017-1 白 兎 whiterabbit

「――――――?」


 不意に、意識が接続されてりおなは目を覚ます。

 とっさに今自分が置かれている状況が把握できない。頭の中にもやがかかったようだ。

 薄く眼を開けると真っ暗闇だ。かろうじて外の月明かりがカーテン越しに窓から差し込むが、何も見えないのに変わりはない。


 りおなは反射的に首を回した。

 ――あれ? なんでこんな真夜中に目が覚めたん?


 時刻を確認しようと、枕もとで充電していた携帯電話に手を伸ばした。

 画面を確認すると深夜0時過ぎ。液晶画面の光が目に痛い。


 しょぼしょぼする目で確認できたのは着信が7件、同じ相手からだ。


 ――原因はこれかい。

 全く、りおなは24時間営業ちゃうっちゅうねん。

 手にしていた携帯が震えだし、新たな着信を告げた。りおなはコールボタンを押す。


【も


 起き抜けのせいか声がガラガラになる。


【あ……りおなさんですか? 夜中に大変申し訳ないです、富樫です】


【……ーーーーフ?】


 口調もいつもよりだいぶぞんざいになるが、そんなことは知ったことではない。 ――こんな時間に電話してくる方が悪い。

 内容次第では切っちゃろう。


【ええっと、ですね……】


 チーフは普段とは違い歯切れが悪い口調だ。


【ヴァイスじゃろ?】


 ――こんな真夜中にチーフがりおなに用事があるったら、用件はたったひとつしか思い浮かばん。


【いえ、人外の怪物というのには間違いないんですが、どうにもあいまいで】


【あいまい?】


【携帯電話の索敵機能で確認すると、画面に灰色の点で表示されます。これは今までになかったものです。

 今現在、部長と課長が確認に向かって応戦しているんですが、どうも手に負えるような相手ではなさそうなんですよ】


【ないんならしょうがにゃい】


 夢うつつでいい加減な返事をする。


【申し訳ないですが、変身してご自宅の前に出ていただけますか】


【一番聞きたくないセリフを言うにゃあ】


【お願いします】


 りおなは通話を切ると、不承不承ふしょうぶしょうベッドを出た。

 枕もとのトランスフォンを無造作につかみ、耳に当てる。


「ふぁーすといしゅーいくいっぷ、どれすあっぷ」


 棒読みで文言を唱えたが、支障なくソーイングフェンサーに変身した。

 部屋の窓を開け身を乗り出す。

 サッシのさんにネコ耳バレッタがぶつかるが気にも留めない。

 サッシをそっと閉めて、屋根の端まで移動すると、りおなは眠気でバランスを大きく崩す。

 が、猫のように体勢を空中で変え、難なく地面に着地した。


「うぅっ、さっぶ」


 夜の風に肌寒さを感じたりおなは、ネコ耳フードを深くかぶった。

 玄関前で、立ったまま眠りながらチーフを待つ。

 すぐにチーフが青い車に乗って現れた。りおなのすぐ近くに停車するが、りおなは全く気づかない。

 チーフは運転席から出てくるとりおなを助手席に乗せ、車を発進させた。


「申し訳ないですりおなさん。私は様子を見ようと言ったんですが部長が『新手のヴァイスかも』と言い出してしまって。

 未確認の、ヴァイスフィギュアとも違う謎の存在ですが、姿かたちがヴァイスとは違い寸胴ずんどうで冷気を伴った攻撃を使うようです。

 今現在部長と課長が牽制していますが、放っておけば一般市民にも被害が及ぶかもしれません。

 場所は取り壊し予定の廃ビルになります。

 日中解らなかった『種』、いや『ミュータブルシード』ですか、あれの謎が少し解けるかもしれません。

 りおなさん、お手数ですが対応をお願いします」


 チーフは車を運転しながら状況を説明するが、当のりおなは車の振動でさらに夢見心地になり、説明など一切耳に入っていない。


 ――あーーーー、車ん中で寝るのって気持ちいいにゃあ。この振動がなんともいえんわ。



 車はしばらく走ったあと、チーフが説明していた廃ビルに到着した。チーフは後部座席のりおなの両脇を抱えて車外に出す。


「りおなさん、このビルの中に謎の怪物はいます、もう少しですから頑張りましょう。

 それじゃ階段を上がります。そこまで運びますからおぶさって下さい」


 チーフはしゃがみこんでスーツの背中をりおなに向けると、りおなは反射的に自分の体をチーフの広い背中に預けた。

 チーフはそのまま立ち上がり、砂ぼこりの積もった階段を駆け上がる。


 一方のりおなは、チーフの首筋にしがみついて顔をなすりつけたり、チーフの耳の先でりおな自身の鼻の先をくすぐって遊んでいた。


「うーん、もふもふー。毛並みが細くて柔らかーい」


 無邪気に戯れるりおなを背負い、チーフは無言のままコンクリート製の階段を上っていく。



 屋上のドアを開けると、巨大な体躯を持つ異形の怪物と、同じく大柄な課長が両手を組み合い膠着こうちゃく状態に陥っていた。

 だが、状況は課長に対してあまりにも不利だった。


 対峙している怪物は課長よりさらに大きく、身長は3mを優に超えている。

 身体は紡錘形に近く、両足は樽のように太く短い。

 それでいて腕は体長と同じかそれ以上に長く、その両腕で課長の両腕をつかみ徐々に体を押していく。


 部長がそれを見かねて、課長から怪物の腕を引きはがそうとつかみかかるが、怪物の方は意にも介さないで、低いうなり声をあげながら課長の手を押している。

 部長は腹立ちまぎれに、青灰色の身体を殴りつける。

 だが、これも痛痒つうようを感じない様子だ。

 怪物を何度か殴りつけていた部長が、りおなを背負ってきたチーフに気付く。


「おい富樫、……その背中にしょってるのは大丈夫なのか?」


「どうでしょう、連れてはきましたが戦えるかどうか―――」


 チーフが肩越しにりおなを見ると、当のりおなはチーフの耳を両方持って顔をなでまわしている。


「うにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」


 大脳の大半が休眠しているのか、幼児退行しているりおなをそっと下ろした。

 かぶっていたネコ耳フードを下げてから、チーフはりおなに話しかける。


「りおなさん、着きました。すみませんが戦ってもらえますか?」


「んーー? うん」


 りおなは生返事をしつつ、右腕を前方に差し出すと棒状の光が出現し、その中からソーイングレイピアが現れた。


 のっぺりした外見の怪物は、つかみかかっていた課長の手を振り払うと、低く重い唸り声を上げつつ、りおなの方を向いた。


 その身長差は優に二倍以上あるが、対峙したりおなは右腕を伸ばしてソーイングレイピアの柄頭えがしらを、指三本でつまんでぷらぷらと揺らしていた。


 まぶたは下がり頭は上下に舟を漕いでいて、どう見ても戦える状態ではない。

 見かねた部長がりおなに大声を張り上げる。


「おい! 起きろ! 化け物にやられ―――」


 唐突に怪物は、だらりと下げていた拳を握りりおなを殴りつけるが、りおなは首を前にかしげたまま動かない。

 チーフは、とっさにりおなをかばおうとするが間に合わない。

 チーフたちは三人とも、まともに攻撃を受ける、そう思った。


 だが、怪物の攻撃をいち早く察知したネコ耳バレッタが激しく振動した。

 振動を嫌がったりおなが、上体を大きく右にそらすと、怪物の拳は空を切った。

 チーフたちがほっとするのもつかの間、怪物はもう一方の腕で手刀を振り下ろす。

 が、この攻撃もりおなは千鳥足で危なっかしくかわした。よろけるりおなの体をチーフが受け止める。


「富樫、連れてこいって言ったのは俺だが、これじゃ勝負にならん。こいつを倒すのは後回しだ、全員でずらかるぞ!」


 部長がチーフに声を張り上げる。


「言ってもこいつはヴァイスフィギュアじゃねえ! 小娘がこいつを倒す義務はねえ! 態勢を立て直すぞ!」


「そうね富樫君、りおなちゃんに無理させちゃだめだわ。いったんこの場を離れましょう」


 課長も部長の意見に賛同する。チーフはうなずき、りおなを抱きかかえ、その場を離れようとした。

 その時、不意にチーフたちの頭上から声が聞こえてきた。



「苦戦しているようね、でも大丈夫。その怪物は私が倒すわ」


 チーフたちが声がする方を振り向くと錆びた給水タンクの上に少女が立っていた。

 少女の姿は、学校の制服や市販されている私服とは違う、一種独特な恰好だった。


 奇妙な白いヘルメットをかぶり、顔の上半分をフレームの無いゴーグルで覆っていた。

 ヘルメットの後ろ部分からは、旅客機の翼のようなプレートが二本、背中に向けて伸びている。


 服装はピンク色のミニスカートに、肘までの白い手袋、白いブーツと、明らかに奇抜なものだった。

 が、着ている本人は自信たっぷりに、りおな達より高い位置から微笑んでいる。


 少女はおもむろに、杖のようなものを取り出した。

 怪物に向かって振り払うと、強い熱風が吹き荒れた。

 直撃を受けた怪物は両腕を振り回して苦しみだす。

 少女は給水タンクから飛び降りると、怪物に対してりおな達をかばうように杖を構えた。


 杖は新体操のバトンほどの長さで、片方に鳥の卵と翼があしらってある。

 漫画やアニメなどに見られるような、いわゆる『魔法の杖』だ。

 怪物は少女に向かって殴りかかるが、少女は杖で拳を打ちつける。

 すると、拳の表面が溶けるように焼けただれた。怪物は上を向き咆哮を上げる。


「お前らにこの怪物『冬将軍』はやらせねえよ。こいつは俺の大事な金ヅルだからな」


 不意に別の方向から、ガラの悪い男の声が聞こえてきた。

 チーフたちが声がする方に目をやると、廃ビルの鉄柵の上で奇妙なウサギが立っていた。


 身長は直立した状態で165cm程、上半身に大小さまざまなポケットが付いた黒いベスト。腰にはホルスターに入った拳銃を提げている。

 体毛は白く、耳はぴんと立っているが眼球に対して瞳の部分がひどく小さい、いわゆる三白眼さんぱくがんでひくひく動く鼻の下からはキバがのぞいていた。

 ウサギの持つ可愛らしさとは無縁、というより拒絶するような外見だった。

 その三白眼のウサギはベストの胸のポケットから卵形の石を取り出しつつ、杖を持った少女に叫ぶ。



「おい、話はあとだ! さっさとそいつにトドメを刺せ!」

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