037 秘密は秘密のままで良かったのに


「ね、姉さん……!?」

「全く酷い機体性能だ。まぁ、いいけれど」


 瞳はライフルの銃口をフェザーダンスに向けたまま、コクピットから飛び出して修二たちの隣に降りた。腰からテーザーガンと、小さな手帳を引き抜いた。

 開いた手帳には、フィクションで見慣れた旭日章。

 瞳は修二の視線に気づくと、バツが悪そうに顔を逸らした。


「……警視庁公安部総務課第十一係、巡査部長の鷲崎瞳だ。マルファス」

『任されよ』


 どこからかマルファスが飛来してきて、その嘴をフェザーダンスに突き立てる。

 コックピットが開いて、黒コートのシリコノイドが転がり出た。


「罪状を列挙するのも面倒臭いが、三級軍事兵器強奪及びその使用のおかげで、こちらも三級電子軍事行動の許可が下りている。ヘタな動きをするなよ、焼き殺すぞ」


 テーザーは前世紀のスタンガンの名称ではなく、元は対シリコノイド用の兵器だ。

 銃器よりも厳密に管理される殺傷力の高い兵器で、放射した電磁パルスで体内の粒子機械を狂わせ、破壊する。

 ナノマシンを含む粒子機械は自然界で起こりうるレベルの電磁的な障害に対しては概ね強いが、雷、あるいは軍用レベルの強烈な電磁波の前では無力だ。

 放射する電気それ自体は生物を殺傷できるほどではない(スタンガン程度)だが、現在知的生物の体は粒子機械で維持されているし、アンドロイドはそもそも精密機械だ。

 生体機能を強制的に停止させるため、制圧力が非常に高い。複数回当てれば殺害することも出来る。


「鷲の姫君……! 嗅ぎ付けてくるのが、随分と早いでは……ないですか」

『優秀な斥候がいるからな。貴様らの目を掻い潜るのが仕事なのだよ』


 マルファスはそう嘲って瞳の肩に止まった。平時の巨鳥とは違う、通常の鴉のサイズだった。

 黒コートのシリコノイドは、地に臥せった姿のまま、顔を瞳に向けた。


「どうして我らの進化と繁栄を阻もうとするのです!」

「黙れよ、シリコノイドの面汚しが。他者に進化の端緒を求めている時点で、貴様らテロリストとは相容れない」


 それに、と瞳は付け加えた。


「私の愛しい弟を害する輩は、等しく排除しなくてはね」


 小さな雷が迸り、男はそれきり無反応になった。

 あまりに自然に引き金を引くものだから、修二は一瞬何が起きたのか理解するのが遅れた。


「こ、殺した……のか」

「シリコノイドはこれ一発じゃ殺せないよ。まぁ、関節を全てぶち壊したような状態だ。こいつの記憶を掻っ捌いた後、法の下でぶっ殺……」


 ふと瞳は修二の顔を見て、きまり悪そうに言葉尻を濁した。

 修二はどう反応すればいいのか分からなかった。

 聞きたいことがありすぎる。

 何が起きているのかも分からない。


「……話すべきことは山ほどあるけれど、まずは移動しよう。仲間がどれだけ、どこに潜んでいるのかも分からん」


 修二は言いたいことをどうにか飲み込んで、代わりに溜息を吐いた。

 今更のように体が震えてきたけれど、情けなく思う余裕もなかった。

 それでも、一言だけは口にした。


「……ありがとう、姉さん」


 瞳は気恥ずかしそうに視線を逸らし、すぐに身を強張らせた。

 倉庫の影から、あるいは屋根から、黒ずくめのシリコノイドたちが音もなくゆらゆらと姿を現していた。

 手元には、やはり銃器。

 機体への道を塞ぐ連中に、瞳は舌打ちひとつせずに鼻で笑った。


「増援かい? どこから湧いてきたのやら」

『……音波探知に反応がない。静音スキンだ。面妖な』

「さて、素直に機体まで通してくれる……わけもないか」


 数えて九の人影を前に、修二はそれらの顔を一つ一つ凝視し、そして思い返した。

 アリーナにいた、シリコノイドの集団の顔を。


「……姉さん、俺、あいつら知ってるぞ」

「何?」

「四日前から俺らを見てた。アリーナにずっといた奴らだ」

『私の記憶映像にない……? 何か特殊なスキンを使っているようですね』

「セカンドから抜けだしたのもソレか。尋問が待たれるなぁ」


 瞳は茶化すようにそうぼやきながら、指笛を吹き鳴らした。

 その合図と同時に、フェザーダンスが破壊した倉庫からトラクターが飛びだしてきた。


「ご苦労、マルファス」

『鴉使いの荒い主人で困るね』


 銃弾がトラクターにあたって火花を散らすが、修二たちに届くはずもない。

 瞳は機能を停止したフェザーダンスをちらりと見たが、先のライフルで機関部を撃ち抜かれており、立ち上がることもままならない。


「行くぞ修二。とりあえず逃げる」


 修二の手を取って、彼女は走りだした。

 裏を周って倉庫群を抜けるべく、海岸沿いを行く。


 もう大丈夫だろうという安堵が修二の胸に押し寄せるが、全身を刺すような恐怖は未だに抜けない。

 修二は細い姉の体に縋りつくようにして、目をぎゅっと閉じた。


 嫌な感触が拭えない。もう大丈夫だと自らに言い聞かせながらも、修二は記憶を掘り返し続けた。


 アリーナにいたシリコノイドの集団の顔と特徴を一つ一つ思い返して照合していく。

 ちらりと見ただけだからか、一致しない奴の記憶もあった。それでも一致したのは七、八、九、十人と、未照合の三人――いや、待て。


 修二がはっとして振り返ると、物陰からシリコノイドの女が拳銃をこちらに向けていて。

 閃光と共にその両腕が跳ね上がり、発砲音を追い越して銃弾が飛ぶ。

 間一髪、突き飛ばされた修二と身を投げ出した瞳の頭上を銃弾が通過していった。


「くそ、どこに――」


 倉庫のシャッターに身を寄せるように転がって、瞳は修二を庇うように起き上がりざまにテーザーガンを放った。

 距離があるため効きが悪く、銃器こそ取り落としたものの女はまだ動けている。膝射の姿勢で更に一発撃ち込むが。


「修二、そこでじっとしていろ!」


 ふらりと壁にもたれながらも逃げ出す女を見て、瞳は間髪入れずに立ち上がり、女の下へ走りだす。


「待った姉さん! あと二人どこかに――!」

『ダメです、修二様!』


 修二は警告するつもりで、姉の後を追ってしまった。


 銃声が轟き、修二は尻餅をついた。


 瞳は屋根上へ引き金を引き、ついで路地の向こうへ引き金を二度引いた。

 修二のすぐ傍に、屋根から男が落ちてくる。けれど、修二はそんなものに見向きもしなかった。

 目と鼻の先で姉が崩れ落ちた理由を、修二は理解しまいと必死に拒んでいた。


「ねえ、さん?」


 瞳の衣服の腹の辺りには、まるで何かに突き破られたかのように穴が開いていた。その肌からは血の代わりに機能を停止した粒子機械がさらさらと零れ落ちている。

 狙われたのは自分だ。

 自分が飛び出したせいで。


「修二、逃げろ」


 どこへ? どうして? どうやって? ここに姉を置いて?


「シリコノイドは頑丈なんだよ、君たちオーガノイドと違ってさ。今もちょっと痺れているだけだから、ほら、早く」


 打ち込まれたのは対シリコノイド用の電磁弾だ。ならその痺れはちょっとやそっとでは抜けないはずだ。


「い、行けるわけ、ないだろ」

「いいから。もう少しすれば本部からまとまった数がやってくる。それまで逃げていればなんとかなる。イスカくんもいる、大丈夫だ」

「姉さんは、姉さんはどうするんだよ! こんなところで、怪我までしてるのに!」

「仕事さ」


 瞳は腹に空いた穴を手で押さえた。

 修二の目にも、傷が広がっていくのが見て取れた。傷の周りがどんどんと崩れて砂になっていく。

 打ち込まれたのは弾丸そのものに発電装置を仕込んだ電磁弾なのだ。本当なら体も動かないはずなのに。いや、事実瞳はろくに動ける体ではないのだ。テーザーガンを拾うこともままならないくらいに。


「大丈夫。すぐ止まるよ。私は大丈夫だから」


 なぜそんなことを言うのか。体が崩れていく痛みの中で、どうしてそんなことが言えるんだ。

 どうして。どうしてだ。どうして――どうして。

 どうして世界はこんなにも理不尽なんだ。

 わけがわからないことばかりが修二を打ち据えて轢き潰していく。


『……瞳様』


 修二の隣から、イスカが前へ出た。


「イスカ君――」

『お許し下さい。貴方様との約定、今破ります』


 ゆらりと。

 取り囲むように、九つの狂信者たちが影から滲み出る。追いつかれ、取り囲まれた。逃げることもままならない。イスカはそれに毅然と立ち向かった。

 修二が見たこともない、冷たく漏れ出した殺意が背筋を刺すような、冷酷な顔。


『修二様』


 その額を守るサークレットに手をかけて、イスカは修二に振り返る。

 いや――その額にあるのはサークレットではなくて、のっぺりとしたバイザーだった。

 少しだけその残酷さを緩め、後悔と不安を滲ませた顔で修二を見つめていた。


『……申し訳ありません』


 バイザーが下りて、彼女の瞳が隠される。彼女の鎧が剥がれ落ちて、鎧の素体が露わになった。

 簡素なワンピースに身を包んだ半人半機の少女に、むき出しになった吸気装置が点々と取り付けられている。その体それ自体が何かの兵器のようだった。


 そして実世界に風が吹いた。それは、イスカへ向けて吹いていた。


 吸い上げているのだ。

 大気を。その中で繋がるナノマシンを。


『私は、電子戦争の時代に生まれました』


 彼女の体のナノマシン密度が上がっていき、描画はより鮮明になる。特にそれは、彼女の槍に集中していた。

 交喙の嘴は食い違う。その穂先が捻れて開く。


 内部機器を露出し、切断に特化した形状を呈するその槍は、やはり歪な断頭台のように見える。


『元々は、軍用オートマトンひとごろしなのです』


 イスカは無造作に近くのシリコノイドへ近づくと、その槍を振りぬいた。

 瞬間、視界を閃光が灼いた。

 それはイスカの奥の手、全てを断つ電光の槍――。


『――第一級自律型電子兵装』


 目で追うのも難しいほどの速度で閃いたそれが、シリコノイドの体を断った。


『対人用電熱放射型オートマトン拾玖型ロ式、秘匿名『交喙』。所属部隊、なし』


 悲鳴もなく、抵抗する時間さえなく、シリコノイドだったものは砂と水分に成り下がり、崩れて山となった。 

 名乗りはもう修二に向いたものではなく、それは敵対する全てのものへ、刃のように放たれていた。


 イスカにとっては、慣れ親しんだ感触だ。


「イスカ……?」


 修二は一歩後ずさった。

 振り返りもしないイスカが、びくりと肩を震わせた気がした。


『反社会的勢力の制圧及び人命救助のため、軍事行動を開始します』


 泥のように流動化して崩れ落ちた狂信者に見向きもせず、彼女は残る怨敵へ向けて槍を構えた。

 その穂先がバチリと剣呑な紫電を放ったのを見て、それが彼らにとっての致命の一撃なのだと、ようやく彼らは気がつき。


 恐怖から放たれた銃弾は、その槍先で跡形もなく蒸発した。


 黒い月が電子の世界に弧を描く。

 その光の槍が残す黒い軌跡は、焼灼されたナノマシンが機能を停止し、空間描画が成されなくなった故のもの。


 プラズマジェット。

 周囲の大気を吸蔵・圧縮して、荷電し、放射。高熱により装甲を溶断、粒子機械を焼き切る――現実で。


 オートマトンは現実に干渉できない。それは彼らが電子の知性であるが故の必然。

 電子戦争の時代、だからオートマトンはドローンと共に行動していた。


 イスカは違う。


 電子戦争時代、オートマトンを主軸とした軍事行動の際のアプローチの一つ。

 粒子機械を介したプラズマジェットによる隔離区画の破壊。NANを接続し、敵施設へ侵入、攻撃不能の敵人員を一方的に殺傷して帰還する。

 そのための電熱放射機構。そのためのオートマトン。


 ドローンを必要とせず、あくまで独りで戦争を終わらせるためのオートマトン。


 ただ一人、混沌とする戦場を駆けた『記録に残らない英雄』。

 電子戦争の最初期から前線に立ち、圧倒的な性能差を技術で覆し、勝利だけを引き連れていた『敗け知らずの少女』。


『貴方がたの降伏をもって、その生存を許しましょう』


 修二はそれを、遠巻きに見ていた。渦中にいながら、修二はそこにいなかった。

 隣にいると思っていた。けれど、夏希の時と同じだった。そのつもりでいただけだった。

 イスカは、ずっと遠い世界に生きている――。


 イスカの前で降伏する狂信者たちを見て。

 修二は苦しくなって、少しだけ泣いた。

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