二章(ライザ 鐘後215年11月)

第12話 011 王女

 いつの間にか、空が随分と高い。

 遠くから降ってくる音に反応し、そちらに視線を巡らせる。

 雲のない青色の中に、いくつかの黒い影がゆっくりと飛んで行くのが見えた。

 目を凝らすと、独特のシルエットが確認できた――螺旋鴉ねじがらす

 らせん状に捻れた嘴を持ち、翼を広げると普通のカラスより五倍近く大きい。


「山火事かな」


 この新生物ヴィズには謎が多いが、火と煙を好む習性は知られていた。

 普段の生息地は分からないのに、大火事が発生するとどこからともなく現れる。

 市街地の火災にも反応して姿を見せ、群れを成して飛び回ることもある。

 火事場の上空を旋廻しながら、感情を逆撫でする金属的な鳴き声を喚くせいで、被災者が逆上して螺旋鴉ねじがらすを射落とそうとするケースも時々あるらしい。


「煙は見えませんが」


 独り言のつもりだったが、背後から返答があった。

 振り返れば、五シャク五スン(百六十五センチ)の私より、頭一つ分ほど背が高い若い男が空を見上げている。


「……目的地は、この辺りだったな?」

「正確な場所は不明ですが、おおよそ間違いないかと」


 口調は丁寧だが、そこに私への敬意は込められていない。

 別に、慇懃無礼というのでもない。

 だが、王族である私に対する物言いとしては、重要な何かが欠けているのは確かだ。

 それでも、男の態度は不快ではない。

 無駄に機嫌を取られたりするよりは、適度な距離を置かれた方が疲れなくていい。


「しかし、コロナ東方の森と言われても、どこも森ばかりではないか」

「簡単に特定できるのならば、げんに認定される事もなかったでしょう」


 正論ではあるが身も蓋もない言葉に、苦味の強い溜息が漏れる。

 この掴みどころに乏しい男との旅を始めて、もう半年近くが過ぎた。

 それだけの時間を共にしているのに、まだまだ分からない事ばかりだ。

 男の長めの黒髪は、旅の疲れを感じさせない艶やかさを保ち、整った精悍な顔には黒い瞳が光っている。

 材質不明のスケイルメイルを身に着け、ハルバードという長柄の武器を手にしている。

 年の頃は二十代の前半から三十手前、といった辺りだが実年齢は分からない。


「次は、向こうの森を探すとしよう」

「随分と広そうですが?」

「面倒になったらお前が焼き払ってくれ、ディスター」

「仰せのままに、姫様」


 人の悪い笑顔で平然と返してくる、この優男には冗談ではなくそれが可能だ。

 私と行動を共にしている、彼――ディスターは人間ではない。

 求綻者として旅を続けるのを義務付けられた、レウスティ連合王国の第二王女たる私、ライザことエリザベート・ド・レウスティのレゾナだ。


 そして、私が共鳴を起こしたのは――竜だった。


 数ヶ月前、求綻者養成所センターの訓練課程を終了した私は、その祝賀会を開催するという叔父――父であるレウスティ国王フィリップ・ド・レウスティ四世の弟で、バレガタン公王のシャルル・ド・レウスティ二世に招かれ、公王の別荘があるルグダンの街に向かった。

 公王が個人的に開くパーティということで、王族からの出席者は私と異母妹の第三王女ヴァレリーのみ、参加者も親族や旧知の貴族が主な気楽な宴席だ。


 普通こういった催しには、何かしらの政治的な意図が絡む。

 しかし公王は、私が無事に求綻者の資格を得たことを単純に喜んでくれていた。

 諸般の事情に翻弄されて現状を受け入れるしかない、そんな立場の自分としては素直に喜べない部分も多かったのだが、叔父の優しさはささくれ立った心に沁みた。

 

 ルグダンでの滞在を終えた私は、少数の護衛だけを連れてジューラ山へと登ってみた。

 ジューラ山があるのは、バレガタンと聖ソニア教団領を隔てている山岳地帯だ。

 レウスティ領内で最も峻険なこの山には、かつて竜が棲んでいたとの伝説がある。

 それを信じたわけではないが、何となくこの場所で誰かとの出会いが待っていそうな、漠然とした予感があったのは確かだ。

 そして、その予感は的中する。

 

 山の中腹での休憩中、護衛の兵たちが付近の安全確認に出払った僅かな時間。

 道端の岩に腰を下ろして道端の花を眺めていた私の隣に、見知らぬ背の高い男がいつの間にか佇んでいた。

 気付いた瞬間は、驚きよりも戸惑いが圧勝して声も出なかった。

 明らかな不審者との遭遇だし、私は剣を抜くか大声を出すべきだったのだろう。

 だが、そのどちらも選べなかった――隣にこの男がいる状況が、とても自然なものに感じられたから。


「……貴方は、何」

「誰、と訊かないのですね」

「だって、人ではないのでしょう?」


 私の問いに、男はいかにも楽しげに笑った。

 そして改めて向き直り、彫像めいた真顔を向けてこう告げる。


「我が名はディスター、世界の始まりと共に在るもの」


 初対面でのその名乗りは、聞く者に失笑をもたらすであろう大仰さだった。

 それを私が笑えなかったのは、ディスターの言葉が真実だと直観で分かったからだ。

 彼の言う『世界の始まりと共に在るもの』とは、竜を表現する古い言葉。

 つまり、こちらに柔和な表情を向けているのは、伝説上の生物で――私のレゾナ。

 通常ではありえない認識が、微塵の違和感もなく心身に浸透していった。


 後日、養成所で共に学んだ少年――リム・ローゼンストックに共鳴の瞬間について訊かれたが、この感覚を説明するのは本当に難しかった。

 考えあぐねて「とにかく一緒にいなければ、としか思えなかった」と答えたが、これは共鳴が起きたと理解した後の心境であって、その瞬間の感情ではない。

 ともあれディスターは私のレゾナとなり、一悶着では済まない紆余曲折を経たものの、求綻者に任命されて旅立つこととなった。


 通常、王族や貴族出身の求綻者が検訝の旅に出る時は、大々的なお祭り騒ぎになるのが慣例だ。

 なのに私が旅立つ時には、教官とリムの他には数人しか顔を見せない、何とも寂しい見送りだった。

 きっと、竜をレゾナにしたという前例のない事態が、各方面に警戒心を抱かせた結果なのだろう――そう自分を納得させてはいるが、今に至るも正解は教えてもらえていない。

 異例と特例尽くしではあったが、とにかく私は求綻者となった。


 検訝けんげんの旅の中で見る世界は、誰かの話や書物の中にあった、私の知っているものとは異なっていた。

 かの綻びが影響してのことなのかどうか、それは分からない。

 旅の中でいくつかの解訝かいげんを達成したものの、私の心に居座る『ある疑念』は消えてくれなかった。


 この世界は、やはり壊れかけているらしい――

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