055-4
「んーー、やっぱし異世界もいいけど日本の空気が一番じゃのう」
りおなは、いつもの『猫公園』でレトロバスを降りて大きく伸びをする。
異世界Rudiblium Capsaのほんのり暖かい空気ではなく、5月の夜にふさわしい少しひんやりした風が吹き抜ける。
「わあ、ここが人間世界ですか」
「Boisterous,V、Cと違って静かですね」
双子がバスの窓を開け思い思いに感想を言う。
――この子らにしてみっと、こっちの日本が異世界になるんかーー。どんな気分なんじゃろ。
「まあ、ここいらは住宅街……人が住んでるおうちが多いとこじゃから。それにもう夜じゃし」
言いながらりおなは、自分の携帯電話で今の日時を確認する。
――あーー、表示されてんのは
りおなはトランスフォンも取り出し日にちのずれを確認する。
「ありゃーー、結局異世界でで過ごしたんは合計で六泊七日か。
マンガとかで主人公が『何年か戦ってた気分だぜ』とかゆってたのあったけど、そんな気分じゃな」
「りおなさん、家まで送りますよ」
チーフの提案にりおなは手をひらひらと振る。
「んや、明日あさって連休じゃけ歩いて帰るわ。なんかあったらメール入れて」
「そうだ、今夜はエムクマとはりこグマと一緒に過ごしてください。ふたりにとっては人間世界はまだ慣れない土地なので」
バスの乗降口からクマふたりが降りてきた。
りおなは、はりこグマを抱き抱えてエムクマと手をつなぐ。
「クマたちは人が近づくと自然に動きを止めますが、もし目立つようならふたりに認識阻害を使ってください」
「わかった、んじゃお疲れさま」
りおなは去っていくバスに手を振った。クマたちもそれに
「今9時15分か、ほんとに出がけの時間と変わらんのう。まっすぐ帰るのもつまらんさけ、公園でちょっと休むか」
りおなは指定席のベンチに腰かけ、チョコレートの箱を広げた。
紙箱の中できれいに並んだチョコレートを見せると、エムクマとはりこグマはぽふぽふと拍手をする。
りおなはひとつ口の中に放り込んだ。甘さを抑えた
「んーー、おいしい。自分が創ったぬいぐるみがこしらえたチョコなんて、味わえんのりおなくらいじゃな」
――――にゃーーーー
かすかに鳴き声が聞こえる。辺りを見回すと茂みの中に白いものが紛れていた。りおなは思わず、口の中でチ チ チ と
にゃーー。
鳴き声の主は、りおなが牛乳を与えていた白い母猫だった。
りおなに近づくとひたい、わき腹、しっぽと柔らかい毛並みをりおなのふくらはぎにすり寄せる。
おかあさんねこだ。
ほんとだ、はちのすワッフルをあげよう。
エムクマとはりこグマがベンチから降りて、白猫の背中やあごの下をなぜる。
よほどうれしいのか白猫はゴロゴロとのどを鳴らし、クマたちに頭をすり寄せる。
「おお、もふもふ×もふもふじゃ。これが見たかったんじゃよ」
りおなは携帯電話を起動させ、クマたちと猫がじゃれ合う様子を何枚もカメラに収めた。
「動画じゃと生きてんのバレるけど写真なら大丈夫じゃ。夜なんが残念じゃのう。今度日中撮って待ち受けにしよう」
りおなはねこ×くま写真を熱心に撮影していた。
不意に話し声が聞こえたので身体をすくめる。公園の中に大学生くらいの若いカップルが入ってきた。
――なんじゃ人が楽しんでんのに。若者はさっさとうちに帰れ。
りおなは自分のことを棚にあげつつ、トランスフォンの認識阻害を起動させる。
姿そのものを消せるわけではないが、気配を消して周囲に気付かれにくくする異世界由来の
「しばらく『しーー』ね」
りおなはクマふたりを抱き上げ息をひそめる。だがカップルはブランコに座り話し込みだした。
「しょうがないにゃあ、どっか行くまで待ってよ」
りおなは両脇にクマを抱いて身体を丸める。エムクマとはりこグマの身体はぬくぬくと暖かく、りおなは大きくあくびをした。
――――な。
――――……んわ。
「……ん、なに?」
りおな、でんわなってるよ。
その声で反射的に飛び起きた。あわてながらも手探りであたりを探す。
りおなは携帯電話の画面を開いた。メールが二件入っている。
確認すると一件はママから。
『りおな宛てに電話がかかってきたのに呼んでもいないから、メールしました。
誰にも何も言わないで外出しないで、早く帰って来なさい!』というお叱りの内容。
もう一件はよく知っている相手からだ。その人物と内容にりおなは思わず身震いする。
と、身体が冷えているのに気づいた。公園にはカップルはおろか白猫もいなくなっている。
「またしても、やってもうた……異世界でも日本でも寝落ちする宿命なんかのう、おーさぶ。
しかし、このメール、なんでこのタイミングなん? 心が休まるヒマがないにゃあ」
りおなはクマふたりを抱えて立ち上がる。
「あ~あ、外に出たのママにばれちゃった。しょうがない、素直に怒られるか」
――はるか遠く、地球でない異世界で『悪意』に満ちた怪人フィギュアとか巨大ロボット、挙句に超巨大ぬいぐるみに憑依合体して三つ首のドラゴンを倒しました――――なんてどこをどう説明してもママは『なるほどわかったわ』とは言わんじゃろ。
おとなしく叱られた方がまだなんぼか気が楽だ。
「叱ってくれるっていうのは愛されてるってことじゃからね」
「あれ、りおな?」
りおなは再び身体をすくませる。名前を呼ばれたことよりも、独り言を聞かれたかもしれないというので顔が火照ってきた。
「あれ? りおな、なんでこんなとこにいるんだ?」
暗がりからひょろりと背の高い人影が現れる。
「なんじゃ、
「だから大門じゃねえって言ってるだろ。
だいたいお前が呼ぶから、みんな真似するんじゃねえか」
「じゃったっけ? まああんま気にするとストレス溜まるけ」
「ったく、んでなんで夜中に公園でクマのぬいぐるみ抱いてんだ?」
「これはじゃね、りおなが創ったぬいぐるみ。名前はエムクマ、そんでこっちがはりこグマ。かわいいじゃろ?
それよりあんたこそなんでこんなとこおるんじゃ?
……あーー、そっか。お礼のチョコバー渡すん忘れてたわ、特別にいいのあげる」
りおなは紙の箱のチョコレートをつまんだ。
「はい、あーーーーん」
りおなは相手の口にチョコレートをを入れた。彼は黙ってチョコレートをほおばる。
長身の少年はチョコレートを飲み込んだあと、何かを言いたそうにしていたが、言いよどんていた。
だが、意を決したようにりおなに話す。
「俺はお前を探してたんだ」
「へ?」
「ケータイに電話したけど出ないから家に電話したんだ。そしたら家にいないって。だから家の近所を探して。
よくここで猫に牛乳あげてたろ? この公園にいるかもって」
「…………」
りおなはエムクマの腕を前につきだし、自分の指の代わりに頬をかかせる。
「りおな、もしよかったらだけど、俺と……」
言いかけた少年の顔にエムクマが急接近する。不意にりおなからクマを突き出された少年は少しのけぞった。
「大門、あんた来週時間ある? 一日りおなとつきあってほしいんじゃけど」
「来週?」
「いやなんか?」
「いっ……いや、いいけどさ。でもなんで急に?」
「んーー、ここ何日かでいろいろあったけん、こう『うみにいきたいなーー、つれてって』という心境じゃけん。
そんかし、条件一つ。移動中このクマたち連れてくけどいい?」
「あ、ああ。それくらいなら」
「……んじゃあ」
りおなはエムクマを自分のおなかを押さえるように下ろす。そのあと目を閉じてあごを上げる。寝顔のような表情が街灯で柔らかく照らされた。
少年は急に両手の汗をジーンズの腿の部分で何度もぬぐうと、りおなに五歩ほど近づいた。
そのままこわごわ両手をりおなの肩に置こうとするが――――
「エムクマ頭突き、どーーん」
鼻先にクマの頭をぶつけられた少年は、よろけて二歩ほど下がった。
「いきなしキスはよくないにゃあ。おしおきじゃ。
『私の宝具を見せてやろう』」
りおなはそう言うと、エムクマの両手を上にあげた。そのままクマの足を両手で支え、自分の頭の上に立たせる。
状況が見えずにぽかんとする少年をよそに、りおなは目を閉じてなにかぶつぶつとつぶやきだす。
「――――『輝ける
…………えーーと、つぎなんじゃったっけ……以下省略!
其は――――
❝
りおなはぴょこぴょこと少年に近づき、ゆっくりとエムクマを振り下ろす。
大門はそのまま動かない、つもりだったが、
「うわっ!!」
と叫んでスゥェーバックした。
「びっくりした、今そのぬいぐるみ殴ってきたぞ!?」
りおなは、エムクマが自分で動いたことをごまかしもしないで胸を張る。
「ふはははははは、わが手よりなるクマは、わが手足も同然。
もふもふとの絆こそ 我が至宝! 我が王道!」
「おまえ、宝具とか言って設定むちゃくちゃだぞ。ったく」
「まあそれはいいや、りおなおうち帰るけ送ってって」
りおなはエムクマを少年に預けた。そのままベンチのチョコレートを片付け、はりこグマを抱える。
「このクマ、けっこう重いな、なにでできてんだ?」
「普通に布と綿じゃけど?
あとは……夢と希望じゃな。あんまし悪口とか言うと、噛まれるけ気をつけたほうがいいっちゃ」
「えっ!?」
「じょーだんじゃ、でもあったかいじゃろ」
「まあな」
りおなと少年は並んで家路に向かう。
――またすぐに向かうことにはなるけんど、異世界からは無事に帰れたけ、そのことだけでもみんなに感謝しよう。
その充実感がりおなを満たす。
空には月が現れ二つの影が長く車道に伸びていた。
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