68 七月十六・十七日 そして『騒音の怪物』

 七月十六日。そしてこの日、本人から電話がかかった。

 携帯にだ。見知らぬ番号が液晶に映っていたので誰かと思えば、相手は道川盛行と名乗った。この番号を知っているということは、誰かが漏らしたのだろうか。後で編集の人に問い合わせてみよう。

「あなたとはお初にお目に掛かります。私は一応、あなたの叔父の弟子だった者です」

 知っている。それに、まだ僕はあなたとはまだ電話でしか接触していないので、その言葉は間違っている。お目になんて、掛かっていないだろう。

「いきなりで申し訳ないですが、……もしかして、その館は幻覚とか見えたりしませんか?」

 有田清を思い出した。道川も気になって電話して来たのだろうか。

「ええ、あなたの幻覚が見えます」

 正直に言った。有田清のように否定されても困ったからだ。道川はやっぱりやっぱりと、予想していた答えだったらしく、何度も声を出して納得した。

「そこに私はいっぱいいますか」

「色々なあなたがいますね」

 僕だったり、俺だったり、ワシだったり。多重人格を見ているようだ。

 道川は先ほどと同じくやっぱりやっぱりと何度も声を上げた。

「すいません、ご迷惑をおかけします。そこにいる私は自分でもどうすることも出来ないものですから、あなたに何かしても私が止めることは無理なんです」

「知ってます。知ってますよ」

 だって、これはあなたの夢だから。

「それで……今回電話をくださったのは、その件が気になったからですか」

 自分が住んでいた頃に幻が見えたので、新たに館に住んだ住人に興味を持ったのだろう。そう思っていた。

「いえ……今の質問は、ただの私の好奇心なだけでして、本当の目的はそれではありません」

 本当の、目的?

「あなたの叔父、僕の先生だった人から頼まれました。あなたに、先生の日記を渡せ、と」

「……叔父の、日記?」

 何だろう、それは。

 というか、あのような人物が日記などをつけていたのか。可愛らしい趣味なことだ。人間らしい。もう少し、他の部分も人間らしくなってほしいところだが。

「理由が不明ですね。……まあ、叔父のすることですから深く考えても仕方ないですか。しかし、破門されたあなたに日記を渡すなんて意外ですね」

「……破門されたから、渡された。そう言った方が適切かもしれませんね。その日記、私が破門されるときに渡されたのです」

 破門、されたとき?

 意外だ。てっきり僕に渡すために、ごく最近に渡したのかと。

「その日記には、私が破門された理由が書いてあります。……その日記を、あなたに渡せと昨日言われました。……何故、そのようなことをしろと言ったのか。あの人には、つくづく驚かされますが、とりあえず一応は元師匠なので、従うことにします。後ほど……そうですね。明後日くらいに、そちらに向かいますが、よろしいでしょうか」

「明後日ですか」

 スケジュールは大体携帯のカレンダーに入れている。なので、今携帯を使っている状態でスケジュールは確認出来ない。

 だが、大した用事はないだろう。大半は電話やメールで解決可能な用件だと思う。外に出なきゃいけない重要な案件は流石に覚えている。それほど……僕は隠居してるような生活難だ。

「ええ、大丈夫です。何時頃に来られますか」

「そうですね。……何せ、遠いですから。では、午後の十三時で、よろしいでしょうか」

 分かりました。大丈夫ですよ。と僕は言った。

 道川は丁寧にそれでは失礼しますと言い、電話を切った。僕は明後日以降、特に会う予定もないので番号を登録したりしなかった。何より、僕は電話番号を登録するとき、必ず相手の了解を得る。なので、履歴に表示された番号を、ただ僕は眺めるだけだった。

 七月十七日。この日もまた、同じことを繰り返した。午前には執筆をし、午後には読書。三日もやれば、長編は書けた。長編と言っても二五○枚くらいだったからだろう。簡単に終わった。後は簡単な校正をし、メールで編集部に届けるだけだ。

 昼頃に腹が空いて、昼食はそこそこ量のあるご飯を作った。大きなお椀にご飯を入れ、その上に卵と豚肉を焼いたものを乗せる。適当な料理だ。親子丼とかを作れば、料理の腕は高いのだろうが、僕は腹に入れば何でもいいという男だ。


 十五時まで本を読んでいると、携帯電話に着信が入った。それは登録されてた番号で『×××編集部 吉岡』と表示されていた。また雑誌で書いて欲しいのか。とりあえず、電話に出た。

「どうもどうも、お久しぶりです先生。×××編集部の吉岡です」

「お久しぶりです。吉岡さん」

 彼は僕がだ受賞したばかりの頃に出会っている。縦は短く、横に広い体型だったが、意外と行動的な人で、僕が何々という作品を書きたいと言うと参考資料などをすぐさま集めたり、僕が欲しがっていたシルバーアクセサリーブランドの限定品を入手するなど、必要以上の行動をしてくれた。

「暑い季節が続きますね。南極の氷が溶けるのも分かりますね。こりゃ氷だけじゃなく、人間もとけますわ」

 吉岡さんが汗を拭う姿を想像する。余計に暑く感じた。

 この人、容姿に自信がないと言う割には小物がブランドブランドしているので、きっと海外ブランドのハンカチで汗を拭いているのだろう。彼が夏場に外に出ると、死にかけの雪ダルマに見えるが、話術は得意なので女性関係には困っていないらしい。人は外見じゃないということだ。

「このままでは日本は危ないですよ。暑い中、ビール飲んでも全然冷えません。そこで、どうですか先生。いっちょ、日本を救ってくださる気持ちで寒く寒くなるような怖い怖い怪談を、書いてみませんか」

 ほら、来た。僕がやったことのないジャンルを勧めるとき、彼はオーバーな言葉から入る。

「怪談なんて……ホラーなら書いたことありますけど、怪談は書いたことないですよ」

「だからですよ。大丈夫、先生なら怪談も書けますって」

 最近のホラー小説は定義が広くなったから書きやすいが、しかし、怪談は狭苦しいイメージがある。怪談……怪談……怪談。幽霊でも出せばいいのか。

「怪談って僕、よく分からないですよ。……あれって知識が必要でしょ。妖怪の知識はそんなに無いですし、何よりそういう知識を求められる小説は僕の書きたいものではないです」

「いえいえ先生。知識がなくても最近の怪談は大丈夫ですよ。現に有名な先生で他の怪談と比べる浮いたものを書いた人もいますし」

「まず定義が不明です。僕はミステリーとか、文学とか、ホラーとか。それなりにある定義を持って書いてますが、怪談はそれが分からない。ホラーかと思えば、そうでもない。SFやファンタジーだって意外と定義が深いものですが、怪談は逆に狭すぎる。とてもじゃないですが僕には飛べない」

 飛べない。

 アイキャンフライで考える、僕の悪い癖。

 小さいビニール袋の中で、僕は飛べるはずもない。狭いと知っているが、それがどれほど狭いのか。小さいのか。苦しいのか。大きさを知らなければ、飛べるはずもない。その中で。

 大きさを知らなければ、どこまで行けば壁にぶつかるか。知ることが叶わない。

「怪談はそうですね。……噂。そう、噂。あれから出るのが多いですよね」

「都市伝説みたいなものですか」

 過去、現在。

「そして、ほとんどのものが化け物や幽霊が登場する。辞書で調べても、そう出ると思いますね」

 怪談。化け物や幽霊などに関する恐ろしい不思議な話。

「または、怪異が起こるジャンルでもありますね」

 怪異。

(1)あやしいこと。不思議なこと。また、そのさま。

(2)ばけもの。妖怪。

 先ほどと言ってることは同じだ。

「またはまたは、日本古来の物語を総称する場合もあります」

 その場合が、、四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠などらしい。三つ合せて日本三大怪談とされている。

「ようするに、幽霊や妖怪などによる怪しいことや不思議なこと。またはそれの噂などを書けばいいんですか。それともそれに関する日本の昔話風なのを創作すればいいんですか」

「まとめると、そういうことになっちゃいますね。ただ、それでは先生が書きにくいでしょう」

「というか、書きたくありません」

「これはこれは。大変お嫌いなようで」

 怪談を書けと言われてサイコホラーや、ただのホラーを書くつもりはない。怪談を書けと言われたら、そりゃ、怪談を書く。しかし、この場合は怪談の定義が不明だ。どういうふうに書けば怪談か。どういうふうなら怪談に収まるか。怪談の形が見えない。全然見えない。定義しても隙間からこぼれてしまう。見えないものは、書けない。書けないのは、見えないからだ。

「そもそも心霊系やオカルトは嫌いなんです。それは吉岡さんにも言ったでしょう」

「推理作家が殺人好きなわけじゃないですから、そこは大丈夫ですよ。……んぅ、そうですね。じゃあ、自分が怪談と都市伝説の違いを言ってみましょうか」

 先ほどは怪談は噂。都市伝説みたいなものですかと僕が言ったのに、どうやら彼はそれを否定するらしい。

「都市伝説は話の作り、相手を怖がらせるという点においては怪談と同じです。短い話を中心とした創作で怖がらせる。ただ、都市伝説と怪談の違いは〝真実味〟だと思います」

「へえ……」

 真実味。

「都市伝説は本当にあるかと思い込ませる。とある食品の中にはミミズが入ってるとか、あの人は麻薬をやっているとか、そういった話も都市伝説となります。都市伝説は怖い話ばかりではなく、具体的に言うなら、噂をかなり真実のように思わせるジャンルなのです。また、さらに言えばこれは小説にはならないと思います」

「何故」

「都市伝説は真実味に近づけることが目的だと私は思いましてね。小説は……そんな、真実味に近づけたら、無理でしょ。何々店は変な肉を使ってるとか。社会的に問題が起こります。小説家の目的は面白くさせることですからね。真実味が最優先の都市伝説は相性が悪いです」

 真実味に近づけることで面白くなる小説なら、それは都市伝説になりそうだが……止めた。話の腰を折る。

 それに、都市伝説は小説じゃないのは分かる気がする。都市伝説は誰が流すものか知らないが、噂が噂を呼んで、ホラ話が本当のように思えることだろう。だから、今の話のように小説になりえないのは分かる。都市伝説を題材にするのは可能だが、都市伝説を小説にするのは無理だ。

 都市伝説は現象だ。竜巻と地震と同じく、特定の条件によって起こる現象。ただ違うのは、自然災害ではなく、人為的災害というだけ。

「では、怪談とは何ですか」

「怪談は真実味はどうでもいいです。自分の考えですけどね。だって、お化けとか出ますからね。そんなの、信じさせるにも限界があるでしょ」

「まあ、確かに……」

「それに、怖がらせなくてもいい。最近の怪談は愉快ですよ。全然怖くないのに面白いのが沢山」

 そこら辺はホラーも同じだ。最近は変わった怖さを味会わせる小説が多い。孤独による恐怖だったり、友人が裏切るのではないかと疑う恐怖だったり、今までの一点張りのホラーとは違う。または、全然怖くないホラーも存在する。これはただのファンタジーじゃないか、文学じゃないかと疑うもの。しかし、ホラーと呼ばれるものがある。

「怪談の重点は怪しいことが起こることです。お化けはどうでもいい。彼らが現れるのは人の手では不可能に思える行為だからこそ、必要なだけで、お化けがわざわざ出て来なくても可能です」

「……なるほどね。しかし、不思議なことが起こるのは怪談じゃなくても、SFだったり、ファンタジーも同じじゃ」

「いえいえ先生。不思議なことは正しくありません。辞書にはそう書いたかもしれませんが、私は違います。ここでは、一つ。怪しいことでしかありません」

 不思議なことが起こる物語なら、どのようなジャンルでもある程度可能だ。ファンタジーも、SFも、純文学だってある。

「怪談は、怪しいことなんですよ。……まあ、妖怪の妖でもいいですけどね」

 妖しい、か。怪しい、妖しい。

 なるほど、これなら分かる気がする。

「不安にさせるような不思議なこと。普通と違っていて、変。納得のいかない挙動。正体が分からない。気味が悪い。まあ、色々と言えますが、ともかく、怪談はあやしい怪異を使ったジャンルなんですよ」

 なんですよ。断言しちゃった。

 しかし、ここまで怪談について考えてると思わなかった。怪談は、この季節には丁度良いから売れ行きが見込めるのか。だから、勉強したのかな。

 ……元からこんなにくわしかったとは思えない。サラリーマンは大変だ。

「どうです。先生。怪談のこと、少しは見えてきたんじゃないですか?」

「……分かりましたよ。吉岡さんには叶いません。長編は厳しいですが短編ならかまわないです」

「流石、先生。その言葉を待ってました」

 本当に待っていたようだ。次から次へと吉岡は書くにあたって必要なことを述べた。とりあえず、三○枚ぐらいの短いのを書くことになった。それは雑誌掲載らしく、定期的に載せて行こうとのこと。

「それじゃ、先生。面白いのを、楽しんでお待ちしております」

 と言って電話を切った。上機嫌だった。現金な人だ。

 しかし、新しいジャンルを開拓するのは悪くない。何事も挑戦が大事だろう。スケジュールも短編なら問題ないし、早速今日から取りかかってもいいと思う。

 読書は途中で切り上げ、僕は早速執筆に取りかかった。まだ構想の欠片も見当たらないので、手探り状態での作業だ。暗闇の中で砂粒を拾い上げるくらい難しい。しかし、僕はいつもこんな書き方をしている。物語の世界観も、プロットも、設定も、全てパソコンの前で書きながら思いつく。大体が、書いているとノリに乗って後ろから囁かれるように思いついてしまうのだ。もちろん、散歩したり、音楽を聴いているときにも思いつくことがあるが、大半は執筆最中が多い。おそらく、スイッチが入ってる入ってないの差があるのだろう。

 何度か、ふと閃いた言葉から小説を書き始めるが納得が行かず、途中で切り捨てる。十七時になった頃か。そのときに、僕が今まで怪談とは何だったかを思い出していると、そういえば昔見たウルトラマンは怪談じみていたことを思い出す。ウルトラマンセブンだったか。何故か、ビデオが大量にあったんだ。あるとき、一階に階段で下りていくと家族が宇宙人に捕まっていて、どうしようかと困っている少年の話があった。昔見た奴だ。それが僕と同じくらいの子供で、共感しやすかったから、すごい怖かったのを思い出す。吉岡さんが言ってたのと、少し違うかもしれないが、だがこれのおかげで何かが思いついた。

 怪獣。怪物。例えば、見えない怪物だったらどうなるか。声だけ聞こえるが、姿は見えない。そんな奴がいたら……。プロローグである『0』が終わり、どうにか書けそうな気がした。手探りでようやく砂粒の位置が掴めたという所か。

 パソコンをシャットダウンし、蓋を閉じる。位置を特定するのに力を費やして、大分疲れた。だが、一日で書きたいものが見つかって幸運だ。後は明日一気に書いてみよう。

 ちなみに題名は『騒音の怪物』、まだ先は分からないが面白くなってほしい。

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