第18話 017 出現

 弱い月明かりだけの暗がりの中、畜舎の入口を注視するが動きはない。

 建物内からは、興奮した動物達が発する高い鳴き声が聞こえる。


「グブゥオア、ブォオオオオオオァッ」


 再び内臓まで響くような咆哮が轟き、両開きの扉が壊れんばかりの勢いで内から開く。

 咄嗟に身構えるが、転がり出てきたのはディスターだ。


「どうしたっ!」

『地下から何かが』


 素早く体勢を立て直しながら、ディスターは無言で答える。


「何かって……何だこれは!」


 巨大な塊が、壊れかけたドアを壊しながら畜舎から這い出す。

 移動に合わせて、耳障りな金属音が撒き散らされた。

 ゆっくりと立ち上がった何かを見上げる――

 私の身長の倍近い大きさがありそうな、その巨体が放つ威圧感は尋常ではない。


「グブォアアアアアアッ」


 ヒグマに似ているが、あれはこんなに大きかったか――

 というか、全身を覆っている金属板のようなものは何なのだ。


「ようなもの、ではなく金属板でしょう。大型のヒグマに鎧を着せているだけで、新生物ヴィズでも不明新生物アンでもありません」


 思わず怯んでしまったが、ディスターの声で我に返る。

 どれだけ大きかろうが、相手の正体が分かってしまえばどうという事もない。

 自分に言い聞かせながら剣を握り直すと、先程とは異なる節で口笛が鳴った。

 いや、口笛にしては音が明瞭過ぎないか。


『口内に発音器を仕込んで、その音により行動を操っている模様です』


 自分の方へ倒れ込んで加速をつけ、猛然と右腕を振り下ろしてくるヒグマの攻撃をかわしている最中だというのに、ディスターは音の正体を分析して伝えてくる。

 なるほど、あの老人は猛獣使いなのか。

 若い頃に学んだものか、ここに来てから修練を積んだのか。

 どちらかは分からないが、中々に侮れない技量だ。


「しかし、曲芸の域を出ない」


 小さく呟いて、私は長剣を握り直す。

 短く吼えながら、ヒグマは左右の腕を振り回してディスターに迫っている。

 暗さに目が慣れたのか、危なげなく攻撃をかわしている様子が良く見えた。

 一つ、大きく息を吸う。

 そして、呼吸を止めて小走りでヒグマの背後まで近付くと、左脇腹に空いた鎧の大きな隙間に斬撃を叩き込んだ。


「ングフォオオオオオオッ!」


 地鳴りに似た叫声が、私が荒く息を吐いた音を掻き消す。

 痛みで身を捩ったヒグマの、ガラ空きに晒された喉元を狙い、ディスターはハルバードの切先を突き出す。


「ブゴッ――」


 絶叫が聞こえるかと思ったが、刺突の直後に刃を捻って声帯を破壊したようだ。

 頭部の落ちかけたヒグマは、即死状態でその場に突っ伏した。

 一コク(五百キロ)を超えていそうな巨体は、地面に生臭い水溜まりを広げる。

 そんな様子を見遣りながら、ディスターが口を開いた。


「これが畜舎の床から出てきた時は、【甲冑羆よろいぐま】かと思いました」

「ん? 鎧のクマだったではないか」

「いえ、そう呼ばれる不明新生物アンがいるのです。クマに似ているのですがヒグマより遥かに大きく、全身が光沢ある金属に覆われている、との記録しかない生物が」

「ああ……そんなのに遭ったら、まず間違いなく全力で逃げるだろうな」


 だから、正体不明なのも無理はない。

 姿を何種類か想像してみたが、どれが出てきても一対一だと勝てる気がしない。


「では、主犯の事情聴取に向かうとしましょう」


 ヒグマが絶命しているのを確かめたディスターは、若干の気怠さを滲ませながらそんな科白を吐き、無造作に畜舎へと足を踏み入れる。

 続いて中に入ると、各種動物が肉塊となって転がる赤色過多の光景が、低い梁に吊るされたランプの明かりに照らし出されていた。


 ディスターとヒグマの、加減を知らない戦闘に巻き込まれた結果だろうか。

 かなりの惨状ではあるが、もう慣れてしまって何の感慨も湧かない。

 ヒグマを操っていた老人は、返り血で斑に赤くなりながら小刻みに震え、焦点の合わない目をディスターに向けている。


「気が済みましたか」

「……う? あ、あぁ、済んだな……済んだ。もう終りだ」

「何故こんな真似を」

「なーんも残っちゃいねえがな、昔に覚えた曲芸師の技ならある。だから、ワシも同じようにできるんじゃねぇかと……」


 そこまで言うと、老人はその場にへたり込む。

 緊張の糸が切れたのか――もしかすると、体力が尽きただけかも知れない。

 それにしても、微妙に話が噛み合っていない気がするが、この違和感は何だろう。

 元はウサギだったと思しき、壁にこびりついた紅い塊を眺めて考えていると、ディスターが声を掛けてくる。


「どういう形で解訝かいげんを報告しますか」

「そうだな……」


 ありのままに書いてしまうと、熊使いの老人が処刑されるのは避けられない。

 下手をすれば連帯責任で、隠れ里が住民ごと消滅させられるかも知れない。

 かと言って、ヒグマが屋外に放された家畜を無視し、屋内にいる人間を繰り返し襲った理由をどう捏造したらいいのだろう。


「クマは人間を捕食対象にしていませんが、何かの拍子で一度襲うと餌と認識する場合があるそうですので、その辺りを拡大解釈するというのは」

「それは少しばかり苦しくないか」

「では『コロナの怪物』は甲冑羆よろいぐまだった、という方向で報告をまとめて、証拠として鎧の一部を持ち帰るのはいかがでしょう」


 ディスターの大胆な提案に、魅力を感じつつも問い返す。


「……誤魔化し通せるか?」

「実在も怪しまれる生き物です。疑われても何とかなるでしょう」

「では、それで試してみるか」


 畜舎を出たディスターは、早速ヒグマの装着していた鎧を壊し始めたようだ。

 騒々しい音に反応して生き残りの獣が喚き散らし、疲れた体に余計な倦怠感を追加してくる。

 命が助かっても、結局は食われるのだから同じこと――息苦しさが消えてくれないのは、逃げ場のない動物達の姿が澱んだ目をした村人達と重なったから、だろうか。


 項垂れたままの老人を残し、私もその場を後にする。

 本当ならば、怪物の正体についてノーラと話をしておくべきなのだろう。

 しかし、この森にまつわる忌まわしい諸々から離れたい気分の方が強い。

 なので挨拶はせず、そのままコロナまで戻ろうと決めた。

 天を仰いで大きく息を吐いていると、作業を終えたらしいディスターがやってくるのに気付いた。

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