第52話 048 強禦

「ある程度は健闘はするだろう、と思ってたけどさ……まさか倒されるとはねぇ」


 感心と呆れが半々、といった感じの声が不意に背後から響く。

 振り返ると、きらびやかな象嵌ぞうがん細工を施された煙管きせるを手にしたフランが、戦闘で半壊した建物の屋根に腰を下ろして、複雑な色の煙を吐いていた。

 ヴィーヴルを失った彼女としては、怒気に満ちているのが当然であろう状況なのに、その表情は不思議と和やかだ。


「今回が初検訝のコンビに負けるんじゃ、いくら欠陥品だとしてもあんまりだね」

「欠陥品……あれが?」

「そうさ。足回りのヤワさにも参ったけど、それ以上に意志の伝達が難しくてねぇ。単純な命令は理解するんだけど、力の加減すら出来やしない」


 やはり、ヴィーヴルはフランのレゾナだったのか。

 にしても、あんなに苦戦させられた相手が欠陥品なら、問題なく成功したアートはどんな怪物なんだ。

 フランの話を聞きながら、知らず知らず掌に汗が滲んでくる。


『耳を貸すな。こいつはやばい』


 フランに対する警戒心を剥き出しにしながら、俺の前にファズが立つ。

 いつも冷静なファズから、焦りや不安に彩られた心象が止め処なく流れ込んできた。

 対するフランは緩々と煙を吐きながら、どこか愉しげな風にこちらを見下ろしている。

 だが、そんな中にも誤魔化しきれない殺気が視線に混入しているのが分かる。

 どうやら俺とファズは、この悪名持ちに『敵』として認識されたらしい。


「わざわざ戻ったのは、俺達を始末するのが目的か」

「それも考えてたんだけどねぇ、ちょっと気が変わったよ。この先どうなるのか、しばらくは見物させてもらうさ」

「……どういう意味だ、それは」

「と、その前にやることやっとかないと、ね」


 フランはそう言って立ち上がると、腰に下げていた丸い小壺を手にし、ヴィーヴルの死骸に向けて放り投げた。

 陶製とうせいらしいその壺は、硬い鱗に衝突すると同時に乾いた音を立てて砕け、中からキラキラとした粉末が舞い散って辺りに拡がる。


『毒かも。下がって』


 素早く後退したファズに注意を促され、俺もヴィーヴルから距離をとる。

 俺達が五ケン(十メートル)ほど離れたところで、フランが煙管を引っ繰り返して火種を落とす。

 濛々もうもうと舞う何かの中へと赤い点が吸い込まれた直後、ペポンッ、と気の抜ける破裂音が鳴り響き、強い光が一瞬だけ周囲を照らした。


 反射的に目を閉じて、目の前を手で覆いつつ薄目を開けて見ると、ヴィーヴルの死骸が急速に変形を遂げていた。

 燃えて灰になるのでも高熱で融けるのでもなく、骨も肉も風化して空気中の塵になるような、そんな変化が起きている。

 目の前の光景が理解できず、目を擦りながら隣を窺ってみると、ファズが険しい表情で事態を見守っていた。

 

 一体何をしたんだ、フランは。

『わからない。でも、竜のニセモノを作るような連中だ』

 何をやってもおかしくない、か。

『そう。多分、思ってたより危ない』


 頭に流れ込むファズの言葉は淡々としているが、それに反して緊張感の高まりが伝わってくる。

 体積の半ば近くを消失させているヴィーヴルを横目に、俺は手持ちの武装を再確認しておく。

 唐突な奇観を生じさせた元凶であるフランは、軽く伸びをしてから体重を感じさせない動作でもって、一ジョウ(三メートル)ほどの高さの屋根から飛び降りた。

 そして音もなく着地すると、俺の方へと歩み寄ってくる。


「今のは、どういう……」

「証拠隠滅さね。調べても大したことは分からないだろうけど、万に一つってのはいくらでもあるからねぇ」


 どんな原理でヴィーヴルの巨体が消えようとしているのか。

 バラ撒いた粉の正体は何なのか。

 そもそもあんたらは、どういう目的で動いているのか。

 訊きたいことは色々とあるが、どれも真面目に答えてもらえそうにない。


「そう怖い顔しなさんな。あたしは敵じゃない……味方でもないけどね」


 苦笑気味に言うフランの視線を追った先では、ファズが物騒極まりない眼光でもって受け止めていた。

 俺としてもフランの言葉を疑っているが、ファズは欠片も信じていないようだ。

 高まる剣呑けんのんな空気に、どうしたものかと思考を巡らせていると、そこにファズの言葉が流れ込んでくる。


『こいつは、ここで殺しておいた方がいい』

 いや、殺すって言っても簡単にどうにかなる相手じゃないだろ。

『それでも、放って置くのはまずい』

 待てよファズ、さっきの怪我と疲労がまだ――


 こちらの制止を無視し、ファズは湿った髪の中に紛れ込んだ砂礫を払いながら、何気ない様子でフランに近付いていく。

 対するフランも特に警戒するでもなく、見世物の観客みたいな態度でもって、ファズの動きを追っている。

 どうするつもりか確かめようとした瞬間、ファズの姿がブレた。

 地面を蹴る音と金属が衝突する音は捉えたが、それ以外をまともに認識できない。


「いいよ、うん。度胸も筋力も申し分ないし、何より迷いがない」


 フランは、さっきまでいた場所から四ケン(八メートル)ほど離れた場所で、ファズが突き出した金属杖をサーベルの刃先で受け止めていた。

 状況から推理するに、ファズが繰り出した猛スピードの突進を、同等の速さで後退することで相殺し、突きの威力を減じさせてからサーベルを抜いた、ということだろうか。

 鬼人のファズが人間離れしているのは分かるが、それに平然と対抗できるフランはどうなっているのだろう。


 再び距離をとったファズは、僅かに腰を落として杖を握り直す。

 その表情はいつもとあまり変わらないが、伝わって来る心情には言語化に至らない混乱が混ざり込んでいた。

 ファズとしても、フランの規格外の能力に戸惑っているのか。

 しかし、ほんの数秒でそんな精神状態から脱したらしく、ファズの眼光には再び鋭さが戻る。


「次は全力で行く、って面構えだねぇ……あんたにとってあたしは、命を賭して戦うべき相手なのかい? 鬼娘ちゃん」


 正体不明のこの女が普通じゃない、というのは俺にも分かる。

 だがフランの言う通り、今この場で無理に対決しなければならない相手なのか。

 そう心中で訊いてみても、返事はない。

 フランの問いと俺の困惑に対するファズからの答えは、杖の一撃が風を切る音だった。

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