024-2

 りおなはこっそり部長に近づく。

 思った通り、レノン風の丸いサングラスをカウンターに置いて本人は高いびきで眠っている。

 りおなはサングラスを拝借した後、大皿に大量に盛られたスパゲティナポリタンを小皿に取り分けて、自分が座っていたテーブル席に戻った。

 そして周囲の視線や興味がこちらに向けられていないのを確認すると、フードを少しだけ上げて、おもむろにレノン風のサングラスをかけ(少し加齢臭がしたが特に気にしない)、ナポリタンをフォークでくるくると巻き取った。


「『パンケーキを作るんじゃねぇんだがなあ……』」

 好きなアニメ映画の渋い中年男性の声マネをしながら店内を見渡すと、りおなは先ほどと何か違う違和感を覚えた。


 不意に視界の端に何か入り込む。りおなが顔をそちらに向けると見慣れないぬいぐるみがそこに立っていた。

 ――新歓パーティーの話を聞いてやってきたんか? 今までこの場にいなかったぬいぐるみじゃな。見た感じモデルは犬、それも小型犬のパピヨンか。

 色はショッキングピンク? けっこうハデじゃな。


 目の前のぬいぐるみは顔と同じくらいの大きな耳の端に蝶を模したピアスをつけている。

 この街には珍しい派手な色と姿だった。


 ――まあ、こういうタイプもいなくはないじゃろ。


 りおながそんなふうに思っていると、近づいてきたぬいぐるみは目線を上下に動かし、着ぐるみ姿のりおなを眺め始める。それはとても興味津々という感じではない。


 りおなを値踏みするような無遠慮な視線だった。

 ――なんじゃコイツ、じろじろ見てくるにゃあ。ぬいぐるみっちゅうんはもっと遠慮深いんちゃうんかい。


 さすがに不信感を覚えたりおながパピヨンのぬいぐるみに声をかけようとしたその時だった。


 本来、ぬいぐるみ、ことスタフ族には喜怒哀楽の感情はあってもそれを他者に伝える表情そのものは乏しい。

 仮に激しく怒っていてもそれを伝えるのはボディランゲージ、身体を動かすことであって顔にはまず出ない。


 しかし、りおなの目の前にいるぬいぐるみは違っていた。

 サングラス越しに視線を合わせてきたりおなに対して右側の口の端を少しだけ吊り上げる。


 ―――笑ったのだ。


「――――――っ!」


 りおなはサングラス越しにパピヨンのぬいぐるみを凝視する。と同時にネコ耳フードがチリチリとごくかすかにだが振動する。『悪意』に反応しているのだ。

 突如現れた『悪意』を放つ相手が現れた事で身を固くするりおなに対し、パピヨンのぬいぐるみは口に手を当ててくすくすと笑う。


「今日の所は様子を見に来ただけですから、そんなに構えなくてもいいですよ?」


 はっきりとした『声』で話し出すのを聞き、りおなはさらに警戒の度合いを強める。


 エムクマたちやノービスタウンの街中まちなかにいるスタフ族は人間やチーフたちとは違う方法で『話す』。

 鼓膜ではなく聴く側の心を震わせる『声』を、チーフは聴覚などの五感以外で聴き取る『直観で聴き取る声』と説明していたが、今目の前にいるパピヨンのぬいぐるみは人間やチーフと同じく五感で感じる声でしゃべってきた。


 ――こいつ、スタフ族とは違うみたいじゃし、『悪意』をこっちに向けてきた。こんなヴァイスフィギュアがいるんか?


 酒場の中の異変に気付いたチーフが近づいてきた。パピヨンのぬいぐるみはチーフに向き直る。


「こんにちは、センパイ。富樫主任に逢うのは初めてですよね。

 自己紹介します、私はRudiblium Capsa本社勤務で役職は広報課係長、名前は天野あまのといいます。

 ま、かたい挨拶はこれくらいにして、こっちのちんまいのがセンパイが選んだ変身アイドル? ソーイングフェンダー・・・・・? でしたっけ、頼りなさそ―――」


 ペラペラと口をついて出てくる暴言にさすがのチーフの顔もひきつる。


「芹沢課長の同期で、ライバルともあろうお方がこんな所でちびっこのお守りなんてね―――

 チョー笑える―――」


「ちょっとアンタ、なにベラベラしゃべっとうと? あんたあれか、ヴァイスフィギュアか?」


 りおなは立ち上がりパピヨンのぬいぐるみに問い質す。


「まさか、あんなガチムチの化け物といっしょにしないで下さいよ。

 私はれっきとしたぬいぐるみ。まあ、ここいらにいる、ほのぼのたらたらやってるスタフ族とは全然別物だけどね。

 言ってみればニュータイプ? ハイブリッド? まあ呼び方はいいや、とにかくいいやつ」


 天野と名乗ったぬいぐるみはくすくすと笑いながら顔に手を当てて、つるりと撫でると瞬時に姿が変わった。


「この方がなじみやすいかしら」


 身長はさほど変わらないが頭身がいきなり高くなった。人間の女性のようにめりはりの効いた体型になり、OLのようなピンク色のパンツスーツ姿になる。


 そして顔、頭部はパピヨンという点では一緒だがチーフや部長たちと同じ生きた動物の犬と同じ顔になった。

 チーフが言うところの『業務用ぬいぐるみ』の姿に変わる。


 ――妙に人懐こい顔してる分、かえってかんさわるにゃあコイツ、しばいたろか。


「……何が目的です? もし、街の住人に危害を加えるなら……」

 チーフは声を押し殺して相手に尋ねる。


「いいえ、最初に言った通り、今夜は様子を見に来ただけですし、いたいけなスタフ族に危害なんか加えませんよ。

 はヴァイスフィギュアも連れてきてませんしね」


 そう言いながら天野は酒場の中を無遠慮に眺めだす。

 課長は無言で酒場のぬいぐるみたち、スタフ族を守るように前に出てくる。

 一方の部長は泥酔してカウンターに突っ伏して大いびきをかいていた。


 しばらく酒場の様子を眺めてから、天野はまた顔をつるりと撫でた。また姿が変わる。

 今度は体型だけでなく顔まで人間と同じようになった。

 現実の美少女アイドルのような整った容姿、広がったスカートから伸びるすらりとした脚、そしてピンク色の派手な衣装。

 天野と名乗ったぬいぐるみは変身アイドルのような姿になった。

 わざわざりおなに向けてポーズまで決めてくる。ただその表情は人を小ばかにしたような笑みを絶やさない。


「富樫センパイたちも使ってますよね、偽装マスカレード機能。ま、私のはより速くて便利なやつですケド.

ああ、富樫センパイ、芹沢課長があなたの事気にしてましたけどなにか伝えることとかありますか?」


 大きなツインテールにしてピンク色のリボンをつけた髪を揺らしながら変身アイドル姿の天野はチーフに尋ねる。

 チーフは少し考えてから声を絞り出すように言う。


「……早く、伊澤とは手を切れ……」


「わっかりましたー、確かに伝えまーす」

 仰々しくチーフに敬礼した天野はターンを決めてりおなの方に向き直る。


「んじゃ、帰りますけどぉ、なんかありますかぁ?」


「なんなん? アンタ」

 りおなは目の前の相手に対して苛立ちを隠せない。

 返答次第では『表に出ろ』とでも言いかねない勢いだ。我知らず下に向けていた右手を大きく広げた。


「やだーもう、そんな怒っちゃダメー」

 口で言うのとは裏腹に天野は明らかに挑発してくる。


「まあ、見るもんは見たし、失礼しまーす」


 天野はりおなに対し両手を軽く振ったあと軽快な足取りで酒場を去った。



 酒場の中で不穏な雰囲気を察したスタフ族たちに対しチーフは右手を上げて告げた。


「皆さん、お騒がせしました。今のは私たちが呼んだ道化師です。どうか気にせずそのまま続けて下さい」


 酒場にいるぬいぐるみたちはチーフの一声で落ち着きを取り戻し、また酒宴に戻った。

 やりきれない思いを抱えたりおなは椅子にどかっと腰をおろし、チーフに空のグラスを差し出す。

 チーフがグレープジュースを注ぐとりおなはひと息に飲み干した。


「大丈夫ですか、りおなさん」


「ああ、何? 今の。あんたの事『センパイ』とか呼んどっちょったけど」


「おそらく、私が人間界に来る前後に入社したのでしょう。天野と名乗っていましたが、私たちは面識がないです」


「あんたがたの会社は新人の教育がなっちょらん。だいたい、会社入ってすぐ係長っておかしいじゃろ」


「仕方ないわ。人事部はあっても気に入らなかったら社長、いえ伊澤が勝手に変えちゃうから」課長が説明を補足する。


「ますますいかんじゃろ。しっかし今のあいつ腹立つ、今度会ったらくらわしてやるけん。

 ていうかちょこちょこっとやってやったけんど」


 言いながらりおなは右手を握って開いてを繰り返す。

 チーフはなにかピンク色の布の切れ端が床に落ちているのを拾い上げた。


「あの一瞬でこれですか。りおなさん、腕を上げましたね」


「『顧問の先生』がいいけんね」

 言いながらりおなはレノン風のサングラスを外して冷凍された鳥肉のから揚げを一口かじった。



「んんーーーー、どうした? なにかあったのか?」


 部長が酒場のカウンターから上体を起こし目をこすりながら辺りを見回す。

 その緊張感のない様子にりおなとチーフ、課長はお互いを見合わせ肩をすくめた。

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