017 ディスポーズド


 修二とイスカが装備について議論しているのを、夏希は興味津々で見つめていた。

 仕方がないこととはいえ、夏希とセレネは話に置いていかれてしまったけれど、夏希としては修二の姿を見ているだけで満足だ。修二に対して興味が尽きなかった。


 ――おかしいなぁ。あの時は、あんな目をしていたのに。


 今の修二は靴先の剥げ方から髪の毛の先の切断具合まで普通の少年で、夏希としては首を傾げるしかない。


 ――でも、やっぱりこっち側だと思うんだよね。


 その根拠を教えろと言われても、夏希は困ってしまう。自分の直感だから当たる、としか他人に説明できない。

 けれど操縦桿を握った時の修二は、夏希の目には別人のように映っていた。


 どこが、と言われても答えられない。

 どのように、と言われてもよく分からない。


 けれど、彼が普段心の奥底に潜めている何かが、ほんの少しだけ顔を見せていた気がして。


 あの時。敗北に濁った彼の目の、深い欲求。

 あの時。勝てるわけないと嘆いた彼の声――。


 デジャヴュだ。


 ――いつかの私と同じ声に、聞こえたんだけど。


『……あ、あの、どうかしたか?』

『へっ?』


 我に返った夏希を、修二が気まずそうに見返していた。

 先程からずっと修二の顔を見つめていたことに気がついて、夏希は慌てて両手を振った。


『やっぱ暇……だよな。ごめんな』

『い、いや、なんでもないなんでもない、なんでも。気にしないで! じっとしてるのも慣れてるから!』

『そ、そうか? ならいいんだけど』


 夏希はパーカーのポケットに腕を突っ込んだ。今の対応も含めて、いやに恥ずかしい。顔を見つめているのに気が付かれて慌てるだなんて、まるで恋する乙女みたいではないか。

 丈に合わない服を着せられたような恥ずかしさに、首を竦めた。


 恋なんてものができるほど、自分は上等な人間じゃあない。


 ――いや、まぁ、恋といえばそうかもしれない。


 夏希は自嘲で心を塗りつぶした。そうだ、恋焦がれている。全てを焼きつくすような戦いに。蝋の翼が溶けそうなほどに焦がれている。

 それのことしか考えられなくなるのが恋だとしたら、間違いなく私は戦いに恋している。


 馬鹿だよなぁ、と夏希は思った。女の子とは思えない。花も恥じらう乙女の年頃に、ヒトを打ち負かしてその上に立ちたいなどと考えているのが、もう救いようがなくダメだ。

 その一方で救われたいとも思わない。


 自分の色んな部分が――カラダも、ココロも――おかしいのは、昔から知っていた。

 おかしいやつなんだから、おかしなことをしているほうが、丈に合う。


 ずきりと、胸が痛んだ気がする。

 ほらやっぱり恋なんかじゃない。

 そんなに甘くて優しい気持ちではなかった。なんだかとっても、苦しくて、辛い。


『修二くん、なに悩んでるの?』

『うん……飛び道具か、機動性の強化かで迷ってな』


 日頃の宿題に呻いたり、将来のことを憂いたり。そういうのは似合わない。彼が道すがら愚痴を零したような悩みなんてものは。

 ……夏希は無性におかしくなって、くすっと笑った。


『悩むならイスカちゃんに丸投げしちゃえばいいじゃん?』

『だそうだけど、イスカ』

『忌憚なく言わせていただきますが、私は己の性能に不足を感じたことはありません』

『わお、クール』


 従者は顔色一つ変えない。


『ですので追加の装備に関しては修二様に一任させていただきます。近距離戦闘が私の得意であることは、修二様も重々承知だと信じておりますが……』

『相棒の強みを潰すほど馬鹿じゃねーよ』

『……ですから、私に不足を見出すのは修二様の役目です。私は常に私の職務に対して十全ですが、まだ私に課すべき職務があるというのならば、なんなりとお申し付けください――与えられたタスクを完全にこなすことが、私と貴方様の契約内容ですから』


 イスカはコケティッシュに小首を傾げて微笑んだ。


『雇用主の決定に、どうして否やがありましょうか?』


 修二は何か言いたげに視線を向けてすぐ戻したが、イスカにはお見通しだった。注がれる冷たい目線に修二は肩を竦めて返す。

 それは言葉で表現出来ない彼らの間柄を示しているようで、どこか夏希には眩しかった。


 うわー、と間抜けな声を上げる夏希の横で、セレネが欠伸をした。

 彼女は優雅に足を組んで、椅子にもたれかかるようなポーズをしていた。片翼六枚の鋼板はそれこそ背もたれのように折りたたまれている。


『あー、ねぇ、あんたらってどういう関係なのよ?』

『ちょっと、セレネ……!』


 ――突っ込んでいい所と悪い所があるでしょ!

 夏希は己の相棒に内心でそう言いつつも、その先を遮る事は出来なかった。


『修理と改装って言ってたわよね? つまり斡旋所で紹介されたってわけじゃないんでしょ? そこんとこ、気になるんだけどー。ねーねー教えなさいよ、私暇なのよ。ひ、ま、な、の』


 修二は鬱陶しそうにセレネを見遣った。


『ほら、教えてくれたら私も脱ぐから』

『いらねーよ。ほぼ全裸だろお前』

『今度夏希のあられもない姿を激写して送ってあげるから!』

『……なぁイスカ、これ俺どう対処したらいいんだ? 面と向かって要らないって断言するのも夏希に失礼じゃないか?』

『セレネの素っ頓狂な言動にツッコミを入れるのが最善かと思われますが』

『しゅ、修二くん……見たいの?』

『それを男の口から言わせるか……』

『それで、どうなのよそこんところ』


 ひとしきり茶番を挟んでセレネは本題に戻ってきた。

 両手を上げる修二の顔を見れば、話したくないのはよく分かる。話題を逸そうとしていたのだ。

 あまり突っ込む所ではない。――夏希はなんとなく察していた。


『どうもね。甲斐甲斐しくメイドやってる割に、イスカの態度はなんていうか、敬意が足りないっていうか……』

『あー』


 修二はぽりぽりと痒くなるはずもない頭を掻いて、言いづらそうに言葉を探した。


『……雇用主と、使用人、だよな』


 疑うような目線は、確固たる表情に阻まれた。


『うん、そうだ。俺はイスカに安全なバックアップサーバーと戦闘の機会を提供する』

『私は対価として、戦闘、諜報、給仕と身辺警護を行う』


 イスカは修二の言を継いで、溜息を吐いた。


『……雇用を受け入れたのは、ひとえに恩義のためです』


 修二はイスカを見た。イスカは修二を毅然と見返した。

 夏希はそれを羨ましいと感じた。


 きっとその過去は美しいものではなく、一方で、彼女はその傷に同情の念を求めてはいない。

 恐らくは自分と同じ、自分の中の一つの区切りとして、証として、誇っている。


『私は廃棄ディスポーズドオートマトンですから』


 やっぱり、と夏希は思った。修二が渋面を作るのが、いやに印象的だった。


『貴方もでしょう、セレネ。貴方……電子サイバー娼婦プロスティテュートですね?』

『おい、イスカ』


 修二が慌てて引き止めるけれど、彼もその様子じゃあ気付いていたのだろう。


 そうだ。セレネの扇情的なシェイプデータは、性交渉のために作られたもの。

 元は違法オートマトンで、ディスポーズドだ。


 オートマトンをペットのように扱う者は多い。まだ人権がないのをいいことに、道具のように使う者も多い。

 そういう奴らがオートマトンを無責任に放棄することがある。あるいは、オートマトンが身勝手な終了処理から逃げ出す事も。


 犠牲者ディスポーズドは多くの場合電子戦闘能力に乏しく、カウンターウィルスのような防衛プログラムも剥奪されていることが多い。バックアップを保存したサーバーも勿論ない。

 だからほとんどの場合は野生フェラルウィルスに食われて死ぬ。そうでなければ、サイバーテロリストに捕らえられて兵器になるのがオチだ。


 夏希は、あー、と呻くにも似た声を上げ、セレネのため息交じりの首肯でカミングアウトすることに決めた。

 それがさっきの修二と似たような態度で、それに気付いた二人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


 そんなわけもないのに、パーカーに突っ込んだ腕が嫌に熱い気がした。


『そうだよ。セレネは廃棄された電子娼婦。私はボロボロのセレネを偶然見つけて』


 それが始まりだった。


 そんな言葉で始めてもいいくらいに、夏希の日々はそこでくるっと切り替わった。

 輝かしく。図々しく。強かに――そんな夏希が始まった。


『いろいろ……うん、いろいろあってさ、セレネとV.E.S.S.を始めたんだ』


 それまでの世界は自分を閉じ込める塔で、そこからの自分は翼を得たのだ。

 イカロスのように空を飛んで、そしてイカロスのように落ちていく。また飛び直す。落ちる。繰り返して夏希は今日も飛んでいる。

 その隣にはいつも、傷だらけの灰色がいた。


 懐かしいな、と夏希は思う。それまでとそこからの時間の流れは明確に違った。

 セレネは体も心もズタズタに刻まれた廃棄娼婦で、夏希は体も心もからっぽの――。


『……もうやめとこ。うん。あんまり気持ちのいい話じゃないでしょ、多分……修二くんたちも』


 修二は視線を逸らすばかりだった。イスカに至っては微動だにしない。

 気まずい沈黙が降りた。当たり前だ。互いに互いの傷に手を触れて、いい気分になるわけがない。

 夏希は軽率に首を突っ込んだ己の相棒を心中で罵った。


『お話は終わったかな? こっちの用事は済ませたよ』


 その時フードの店主がひょっこり現れて、イスカの槍を掲げた。

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