そこに不動産業者から「私の家の隣の物件」を紹介されたという。父親が仕事で日本に来た時に内覧して、購入を即決した。当時、悠太は弥生と同じく小学校三年生、弟の颯太(そうた)は幼稚園の年中組だった。
都会の新興住宅地は、お隣さんだからといって仲が良いとは限らない。顔見知りとも限らない。隣と一線を保ったままのお付き合い、というのはざらにある。しかし、笹宮家と城島家には仲良くなる理由が二つあった。
一つ目は、私の母である笹宮葉月(ささみやはづき)と、悠太の母である城島深月(じょうじまみづき)が、ともに北海道出身で下の名前が似ていたことである。
引越の挨拶の時にそのことを知った二人は、それだけのことで仲良くなってしまった。私のお父さんの笹宮孝雄(ささみやたかお)と、悠太のお父さんの城島徹(じょうじまとおる)は「まあ、ママ同士が友達だから仕方ないか」程度の軽いお付き合いだが、母親同士は一緒に温泉旅行に出かけるほどの中である。(いくら「おばさん」でも、よほど親しくなければ一緒に温泉旅行にはいかない)
二つ目は、悠太と私が同じ小学校に通っていたという点である。
もちろん、だからといって仲が良くなるとは限らないので、これには深い訳がある。悠太は生まれた直後から九年間、シンガポールで育った。小学校は日本人学校ものの、それ以外は全て英語環境にあったため、自然に英語を覚えてしまった。帰国直後は、むしろ日本語のほうがたどたどしい状態であり、そういう相違点に、日本の子供はとても敏感である。悠太が小学校で、いじめの狙い撃ちにされそうになったところを、私が徹底的にかばった。
私は小学校に入った頃から空手道場に通っていた。
これは祖父の影響である。祖父は私が生まれる前に亡くなっていたが、空手の高段者でその筋では有名な指導者だった。近所の道場で長年に亘って指導を続けており、その土地の空手家や警察官、果てはヤクザ者にも、その教えに感銘を受けた人物が揃っていた。駅前の信用金庫に勤務していた父が、窓口でクレームをつけていた男を見て、家に出入りしていた祖父の弟子であることに気が付き、信用金庫側が事なきを得たという笑えない話もある。そのため父も、祖父が師範を務めていた道場からたびたび入門を誘われていたのだが、本人にはまったくそんな気はないので実現はしなかった。
そこで、道場の門弟たちは代わりに私に声をかけはじめた。私は身体を動かすのが好きだったので、すぐに話に乗った。父は「女の子だから」となかなか首を縦には振らなかったが、空手道場の皆さんの熱意(という名の圧力)には抗しきれなかったようで、最終的には了解してくれた。
それ以降、私は道場に通い続けて十年目になる。最初のうちは「笹宮のお孫さん」扱いだったものの、どうも祖父譲りの適性があったようで、次第に同じ年代では物足りなくなっていった。小学校低学年の段階で関東大会で好成績をあげると、周囲の見る眼も違ってきて、小学校三年生の時点では既に関東地区の大会では上位入賞の常連になっていた。
従って、小学校の同学年で私相手に実力行使に出ようとする輩はいないし、「怖い上級生」を担ぎ出そうにも、その上級生自身が同じ道場だったりするものだから、完全にアンタッチャブルな存在となった。もちろん、私から手を出すつもりは全くなかったので、学校全体に君臨していた訳ではない。私には普通に友達がいて、普通に通学していた。
ともかく、その私が悠太のバックアップに入ったものだから、いじめは即座に止む。
そうなると今度は、悠太の個性が輝き始めた。
悠太は頭が良かった。
単に「学校の勉強がよくできる」という意味の頭の良さではなく、「発想が豊か」といえばよいのだろうか。時折、驚くような視点から意見を出してくる。
海外で生活していたことが影響しているらしいが、日本から出たことがない私にはよく分からない。
悠太は、
「横並びという意識は薄かったと思う。競争すれば優劣がつくのは当然だったし、あることは自分が優れていて、他のことは別な人のほうが優れているのが当然だと思っていた。違って当然だし、日本人自体が現地では異質な存在なのだから、自分と異なるものを許容できないと自己矛盾が生じる」
と、言っていた。
また、海外で生活する日本人家族は、親も「日本の教育システムの外」にいることが先々不利にならないように、教育に関する情報収集と対策に余念がないと、これは彼のお母さんから聞いた。周囲の日本人は、日本から参考書や問題集を取り寄せて、日本の通信教育講座を海外受講し、こまめにインターネットで情報収集していたという。
生まれてからずっと日本で生活している子供とは、勉強鬼対する初期のモチベーションが異なっているから、日本の閉鎖された教育環境にいる場合よりも伸びることがありうるのだ。
また、生まれてからずっと海外で生活しているために、英語が話せて理解することができる。日本語環境と英語環境を切り替えて生活していたことから、発想が柔軟で切り替えも早い。
異なる文化の子供と強調するためには、積極的に自己主張する必要があるので、表現力もある。異文化の理解も必要となるので、他者への視線も忘れない。
決して、海外居住していたことのある子供たちが全員こうなる訳ではないが、悠太に限って言えばすべて良いほうに結びついていた。
学習進度も「自分が現時点で理解できるレベルまで、先取りして勉強する」ということが普通に行われており、悠太は小学校の時点で中学校レベルの参考書に手を出していた。そのため、私と悠太は中学入学の時点で、見事に別々の学校に振り分けられてしまった。
それでも、帰りに時間をあわせて駅で待ち合わせしていたので、悠太の顔を見ない日は殆どなかった。長い休み期間中に、悠太が学習塾の合宿研修でいなくなる時か、私が空手の合宿研修に行った時ぐらいだった。
それが、中学卒業以降、全く悠太の顔を見ることができなくなっている。
今年に入ってから、家の近所で偶然会ってもなんだか話し難そうにしていた。もともと社交的な悠太にしては、非社交的な雰囲気を感じることすらあった。なんだか「一人になりたい」というオーラを発しているような気がして、街角で姿を見かけても声がかけづらかった。
これは私だけに限ったことではない。
私が通っている空手道場には、悠太と同じ中学校で、しかも同級生だった人がいた。彼にしても、駅で会って話をすると、微妙に避けられているような気がする、ということだった。
「もともと明るくて優しいやつだからさ、顔をあわせていきなりそっぽを向くなんてことはしないけど。なんていうのかな、ちょっとした仕草や表情に居心地の悪そうな雰囲気を感じる時があるよな」
彼も空手家の卵なので、相手の些細な動作に敏感だから感じたのかもしれない。
そうこうするうちに、高校進学後は家の周囲で偶然見かけることすらなくなった。
今日も、悠太が帰宅しそうな時間に駅の改札口で待ち伏せしていたのだが、空振りに終わる。そわそわしながら駅のカフェに座って改札口を眺めていると、自分がストーカーになったような気がして非常に不本意だった。
本来、自分は当たって砕けるタイプの人間である。
悠太と顔を合わせることが出来たら、面と向かって「なぜ私を避けているのか」質問して、「実は彼女が出来た」」とか悠太に言われて見事に撃沈する、そんなタイプなのだ。それなのに、かすりもしない。これでは当たれない。
バスを降りて、歩いて自分の家に向かう。この経路だと私の家が手前にあり、悠太の家はそのさらに向こう側にある。門扉の前で、私は隣の家を見上げた。私の家から、そして私の部屋の窓からも、悠太の家は見えるが、悠太の部屋までは見えない。だから、彼がいつ帰ってきて、いつ寝ているのかも分からない。
(せめて、窓が向かい合うようになっていればよかったのに――)
夜中に彼の家にこっそり忍び込んでやろうかと本気で考えるが、さすがにそれは犯罪であるから実行に移していない。この状態がしばらく続いたら、自分はやりかねないだろう。
口から溜息が漏れた。同時に、
(こんな情けない姿は決して同じ道場の連中には見せられないな)
と、頭を振って気持ちを切り替える。
(私はこんなことで思い悩む人間ではない)
問題があるならば正面突破――それが私だ。
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