034 伸ばした手はどこにも届かない



「しまったなぁ。こりゃあしまった」

「それは、どっちの意味で?」

「どっちも、だ。そう睨むなヴィンター。まさかこんな短期間で発症するとは思わなかったんだよ」

「……どうせ遅かれ早かれだ。怒らないよ」

「ありがたいね。というわけで、色々方針を変えなきゃいけない、が……」

「――ちょっと待った。アドレー、スクランブル」

「エイリアスか。どこだ」

「港に向かってる。その先に修二さんたち……気付かれたんだ、イスカさんに」

「そうか……そうなったか」

「三級軍事兵器強奪及びその使用……!? アドレー、ドローン出したよ! 指定地点で搭乗して」

「了解。急ぐとしようか――マルファス、先に行け」





 看護婦の静止を振り切って、病院を飛び出して。

 何処へ行くとも分からないまま走り続けて、気がつけば島の端、港にまで来ていた。


 何時間走っただろう。二時間か、それ以上か。

 ウェアコンに触れればすぐ分かるような事実さえ修二は確認したくなかった。


 既に船のない港の隅に修二は倒れこんだ。走り続けたせいで息は上がっている。これだけ走ったのは何時ぶりだろうか。

 体が熱く、酸素が足りない。オーガノイドの体ですらこれほど疲労するくらいに走り続けていたらしい。


 呼吸するのも苦しかった。


「はは、長距離走、記録更新じゃね」


 修二は自嘲気味に笑って、硬い地面に頭を横たえた。

 コンクリートの奥から打ち寄せる波の振動を感じた。海の逆側、すぐ隣には固く口を閉ざした倉庫が並んでいる。


 苦しかった。

 自分が惨めで、情けなくて、苦しかった。


 貴方が弱くて子供だから――イスカの言葉を思い返して、修二は呻いた。


「分かってるよ、分かってるんだ、そんなことは」

『ではどうして、こんなところで寝ているのですか』


 修二が首を巡らせると、いつの間にか追いついたイスカが佇んでいた。

 いつものように、表情を殺して、淡々と。

 あなたはどうなさいますか、と問うように、彼女は修二を見ていた。


「……どうしてだろうな」


 修二はぽつりと呟いた。

 すぐにそれは洪水になった。


「惨めだろ。馬鹿馬鹿しいだろ。ずるいだろ。俺が勝ってるのは俺の力じゃなくて、俺一人じゃせいぜい自爆が限界で……!」


 イスカは言葉を返そうとして、その口を閉じた。


 強ければよかった。

 夏希に並び立てるぐらいに強ければ。

 一騎当千の猛者ならば。

 夏希の隣で自分もまた並み居る強豪に挑んでいき、それを二人で打ち破る……そんなヒーローみたいなことが出来たかもしれないのに。


 役不足なのだ。夏希にとって、俺の隣は。

 だから苦しい。

 俺が寄りかかるばかりで、夏希へ何も返してやれない。


「俺は、お前にだって、相応しくもないのに」

『修二様』

「お前はあんなにも強いのに、俺は……お前の足手まといで」


 イスカは隠し事はしても嘘をつかない。だから彼女は否定しない。口を引き結んで、何も言わない。


 苦しい。


 自分の周りの全てが強く、気高く、美しく。自分が弱く、卑小で、惨めだから。

 惨めだと、そんなことでプライドを傷つけられている自分が、やっぱり惨めだ。


 もっと苦しんでいる人が、生まれつきに理不尽に苦しめられている少女がいるというのに、こんなことに悩んでいる自分がくだらなくて、小さくて。

 この苦しみすらもくだらないものになっていることが苦しくて。


「どうして」


 修二は無力だ。何も出来ない。一人で何かを願うことしか。

 何を願えばいいかさえ、見失ってしまった。


「どうしてだ……!」


 無力だ。――それが苦しくて、修二は叫んだ。


「どうして! 夏希が苦しまなきゃいけないんだ!」


 叫んだ。無駄だと分かっていても、修二は叫んだ。

 溜め込んでいたら胸が破裂して死にそうなくらいに色々なものが渦巻いていて、それを吐き出す以外に処理する術を修二は知らなかった。


「知りたくなかった! 世界は平和で、人が死ぬなんて滅多に無くて! 苦しんでる人もすぐに治るもんだって! 努力すればなんでもできるって! 俺はそんな世界に生きてるんだって……」


 この大気が巡り巡って彼女と繋がっているということさえ修二の心を打ちのめした。


「俺と夏希で、吸ってる空気も、食ってるものも同じだろう! なんで俺だけが平和に暮らしてるんだ! なんで夏希が苦しんでるんだよ!」


 どうにもならないから。

 修二は子供で、幼くて、彼女を救うにはあまりにも弱くて。追いつくことさえできていなくて。


「そんな夏希だからなのか! 苦しまなきゃ、強くなれねぇのか! じゃあ俺はなんなんだ! こんなに苦しいのに、なんで俺は弱いんだ! なんでこんなに無力なんだよ!」


 いつもと同じだ。それは立ちはだかる巨大な壁だった。

 修二はいつだってそれにぶつかって、打ちのめされてきた。肉が潰れて、骨が軋んで、跳ね返って青あざを作って膝を擦りむいた。

 そしていつも、そこから逃げ出した。


「なんでだ! どうして俺に出来ないことばかり世界にはあるんだ! ゲームにも! 現実にも……!」


 修二は飽き性だと、そう他人に言い訳してきた。本当は、ただ弱いだけだった。分かっていた。

 自分が勝てなくなると、途端にゲームがつまらなくなる。


 勝てないゲームはつまらない。

 つまらないことを続けたくはない。


 そうして修二は逃げてきた。色んなゲームを、スポーツをやって、その度に埋められない才能の差に心を折られて逃げてきた。

 それでも修二は、世界がまだまだ未知の遊びと自分の可能性に満ちていて、将来は平等に努力で切り開けると信じたかった。


「なんで俺は夏希を助けられないんだよ!」


 嘘だった。


「どうして俺は夏希に追いつけないんだ!」


 この世界には、厳然たるルールとして、不平等が存在した。


「俺じゃあ夏希と釣り合うわけないじゃないか!」


 女の子一人が倒れた時さえ、修二はただ狼狽えていた。イスカがいなければ、セレネがいなければ、夏希は死んでいたに違いなかった。

 夏希とV.E.S.S.で繋がっていたのは修二だけではなかった。修二の姉が、とっくの昔に、彼女に戦いを手ほどきしていた。


「どうして」


 世界は残酷なばかりで。修二はちっぽけだ。

 この現実は無限大の希望と、それを打ち砕くための無数の絶望に満ちていて、修二はそれと一緒に踏み潰される小さな小さな一人でしかなくて。


 たった一日。

 たった、一瞬で。

 そんなちっぽけな鳥を、太陽のような少女が見初めたのだというのなら。


「なんでだ……どうしてだよ……どうして、どうして、どうしてだよ」


 ――こんなに惨めなことはないじゃないか。

 まるでその愛情が、同情のように見えてしまって、そんなの惨めだ。


 好きだと言う夏希も、そう言われる自分も。

 その遠い遠い実力の差が、運命の差が、残酷な立場の差となって表れる。

 愛情や恋慕という本質を、それは捻じ曲げてしまう。


 チームを組んで『もらっている』立場で。愛して『もらっている』立場で――。

 与え合う関係にはなれないから。


「教えてくれよ、イスカ……! 俺らを案内するみたいに、敵を倒す時みたいに、夏希を助けたみたいに……」


 悔しい。苦しい。痛い。つらい。悲しい。許せない。

 夏希がどうして、そんな形で貶められなきゃならないんだ。

 俺がどうして、そんな立場に甘んじなきゃいけないんだ。


「――俺は、どうしたらいいんだよぉ……」


 縋るように伸ばした手は、イスカの体をすり抜けて、地に落ちた。

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