第17話 016 畜舎

 数時間後、私達は静かに小屋を後にし、そのまま村から抜け出した。

 すっかり夜も更け、緩やかな風に木の葉がなびく音と遠くからの鳥の声が、単調に続く足音にアクセントを加えている。


 仮眠をとったものの、何だか昼間より疲れている気がしなくもない。

 一応は屋根の下で寝ていたから、これは緊張のせいだろう。

 鈍い痛みを訴えてくる首筋を軽く叩きながら歩いていると、前を行くディスターが不意に立ち止まった。


「……どうしたのだ」

「道が二手に分かれています」


 ハルバードに提げたランプが持ち上げられると、左右に延びる道が浮かんだ。

 両方は似たり寄ったりの荒れ方で、光量が乏しくて先は見えない。


「どちらが正解だと思う?」

「詳細は分かりかねますが、左手の奥から何らかの気配が伝わってきます」

「気配、か……」


 そちらを注視しても、灯明が届かぬ先には重たい闇が満ちているだけだった。

 ここは、竜の感覚に頼ろうか――そう思った直後、ディスターは左へと進む。

 しかし、意志の疎通がスムーズなのはいいが、ここまで素っ気ないのもどうなのだ。

 前から燻っていた疑問を思い浮かべるが、ディスターからは何も返ってこない。

 そのまま無言で歩を進めると、甲高い鳴き声が微かに耳に届いた。


「当たりを引いたようだ」

「しかし、正体が知れないままなので、警戒を怠りませんよう」


 罠や奇襲に注意を払いつつ、音のした方へと近付いていく。

 すると徐々にではあるが、獣の臭気が鼻につくようになる。


「ん……畜舎の臭いだな、これは」

「はい。雑多な種類を飼っている様子ですが、さっきの声は恐らくシカでしょう」


 騒音や臭いを避けるため、畜舎を居住区から離して作るのは珍しくない。

 しかし、三十分以上も歩かねばならない場所に作るのは不自然だろう。

 それに夕方に話を聞いた時は『シカもイノシシもおらん』との発言もあった。


「わざわざ森の奥に牧場を作る、その意味は何だと思う」

「存在を隠したいのではないでしょうか」


 誰から、というのを考えてみると、第一候補としてあの村の住人が思い浮かぶ。

 何故に隠さねばならないのか、そこを推理してみると別の疑惑へと繋がった。


「……件の怪物、あれのエサか!」

「その可能性は少なくないでしょう」


 つい大きめの声を出してしまったが、ディスターはそれを冷静に肯定する。

 仮定が正しいとすれば、この近くにいるはずだ。

 近隣で『コロナの怪物』と呼ばれて恐れられている大型生物が。

 戦闘を前にしての高揚と、未知の敵を迎える動揺とが心の中で溶け合って、程好い興奮状態へと私を導いてゆく。


 近くで見る畜舎は明らかに安普請だったが、それでも村の小屋よりは頑丈そうだ。

 背後からランプで照らして貰いつつ、換気用の窓から中を覗く。

 ディスターの言った通り、様々な動物の姿が確認できた。

 ウサギ、シカ、イノシシ、タヌキ――それと、子馬くらいの大きさの毛むくじゃらな生き物もいるのだが、あれは何だろう。


「草食性と雑食性の動物だけのようです。奥にいるのは【九鼎羚たからじか】と呼ばれるヴィズで、最近では野生種は殆ど見かけません」

「たからじか? 聞き覚えがないな」

「毛は織物に、肉は食用に、骨は装飾品の素材になる、という理由で乱獲されたのです。繁殖力も弱く、現在では金持ちが道楽で育てている程度です」


 もしかすると、食材としては対面していたかも知れないな。

 埒もないことを思いながら、窓から少し離れる。


「と、なると……殺された伯爵の所で飼われていたのか、あれは」

「断定は出来ませんが、襲撃を受けた中で九鼎羚がいた確率が最も高いのは、ナイフェン伯の屋敷だと思われます」


 やはり『コロナの怪物』へと迫りつつある。


「よし、では――」

『静かに』


 ディスターからの思念が届き、慌てて口を噤む。

 ランプの火を消したディスターは、手近な薮に身を潜める。

 私もそれに合わせ、畜舎の外壁に積まれた藁束の陰で姿勢を低くした。

 動悸も呼吸も落ち着いているが、気持ちは逸っているので数を数える。

 耳を澄まして異変を察知しようと試みたが、壁の裏側にいるらしいイノシシの鼻息が邪魔で何も聞こえないので、ここはディスターに任せるとしよう。


『来ます』


 カウントが八十を超えた辺りで、その警告が脳裡に小さく響いた。

 適当なメロディの口笛と、あまり体重を感じさせない足音。

 ほろ酔い加減で歩く小柄な老人、というイメージが浮かぶ。


『問題ないようです。出ましょう』


 危険は少ないと判断したのか、ディスターは老人の前に歩み出す。

 私も体中にまとわりつく藁屑を払いながら、その隣へと早足で移動した。


「なっ、何だおめぇら……んぁ、村の連中が言ってた求綻者か」

「そうだ。ちなみに、そちらがここで何をしているかも、町で何をしてきたかも大体の所は把握している。無意味な嘘や無駄な抵抗は、なるべく遠慮して頂きたい」

「へっ、仰々しい姉ちゃんだな」


 七十を幾つか出た年齢と見える痩せぎすの男は、唸るように言ってこちらを睨む。

 おんぼろのランプに照らされた相貌は、凶悪と呼ぶべき禍々しさを湛えている。


「黙って『コロナの怪物』の居場所を教えれば、貴方やこの村の人々が襲撃に関与していた事実は、報告から省いておくぞ」

「お優しいこって……ありがたくって涙が出るねぇ」

「色々と言いたい事はあるだろうがな、人死にが出ている以上は無視も出来ない」

「散々ワシらの存在を無視してきて、伯爵様が死んだら犬っころが即参上かいな。イヤんなっちまうな……まぁ、世の中そんなんだって、分かっちゃあいるけどよ」


 ここで痰を切り、改めてこちらに向き直った老人は、何故か表情が和らいでいた。

 言いたい事を言って少し気が晴れたのか――いや、どことなく不吉な予感が。


『確かに、この態度は不審です』


 ディスターからも、余裕のあり過ぎる相手への警戒感が表明される。

 身柄を拘束すべきか、と動きかけたタイミングで、節をつけた口笛が鋭く鳴った。


「ゴァアアアアアアアアッ」


 直後、体の芯まで震わせてくるような雄叫びが響く。

 老人は畜舎の中へと駆け込み、ディスターがそれを追う。

 私は怪物との対面に備え、背負った長剣を抜き放った。

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