040-3

「お加減はどうですか、皆川部長?」


 ノックの音に部長が振り向くと、そこにはドアを開け紙バッグを持った芹沢がいた。部長は備え付けのベッドに腰かけたまま、ふんと鼻を鳴らす。


 ――全く、俺が割り当てられた部屋は逗留といえば聞こえはいいが、結局のところていのいい軟禁状態だからな。

 部屋の広さはニホン式に言うなら8畳ぐらいか。床はリノリウム、内壁はコンクリート製で、一つしかない窓ははめ殺し。

 見下ろす風景は、Rudiblium本社の関連会社とその居住区だけ。見晴らしはお世辞も出ねえくらい悪いな。


 煙突から伸びる噴煙と、たまに光るサーチライトが夜の闇に厚く立ち込める雲を不気味に染めていて、見る者の心に否応なく不安を煽っていく。

 係の者に頼めばお茶などの嗜好品は一応もらえるが、携帯電話など通信手段は没収されている。

 その上拘束されているという事実が、部長の心に重くのしかかっていた。


 唯一の慰めは孫ふたりに挟まれて撮った記念写真。

 それと、縫浜市にいたとき女子学生三人にヴァイスの存在をごまかす時に撮影した動画、その中から編集したりおなの写真だけだ。

 カード入れに挟んで気分がふさいだ時に眺めるようにしている。


「どうもこうもない、退屈で身体の中の綿がカビそうだ。ここにある新聞も雑誌も全部読んじまった。酒でも持ってきてくれ」


「酒でしたらウイスキーしかないですがそれでいいですか」

 芹沢は言いながら角瓶とグラスを二つ取り出す。

「こちらも本日の業務が終わりましたしね。新製品の開発や量産などが押していて、残業続きですよ」


 部長は壁に掛けられた時計に目をやる。時刻は夜10時半、すでに深夜と言っていい時間帯だ。


「こんな時間まで何をやってたんだ? またぞろ新しいヴァイスの開発でもやってるんだろう」


 芹沢は笑いながら簡素なオフィス用の椅子に腰かけ、酒やグラスをテーブルに置く。


「まあ当たらずとも遠からずですね。それより退屈ならチェスでもどうです?   こっちもここまで遅いと家まで帰ったら明日の業務に差し障りますからね。ここで一局指して仮眠室でひと眠りしますよ」


「あいにくだな、俺はチェスなんて知らん。将棋か花札は無いのか」


「そう言うと思って将棋セットだけ・・持ってきました。お互い寝る前に一局指しましょう」

 その言葉を受け部長は苦笑する。


 ――この芹沢というやつは、富樫と同期でやつに次ぐ優秀な人材らしいがな。

 俺の見た感じじゃ、腹の底が見えない喰えないやつでもある。


 元は牧歌的だった生きたおもちゃの世界Rudiblium Capsaだが、人間世界にインターネットが普及し、TVゲームが子供たちの遊戯として流通してきた。

 それとほぼ同時期に『情報の海の生物』と呼ばれる存在がこの世界に現れた。

 同時に一部地域が急速に発展してきた。

 それがこの本社ビルと周辺の企業都市になる。


 時を同じくして、グランスタフと自分たちを呼ぶ知能の高いスタフ族が増えてきた。

 部長の知る限りではそのグランスタフの中にあってひときわ好奇心が旺盛でかつ向上心が強い。


 ――まあ、姑息な手や卑怯な事を嫌って、仕事を遊びのように楽しむ風もある。そこは評価してもいい部分だ。

 ヴァイスフィギュア開発や量産に関しては富樫と並んで疑問視、いや反対していたはずだな。 

 それが今じゃヴァイス開発の責任者に収まってる。

 野心家なのは確かだが、今もそうだし俺にはこいつの考えが読めねえな。


 部長もテーブル前のオフィスチェアーに腰かけた。

 テーブルの上に積んであった新聞や雑誌を床に置く。芹沢は二つ折りの将棋盤を広げ駒を玉将から丁寧に並べだした。


「ただ勝負だけするのも味気ないですから、何か賭けませんか?」

 駒を並べ終えた芹沢は瓶の栓を開け、二つのグラスにウィスキーを注ぎ部長に飲むように促す。

 部長は一口酒をあおるが、相手の考えが読めないせいで全く味が解らなかった。


「賭けるって何をだ? 金ならないぞ」グラスを片手に駒を並べる。視線は芹沢の目を見たままだ。


「いえ、金よりもっと貴重なもの――情報はどうです?

 俺が勝ったらカンパニーシステムの進捗状況を教えてください。ただ皆川部長が勝ったら」


「勝ったら?」


「勝ったらそうですね、一つだけそちらの聞きたい事を教えますよ。じゃあ始めましょうか。

 手順通り振り駒で先手を決めましょう、俺が振りますね」

 芹沢は並べ立て『歩』の駒を五枚手で振り版中央にばらまく。

「皆川部長が先手ですね、ではどうぞ」


 部長が角筋を開けるため歩を前進させる。こうしてぬいぐるみ同士の対局が始まった。




「これで詰み、だな」

 時間にして30分ほど、部長の金将が芹沢の玉将を捉えた。


「そうですね、参りました」

 言いながら芹沢は部長に対して一礼する。そのあとウィスキーで舌を湿らせた。

「では何か聞きたいことがあればどうぞ」


「なら聞くが、お前は伊澤のたくらみにどれくらい賛同しているんだ?

 形の上では従っているようだし 開発も嫌ではなさそうだが、その実社長に共感している風でもないと思うんだが」


「そう見えるんなら、きっとそうなんでしょうね」

 かなり杯を傾けているが、表情を全く変えずしれっと返す芹沢。

 部長はさらに質問を続ける。


「じゃあ、人間界に現れた、ぬいぐるみをヴァイスフィギュアに変える植物みたいな物体、あれは何だ? お前たち本社の連中が開発した物じゃないのか?」


「質問は一つだけと言ったはずですが。まあいいや、大盤振る舞いだ、答えられる範囲は答えますよ。

 結論から言うとヴァイスフィギュア化能力を持っている物体を我々は開発していませんが、それを創った人間は知っています」


「何だと? 人間? お前も人間界に行ったのか?」


「いえ、向こうからこちらにやって来ました。『情報の海の生物』から悪意を抽出して人間界の人形に注入する技術を持ってかれました」


「……お前が渡したのか?」


「その言い方には語弊がありますね。こちらは戦闘力などほとんど無い非力なぬいぐるみですから、泣く泣く渡さざるを得なかったわけです」


 嘘をつけ、と部長は内心で舌打ちする。

 ――どんな方法かまではわからねえが、Rudibliumまで来るくらいだ。 デジョンクラックを使って異次元航行するだけでなく、何か特殊な能力の道具を持っている人間に違いねえ。

 ヴァイスフィギュアの素体だけでなく人間界のぬいぐるみにも『悪意』を注入できるのが他にもいる。 

 しかもそれが人間だってはっきり言われちまうとな……今夜は酒の量が増えそうだぜ。


「その相手の外見や特徴ですが聞いておきますか?」


「もちろんだ、教えてくれ」


「外見は15~6歳くらいの女の子ですね。いわゆる美少女の部類に入るタイプです。

 身長は158cmくらいで、こちらに来た時の服装は奇抜なミニスカート姿で手には奇妙な杖のような物を持っていましたね」


「他には? そいつはどんな目的でヴァイスフィギュアを増やそうとしてるんだ?」

 部長の問いに対して芹沢は両手を軽く挙げ肩をすくめる。


「さあ、ただこちらから言えるのは、欲しい物は何でも容易たやすく手に入り過ぎた。

 だから今度は人の物が欲しくなった、そんな風に見えましたね。

 このまま行くと今度は他人の大事な物を壊して回るでしょうね」


「事実そうなってるだろうが、さっさと俺を解放しろ!」


「どうするつもりですか?」


「聞くまでもないだろう、人間界に戻ってそいつから悪意注入プログラムを取り戻す」


「そうなるとRudibliumで製造しているヴァイスフィギュアが無秩序に人間界にバラ撒かれますが?

 焦るのは解りますがこちらのヴァイスを殲滅せんめつさせるのが先でしょう」


「そこまで言うくらいならヴァイス製造を中止できないまでも、遅らせるとかはできんのか?」

 言われた芹沢は声を潜める。


「申し訳ないです、仕事ですから。

 と言いたいところですが、こちらは社長に生殺与奪の権利を握られています。今こうして話しているのもギリギリですから」


「……俺とりおなが創ったぬいぐるみの交換の時間はいつになる?」


明後日あさってになりますかね、ソーイングフェンサーの創ったぬいぐるみと入れ替わりという形になりますね」


「細かいこたいい、明後日だな。なら俺はもう寝る。酒はもうないのか?」


「ええ、もう一本とチーズとサラミもあります。飲みすぎないでくださいね」

 芹沢は残りの酒とつまみを紙袋からテーブルに上げる。


「ああわかった、じゃあな」


 芹沢が一礼して部屋を出てから、部長はウィスキーを一口あおり大きく息を吐いた。

 ――結局肝心なことは何一つ聞けずじまいだ。今更ながら何も出来ない今の自分がもどかしいぜ。


 高層ビルの中にあって、はめ殺しの窓から空を眺める。

 厚く立ち込めた灰色の雲にサーチライトが当たり否応なく不吉な予感が増す。

 その光景を見ながら思いを巡らすのは、ふたりの孫よりも先に自分たちの都合でこの異世界に連れてきた一人の少女の事だった。



   ◆



「んじゃ、暗黒騎士ダークナイト盗賊シーフって必殺技とかあんの?」


 かぶった毛布から顔だけ出しりおなはチーフに尋ねる。

 チーフから人質交換の作戦を聞いてしばらくふて寝していたが、それにも飽きて大きく伸びをする。


 ――どーーにも黙ったままでいるっちゅうんは性に合わん、聞くこた聞いとかんと。


「『必殺技』と言うと少々語弊がありますが、それぞれの装備イシューでソーイングレイピアを使った場合、専用の特殊技が使えます。

 どの技も上手く使えばヴァイスに対して効果を発揮できます。

 ただマニュアルを読むだけでは実戦で上手く使いこなせませんから、シミュレーションの方がいいでしょうね」


「んーと、んじゃあれ? ゲーム?」


「はい、今まで戦ってきたヴァイスフィギュアのデータなども追加しました。

 ステージも荒野や市街地戦などに備えて増やしてあります。

 もっとも明日はまた作業などありますから、そうですね今夜は30分ほどで切り上げて下さい」


「わかった」

 りおなは言いながら携帯ゲーム機をチーフに差し出した。チーフはノートパソコンでゲーム機を接続しダウンロードを始める。

 りおなはゲーム機を受け取るとお菓子を頬張りながら、腹ばいになって戦闘シミュレーションを始める。


 その様子をを見たあとチーフは、明日の作戦に必要な布の在庫を確認しだした。

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