寄る辺無き魂たちの荒野

025-1 雇 用 employ

 地球と異なる異世界、Rudiblium Capsaは広大な大地よりなる、地球のそれとは異なるが複雑な社会構造を持っている。

 地域によっては地球のもととは比較にならないようなオーバーテクノロジーを開発し、一部の住人たちはごく当たり前のように使っている。

 その中でも特に技術水準の高い地域で発達を遂げ、もともとの世界と同じ名前を冠する企業都市が、Rudiblium Capsa本社とその一帯になる。


 両者を知悉ちしつし、内部事情に詳しいものは前者、この広大な大地そのものを”Rudiblium”と呼んでいる。

 そして後者の本社ビルやその周辺の工業地帯、居住区を指す場合は“Rudiblium Capsa”と呼ぶ。

 この名前をある者は自分たちの威光を振りかざすように呼び、またごく少数の者たちは自分たちの存在、行動理由を今一度かみしめるようにそう呼んでいた。



   ◆



 舞台は変わって―――りおな達一行が拠点にしている『ノービスタウン』から数百キロほど離れた場所に、この異世界の中枢を自認する企業都市、Rudiblium Capsa本社ビル、その最上階の一室に二人のぬいぐるみがいた。


 チーフたち『Rudiblium Capsa極東支部』所属の三名はは自戒や自制の意味を込めて、自分たちの事を『業務用ぬいぐるみ』と呼んでいる。

 だが、今この場にいる彼らは自分たちの事を一般のスタフ族よりはるかに優秀、有能だという意味合いで、グラン・スタフと呼んでいた。


 豪華な調度品や書棚、ソファーや、机が並ぶ全面ガラス張りで、下の街並みを一望できる広い部屋、ここがRudiblium Capsa本社の社長室だ。

 その広い空間に二人だけおり、一方がもう片方を叱責していた。


 ざらつくような苛立った声を相手にぶつけている声の主は、首から上がヨークシャーテリアで中年太りの脂ぎった身体を、高そうなスーツとネクタイで固めている。

 叱責を一方的に浴びせられていた側は落ち着いた声で返す。


「―――その点は抜かりありません、社長。広報課の天野あまの、彼女を向かわせました。程なく戻って来るでしょう」


「何! 天野ちゃんを!? あの子はまだ入社して間が無いだろうが! なぜあの子に行かせた!

 返答次第ではただでは置かんぞ、芹沢!」


「―――彼女を抜擢したのは社長ご自身で、研修も無事済ませています。なにか問題でも?」


 芹沢と呼ばれた長身のぬいぐるみは、両手でネクタイを整えつつ淡々と答える。 ジャーマンシェパードの頭部を持つ彼は、感情のこもらない目で社長を見つめ返す。


「……まあいい、報告は欠かすな。それとだ、ヴァイスフィギュア兵の開発はどうなっている?」


「あれはコストや製作時間の割に、生産性が低く実戦投入には向きません。

 試作品の三体は、開発中の人間に擬態させる機能を付加させたため、戦闘力が低く持続時間もかなり短めです。

 また、ヴァイスフィギュアは例の変身アイドル、ソーイングフェンサーとは決定的に相性が悪いです。一例を上げれば―――」


「ぐだぐだと言い訳はいい!」

 社長と呼ばれたぬいぐるみ、伊澤は部下の芹沢をさらに叱り飛ばす。


「はい、申し訳ありません」

 芹沢はすぐに頭を下げる。その行動の意味合いは『長々と無駄話はやめてくれ』だったが、相手の平身低頭ぶりに伊澤はさらに話を続ける。


「ヴァイス兵の量産、これが人間世界侵略になくてはならんものだ! 我々グラン・スタフがRudibliumだけではなく他へ進出するためにはな!」


「……失礼します」


 もう一度頭を下げた芹沢はきびすを返し部屋を後にする。

 社長室のドアを開けた時、だれにも聞こえない小さな声で「『社長は社員のなれの果て』か、よく言ったもんだぜ」とつぶやく。

 当然その声は誰の耳にも届かなかった。



 一般業務フロアのラウンジに下りた芹沢は、ネクタイを緩めてズボンのポケットを探り煙草たばことジッポーのライターを取り出した。

 器用に箱から一本取り出し、火をつけて紫煙しえんをくゆらせていると、高い靴音が芹沢に近づく。


「また煙草? 感心しないわね」


「お前まで説教か? 安野あんの。こっちは通常業務だけじゃない、社長の長話にまで付き合わされてるんだ。それこそ何の手当も無しにな」


 安野と呼ばれたぬいぐるみは腕を組んだまま芹沢の話を聞く。

 その外見は芹沢と同様に、一見すると普通のぬいぐるみには見えない。

 すらりとした身体を黒のパンツスーツで包んでいる姿は人間の女性と全く同じだった。ただ、首から上がていねいにトリミングされたトイプードルになっており、それが異彩を放っている。


「説教なんてつもりはないわ。私だって社長と話すのは嫌だもの。ただ、煙草はどうかと思うわ」


「何、俺は、いや、俺の中の『悪意』は相当に増えてる。身体の中の綿がニコチンやタールで煤けるくらいなんともないさ。

 それに、『悪意』が増えても俺は特に気にしないしな。

 『悪意』はうまく使えば自分自身の行動理由、原動力、高い結果を出す力にもなる。

 『悪意』を言い訳に使って周りに害をなすから、結果自分の身を滅ぼす。


 暴れることでしか発散できないヴァイスフィギュアはともかく、一部の人間サマはその単純な理屈すら理解しようともしてない、滑稽な話だな。

 それよりなんだ? 用事があったんじゃないのか?」


「ええ、『悪意注入プログラム』と『悪意注入用コネクタガン』のデータがコピーされた形跡があったんだけど、何か知らない?」


「ああ、そのことか。いつだったかRudiblium Capsa本社に闖入者ちんにゅうしゃが来てな。その方がご所望だったんで渡してしまった。こちらにはどうしようもない過失だよ」


「……誰が来たの?」


「何か特殊な道具で他の道具や属性、能力を自分のものにできる力を持っていた。 人間界から来たとか言ってたな」芹沢は薄く笑う。


「まさか、あなた、自分の方から進んで渡したの?」


「それこそ、そのまさかだ。こっちは何の力もないか弱いぬいぐるみだぜ?

 最後まで拒否して抵抗したんだがな、Rudibliumの住人の生命いのちと引き換えだとか言われたら渡すしかないだろ」


 などと芹沢はうそぶきながら、根元まで吸い切った煙草の吸殻を携帯灰皿にねじ込んだ。


「こうなると、ヴァイスフィギュアは低コスト、いや、ほとんどタダで量産されて人間界にバラ撒かれる。

 期せずして社長の思惑どおりになるわけだ。ただし我々、いや社長にとっては弊害も出るがな」


「弊害?」


「ま、知らなくていい。ひょっとしたら俺の考えすぎかもしれないからな。

 俺が受けた指示は『ヴァイスフィギュアを増やして人間界に打って出ろ』だから何の問題もないさ」


「…………」


 安野は腕を組んでしばし考える。

 目の前でくつろいでいるグランスタフは、他の幹部たちとは比べ物にならない程頭脳明晰だ。

 だがそれと同時に高いプライドと強い野心を併せ持つ。決して自分の不利益になるようなことはしない。

 仮に不測の事態が起こってもチェスでも指すように戦術、戦略を立て最良の状況に持ち込む。

 もっともその最良の、というのは彼にとっての、という事になるが。


「で、どうする? 『特殊な能力を持った人間サマがRudiblium Capsa本社に来てプログラムを奪われました』って社長に報告するか?」


「まさか。こちらで内々ないないに処理するわ。どこに流出したかが分かればいいし、下手に報告して小言を食らうのは私だもの」


「ま、そう言うなよ『サラリーマンの給料は、ガマン料』って言うだろ」


「茶化さないでよ。それでそのプログラムを持って行ったのって誰なの? Rudibliumの敵になったりはしないの?」


「見た目は普通の人間、それも美少女だな、それもとても育ちのいい感じだった。

 生まれつき欲しい物は何でも手に入るから、普通のものには飽き足らなくなってさらに色々欲しがる、そんな感じに見えたな。意外と俺と気が合うのかもしれん。

 Rudibliumに対して敵対はしないと思う。ま、最悪の場合、エサは用意してある。住人に手出しはさせないつもりだ」


「……それならいいけど」


「さて、休憩は終わりだ、仕事に戻るか。安野、お前はどうする? 上がるのか?」


「ええ、ここじゃ、残業代なんてそうそう出ないもの、お先に失礼するわ、お疲れ様。」


「ああ、お疲れ」


 靴音を高く立ててその場を離れる安野を横目で見ながら、芹沢はひとり考える。


 ――一番注意しなけりゃならないのは富樫のお気に入りのあの仔猫こねこちゃんだな。

 仔猫のまま何も変わらないか、それともこのRudibliumでどれくらい成長、いや、大きく化けるかで戦況が変わってくる。

 ま、今は成り行きを見守るしかないか。


 真剣に事を進めているつもりでも、どこかに遊びの要素を入れてしまう。それは彼自身も自覚している悪癖あくへきだった。

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