039 ねがい


「修二くん」


 振り返ると、夏希がこちらにやってきていた。

 何かが背筋やら喉やらを這い上がってくる。それを必死に引きずり下ろした。


「なにしてるの、こんな所で」

「……さぁ。何してるんだろうな、俺」

「行く所が、山ほどあるんじゃない?」


 突き刺さったその言葉を抜くことも出来ずに、修二はふと隣に視線を向けた。そこにイスカはいなかった。


『夏希……』

「うん、もう大丈夫。暫くは無茶しても倒れないよ」


 その言葉をどう受け取ったのか、セレネは心配そうに眉をひそめ、それから溜息をついてその場から消え去った。


 修二はイスカを拒絶してしまった。

 そこにいたイスカは彼の知る従者ではなく、兵器然とした近寄りがたい冷たさがあった。


 脅威や敵意を仮想の世界で散々見てきたとしても、現実のそれは質が違った。

 そこには殺意があり、狂信があり、もっと直接的な破壊の意思が見えていた。


 数歩後ずさった修二の仕草は誤魔化しようもなく恐怖と不信の表れで、イスカはそんな修二に動揺して――今朝には、いなくなっていた。


「でも、どんな顔して会えばいいのか分からねぇんだ」

「顔が大事なの?」


 言葉に詰まる。

 夏希の言葉は、鋭い。イスカにも負けず劣らず。


「いる?」


 差し出されたミネラルウォーターを、たっぷり躊躇ってから受け取って、修二はその蓋を見つめた。

 ひどく喉が乾いていることに今更気がついて、思わず一気に飲み干した。


 久しぶりの水分が喉から始まって背中や胸を経て、肺腑の奥へと流れ落ちていくようだった。

 詰まっていた色んな物を、その時だけは忘れられた。


 吐き出した息が、ようやく潤ったのを感じる。


「イスカにこんな顔見せたら、なんて言われるやら」

「あはは、そりゃそうだ」


 叩いた軽口に殴り返される。

 そうだ。こんな顔、していられない。

 こんな所で腐っている余裕は、やっぱりない。

 苦しんでいる余裕はないんだ。そうやって世界に急かされることそれ自体が、やっぱり苦しい事だけれど。


 修二は空になったペットボトルを投げた。

 弧を描いて落ちたそれを資源回収ドローンが目敏く拾い上げて、腹の中へと仕舞いこむ。


 すぐ隣に座って、にこりと微笑む夏希がいた。

 その顔を、修二はじっと見つめた。


 修二は夏希が好きだ。


 それはもう、否定しようがない事実として、修二は夏希が好きだ。

 じっと彼女の顔を見ていると、自然と動悸が激しくなる。顔が火照りそうだ。


 まだだ。まだ、ダメだ。

 言いたいことは山ほどあるし、言わなきゃいけないこともある。

 それでも、修二はまだその資格がない。釣り合わない。


 ――覚悟を決めた。


 それは修二が最も恐れた覚悟だった。

 それでも修二は、夏希が好きだ。


 綺麗で艶やかなポニーテールで、すっと果物のように整った小顔で、くりくりとした大きな目にいっぱいの光を湛えている。

 背はそれほど高くなくて、でも体つきはずっと大人だ。胸に関しては、アンバランスなくらい。

 細身だけど痩せてはいない、走れば豹、飛べば猛禽、そんな印象のしなやかな体躯。

 きっと何を着ても似合うだろう。普段の赤いパーカーも似合うけれど、簡素な病院着ですらドレスのようだ。


 そんな可憐な姿の裏に、獰猛な本性を秘めていて、それが何より修二は好きだ。

 ただ勝利だけを愚直に信奉する、そのために命すらも張って戦い続ける、根っからの戦闘狂。勝利主義者。

 弱者を省みず、敗者に目もくれず、真っ直ぐに高く遠く、そびえ立つ壁の尽くを駆け上がって、飛び上がっていく蝋の翼で出来た鳥。


 雛森夏希は、鷲崎修二にとって理想の存在だ。

 誰より強く、何にも負けない――修二は、そんな存在になりたかった。


 あの日、なけなしの百円クレジットを筐体に落とした時も。

 ある日、ゴールポストを目指して高く飛び上がった時も。


 今目の前にいる少女のように、勝って勝って勝って、勝ちまくって、誰よりも強くなって、自分でも分からないような高みを目指して飛びたかった。


 言いたいことは山ほどあるし、言わなきゃいけないこともある。

 したいことも、しなきゃいけないことも、ある。


「腹は決まったって顔だね」


 鷲崎修二は、今はまだ、その権利がない。


 だから、やらねばならない。

 もう一度――そう、「もう一度」。その言葉を使わなくてはならない。


 取り返しにいかなきゃいけない。いつか持っていたその権利を。


「ああ」


 修二は立ち上がると、ぐっと大きく伸びをした。


 そして、隣で笑っている少女に向かい合おうとして、足を止めた。

 中途半端な姿勢のまま、視線だけはちゃんと合わせて、修二は言った。


「行ってくる」

「いってらっしゃい」


 可愛らしく手を振る夏希の姿に堪えようもない思いが胸の奥から膨らんで、それをどうにか抑えこむ。

 代わりに、一つだけ付け加えた。


「――だから、待っててくれ」


 夏希は目を瞬かせると、太陽が顔を赤くして落ちてしまうくらいに、眩しく笑った。


「うん」




 どこに行けばいいのかは分からない。

 けれど、何をするべきかは分かる。


 薄々感じてはいたのだ。修二は自分の考えをぽつりと零した。


「ドイツ語だよな」

「ご名答です」


 空っぽになった夏希の病室、彼女のベッドに腰を下ろして修二を待っていたのは、雛森真冬。

 彼はそれを首肯して、ぽんと手を打ち合わせた。


「うん、もう大丈夫そうですね」


 真冬は話を遮るように立ち上がると、カバンから最新型の高性能なタブレット型ウェアコンを取り出した。


「修二さんに渡さなきゃいけないものがあるんですよ」


 といって、投影キーボードを慣れた手つきで素早く打鍵する真冬。

 映しだされた姿を見て、ああやっぱり、と修二は笑った。

 真冬は内臓のウェアコンを起動し、ボイスチェンジャーを立ち上げると、二三音を確かめた。


 低い、中性的な、ノイズ混じりの声だった。


『ご注文の品だよ。位相と波長を合わせることで、散逸する風を研ぎ澄まされた刃へ変換するアタッチメント、開発コード『ダンタリオンの笛』』


 真冬は大袈裟に一礼して、その体を暗闇とローブで覆い隠した。


 ヴィンターアドレー

 よく考えれば余りに安直、気付かなかった自分に呆れてしまうくらい。


『警視庁公安部総務課第十一係所属巡査、兼、オートマトン斡旋所『ヴィンター&アドレー』の店にいる方、ヴィンター――雛森真冬です』


 テクスチャを振り払って、真冬は目を細めて芝居がかった仕草で修二に手を差し出した。

 修二は、なるほど確かに姉のパートナーだと、ちょっとだけ笑った。


「さ、行きましょう。解答編の時間です」


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