046-2

「おじーちゃん、わたしたちがきのうのばん、かちょうさんといっしょにつくってれいとうしておいたサンドイッチです。食べてください」


 青いミニの助手席に座ったこのはが、運転中の部長にラップにくるまれたサンドイッチを差し出す。

 部長は両手でハンドルを握ったまま、このはの方に顔を向けサンドイッチをくわえた。

 ――車道に車が全く無えな。この状態で、ヴァイスを多数所持している大叢に追跡されてる。

 本来なら、この状況で味を楽しむ余裕なんざ全く無いんだろうが。

 ついこないだまではいはいしてた孫ふたりが、弁当まで作ってくれてる。ここはなんとしても気張らねえとな。

 ローストビーフに塗られたマヨネーズの辛さで、部長の思考回路はクリアになった。


「うん、少し辛くておいしいな。これは何を入れたんだい?」

 孫ふたりに余計な不安感を与えないよう大声で尋ねた。


「はい、かちょうさんから『ぶちょうはからいのがすきだから』ってきいてたのでマヨネーズにワサビをたしました」


「ほかにもあまからくてこいあじがすきだってききました。おいしいですか」


 孫の問いかけに部長は無言でうなずく。

 ――ほんの何日か会わないだけで成長してるのがはっきりわかる、じいちゃんとしては嬉しい限りだぜ。

 孫たちの様子に目頭が熱くなる思いだったが、部長はすぐに思考回路を切り替える。


「本来ならお前たちふたりだけでも、安全な所へ避難させたいんだがな」


「いえだいじょうぶです、わたしたちもおじーちゃんといっしょにこうどうします」


「わたしたちは、いまはやくいどうするしゅだんがないですから、べつこうどうはきけんです。いっしょにこうどうしましょう」


「ああ、そうだな」

 部長はルームミラーやドアミラーに視線を移す。遠くからエンジン音が聞こえてくるが車自体はまだ見当たらない。


 ――自分が大叢おおむらならどうする?

 俺なら本社周辺の監視カメラの映像を管理、把握できるならある程度当たりをつけてカメラ映像を自分に送る。

 いや、実際に本社にオペレーターを一人貼り付ければ済む話だ。


 部長は幹線道路を離れ、関連企業でも下請けのさらに下、孫請け会社が乱立する地区へ車を走らせた。


 ――監視カメラが申し訳程度にしか設置されてねえあの地区は、格好の隠れ家だ。


 ミニで逃走開始して、大叢からのアナウンスを聞いて15分ほど過ぎたころ、部長は車を降りて少し離れた。

 風下に移動して煙草に火を点ける。


 ――娘からは『ぬいぐるみらしくない』とかよく小言を言われるんだがな。一度身体に染みついた癖はどうにも治らねえ。

 それでも孫も大きくなってきた、嫌われねえうちに煙草やめるか。


 くわえ煙草で辺りを見回す。


 ――本社勤務の頃よく訪ねてたな。関連企業っていうより町工場に近い建物ばっかりだ。知らんうちに無意識にここに来てたな。

 本社ビルが好き勝手に振る舞ってたせいで、本社近辺から離れたやつ、倒産に追い込まれたやつ、たくさんいたな。

 仕事終わりの飲み屋仲間が離れてくのは、自分が切られるのと同じくらいつらい思い出だ――


「おじーちゃん、これをみてください!」


 後部座席にいるもみじの声で我に返る。

「感傷に浸るのは後回しだ」

 部長は吸殻を携帯灰皿にねじ込む。


「これです、このるでぃぶりうむにすごいりょうの『あくい』があつまっています」


「『あくい』はほんしゃもすごいですが、こっちにむかってくるのもあります!」


 部長は双子が操作するタブレット端末を見る。


 ――確かに画面上で、黒い霧みてえに明滅してる表示は『悪意』だ。俺自身が測定用のアプリを作ったんだ、間違えるはずがねえ。


 問題は場所だな。人間の棲む世界ならともかくなんだってこのRudiblium本社周辺に『悪意』が集まるんだ?

 訳が解らねえがここにいてたら孫だけじゃねえ、この周囲に被害が及ぶ。


 部長はすぐに車を出した。

 ほどなく背中に重圧を感じる。探知機能を使うまでもない、これは自分たちに向けられた『悪意』だと。


「おじーちゃん、これをみて!」


「『あくい』の中になにかいます!」部長はこのはが差し出したタブレット端末を見て、悪意に満たされたRudiblium以上に驚愕する事実を突きつけられる。

 黒く染まった画面上には移動する黄色い点が4つあった。



   ◆



「おっし、着たくはないけんど、着るかーーーー」


 雑居ビルを出たあと、りおなは路地を出てトランスフォンを耳に当て変身の文言を唱える。

「シーフ・イシュー・イクイップ、ドレスアップ!」


 瞬時にりおなの身体が閃光に包まれ、青いツナギ姿から黄緑色のバンダナと腰布、白の襟が大きく丈が短いブラウスに、裾部分を詰めた黒のアーミーパンツ、足元をブーツで固めている軽装に切り替わった。

 りおなは肌に外気が振れる感触を味わう。


「んーー、この世界に来て久々に服らしい服着たわーー。

 このまま着ぐるみばっかじゃと、いつ閉所恐怖症になるんじゃろうとか思ってたわ」

 言いながら屈伸運動を始める。


「そのイシューは普段もそうですが、特殊能力として機動力に特化しています。りおなさん、目に意識を集中してください」


 言われるままに目を開くと初期装備ファーストイシューのゴーグルや経営者インプロイヤー装備イシューで標準装備されている黒縁メガネと同じように、ゲームのステータス画面のような表示が空中に浮かび上がる。

 驚いてまばたきすると、いつの間にかコンタクトレンズを着けていた。


「その表示は、りおなさんの網膜ではっきり視認できるようコンタクトレンズで微調整していて、脳波や視点誘導などで操作できます。

 車道へ出てから【エアダッシュ】を選択して下さい。前方のみですが短距離を脚力を使わず移動できます」

 言われるまま【エアダッシュ】を選択すると、りおなの身体が背中から弾き飛ばされるように前に出た。


「ぅわっぷ!」

 急に胸をそらす体勢で5mほど跳躍したりおなは、それでも普通に着地する。


「これがエアダッシュです。再発動リロードタイムがあるので連続使用はできませんが、それでも緊急回避などに役立ちますね」


 少し離れた所でチーフの解説を聞きながら、りおなは背中をさする。何か一気に凄い風を受けたようだが後ろを見ると何もない。


「……なんか、シミュレーションで慣れてはいたけど、ゲームとかの技を現実に使うもんじゃないにゃー。すっげー違和感あるし。

 この技、壁際とかで使うとどーなると?」


「自動車のオートブレーキのように自然に止まります。ただ壁に対して近距離だと身体が揺さぶられるかもしれません。

 ……りおなさん」


 チーフが天を仰ぐのにつられて、りおなも空を見上げる。

 バンダナのネコ耳を模した結び目が振動し、頬がざらつく何かで無遠慮に撫でられる感覚を覚える。

 ――今じゃと生身でも感じるわ。慣れたくもないこの感じは、『悪意』じゃな。


 背後の本社ビルの方向でひときわ大きく感じるのは伊澤のもの、そして――


「今移動してるのはオームラ、じゃね。しかも怒り狂ってるのんまで解るわ」


「りおなちゃん、もう一つ悪いしらせよ」

 課長が小走りに近づきタブレット端末をりおなに見せる。

 地図上に黒い霧のように表示される『悪意』の中に固まって移動する黄色い点が四つあった。りおなはバンダナの上から頭をかく。


「なんていうか、いい事はそうでもないけど悪いことって立て続けに起こるにゃーー。

 これって『種』じゃろ。あの『ハイイロアタマ』が気がでっかくなったんはこのせいか?

 チーフ、黄色って『注意』でまだぬいぐるみには寄生しとらん状態じゃろ」


「ええ、ですがいつヴァイスに変貌するかは分かりません、りおなさん」


「ん、行って来る」

 説明を聞く間も惜しみ、りおなは駆け出す。

 イシュー・イクイップの効果が発揮されているため、ほんの小走りのつもりでも周囲を流れる風景が速い。

 りおなは試しに幅跳びの要領でジャンプした。確かにファーストイシューやバーサーカーより高度こそないが距離は遥かに遠く跳べる。


 りおなは試しに着地間際に【エアダッシュ】を発動させた。

 思った通り高度が全く変わらないまま、見えないワイヤーで吊られるようにりおなの身体が前に跳ぶ。幅跳びと加えて15mは軽く跳んだ。


「んじゃ、これはどうじゃろ」

 りおなは試しに立ち止まって【エアダッシュR】を発動させた。

 今度は身体が見えない力に引っ張られるように、りおなの身体が後方に跳んだ。


 続けざまに【フリーエアダッシュ】、【フリーエアダッシュR】を発動させる。こちらはりおなの身体が任意の方向、念じなくてもりおなが身体を傾けた方向に高速移動できる。

 これらの技はシミュレーションで多用していたが、まさか自分で発動できるとは思っていなかった。


「二種類同時には使えんし、同じのを連続使用はできんけど、うまく使えば相手の背後に回るとかできるにゃー」

 走りながらトランスフォンを取り出し画面を確認すると、例の黄色い点は街の外周部分に移動している。

 その様子はさながら『悪意』を解放させる絶好の機会をうかがっているようだ。 りおなはトランスフォンの電話機能を使い連絡先を選択、コールアイコンを押した。



   ◆



【もしもし、ああ俺だ。りおなか? …………あ? ああ、すまない。りおなさん・・か?

 こっちは無事だ。ああ、このはももみじもどこもケガはない。布のほつれや糸のはみ出しも無い】


【それはいいけんど、なんで急に『さん』付けなん? どっかで拾い食いでもしたんか?】


 電話の相手りおなは軽口を叩いているが、部長はそれどころではない。

 運転中だったが助手席、それにルームミラー越しに孫ふたりに睨まれている。

 ――よっぽど俺がいない間親密になって、尊敬する存在になったんだな。呼び捨ては鬼門らしい。


 双子から鼻筋にしわを寄せて凝視された。

 ある意味大叢や伊澤よりも敵に回したくない、嫌われたくない相手に睨まれた部長は、顔の毛が濡れ細るくらい冷や汗をかきながら通話を続ける。


【ああ、今は運転中だ。いや、はち番街っていえばわかるか? 旧孫請け街、そうだ町工場が多く並んでる場所だ】


【んーー、そこじゃと反対側じゃね。番街まで来てくれん? あのハイイロアタマおびき寄せるけ】


【なっ! 伍番街って言ったらここから本社ビル挟んでちょうど正反対の方向だろ? どうやって、よりもなんでだ?】


【うん、わかってて頼んどる。向こうが『種』持っとるのは知っとるじゃろ?】


【ああ、四つこちらへ移動してる。大叢の車ごと上手くかわすつもりだが】

【そんで、部長には悪いんじゃけど、外壁に近い道路運転して伍番街、Rudibliumの出入り口までオームラを誘導してくれん?

 オームラをこの近辺から引き離すさけ。


 あとそうじゃ、ステンシル二枚持っとるじゃろ、それももらっとく。

 りおなもそっち向かってるけん、万が一オームラと接触せんようにりおながおとりになるわ】


 そこで通話が切れた。

 助手席にいるこのはが差し出してくれているタブレット端末を確認すると、大叢の位置は直線距離にして約4km、対してりおなは約8kmの距離にいる。

 何かはわからないが秘策があるのだろう、俄然気力が湧いてきた。


「よし! ちょっと運転が荒くなるぞ。このは、もみじ。しっかり掴まってろよ!

 今、りおな……さんと合流するからな!」


「「はい!」」


 双子は同時に返事をする。この子たちを守るためなら、まだいくらでも頑張れる。

 部長はレノン風のサングラスをかけ、気合いを入れ直した。

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