054-2

 りおなは反射的に息を呑んだ。

 辺りの喧騒が不意に静まり返ったように感じる。安野あんのはりおなの目を見つめたまま説明を続けた。


「『悪意』を注入してしまうとタブレットハートから綿パンヤに悪意がにじみ出てしまうので、身体そのものに負担がかかってしまいます。

 ですから、すぐに新しい身体に換装する必要がありますけどね。

 私たちはその一連の流れを儀式イニシエーションと呼んでいます。


 グランスタフを生み出すきっかけは、察しのとおりです。

 Rudibliumの人口減少に歯止めをかけるために一部のスタフ族が考え抜いて編み出した技法です。

 ただ、それは禁忌を犯すことと同義でした」


 りおなは生唾を飲み込もうとしたが、口の中が干上がっているのに気づく。それでも一字一句聞き漏らすまいとしていた。


「人間にあってスタフ族にないもの、それは高い知能そのものじゃなく『悪意』だ。

 そう気づいた私たちの数代前の世代が、この世界をあちこち探索して創った種族、それが『グランスタフ』の正体。


 でもそれは不幸の連鎖の始まりでした。

 各地から比較的賢いスタフ族を集めて、ほぼなし崩しにグランスタフに転生させて、本社勤務に。

 本社近辺は一応の繁栄は見せたけど人口減少は歯止めが利かない。そのうちに有志がこの世界の成り立ちや深奥を研究し始めました。

 ――――ああ、何か飲み物でも持ってきますか?」


 りおなは大きく息を吐く。すっかりのどが渇いていた。




 安野が持ってきてくれたジンジャーエールを飲み一息つく。


「まずは本社近辺のダンジョン探索、そして北の大陸への遠征調査、『落胆する者達スタグネイト』たちの構造解析。

 そして見つけたのが、『光の奔流』の存在と『縫神の縫い針』です」


「『光の奔流』って?」


「これです」

 りおなはスマートフォンを受け取る。画面は動画を再生していた。


「うわ、まぶしっ」


 りおなはフード越しに見る動画に目を細める。キジトラ猫の糸目を模した細いスリットからも動画はまぶしく感じた。


 詳しい場所こそ分からなかったが、深い洞穴の縦穴に光の粒が規則正しく渦を成していた。

 光の粒は時計回り、右上に螺旋を描き洞穴の上にゆっくりと昇っていく。 


 ――これってまるで――――


「ソーイングレイピアで、『心の光』をぬいぐるみに吹き込むのに似ていますよね。あれは『縫神の縫い針』の力の流れを模したものです」


 りおなはスマートフォンを安野に返す。

「結局のところ、『縫神の縫い針』ってなんなのさ?」


「全容はまだわかりません。ただ一つ言えるのは『心の光』の指向の制御装置。

 他にもあるでしょうが、私たちはそう判断しています」


「でも、あんたがたグランスタフでもそれは扱えんかった」


「はい、手に取ったものは徐々にですがその力に呑まれました。具体的には扱った分の『心の光』を消費し疲弊して衰弱していくようです。

 我こそは、と何人も試したのですが、結果は――――」


 りおなは息を吐いてフェンスに手をかけ夜景を眺めた。

 街はお祭りムードだが、そんなさなかにも警官やガードマンが安全誘導したり作業員が瓦礫を撤去している。ビルの陰にはりおなが生命を吹き込んだキュクロプスがいた。

 ――よかった、一時はどうなるかと思ったけんど、作業員として受け入れられてる。


「そーいや、チーフと芹沢……課長じゃけど。

 仲悪いん? 特に芹沢はライバルみたいにしてるみたいじゃけど」


 その質問に安野は苦笑する。

「それは……どう言ったらいいのかしら、芹沢課長が一方的にライバル視してるって言えばいいんですかね。

 富樫君、入社したての頃はダメ社員でしたから」


「えっ!?」


 りおなは驚く。


 ――チーフは最初っから『チーフ』だとずっと思ってたけど。


「私も周りから聞いただけだから詳しくは知らないですけど、直属の上司で竹内っていうグランスタフの先輩がいて、そのひとに叱られてからは凄かったですね。

 同期の中でも一番早く班長になったから。

 それでも、降格して今の主任チーフになったんですけどね」


「なんで? ヘマしたから?」


「いえ、変身アイテム『トランスフォン』やヴァイスフィギュア開発の時に芹沢君が重大なミスをして、それを富樫君がかばった形です。

 詳しいことは二人とも話したがらないので聞いてませんが」


「ああーー、なんとなくわかるわ。それで、セリザワはプライド高いからチーフをライバル視しとるんかーー」


「そんなところです。

 さあ、そろそろお開きにしましょうか、会場の客もだいぶ減りましたしね」


 りおなは会場を見回す。料理はほぼ食べつくされていた。

 残った料理も住人たちがタッパーに詰めて持ち帰ったり、従業員ではないぬいぐるみたちもテーブルや椅子、食器を片付けだしている。

 陽子は陽子で先ほど肩を揉んでもらっていたクマのぬいぐるみに、ブランケットにくるまれた状態で横抱きにされていた。

 座っていた席を見ると、空の中ジョッキやグラスがいくつも並べられていた。


 ――昨日もそうじゃったけど酒癖悪いにゃあ、誰に似たんじゃろ。


「りおなが真剣な話しとんのに、何飲んだくれとんのじゃ」


 りおなは非難するように陽子の赤らんだ頬をつつくと、陽子はくすぐったそうに顔を揺らす。その寝顔は年上ながら可愛らしく見えた。


 りおな、もうねむい。


 りおな、いっしょにねよう。


 気付くと、りおなが初めて創ったぬいぐるみ、エムクマとはりこグマが近くに来ていた。ふたりとも目をこしこしとこすっている。


「今日一日大変じゃったのう。

 ふわぁ、うん、一緒に寝よう」




   ◆




「では、ソーイングフェンサーりおなさん。

 人間界に一度帰っていただいた後、Rudibliumで最初に行っていただくのは『縫神の縫い針』を『光の奔流』へ戻し、浄化する。これをお願いしたい」


 そのセリフを聞いた直後、りおなは口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

 が、かろうじてこらえ、喉を鳴らし飲み込んだ。

 そのあと台詞の主、芹沢をにらみつける。


「そんな話昨日しとらんかったじゃろ。わざわざコーヒー飲んでるタイミングで話しやがって」




 その日の朝、りおなはホテルの寝室でクマたちと一緒に朝食をとっていた。

 クマたちはどこでどう覚えたのか、エムクマは『りおな』、はりこグマは『だいすき』とひらがなでオムライスの上にケチャップで書いてりおなに見せてくれた。


 ――ところどころ鏡文字になっとるけど、まあよく書けてるわ。りおなも字覚えたての頃はよく逆に書いてたらしいし。


 りおなはお返しにケチャップでハートマークをいくつも卵に描いた。クマたちに見せた後一緒に食べだす。

 昨日の戦いが嘘のような気分で朝食を終えてくつろいでいた。


 そこに芹沢と五十嵐、それにビール樽のような小太りと鉛筆のように痩せて背が高いグランスタフが二人ほど尋ねてきた。

 五十嵐はともかく芹沢が来た段階で嫌な予感しかしなかったが、依頼はりおなの予想の斜め上を行っていた。



「……あんた方では対応……できんのか……」

 言いながらりおなは自分で納得する。


「はい、前社長が使った影響でしょう。『悪意』で真っ黒く染まってしまいました。

 我々では長時間持つこともできません」


 言いながら芹沢は細長い金属製のケースを取り出す。中には麻の布で厳重に巻かれた『縫神の縫い針』が入っている。

 りおなが巻かれていた布をほどくと内側の布は煤かタールを塗りつけたように黒ずんでいた。


「ソーイングレイピアで浄化できるかのう」


 りおなはトランスフォンを取り出し変身、レイピアを出現させる。

 そのまま『心の光』を縫い針に注入した。

 太さ1cm、長さ1,5mほどの巨大な針は一時輝きを取り戻すが間もなくその色合いは色を失う。

 ものの数分もしないうちに針の色がくすんできた。床には真っ黒い球体『ダークマター』がいくつも転がる


「我々が管理していてはものの数日もしないうちに『悪意』をまき散らすでしょう。

 ですから縫い針を『光の奔流』に返す時までりおなさん、あなたに預かっていただきたい」


 小太りのグランスタフがうやうやしくりおなに頭を下げる。


「自己紹介が遅れました。伊澤の代わりに社長に着任することになった細野です」


「同じく副社長の太田です、今後ともよろしく」


 こちらは背が高くせた方だ。りおなは『名は体を表してないじゃろ』と心の中でツッコんだ。


「ども」


 りおなも席を立ち一礼する。つられてクマたちも椅子から降りお辞儀をした。

 当たり障りのないやり取りをした後、社長と副社長は退室する。五十嵐が厚手の布を『縫神の縫い針』に再度巻き直した。りおなはケースごと縫い針を受け取る。


「なんか、思ってたのとは違うのう。りおなはてっきり社長とかがおらんくなったら、あんたが社長になると思っちょった」


 芹沢は首を左右に振る。


「いや、Rudibliumは本社も含めて今が踏ん張りどころだ。こんな時に現場を離れるわけにはいかない。なにより漁夫の利は嫌いだしな」


 それにこれは独り言だが、と芹沢は付け加える。


「『不慮の事故』でなぜか・・・社長と大叢部長が揃って退陣したんだ。

 今までアイディアは書き貯めてたが、それを発言することすら許されなかった。

 それが今では大手を振って企画や計画を進行できる、こんな楽しいことがほかにあるか?」


「一応は喪中だ、あまりはしゃぎすぎるなよ」


 五十嵐が釘を刺す。


「あれから二人の亡骸なきがらは遺族に引き取ってもらった。こちらからは社葬にすると申し出たんだが奥さんには断られた。

 葬儀は親族だけで行うらしい」


「そっか」


「それよりも、だ。いったんは人間界へ帰るんだろう? ぬいぐるみ創りも含めて、Rudibliumに関わることはできる限り本人に無理がないようにお願いしたい」


「んーー、お気遣い感謝する。んでも、帰る前にやることあるけ」


「なんだ? 『開拓村』の様子でも見るのか?」


「うん、それも見たいんじゃけど……

 ほんとは……デート」




   ◆




「デートって……じゃあRudibliumここに残ってチーフさんと結婚して、ぬいぐるみたちといつまでも仲良く楽しく過ごすんだ……

 披露宴には呼んでね。そんでブーケは私に向かって投げて」


 この発言は陽子だ。


「デート、ですか。お相手は誰かは詮索しませんが……まあ当てがないわけでもないです、やはり映画か遊園地ですかね。

 動物園は……Rudibliumで独自進化した動植物を飼育観察している施設が小規模ながらあります。

 そのうちどれかをお選びください」


 と、こちらはチーフ。二人の反応を聞かされたりおなは、渋い顔のまま黙って聞いていた。

 それからはりこグマを片手で抱き、エムクマと手をつなぐと無言で部屋を出る。そこを陽子が引き留めた。


「もーー、冗談じゃない、ツッコんでよーー」


「昨日の今日でツッコめるか! どーでもいいようなボケしやがって!

 チーフもチーフじゃ、いいかげんに慣れい!」


「では、どこへ行くんでしょうか。今夜には日本の新浜にいはま市に戻らないと」


「うん、今後のこともあるけ、会っておきたいひとがおって。

 言ってみりゃあんたの先輩? 師匠? なんじゃろ……恩師、じゃな」




   ◆




 その建物はRudiblium本社から西に150Kmほど離れた小さな集落にあった。戸数は10ほど、こじんまりして落ち着いた印象を受ける。

 のどかな田園が広がり樹高の低い木が行儀よく整列している。手入れの行き届いた畑が20aほど広がっていた。

 りおなはチーフの運転で会うべき人物の住むところまで来た。

 メンバーはエムクマとはりこグマ、それに『面白そうだから』とついてきた陽子にタイヨウフェネックのソル。



 石造りの家の陰から、松葉杖をついたグランスタフが顔を出した。



「……竹内さん……!」

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