第40話 037 慨歎

 激発寸前の私を嘲笑うように、鼻歌混じりのローランは手にしたフレイルをクルクルと振り回す。

 低くいなないている吶喊豬つらぬきじしを牽制しながら、ディスターはローランの方を見て静かに問う。


「親衛軍に先がないことくらい、貴方にも分かっているでしょう。こんな状況では、いつアーグラシアに革命が起きるとも知れません」

「かもね。まとめて吊られる前にトンズラするつもりだけど……」

「けど?」

「自分達を怜悧で、無謬で、英邁で、聡明で、何よりも高貴で神聖だと信じて疑わない、あの支離滅裂な馬鹿共が破滅する末路を……至近距離で見物してみたくてねぇ」


 ローランの薄ら笑いは消え失せ、どんよりとした光を湛えている眼が、私とディスターを捉える。

 その瞳の奥を覗いた瞬間、私の抱えている憤怒とは似て非なる、暗く冷たい感情に触れた気がした。


「ドン詰まったトラブルを誤魔化す目的で、別のトラブ――」


 こちらに近付きながらローランが語っている途中、吶喊豬つらぬきじしが勢い良く大地を蹴った。

 そして、名前の通りの長い角を揺らし、ディスターへと突撃する。

 ディスターも突きの構えで迎え撃つが、直線的な動きしかしないはずの相手が繰り出す、軽快に跳び回っての立体的な攻撃に翻弄されているようだ。


「――ルを起こすとか、まるでクソガキでしょ。なぁ?」


 ローランの問い掛けは、思いがけず近い場所から発せられた。

 同時に、三個の鉄塊が空中に黒い半円を描く。

 顔面を破砕すべく放たれた一撃は、咄嗟に身を沈めることで無効にする。

 体勢を崩しながらも脛を斬り払おうと左手で長剣を振るが、動きを読まれたのか後方に跳び退って軽々とかわされた。


 素早く距離をとったローランは、攻撃を回避されたことが納得できないのか、小さく首を傾げている。

 態度こそふざけているが、親衛軍に雇われるだけのことはあって、相応の実力を備えているようだ。

 速さもあれば度胸もあって、一撃必殺の攻撃力もある。

 レゾナの方も、以前に見た同種とは比べ物にならない機敏な動きをしている。

 ――しかし。


『脅威とはなり得ないレベル、ですな』


 猛進してくる灰色の大型獣、その背を踏み台にして跳んで攻撃を避け、危なげない着地を披露したディスターから、そんな思念が届く。

 ローランには、手練れと評せる能力は十分にあるだろう。

 レゾナである吶喊豬つらぬきじしも、侮り難い戦闘力を有してはいる。

 だが、ただそれだけでしかない。

 その程度では、一端いっぱしの悪党を気取っての世渡りは困難だし、何より――私達には勝てない。


「……この三ヶ月で、何人殺した」

「さぁ? こっちは命令通りに働いてただけなんで、数えてないし興味もないし知ったこっちゃない」


 攻撃再開に向けて間合いを計りつつ、ローランは朗らかな調子で私からの質問に答えてきた。

 柄を握る手に力が入りすぎるのを意識しつつ、問いを重ねる。


「ここの住人も、貴様が皆殺しにしたのか」

「いいや、襲ったのは親衛軍の連中。払暁奇襲の訓練、とかそんな理由でな。俺は単なる後片付けのお掃除兄さんだってのよ。ああ、そういや村の生き残りが十人ばかり、コルブズに連れてかれたみたいだが」


 不吉な予感しかしない――急げばまだ救い出せるだろうか。

 とりあえず、この場は手早く片付けるとしよう。


「一応、訊いておくが……投降する気は?」


 ローランが大声を上げて笑い、そのレゾナは体重を感じさせない軌道で跳ぶ。

 ディスターが吶喊豬つらぬきじしの対応に向かったのを確認した私は、長剣の柄を左手、柄頭を右手という形に持ち替え、刺突の体勢でローランに疾駆する。

 反応が数テンポ遅れたローランは、厭らしい笑顔を驚愕に引き攣らせながら、こちらの胴を狙ってフレイルで薙ぎ払う。


 だが、そこに私はもういない。

 走りながら長剣を投げ捨て、ローランの注意をそちらに逸らす。

 土埃を巻き上げてスライディングで滑り、頭上で空を切る鉄球群を見送りながら、ベルトに下げた厚い革ケースから奇妙な形の武器を取り出す。

 かつて微細裂みじんぎりの異名で呼ばれた求綻者、バーブの遺品となった曲刃の手斧――その抜き打ちが、志を失った求綻者の膝を斬り砕いた。


「ごぁ! ぅあくっあ――」

「プギュルルブェエエエッ!」


 ローランの悲鳴は、耳障りな絶叫に掻き消される。

 見れば、ディスターが吶喊豬つらぬきじしの横腹に、ハルバードを深々と突き立てていた。

 灰色の強い短毛に覆われた巨体は地面へと縫い付けられ、口と鼻からは粘度の高い赤色が止め処なく流れている。


 意識を手放しかけて苦しげに喘ぐイノシシに似た新生物ヴィズは、転げ回るローランを濁りかけた瞳で見据えている。

 やがて短い痙攣の後、荒々しく吐き出されていた呼気が止まる。

 求綻者が一度レゾナを失うと、再び共鳴を起こすことはない。

 この瞬間、ローランは名実共に求綻者の資格を失った。


「片付きましたな」

「ん……」


 紅く湿った手斧の刃に視線を落としながら、ディスターに答える。

 生返事になってしまったのは、斧の持ち主であったバーブとの戦闘の中、レゾナを一度失ったのにあの閑寂猴しじまざると再び共鳴を起こした、と取れる発言があったのを思い出したからだ。

 あれは一体、どういうことだったのだろう――


「ふぅぐっ! うぅううぅ」


 ローランが苦痛に悶絶する喚き声で、無理矢理に回想から引き離される。

 いつの間にか隣に立っていたディスターが、いつも通りのテンションで訊いてくる。


「さて、どうしますか姫様」

「そうだな……」


 村の入口付近には、ローランのものらしい馬が繋いであった。

 致命傷ではないから、放って置けばそれで逃げるだろう。

 だが、逃がしてやる義理も理由もない。


「……親衛軍の連中に陰謀が露見したと知らせる、生き証人として連れて行こう」

「では、そのように」


 ディスターは馬の鞍を捨てると、雑な止血処理と応急手当を施したローランを腹這いに括り付け、手足もきつく拘束する。


「コルブズに急ぐぞ。まだ、間に合うかも知れん」


 襲われたのは夜明けだし、もう手遅れかも知れない――そんな予感を捻じ伏せながら、希望的観測を口にしておいた。

 ディスターはこちらの真意を読み取って、既に来た道を駆け戻っている。

 私は気を失っているローランの手前に跨ると、手綱を取って馬を出発させた。


「なぁ……なぁ、あんた」


 街道に戻り、走るディスターを追う形で馬を走らせていると、背後から声がする。

 どうやら、ローランが意識を回復したようだ。

 面倒なので答えずにいたが、ローランは構わずに話を続ける。


「さっき姫って呼ばれてたが、もしかしてあんたは、レウスティの第二王女か」

「……そうだ」

「求綻者がレゾナも連れずに従者だけ、ってのは妙だと思ったが……そうか、あれが竜なのか」


 振り返ると、ローランは苦痛に顔を顰めながら、馬の前方を駆けるディスターを見つめている。


「王家の姫君として生まれ、道楽で求綻者になって、地上最強の生物をレゾナにする、か……何ともまぁ不公平だな、今の世の中って奴ぁ」

「人の世が公平だった時期など、世界の始まりから一瞬たりともない」


 即答に驚いたのか、息を呑んだ気配が伝わってくる。

 だが、それに舌打ちと失笑が続き、ローランは滔々と話を続ける。


「クッ、流石に下々の苦労を知らぬお姫様だ、何ともまぁ――」

「黙れ」


 聞き飽きた類の雑言が続きそうな気配があったので、顔面に裏拳を叩き込んで静かにさせた。

 自分が普通でないのも、世の中の不公平さも、困窮する人々の存在も知っている。

 知っているが、だからどうしろというのか。

 とりあえず今は、不平不満を溜め込んだ馬鹿の恨み節を拝聴している暇はない。

 視界の隅に、コルブズ砦らしい建物の一部が映った。

 目的地はもう近い。

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