029 行路には深く横たわる影がある
『修二様』
イスカの体に傷はない。
修二のウェアコンを介してバックアップサーバーからシェイプデータを読み出せば、彼女たちオートマトンは瞬く間に元通りだ。
両断されたライラウスも、ひしゃげていたマルファスも、今頃ピンピンしているだろう。
「お疲れ、イスカ」
なんとかそう口に出来た事に、修二は安堵した。
あまり座り心地のよくないピットの座席に深く体を鎮めて、長く息を吐く。
出来得るならば、この薄暗い空間にずっといたかった。
『申し訳ありません。失態でした』
それは、どういう意味だろうか。
彼女の隠し玉――あの恐るべき光の槍は、彼女自身が何かを恐れるかのようにして、あまり使いたがらない。
もっと早く使っていればと言いたいのか。使ってしまったと言いたいのか。
それとも、他の何かだろうか。
「気にすんな。俺が弱かっただけだ」
それでも、結局はそこに落ち着く。
修二はやっぱり弱いのだ。イスカがいなければ勝つことも出来ない。
あんな奇策、追い詰められて退っ引きならなくなってからの捨て身の特攻が、偶然決まったからイスカがとどめを刺せた。
勝利の感覚はどこにもない。
修二は完膚なきまでに敗北していた。
のろのろとカプセルピットから這い出すと、辺り一面から大歓声が放たれていた。
修二はそれに押されてよろめいた。
アリーナは勝負の決着に沸き立ち、怒号が渦巻き、混沌とした高揚でいっぱいだった。
名勝負だ、弟の逆襲、などと騒がれているのを聞いて、修二は苦しくなった。
そんなものじゃない。あんなものでは勝利とは言えない。勝利とはもっと尊いものだ。偶然で拾った勝利は、苦いだけだ。
少し遅れて、夏希も隣のピットから出てくる。
「あ……」
夏希は修二を見るなり顔を耳まで真っ赤にして、俯いた。
ポニーテールが何度も左右に揺れている。
回線をアリーナに向けて開いていたのは姉だけで、それも登場時のみだったはずだから、夏希が何を言ったのかは皆知らないだろう。
「あ、えっと、あの、その、さっきのはね、違うの、その」
惨めだな、と修二は思った。
見すぼらしい。自分がこんなにも卑小に見えたのは初めてだった。
せめて、夏希の矜持に恥じないような戦いを。誰にも寄りかからないですむようにと。
そう思って臨んだ勝負で、結局修二はイスカに頼るしか出来なかった。
彼女を活かすのでもなく、彼女を助けるのでもなく、ただ己の従者に勝ちをもらっただけのこと。夏希が強敵を下してくれたから、あの試合は勝てたというだけ。
瞳が開幕から修二を狙っていたら? カーンとライラウスが瞳をかばいに向かったら? 自分はそのとき何が出来た?
「かっ回線、切るの忘れてて、じゃなくてその、だから、ええとね」
「夏希」
「な、なにっ、何かな」
何かを言おうとして、何も言えなかった。ただただ惨めで、そんな自分が苦しかった。許せなかった。
こんな対応、夏希だって傷つくのに。
「……いや」
まともに会話出来る状態ではないことを修二は自覚して、それでもどうにか声が震えるのを抑えた。
分かっていても、修二には耐えられなかった。
「ごめん。ちょっと、トイレ」
そう言い残して走りだした。
これ以上はダメだった。けれど逃げ出したことにさえ耐えられそうもない。
苦しい。辛い。悔しい、ただただ悔しい。
視線が修二を追いかけてきた。
こちらを見つめるシリコノイドたちの視線、無邪気な観客たちの視線、賞賛を送るファイターたちの視線、怯えたような夏希の視線。
それら全てを振り切るために、修二は走った。
「しゅうじ、くん? ま、待って修二くん」
夏希が追いかけようと一歩を踏み出したところで、それをイスカが遮った。
「イスカちゃん……」
『無作法をして申し訳ありません。ですが……どうかお時間を頂けませんか』
「そう、だよね……急すぎた、よね」
うなだれる夏希に、イスカはやはり、相貌を崩さない。
『気に病むことはありません。勝利は尊く、勝者が正しい……それだけのことです』
イスカにとってもその考えはよく馴染むもので、けれどそれは、修二にとっては劇薬だ。
発端はきっと彼女にある。けれど、夏希は何も悪くない。それは全て、修二の問題なのだから。
『貴方は強く、修二様は弱かった。それだけの……ことなのです』
それだけを言い残すと、イスカの体が紐のように解けて、光子となって飛んでいった。
光通信回線による高速移動だ。よほど急いでいるんだと夏希は思った。
唇を噛む夏希の肩を、そっとセレネが撫でた。
それは実体こそないけれど、夏希はその感触に顔を上げてセレネを見た。
『疲れたでしょ。休憩しましょ』
「……うん」
夏希は小さく頷いた。
アリーナの隅へと寄って、夏希は床を見つめていた。
「セレネ」
『なに?』
夏希はアリーナの壁に背を預けた。ひんやりとして心地いい。全身に篭った熱が、ゆっくりと吸いだされていく。
「私、ふられちゃったのかな」
『……そんな風には見えなかったけど』
夏希は胸元をぎゅっと押さえて、苦しげに息を漏らした。
もしそうだったらどうしようか。私のような馬鹿な女は嫌いだって、彼が思っていたらどうすればいいのか。
『イスカも言ってたでしょ。あんな突然不意打ちくらったら誰でもああなるって』
「……そう、だよね」
修二と夏希の間には、どうしようもない溝があった。それが何か、夏希には分からない。
けれどそれはきっと、互いを酷く苦しめるだろうと思った。
嫌だ、そんなのは嫌だ、けれど、でも、どうしたらいいのか分からない。
「どうしたんだ、夏希。そんな顔をして」
その時、夏希の前に彼女が現れた。
この前の背の高い青年型アンドロイドを連れた、波打つ肌を持つ女性シリコノイド。
「ししょー。カーンくんも」
やぁ、と片手を上げて、瞳は夏希の隣に立った。
「……どうしてここにいるんですか」
「呼び捨てでいいよ、負けてしまったしね」
頭を振る夏希に、瞳は苦笑してその頭を撫でた。夏希は俯いた。
「修二に逃げられたかい」
「……なんで、分かるんですか」
「見てたからさ」
「そっか、ずっとここにいたんですね」
「彼の修行のためにね」
カーンは頬を掻きながら、視線を逸らした。
「ほらどうしたカーン、君の大好きな巨乳美少女だぞ」
「ほんまやめて師匠、マジでそれは犯罪ですわ。それに、横恋慕はあきまへん」
「どの口が言うんだ君は。いいけれど」
瞳は夏希の頬に手を当てて、その大きな目で夏希の瞳の奥の奥を見つめた。
夏希は、されるがままで何も言えなかった。
「……修二は、君と似ている」
「え」
「修二もね、君と同じだよ。勝利を神聖視して……し過ぎている。だからいつも、挫折してきた」
敵わないなと思った。本当に、見ていればなんでもわかるんだろう。
私の悩みも、苦しみも、見透かされてしまったようだ。
「君なら、分かるはずだよ」
私なら。私が、修二くんの立場だったら――。
「苦しいな」
瞳が驚いたように手を離した。
夏希はずるずると地べたに座り込んで、両手で胸を押さえて、うずくまった。
考えるたび苦しくなって、息をしてもしても、足りなくなる。
「苦しい」
「そうだね」
「でも私、修二くんのことお荷物だなんて、思ってないよ……」
「それが慰めにならないことは、君がよく知っているはずだ」
「……どうしたら、いいかなぁ」
夏希は呻いた。
「わかんないの、苦しいよ」
『……今すぐ思いつく必要はないわよ。時間はあるわ』
「苦しいことばっかりだね、セレネ」
『そう思えるだけ、きっと昔よりマシよ』
「でも、それが嫌だから飛び出したのに」
夏希は呆然とモニターを見上げた。
色とりどりの戦場を見れば、誰が勝つかはひと目で分かる。あのビル街での戦闘は、調子に乗ってる飛行型が罠にハマって負け。海上の戦闘は順当に水陸両用のオートマトンが活躍して勝つ。
慰めにもならない。
『ほら、修二にそんな顔を見せるつもり?』
「……そう、だね」
夏希は顔をぐりぐりと捏ね回すと、笑顔を作った。
余計に苦しくなった。
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