015 デート
修二は頬杖をついて、ストローを咥えた。
夏希とセレネがちょっとお花を摘みに、と言って席を立ち、それから五分は経っている。
ボックス席を取ったはいいが、イスカが頑なに座ろうとせず通路に立ち続けているものだから、修二は空間もまた持て余していた。
「なぁイスカ」
『失礼を承知で申し上げますが、殿方が女性をお待ちになられている間は、笑顔で何も言わずにいられるべきかと』
機先を制され、修二は憮然と沈黙した。
『修二様に甲斐性さえ存在しないとなると、世間からの評価は……』
「……評価は、なんだよ」
イスカは緩く首を横に振った。
『いえ……私は、雇用主へ向けていい言葉と悪い言葉の区別くらいしておりますから』
「今しがたのお前の態度が既に悪いだろうが」
『女性の戯言を寛容に受け入れるのも殿方の甲斐性というものです』
「雇用主に意地の悪い揶揄を向けるのが従者の甲斐性なのか?」
『申し訳ございませんが、私にはおっしゃる意味が理解できかねます……揶揄などした覚えはありませんよ』
彼女も大概暇らしい。
イスカは――戦場で時折見せる凄絶極まりない顔を除けば――表情に乏しい。
修二が彼女を困らせる度眉は動くし、彼女の不興を買うと口元が動くが、しかし他人から見れば常に変わらず冷たい表情をしているように見える。
むしろ、表情を顔に出さないことを美徳としている節がある。修二は半年ほどの付き合いの中で、それくらいは分かるようになっていた。
その彼女も、別段笑わないというわけではない。大概こうして主をやり込めた時ばかりだが、その薄い唇がすっと横に伸びる度、未だに修二は見惚れそうになる。
花も恥じらうと夏希を形容するのなら、イスカはまるで精緻な彫刻のようだ。
「……その顔を、せめて普段から見せてくれりゃあな」
『何を仰るかと思えば』
修二の言葉に、イスカはすっと笑みを消した。
『女性を笑顔にするのが殿方の器量というものです。従者に笑みを持って迎えられるのが、主の器というものです』
「……はいはい。至らない俺が悪うござんす」
修二は視線を窓の外へ逃した。地上七階にある変哲もないレストランだが、ここからはアリーナの光景が、それどころかこの
アリーナの位置はすぐ分かる。その上空に、戦場があるからだ。
戦場のサイズは概ね五百メートル四方、高さは戦場ごとに百メートル。トライアームの戦場常備数は十二。――上空千二百メートル前後までアリーナは伸びている。塔のように。
戦場の底面、階下の戦場にとっての天井には、天候が映し出されている。
修二はウェアコンに触れて、望遠鏡ソフトを立ち上げる。虫眼鏡のように望遠フィルタと青い粒子放射を遮るフィルタをアリーナにかぶせ、仔細になった戦場の光景をぼーっと見つめた。
フィールドは渓谷。どうにも谷の底で戦っているらしく、修二の位置からでは状況は伺えない。
地上七階の位置から見れるのは一番下の戦場のみだ。修二は諦めてフィルタを取り払った。
遠くに見えるのは
元々陸地だった部分を旧大黒埠頭まで拡張して作られたファースト。海上居住都市としてデザインされたセカンド。
そしてサードはV.E.S.S.を中心とした電子競技用都市。ナノマシン研究の最先端。
アクアポリスである以上超高層建築物は存在しない。必然、この街で最も目立つのはアリーナの光だ。修二は慣れてしまったけれど、四方にアリーナが見える街というのは珍しいらしい。
ぼーっとそれを眺めながら、それにしても、と修二は思う。あれほど強い少女なら、このV.E.S.S.全盛のサードだ、噂にならないはずがない。
下世話だが、夏希は超がつく美少女でスタイルもいい。可愛くて強い巨乳のファイター、目立たないわけがなかった。
ヒト型は美人で、シリコノイドとしても魅力に溢れた、鷲崎瞳という前例を知っているからこその意見だ。他意はない。
一ファイターとして修二は噂話にはそれなりのアンテナを張っているし、世界中に耳と目があるとしか思えない姉もいる。
その上でぽっと出ということは、最近どこかから入居してきたのだろうか。だとしたら案内くらいしてあげた方がいいだろうか……。
この街にせっかく来たのなら、V.E.S.S.以外のEスポーツも色々やるべきだろう。サードのサイバーアンダータウンなんかも名所といえば名所だ。
逆に景色がいい場所なんてそう多くない。港からセカンド~ファーストあたりの夜景を眺めるくらいか?
そこまで考えて、待てよ、と修二は気がついた。
どうして自分は、その可愛く強い女の子とこんなところで呑気に食事をしようとしているんだ。
あまつさえ街を練り歩こうとというのは、つまりそれは。
「なぁ、イスカ」
『どうかなさいましたか』
「これ、この状況って、もしかして……デートなんじゃないのか……?」
返答は溜息だった。
今更かとばかりの呆れた顔に、修二はようやく己の置かれた状況を察して、慌てた。
慌てすぎて、体を動かす余裕もなかった。
「ま、待てよ。待て。別に変な格好してきてないよな……?」
季節は晩春。臙脂色の薄手のカーディガンに青いシャツとベージュのスラックス、靴はお気に入りの黒いハイカットスニーカー、といった出で立ちだった。
アクセサリーは修二の趣味ではないので、右腕に巻いたメタリックのバングル型ウェアコンのみ。髪は最近整えたばかりのいわゆるショートアシメ。至って普通のはずだと修二は思っている。
『えぇ、まぁ……別段咎められるような姿ではございませんよ』
イスカはやや語尾を濁しつつも肯定した。
「だよな」
『ただし、男女の逢瀬という点を鑑みるならば……』
「え」
瞳を閉じるイスカの様子は、これ以上は答えぬとばかりの拒絶を示している。
修二がこれでもかと狼狽えている所に、お待たせ、と声がかかった。
「うぇっ?」
「どうしたの、修二くん」
小首を傾げる夏希の姿を、修二は上から下まで見回してしまった。
艷やかな黒い髪。ぷらんと空中を揺れる、綺麗に整ったポニーテール。肩口にかかる程度のもみあげ。
オーソドックスなシアンのパーカーの裏に、ささやかに柄のついた白いタンクトップ。豊かな胸元で跳ねる、ルビーにも似たペンダント型のウェアコン。青いデニムのホットパンツ。
眩しい太ももがちらりと覗いて、真っ白なサイハイソックスがそのほとんどを隠し、ごてごてしたグレーのショートエンジニアブーツが足先を包んでいる。手首の先にはミサンガが一つ。
ラフだ。ラフだが、夏希の個性にぴたりとはまっている。活動的で男性的だけれど、どこかフェミニンな様子。
なるべく意識して見ないように、という修二の努力は無に帰した。
「あんまり見つめられると、あーその……ちょっと恥ずかしい、かな」
はにかみながらポニーテールを指先でくしけずる夏希の仕草は、修二の理性を吹き飛ばしかねない威力があった。
「え、あぁいやそのあの、ごめん」
照れて席につく夏希から、修二は慌てて視線を投げ飛ばした。
横目でぴたりとキャッチしたのは、純然たるメイド姿のイスカだった。こちらは修二のプライドを傷つけかねないナイフのごとき鋭さだった。
『どこにでもいる少年Aといった風情で、私はとても身の丈にあっておりますよ』
「うるせぇ。少し黙れ……」
視線の行き場をなくして腕枕に顔を埋める修二を、けらけらと半裸の天使が笑った。
『雑踏に紛れたらそのまま埋没しそうよね、あんた』
『しそう、ではなく、していますね。今もまだ』
『あっはっはっはっ!』
腹を抱えて笑い転げるセレネは、イスカと違って宙に浮いている。
より厳密な物理法則が適用される戦闘中と違い、平時のオートマトンは実感を伴う虚像でしかない。
物理的な整合性とは関係なく、彼らの常態は彼らの好みに依拠する。
「セレネ、はしたないよ」
『あら、ごめんあそばせ』
セレネは際どいポーズでシナを作っているが、夏希は取り合わないしいい加減修二もあまり心惹かれなくなった。痴女はノーカン。先程そう告げた時のセレネの顔を思い出して少し笑い、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。
「さてとー。何食べよっかな」
「とりあえずドリンクバー頼んどいたけど」
「あ、修二くん気が利くねー」
夏希は胸元のウェアコンをトンと叩いて、メニューを机に広げてみせた。
修二はまた落ち着きをなくした。
「ほら、何がいい?」
「あー、えっと」
「安牌はパスタかなぁ?」
「あ、ああ……」
夏希が身を乗り出す。タンクトップが微妙に隙間を作ったのに気付いてしまった。修二の目は釘付けになる。
ささいな動きで柔らかに揺れ動くそれに修二は抗えない。先刻カーンがぶっちゃけた通り、修二はまぁ、胸の大きい女性が好きだ。特筆することではない。
今まで見ないようにしてきたというのに、意識してしまえば総崩れだ。
修二は理性の必死の抵抗が脆くも崩れ去ろうとしているのを必死に繋ぎ止めようとした。
『夏希、はしたないわよ』
「えっ、あっ……!?」
薄っぺらい胸の布地を摘むセレネを見て、夏希は自分の体勢に気がついた。
ぱっと飛び上がって胸元を隠す、その仕草にすら色気を感じる。
我に返って、修二はまた慌てて顔を背けた。
「あ、あのその、お、お見苦しいところをお見せしまして……」
「い、いや、そんな謙遜しなくても……見苦しくなんか全然……」
(いやいやいや何言ってるんだ俺?)
修二がふと視線を右に向けると、イスカは氷点下何度といった目つきで彼を見ていた。
つい勢いで視線が下に降りた。
――ついにイスカの気配が凍り始めた。
『修二様』
指向性音声で、修二の耳元へと音源を移し、イスカは淡々と告げた。
『私は、これほど……肉の体を持っていないことを、恨めしく思ったことはありません』
格納領域に手を突っ込んでのその言葉は、紛れも無く殺意であった。修二は心臓どころか五臓六腑を掴まれた思いだった。
ピンと伸びた背筋を見て、セレネはゲラゲラ笑っている。
顔を青くした修二と、顔を赤くした夏希が、向き直った。
「……え、えっと」
「いや、あの」
「わ、私……これにするね」
「お、おう……」
なんだこれ。
セレネの冷やかしとイスカの冷たい目線に晒されながら、修二は呻いた。
デートというより針のむしろだった。
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