003-3

 チーフが指さす所に目を凝らすと鉄板の上に人形が転がっていた。

 りおなが拾ってみると、つい今しがたまでりおなが戦っていたサージェントフロッグマンと同じデザインのものだった。

 サイズはおもちゃ屋で売っている怪人や怪獣のソフビ人形と同じくらいだろうか。


「これがヴァイスフィギュアの正体です。

 その人形にRudiblium Capsaの技術を使って、人間界にあまねく悪意を身体に詰め込まれるとあのような凶悪な怪物に変貌します」


 ――そんななんかーー、この人形もかわいそうっちゃかわいそうじゃな。


「この人形は捨てずに取っておいた方がいいですね。

 他の事も色々と説明したいですが、今日はもう遅いです。辺りにヴァイス達の気配も感じられませんし、ご自宅に戻ってシャワーを浴びられた方がいいのでは?」


「うん、今は家に帰ってぐっすり眠りたい」


「どうでしたか? 初期装備ファーストイシューのデザインや機能は」


「う~ん、そうじゃね、とりあえず『目が隠せるのが救いだな』」


「それはなによりです。それとは別にりおなさんには決めて頂きたい事案がひとつあります」


「何~? まだなんかあんの~?」

 ――もう、しんどいにゃーー。やらないと世界がめつぼうするとか言われてもぜったいなんもしたくない。


「はい、それは『勝利の際のめポーズ』です。

 やはりあれがないと……」


 チーフの屈託の無い提案に対してりおなはこう返すしかなかった。


「なるけはやくかんがえます…………」




 工事現場のフェンスを乗り越え、辺りに人通りが無いのを確認してから変身を解除する。

 柔らかな光がりおなを包み、普段着ている中学校の制服に服装が戻る。


 チーフと話をした公園に戻る。

 ベンチの上にはりおなのバッグがそのまま置いてあった。


 ――よかった、暗がりだからかもしれんけど置き引きとかには遭ってない。


 軽く伸びをしてからあくびをすると、植え込みの中から微かに鳴き声が聞こえてきた。

 声のする方を振り向くと、今朝牛乳をあげた真っ白い若い母猫が茂みの中から現れた。

 りおなに嬉しそうな鳴き声を上げてすり寄ってくる。

 のどの下を指で軽くなぜると嬉しそうにのどをゴロゴロと鳴らした。

 小さな頭をすり寄せてくる。


 ――仔猫たちは―――もう寝てんのか、お母さんが安心してるってことは無事なんじゃろ。


 りおなが放り込まれた理不尽ともいえる状況をこの猫達は知る由も無いだろうが、母猫の背中を撫でている間、りおなは自分の心が癒されていくように感じた。


 と、そこへ聞き慣れたサンダルの音が聞こえてきた。

 暗がりの公園で目が慣れなかったが、あのボサボサ頭のシルエットは遠くでもはっきり解る。近所に住んでいる小池さんだ。

 いつも飄々ひょうひょうとしている彼が小走りでりおなに近づいてくる。息も少し上がった様子だ。

 

「ああ、やっぱりりおなちゃんだ。夕方お母さんにまだ帰ってきてないけど知らないかって聞かれたんだ。

 携帯もつながらないって言うし、僕も気になって捜してたんだよ。でも無事で良かった」


 りおなははたと気付く。

 普段はラーメンにしか興味の無さそうな無頼な人物だが、今は自分の身を案じてあちこち捜しまわってくれていた。

 今も厚底メガネの奥で小さな目を心配そうにしばたいている。


「あ、心配かけてごめんなさい。ちょっとヤボ用やってて」


 ――まさか、今日あった事をそのまま言うわけにはいかないしにゃあ。


 よしんば言った所で

 「おもちゃの国から邪悪なフィギュアが襲撃してきたから、ミシンを剣にした武器で倒してぬいぐるみ達を救う」

 なんて話を真に受ける人間はそうそういないだろう。


 ――小池さんならひょっとしたら信じてくれるかもしれんけど、どっちにしたって言わんで済むならそれに越した事は無いか。


 ベンチの脇を見やるとチーフが固まった状態で横たわっている。やはり無関係の人に気安く言うべきではない。


 小池さんは続けて言う。


「お母さんには無事見つかったって連絡入れとくから、今朝、僕が言ったラーメン屋さんに一緒に行くかい? ごちそうするよ」

 と、言葉を選びながらりおなに提案した。

 最後に「もしよかったらだけど」と付け加える。


 その予想もしなかった申し出に不意を突かれたりおなは、我知らず目頭が熱くなる。鼻の奥がつんとして来る。

 何故自分の周りは優しい人が多いのだろう。りおなは小さく頷き、暗がりの中で少しだけ泣いた。



 小池さんの勧めてくれたラーメン店は公園から歩いて15分位の所にあった。


 ――お店は、家からそんな離れてのか 外装もこぎれいじゃし、おいしかったらしおりとルミも誘って来よう。



 お店の入り口の前で小池さんが最寄りのコンビニで買っていた野菜ジュースのペットボトルを渡された。


 小池さん曰く

「ラーメンとか焼き肉なんかのハイカロリーな食事の前に食物繊維を摂っておくと、脂肪の吸収が緩やかになって太りにくくなるんだよ」


 ――ふーんそうなんじゃ、いい事を聞いたわ。小池さんて見かけによらんでマメなんじゃな、覚えておこう。


 もしかしたらりおなが知らないだけで、実は結構女性あしらいとかが上手いのかも知れない。疲れた頭でぼんやりそんなことを考える。


 テーブル席に案内され、小池さんに言われるまま窓際のソファに腰かける。

 ふと気になってバッグを開け中のチーフを確認すると、チーフは小池さんに気づかれないように小さく手を振る。

 小池さんが注文を終えてトイレに立った時、りおなはチーフに何か食べるか小声で聞いたら

「麺一本で十分です」と返してきた。


 ――おっ、来た来た特製ラーメン。


 りおなは塗り箸を取り合掌しつつ頂きますと宣言してからレンゲを取りスープを味わう。

 続けてチーフ用に麺を一本取って小皿に移しチャーシュー一枚を乗せてバッグ近くにそっと置くとバッグから小さい手が伸びて軽く振る。

 それから小皿をバッグに引き入れた。

 りおなはそれを確認してからゆっくりとラーメンを味わった。お腹だけでなく心も温かく膨らむようだった。

 結局りおなは小池さんの遠慮なくという言葉に甘えて替え玉を二玉おかわりした。


 胃袋のリミッターを解除したのは久し振りだ。しおりとルミをこのラーメン屋に誘うのは当分先になるだろう。

 ソファに目をやると小さな手が空になった小皿をバッグから出して、手を小さく振る。チーフも満足したらしい。


 満腹になったりおなと小池さんは連れだって店を出た。夜風が火照った顔に心地よい。


「おいしかったです。ごちそう様でした」


「いやいいよ、ちょうど僕も食べたかったし。いつもって訳にはいかないけどたまにならおごるよ」


 やんわりと手を振りつつ小池さんが答える。


「何か大変な事とかつらい事とかあったみたいだけど、頑張ってね。ラーメンおごるくらいならなんともないから」


 あえて何があったのか聞かずに励ましてくれる。その気遣いが嬉しかった。りおなは下を向いて「はい」と小さく返事をする。


 家まで送ろうかという申し出は丁重にお断りして、りおなは小池さんと別れ家路についた。

 家に連絡してもらったとはいえ、普段の帰宅時間からだいぶ過ぎてしまった。


 りおなはバッグに向かって声をかける。

「はい、なんでしょう」チーフは落ち着いた声で返事をする。


「今日みたいに、ヴァイス……フィギュア……じゃったっけ? 襲ってくるっと?」


 今のりおなにとって一番の心配事はそこだ。自分は変身して戦えるからいいが(それも毎回勝てる保証も無いが)、家族や友達が襲われないという保証は無いのだ。

 そんなりおなの心配を察したのかチーフはりおなに説明する。


「あまり悲観することはありませんよ。今日倒したフロッグマンは、かなりの強さです。あれを初戦で倒せるということは訓練や作戦次第で対応できるはずです」


 安心して下さい、とチーフはバッグの中で胸を張る。


「それよりもりおなさん、私が入れるくらいの巾着袋を用意してもらえますか」


「いいけどなんで?」


「私の寝床用です。私が袋に入ってりおなさんの部屋のドアノブに掛けてもらえれば私はそこで休みます」


 りおなはそれを聞いて唇を尖らせる。

 ――この業務用ぬいぐるみとやらは、ごはんだけでなく夜はきっちり寝るんか。当たり前っちゃ当たり前か。

 思わず眉間にしわが寄る。


「私には乙女の寝顔を見る趣味はありません」きっぱりと言い切る。


「それに……りおなさんも寝言や歯ぎしりを誰かに聞かれたくは―――」


「そんな事せんわ!」思わず声を荒げてチーフの言葉をさえぎる。


「子供の頃の人形の家があるけん、それ使い、サイズが合うかわからんけど」


「ありがとうございます。あと、そうだ」


「なんじゃ?」


「りおなさんの変身後の呼び名ですが、

 『縫神戦姫ほうしんせんきラグドールヴァルキリー』、というのはどうでしょう」


「いらん」

 りおなは彼の提案を即刻却下する。


「ですが、戦う前には必ず名乗らないと……」


「いい、いらん、そもそもなんじゃその英和辞典で調べて取ってつけたような名前!

 第一なんで戦う前いちいち名乗らにゃいかんのじゃ! 

 日曜日の朝の変身ヒロイン番組じゃないけん、ソーイングフェンサーで十分じゃ!」


「……そうですか、見返りや名声を求めずに人知れずヴァイスフィギュアを倒していくわけですね……」


「いいように言うな! 余計恥ずかしい! 今日は疲れた! もう寝る!」


 今夜はもう寝てしまおう、りおなはそう思った。朝目が覚めた時自分が変身アイドルに選ばれるとは夢にも思わなかった。


 しばらく考え込んでりおなは頭を左右に振る。あれこれ考えても仕方がない。空を見上げると月が雲に隠れている。



 ひさしぶりにきれいな満月を雲の無い夜空で見てみたいなと、りおなは家のドアを開ける前、そう強く思った。

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