第十九話 大団円
現場は大混乱だった。
陸上自衛隊統合幕僚監部から突然の指示を受けて、陸上自衛隊東部方面松本駐屯地所属の第十二旅団第十三普通科連隊第三普通科中隊は、指定された
そして、到着した先に転々と意識のない第四普通科中隊員が転がされているのを発見し、その回収に大騒ぎとなる。
意識の戻った隊員たちは一様に同じ話をした。
中隊長から特殊任務を言い渡され、来てみたら実弾を渡されて、不審人物に対する発砲を許可されたが、それらしき人物が現れたと思ったら平衡感覚を失い、挙句の果てに背後から殴打された――
要領を得ない話ばかりである。
実弾装備ということで、現場に遺留品を残さないように言明された第三普通科中隊員達は、草の根を分けて黙々と回収および撤収作業を行った。
最終的に、第三普通科中隊および第四普通科中隊の隊員全員が車両で撤収したのは、午後十一時を超えた時刻となった。
一方、同じく警察庁からの指示を受けた長野県警察本部は、所轄である松本警察署員を現地に急行させた。しかも、松本警察署長には秘匿することという不可解な条件付きである。
さすがに事態を重く見た県警本部長は現地入りすることにした。県警本部がある長野市から警察車両をとばして松本空港に到着し、車外に出た県警本部長は仰天した。
長野県警が所有する「やまびこ二号」の隣に、警視庁航空隊所属の「おおとり四号」が駐機していた。二機とも、アグスタ・ウェストランドAW一三九である。
「おおとり」を所有する警視庁は、東京が管轄であるが、恐らくは警察庁の要請に応じたのだろう。
さらに、その向こう側には陸上自衛隊木更津駐屯地第一ヘリコプター団所属のユーロコプターEC二二五LPまで駐機されている。これは要人輸送にしか使わない特殊輸送機である。
長野県警本部長は本気で、そのまま折り返そうかと考えたが、寸前で思いとどまった。
三機が編隊を組んで臨場してみると、指定された地点には自衛隊の車両が停車しており、さらに自衛隊の車両と警察の車両が到着したところだった。
しかたなく少しばかり離れた廃旅館の敷地内になんとか二機(無論、おおとりとユーロコプター)を駐機する。
ヘリから降りた二人は急ぎ足で、自衛官と警察官の混成部隊による道案内で、小高い丘のほうに向かった。現場を離れてから随分と時間が経っていたため、さすがに二人の足取りは重かった。
周囲の視線から隠されるように設置されたトンネルを
*
話は少し前に戻る。
「貴様ああああっ!」
会長がそう叫んだ瞬間、鞠子は瞳子を抱えると、銃弾から守るように自分の身体で覆って床に伏せた。
しかし、想定していた機関銃の発射音や着弾音がしない。
そろそろと顔を上げてみると、清と洋は平然と立っていた。
周囲を見れば、その二人以外は全員、大事な人を抱え込んで床に伏している。
鞠子が狐につままれたような気分でいると、
「やっと終わったな」
という清の長閑な声が聞こえてきた。
「そうですね。それじゃあ回収に参りますか」
洋ものんびりとした声でそれに応じる。
そして、二人は
慌てて鞠子が踊り場を見上げると、そこには先程までと同じ姿勢の会長がいた。
彼は何か
全員が、突然下ろされた結末に呆然としている中、清と洋は壁に向かって歩いてゆく。
二人が倉庫の裏側の壁の中央部に到着すると、その前の壁が開いた。
柏倉がカートを押して出てきた扉である。
しかも、そこから男性が出てきた。
その姿を見て、三好が声をあげる。
「あれ、野沢じゃないか?」
小柄で小太りの野沢が、倉庫内を慌てた様子で走ってきた。
彼は三好、沢渡、深雪の前まで来ると、下を向いて膝に手を突き、息を整える。
「お前、何であんなところから出てくるんだよ。今までどこで何をしていたんだよ」
と、沢渡がもっともな質問を投げかけたが、息の切れていた野沢は右手を挙げてそれを制した。三好と沢渡がじりじりとする中、次第に野沢の息が落ち着いてゆく。
野沢はやっと顔をあげて言った。
「いやもう、ここに入った直後にトイレに行きたいと言って、あのサラリーマンのおじさんに連れていって貰って、さあ出ようかと思ったら戦闘中じゃないか。もう、出ようにも出られなくて」
情けない理由。しかも彼特有の重低音でそれが語られる。
三好と沢渡は声を揃えて言った。
「「のーざーわー」」
目の前でじゃれ合う三人の姿を見つめながら、深雪は考えていた。
(やっぱり、洋さんは野沢君に何かお願いしたんだ――)
深雪は指示を受けていたから分かる。それはこういうものだった。
「途中で仲間が足りないことに気づいても、決してそれを口に出さないように」
*
四月朔日は自分が発端となって始まった事件の、あっけない幕引きに呆然としていた。
誰も怪我をしなかったことは嬉しかった。それに、これで娘の居場所が分かるかと思うと、それも嬉しい。しかし、事件の発端まで遡って考えると、彼女にとっては多大な労力の無駄遣いでしかなかった。
旧日本軍から隠匿した資金を、さらに横取りする計画――今にして思えば娘の空想に引きずられて、夢を見てしまったのだろう。
資金さえあれば、娘の病気の治療法を見つけることだって出来るであろうし、少なくとも娘を抱きしめるための手立てぐらいは見つかるだろう。
正直言うと、それが喉から手が出るほど欲しかったのだ。犯罪すれすれでも、実害さえ出さなければなんとかなるのではないかと思っていた。
甘い考えである。それが、ここまでの大騒ぎになってしまった。笠井一家まで巻き込んでしまった。
四月朔日は何も考えることが出来ずに立ち尽くしていた。
トンネルの出入口から、到着したばかりの援軍が入ってくるのが見える。制服は自衛官、私服は警察官であろう。にわかに倉庫内が騒々しくなる。
しばらくすると、その一団の中から、馬垣や榊と同じぐらいの背丈で、欠食児童のように痩せた、蓬髪で色の白い幽霊のような男が四月朔日のほうにやってきた。
彼は、
「松本警察署刑事課の志賀です」
と、ぼそぼそと自分の所属と名前を言うと、続けて、
「四月朔日さん、ですね」
と、切り出した。
「はい」
とうとう来たか、と四月朔日は覚悟を決める。
警察官がわざわざ自分の名前を確認しにくる理由は、一つしかない。
「いろいろとお騒がせして本当に申し訳ございませんでした」
「はあ。で、届が出ておりましてね」
「はい、存じております。すべて私がやったことで間違いございません。法に従います」
四月朔日は、洋から受けた指示通りに答えた。
ところが、志賀はそれを聞いて怪訝な顔をした。
「あの、すべて、ですか? 出ている届は一件だけなのですが」
「え――」
四月朔日は絶句した。志賀の言っている意味が分からない。
志賀は頭を掻きながら、分かりやすいようにゆっくりと、区切って話を続けた。
「いいですか。本日、貴方の名前で、ここで拾得した物品に関する、拾得物届が、松本警察署に提出されているのです」
遺失物と拾得物の権利関係を整理すると、以下の通りとなる。
まず、持ち主の意思と関係なく手元から離れてしまったものを「遺失物」と呼ぶ。
そして、それを拾った人を「拾得者」、拾われた物を「拾得物」と呼ぶ。
遺失物は、持ち主が見つからない状態であれば、最終的には拾得者が所有権を取得することになる。
また、持ち主が見つかった場合でも、物品の価格の五パーセントから二十パーセントに相当する額を、報労金として拾得者に支払う義務がある。
見つかった場所を占有している者がいる場合は、拾得者と占有者で折半となる。
なお、盗品は遺失物とはならない。
これを今回の事案に当てはめてみる。
元々の持ち主は国である。
しかし、国としては盗難にあったことを認めたくないであろうし、その後の資金の使途も明らかにしたくはない。その恩恵を蒙っていた者は長野県内に限らないからだ。
できれば、戦後のどさくさで保管場所が分からなかったことにしたいだろうから、盗品とはいえなくなる。
また、この倉庫の所在地は、厳密には浅月グループの私有地である。
しかしながら、浅月グループとしては倉庫の存在を知らなかったと主張せざるをえない訳であるし、仮に私有地の中に国有の施設があったとしても、国は占有者として権利が主張できないことになっている。
つまりは、道に落ちていたものを四月朔日が拾って交番に届けたのと同じことになるのだ。
しかもこれだけの大騒ぎだ。自衛隊と警察という巨大な組織が二つも巻き込まれている。
これでは、どんな権力がどんな手を使っても、隠蔽することはできない。
そして、四月朔日はここでやっと洋から受けた指示の内容を正確に思い出す。彼はこう言った。
「届け出に関する質問があった時には、自分が出したものに間違いないし、法律上の権利は行使する、と必ず言って下さい」
四月朔日はようやくその言葉の真の意味を理解した。そして、今日の大騒ぎは結局のところ、彼女にそれを言わせるためだけに、洋が仕組んだ大芝居であることを知った。
志賀はひどく真面目な顔をして言った。
「それが、窓口担当者が本人の意思確認をしそこねたらしく、お忙しいところ恐縮ですがここでお願いしたいのです。貴方が届け出たものに間違いはないし、報労金についても権利放棄はしない。それで宜しいですね。なんだか面倒な人々が次から次にきそうなので、ここではっきり断言して頂けませんか?」
四月朔日は、大粒の涙を
「はい――確かに私が出した届で間違いございません。そして、権利は断固行使します」
*
「何だこれは?」
現地に到着した、防衛省統合幕僚長の
丘を刳りぬいたらしき巨大な倉庫である。しかも片隅に置かれていた廃車は、旧日本軍が使用していた輸送トラックだろう。となれば、旧日本軍の施設ということになるが、
「こんなものの存在を、私は聞いていない」
と、渡辺は呟いた。
さらに、五條は近づいてきた私服の男に目を向けて驚いた。
「君は確か――」
男は唇の前で右手の人差指を立てる。そして、男は一気に
「五條長官、渡辺幕僚長、お疲れ様です。実は本日早朝、松本警察署に拾得物の届け出がありまして、その実物を確認する必要もございまして、松本警察署員が多数到着しております。いやもう、現物見て驚きました。早速見て頂いた方が早いと思いまして。それでですね、拾得者は権利を行使するそうですが、物が物だけに計算が大変でしてね……」
そう言って、松本警察署の志賀は渡辺と五條を、貴金属が山積みとなった別室に案内していった。
*
しばらくして、渡辺と五條は、倉庫のほうに戻ってきた。彼らは呆然としながら、辺りを見回すと、目当ての人物を見つけて、小走りで近づいた。五條が声をかける。
「笠井さん」
すると、男性が三人と女性が二人、五條のほうを向いたので、彼は驚いた。
咳払いをすると、改めて声をかける。
「失礼、笠井清さん」
「おう、五條さん。遠いところをわざわざ申し訳なかったね」
清はざっくばらんに応じる。
「渡辺さんと一緒にお宝は見たのかい」
「それはもう。財務省が泣いてよろこびます。うちも予算の申請が楽になりました」
「そうかい、そいつは良かったな」
「しかし、どうしてここまで大袈裟になったんですか。私たちに会ったときに教えてくれれば済んだ話なのに」
「いやあ、あんたらに先に話すと隠蔽するでしょう?」
清はにやりと笑っていった。
「この入り組んだ複雑な、それこそゴルディアスの結び目みたいな闇をそのままにして。だから衆人環視の中でアレクサンダー大王みたいに切ってみた」
渡辺と五條は苦笑いするしかなかった。
鞠子は警察庁長官と親しげに話す清を見ながら、事態の大きさを改めて実感した。そして、ここまで大袈裟な舞台が必要になった理由をあらためて考えてみた。
事の発端は旧日本軍の戦争資金だった。
それが現在の貨幣価値でどの程度のものなのかは分からない。多分知らないほうがよいのだろうが、半端な額ではないのは確かだ。
そうすると、組織の力学が強烈に働くから、闇に葬り去られる可能性は高くなる。それを避けるためにも、事をできる限り大袈裟にする必要があったのだ。
また、中途半端な解決では、友の会が生き残る可能性もある。
従って、これはベストの解決策だった。
さらに、仲間たちはそれぞれに得るものがあったようだ。
この結末によって、四月朔日は合法的な方法で娘の治療に関する資金を得た。
先程、鞠子が見知らぬ警官がその話をしていったところである。彼女の性格から、それがいかに高額のものであっても、すべて娘の難病治療の研究費として消えてゆくことは明らかだった。
余剰があっても他の難病治療に回すことだろう。それを知っているからこそ、洋はこの騒ぎを仕組んだのだ。
隠密裏に国庫に消えてしまうよりは余程気の利いた使い方だと、鞠子も思う。
続いて、深雪は祖父の悪行が白日の下に晒されて、これから世間の糾弾を受ける立場となった。
しかしながら彼女にとっては、それは願ってもないことである。いままで苦しめられていた闇の力から解き放たれたことを意味するからだ。
そして何より、彼女には力強い王子様が三人もいる。彼らが守ってくれるだろう。
その一人、野沢という青年は「トイレに隠れていた」と言っていたが、鞠子には通じない。
多分、この場の誰も、そんな話は信じていないだろう。何をどうしたのかは分からないが、最期に会長を止めたのはあの青年のはずだ。
他の者達は全員、倉庫の下にいたのだから、消去法を使うまでもない。しかし、途中で他の三人は、野沢がいないことを一言も言わなかった。
恐らくは洋が事前に口止めしたのだろう。ただ、心配でたまらなかったに違いない。先程から野沢は手荒いが気持ちの籠った歓迎を受けていた。
彼らには強い絆が残ったと思う。
馬垣と斎藤、榊と山根については、この事件でさらに距離が縮まったようである。
鞠子は馬垣が榊から「ダーリンだってよ」と、頻りにからかわれて赤面している姿を見ながら、あの男にもそんな一面があったのかと感じていた。
榊も、相変わらずのお調子者だが、山根が武術の達人だとしても決して自分の前で守らせることはしなかった。
瞳子はカニコ二号とじゃれ合っている。
彼女にとっては終わってしまえばただの刺激的な一日に過ぎないだろうが、鞠子が見るところそれで終わりそうにもなかった。武術家の血は確かに彼女の中に流れている。
朝の体操にすぎない修行であっても、相手を全く寄せ付けなかった。
鞠子にもその天稟のほどが分かる。
空山だけは何を得たのかよく分からない。
そもそも、彼は全くの第三者であったところを、洋が澄江に頼んで引きずり込んだのだ。
しかし、彼は場律である。飄々として捉えどころのない顔をしながら、実際には何を企んでいるか分かったものではない。
四月朔日と親しげに話しており、権藤の名前が出ていたから、いずれはその筋で何かをするつもりだろう。
鞠子は全ての出来事を見ていた。そして考える。
果たして今回のことで、自分には何が残ったのだろうか。基本的に見ているだけで、何もできなかったような気がする。
見ていたといえば――鞠子は急に思い出して上を見た。
換気用の穴のところには、依然として兎の縫いぐるみが置かれている。
(そういえば、あれを旅館に置いていった少女は、今頃どうしているのだろう?)
急にそんなことを考えた。
忘れてしまっているのだろうか。
それとも覚えているのだろうか。
覚えているとしたら、縫いぐるみが生還したら喜んでくれるのだろうか。
返しに行ってみようか。
そんな、何の得にもならないけれど心が躍る計画は、久しく鞠子の頭の中に沸いてこなかった。この馬鹿げたお祭り騒ぎの中でもなければ、思いつきもしなかっただろう。
自分は瞬間視という特殊能力を持つ反面、物事のありのままの姿に目が行き過ぎて、ともするとその下に流れている人の感情に思いが至らないことがある。
見ることに関しては人よりも数倍達者だが、よく見ることが出来ていない。
そこまで考えて、鞠子はふと口を
まさか、洋はそこまで考えて全てを仕組んではいないか。
一面から見ただけでは正義は分からないこと。
余裕がなければ人の心まで斟酌できないこと。
それを鞠子に実感させるための大芝居だとしたら――
考え込んだ鞠子の様子を見た洋と瞳子が、
「どうしたの」
「大丈夫」
と声をかけてきたので、鞠子は二人を見る。
ああ、そうだった。しかも、私にはこの二人がいるのだった。
私のことを常によく見てくれている二人が。
鞠子はにっこりと笑って言った。
「パパ、あの縫いぐるみを持ち主に返したいので、取ってきて頂戴。そうしたら小言は本来三時間のところを一時間で勘弁してあげますから」
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