031 残酷な現実にブザーが響く



 病気という言葉は、一世紀前よりもずっと重い意味で使われている。

 医療用高度粒子機械が治せない病気というのは、非常に少ないからだ。


 ナノマシン同期異常病。通称ディスチューンド。


 オーガノイドの体内粒子機械は、シンセティックSマイクロMバランサーBと呼ばれる一つのシステムで同調し、異常を検出する。

 それが正常に同期せず、互いを阻害し合う病気。


 その多くは先天性で、定期的な人工調律リチューンによって発症を抑えられるが、重度の場合は突発的に症状を発するため、手遅れになりやすい。

 原因は個々人によって様々であり、そのため根本的な治療は非常に難しい。


 初期症状は、栄養失調、動悸、めまい、疲労感。

 そして、赤血球系ナノマシンの機能不全による酸素欠乏。


 現代に生まれた新たな病気。治療法不明のナノマシン病――。




「容態は安定しました」


 医者のその一言で、修二はくたりと腰が抜けた。

 どっと崩れるように背もたれに体を預けて、重い息を吐き出した。


「初期対応に恵まれたおかげです。血流の循環維持、体内への酸素の直接注入、加えて生体認証の解除とSMBの再起動で十分に持ち直しています。致命的な後遺症は残らないでしょう」

『ありがとうございます、ありがとう、ございます』

「しかし重い酸欠ですから、楽観はしないでください。暫く入院して様子を見ます」


 泣きながら頭を下げるセレネの横で、イスカは静かに立っていた。


 夏希に声をかけ、セレネからナノマシン番号を聞き出す前から、既にイスカは病院へ連絡を入れていたらしい。

 あの夕暮れ時に夏希が地図へ向けていた視線と、彼女が去っていった方向から、彼女の用事が通院であることは見抜いていたらしい。


 夏希の態度がおかしいことにも気付いていたが、軽い発作だろうと判断していたという。

 もっと即断するべきだった、とイスカは悔やんでいたけれど、修二もセレネも、よくやったとしか言えなかった。


 カーンはとっくに帰ったし、瞳は成人(※この時代、成人は十八から)として事情説明や事後処理を引き受けていて、今はいない。


「すみませんが、面会にはもう少しだけ時間を置いてください。意識が回復して検診を終え次第、お呼びします」


 アンドロイドの医者が去っていくのを何も言えずに見送って、修二は目を閉じた。


 気付かなかったし、気付こうともしなかった。

 場違いに眠そうにしたり、頭を押さえたり、苦しそうにしていたり……よく考えれば分かったはずだった。


「セレネ……」


 そう声に出してしまったけれど、修二は彼女にかける言葉など持ちあわせていなかった。

 浅薄なそういう行動が誰かを傷つけると、修二はおぼろげにでも知っていた。

 寄りかかるな。見舞いに来た友人でもない。出会ったばかりの間柄だ。親しげなツラでいてはいけない。それでは釣り合わない。


『……オートマトンがどうやって思考しているかって、考えたことある?』

「え……?」


 修二の言葉をどう受け取ったのか、セレネはぽつぽつと語りだした。

 彼女は修二の隣に音もなく腰掛けると、しおらしく肩を落とした。


『実体のある知性なら、「知性とは脳機能に付随する化学反応の産物だ」って答えられる。でも私たちはデータでしかない。サーバーにバックアップを残せてしまう、知性という名のデータの集合体』

「それは……それなら、アンドロイドだってそうだろ」


 修二は半ば現実逃避のためにそう答えた。


『いいえ。私たちはアンドロイドと違って、演算装置を持っていない。物理的な方法では私たちの知性を証明できない』

『……だから、研究者は考えた。「知性とは化学反応ではないのではないか」』


 修二の隣、立ったまま控えているイスカが、伏せた目を開かずに後を引き継いだ。


『知性とはある別次元に存在する構造体であり、そこからある種の方法で伝達される信号を受け取った結果が、神経を流れる電気信号なのではないか』


 聞いたことのある話だ。オートマトンがヒト種認定されない理由。

 知性の所在が分からないこと。


『それは理論上実証された概念。魂の観測は今だとメジャーな研究よ。皆必死になって、魂の在り処を求めている』


 セレネはそこで深く息を吐くと、膝を見つめて首を竦めた。


『夏希のディスチューンドの原因は、それなの』


 聞いてばかりだ。修二は思った。自分は聞かされることしか出来ていない。何一つ出来ていない。

 聞いて、それでおしまいだ。当たり前だと思ってしまった。口を出せる範疇にいないのだから。


『夏希はさ……無茶苦茶でしょ、ヒトとしての性能が。あれさ、別に夏希の努力だけでできてるわけじゃないのよ』


 修二も思考は支離としつつあった。

 彼の平凡な感性は既に麻痺しつつあった。


『仮に知性が一つの構造体だとしたら、それは建築物に似るだろうと言われています。増改築を繰り返し、記憶という部屋を道具・人員という演算処理が駆け巡る、巨大な構造物にして回路サーキット――「深遠なる構造体ギガストラクチャー」』


 イスカの言葉は、テレビか何かで切ったことがあった。

 なんとなく、何が言いたいのか見えてきた。


 そんな残酷な話があってたまるかと、修二は呻いた。


『夏希のそれは他の人よりずっと優れているの』


 雛森夏希の、その病の大本は――なのだ。


『人の脳で処理できるレベルを超えた知能。夏希が全力で何かに挑むには、脳一つでは足りなくて』

「粒子機械を……オーガノイドの持つ無数の粒子機械を使って、処理を行って……」

『そう。それが本来するべき活動を放棄して、粒子機械は「知能」の演算を行う』


 けれど彼女の知能は、現状を打破するために進化していく。その度に、粒子機械は一つ一つと機能を失い、知性の演算に向かい始める。

 バランサーも機能を停止して、血中粒子機械までもが演算に寄ってしまえば、夏希の体は立ち行かない。


『引っ張ったゴムが途中で切れるように――ぷつんと。その余波でゴムが飛んで行くように、夏希の体は狂うの』


 まともじゃない。かなり重度のディスチューンドだ。


『だから夏希の進化は、夏希が強い感情を覚える度に起きる。新しいことを見つける度に起こるわ』


 ――「目の前のそれを解決したい」。

 それが、夏希を狂わせる感情なのだ。


『それを欲しいと、それがしたいと願う度に、その壁が高ければ高いほど……リミッターを外すみたいに、夏希はまた進化していく』


 セレネは顔を手で覆った。


『本当は……勝負なんて以ての外。病室でじっとしてなきゃいけないの。いいえ、ずっと前はそうしていたわ……』

「じゃあ、なんで――なんで、夏希は」


 分かっていた。修二は、その答えを知っていた。


『私が、教えてしまったから』


 そう口にしたセレネの顔を、見ることが出来ない。

 覆った指の狭間に浮かぶ色を見てしまったら、耐えられない。

 おぞましい直感が、修二にある事実を示唆していた。


『病室でぽつんと、無表情に、何もせずに、じっとして動かない人形みたいな夏希を見てられなくて、私は……でも……』


 華のように笑う夏希を見てしまえば、セレネの決断を間違っているとは呼べなかった。


『……それでも、最近はね、ずっと安定してたのよ』


 じゃあなんでだ? なんで今日、なんで俺の目の前で、夏希は?

 修二は床のタイルを睨んだ。慣れない環境のせいか。街中歩きまわったせいか。ゲームではしゃぎまくったせいか。

 姉と全力でぶつかり合ったせいか?


 いや――そうじゃない。

 きっと、そうじゃないのだ。


 修二は気付いてしまった。そんなことにばかり気がつく自分が嫌になった。


 雛森夏希が見つけてしまった、『新しいこと』。


「俺の、せいなんだな」

『……やめて』


 それはまるで、包丁で肉を切った時のぐにゃりとした不快感に似ていた。

 苦しいと感じていたことすら重荷となって修二の肩を押しつぶそうとしていた。


「あいつが――俺に、何を見たのか知らないけど、そのせいなんだな」

『もうやめて、修二』


 止まらない。止まれなかった。修二はもう、自分を守る術の多くを使いきっていた。


「あいつが俺を欲しいと思ってしまったから――俺がそれを拒絶したから」

『やめて、修二、お願いだから……!』


 セレネは修二の肩を掴んだ。

 それは感触を伴わなかったけれど、実感だけはあった。


 唐突に理解した。

 セレネの目に映るものと、修二の目に映るものは、同じだった。


『……夏希が、好きでやってることよ』


 修二は何も言えなかった。

 この苦しみすら、修二個人のものではなかったのだから。

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