011-2

「ふーん」

 りおなはよく解らなかったが、相槌あいづちだけ打っておく。

 ベッドの上を転がりながら、おやつ的な事をあれやこれや考えていると、チーフが話を続ける。


「話がそれましたね。絵本の内容やキャラクターよりも、はちのすワッフルの知名度の方がはるかに高いです」


「ふーーん」


 言われてりおなはバッグの中の紙袋をがさごそと探って紙袋を取出した。口を閉じているテープを丁寧にはがす。

 放課後に自分で買ってきた『エムクマとはりこグマ』の絵本だ。


 袋から取り出して、鼻先に近づけると新品のインクの香りが鼻腔をくすぐる。すんすんと匂いを嗅いだ。


 ――うん、やっぱしこの匂いが新品の本買う醍醐味じゃ。


 改めて表紙を眺めて、1ページめを開こうとしたらチーフに制止された。


「そろそろ休んだ方がいいですね、りおなさん」


 りおなに近づきなめらかな動きで絵本を取り上げる。


「ぶーーーー」


 りおなは、頬を膨らませて腕を伸ばすが指先は空しく空を切る。


「今日は自覚しているより疲労が蓄積しています。それに睡眠不足はお肌の大敵です」


 ――チーフはこうなると押しが強くなるにゃあ。まあここは逆らわんでおくか。


 りおなが両手を上げベッドの端に転がると、チーフはりおなの身体の下からブランケットを引っ張り、りおなの上に優しく掛けた。

 そのあと、りおなの肩辺りをぽんぽんと二回触れる。


「私はもう少し作業しますが、りおなさんはもうお休みください」


「作業?」


「はい、りおなさんが各教科を進めやすいように、ノートに要点をまとめたり模擬テストを作っておきます」


「…………」


 ――ぶっちゃけありがた迷惑な話じゃ。まあ、りおなにとっては損では……ないか。向こうがしたいようにさしておこう。


 チーフは携帯電話を操作し、机の上に彼用のプレハブを出現させる。


「ではりおなさん、おやすみなさい」


 りおなに向かって軽く一礼する。


「うん、おやすみ」


 りおなは小さくあくびをして寝返りを打った。それを見届けたチーフは部屋の照明を落とす。


 携帯電話を操作し椅子を収納し、自分のサイズとノートを小さく縮める。

 そのままりおなの使っている椅子、机と飛び移り自分の職場ミニチュアのプレハブのドアを開け中に入る。


 ドアを閉め、プレハブ内のカーテンをすべて占めた後照明をつける。

 スーツを慣れた様子でハンガーに掛けハンガーラックに吊るす。ネクタイを少し緩め上体を左右に揺らしストレッチを始めた。

 屈伸をした後、細い口を開けあくびをする。


 コーヒーメーカーから、淹れたてのコーヒーをカップに注いだ(これもロゴが“LONG PUPPY”だ)。

 一口飲んだ後息をつき、黒目がちで小さな目を二、三度つよくつむる。


 ――さて、もう一つの仕事にかかりますか。


 デスクに向かい、ノートパソコンのモニターを開く。立ち上げる間も惜しむように、りおなのノートに書き込んでいく。

 それと同時進行で、パソコンのモニターに目を通し更新されたデータをチェックする。

 科目別のノートが書き終わる頃、携帯電話が規則正しく振動する。チーフは通話ボタンを押し、携帯を自分の垂れた耳の内側に差し込む。


「はい、富樫です、お疲れ様。いえ、それよりも」


 短い会話のやり取りの後、通話を切った。

 携帯電話をデスクの上に置き、しばし目を閉じる。


 ――やはり、あれらはこちらが予想したものと違っていましたか。

 どちらかといえば予想と合っていて欲しかったので、確認してもらったのですが、往々にして予想というものは悪い方にばかり当たるものです。

 まあ、予想が当たっても外れても、りおなさんに精神的負担や苦痛を強いる事だけはあってはなりません。

 我々は我々の仕事を全うする、それだけですね。





 りおなは雀のさえずりと、カーテン越しに部屋から入る柔らかな光で目覚めた。

 猫のように大きく伸びをしつつあくびをする。

 行儀が悪いとは思ってはいるが、脳に酸素を送り込むのに一番いい方法だと知ってからは意識的に行っている。


 むにゃむにゃと口を動かした。

 上を見ながら何度もまばたきをして(一説によるとぱっちりした二重まぶたになれるらしい)、無意識に学習机に目をやる。


 ――まさか、今の今まで起きて仕事をしていたわけじゃないだろけど、ぬいぐるみにしておくには惜しいくらい、チーフはよく働くわ。


 そこにあるだろうと思っていた物が無いのに気付き、思わず机の上を二度見した。

 机の上のプレハブが無かった。代わりにメモ用紙が一枚置いてある。ベッドから這い出して見てみると



【おはようございます、りおなさん 昨晩はよく眠れましたでしょうか。

 私 急用ができましたので、本日一日は外部へ出張いたします。

 教科ごとに、ノートに要点や模擬テストを書き込んでおいたので、活用して下さい。

 『エムクマとはりこグマ』の絵本は、りおなさんにのちのちやっていただくカンパニーシステムにとって重要になりますので、是非読んでおいて下さい。

 トランスフォンの変身機能は普通に使用できますので、ヴァイスフィギュアの位置を確認できる索敵機能と併せて使用ください。

 最後に 夕食たいへんおいしくいただきましたと、お母様にお伝えください。                                                                                                     富樫】



 りおなは書き置きを読んでから、頬をめいっぱい膨らませて沈黙した。

 ――なんじゃろうな、この気分は。

 家に来て、ようやくなついた仔犬がよそにもらわれていった感じけ? 正直あまり面白くないような気分じゃな。


 りおなは読み終わった後、30秒ほどメモ用紙に目を落としていた。

 意を決したように、机の上に置いてあった、洗ってある刺身の醤油皿を手にしてりおなは部屋のドアを開けた。



 それから小一時間ほどした頃、りおなはいつもの猫公園のベンチに腰掛けチーフが書き込んでいたノートを広げていた。


 ――手書きは手書きじゃけど……印刷したみたいにきっちりした字じゃな。

 内容も……教科書の要点から基礎の復習?

 ……一晩で、テストの予想問題まで作るって出来過ぎじゃろ。

 あいつの中には、スパコンでも搭載されとんのか? 恐ろしいスペックしやがって。


 かと思えば、要所要所に彼の自画像らしき、教鞭を持ってワイシャツの襟元にネクタイを締めたミニチュアダックスの頭部のイラストが描いてある。


 ――真面目なんか、狙ってやっとんのかわからんぬいぐるみじゃ。


 茶目っ気でやっているのかいまいちよく解らない。

 りおなはノートをベンチに置き、バッグから紙袋を取り出した。

 昨晩読もうとして、チーフに止められた『エムクマとはりこグマ』の絵本だ。


 ――ある程度は聞いてたけど、カンパニーシステム?

 りおながぬいぐるみ創るとき重要になるらしいからな、絵本は予習しとかんと。

 昨日、たまたま怪人フィギュアやっつけたときいた車椅子の子も持っとったし、どんな内容じゃろ。


 ページをめくっていくと、ふたりのクマのぬいぐるみが大量のはちのすワッフルを村に住んでいる住人達―――ぬいぐるみや二足歩行の動物が持っている食べ物や服と交換していく。

 ストーリーはシンプルな造りだが、とにかく出てくるキャラクターや食べ物に一ひねり加えてある、そんな印象だった。


 ――はちのすワッフルはともかくとして、ピンクサーモン、もみじマフィン、かえでスコーンってなんじゃ? 登録商標でも取ってんのか?

 きゃべつシュークリームって。

 野菜とか葉っぱを生地に混ぜてあるんか? 

 はちのすワッフルは商品化されとったけど、他のもマグナで売られるんけ?


 おやつ的な事を考えながらページをめくる。


 そのうちに、エムクマとはりこグマは、仔猫を六匹連れた白い母猫と出会った。

 そのページを目にして、りおなは手を止めて少しの間同じページをじっと見る。


 絵本からベンチの下へ視線を移すと、いつもの白い母猫とその仔猫達が皿から牛乳を美味しそうに飲んでいる。

 仔猫の数は何度も数えているから、間違いなく六匹だ。


 偶然じゃろけど、今ここで牛乳飲んどるねこが絵本の中ではちのすワッフル食べとる。なんかおもしろいにゃ。


 そのあとエムクマとはりこグマは、空色の手押し車を押して自分の家に戻ろうとする。

 と、途中に―――


 最後に、満月が浮かぶ夜空に、白い字で短い英文が書かれていた。

 あまり見慣れない表現だったが、単語そのものは中学英語なので、英語に疎いりおなでも意味は分かった。


 読み終わってから、ほっこりする感じだった。

 が、それ以上にエムクマを初めとして様々な登場人物、キャラクターたちのデザインがりおなは気になった。

 チーフの書き置きにあった、カンパニーシステムというのがこの牧歌的な住人達とどう関係して来るのか。

 自分自身に関わるというなら、当然ソーイングレイピアが絡んでくることになる。

 この絵本に出てくるぬいぐるみを、お店で買ってレイピアで動けるようにすればいいのだろうか。

 答えが出ない分、あれやこれやと考えてしまう。


「このぬいぐるみ買って集めたらいいの?」


 りおなは、バッグに吊るした麻製の巾着袋に向かって声をかける。

 が、麻袋からの中からは返事は無い。

 何秒かして、りおなはチーフがこの場にいないことを、失念していたことに気付く。


 不意に思考が途切れ、反射的に辺りを見回した。

 いつもの公園がやけに広く感じた。木立の中にいる雀がりおなを見透かすようにさえずりだす。

 りおなは意識的に、能面のような無表情を作り棒読みでつぶやく。


「べっ、べつにあんたがいなくてもぜんぜんこまってないんだからね」


 ひとりごちたあと、チーフの出張というのが気になった。

 業務用ぬいぐるみとかいうぐらいだから、出張くらいは当たり前なんだろうが。

 どこでどんなことをしているのか興味は尽きない。


「出張ってことは、おみやげないといかんけんね」


 りおなはひとりつぶやくとバッグから麻袋を外した。

 袋の口を少し開け息を吹き込んだ。

 袋は……麻特有の干し草に似た香りと、防虫剤の香りがした。

 りおなが眉間にしわを寄せて袋の中をのぞきこむ。

 と、無臭タイプの防虫剤が一錠入っている。


 それを見たりおなは、機会を見て、いつかあのぬいぐるみに必ずマユ毛を書いてやろうと心に決めた。

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