第十八話 妄執の果て

 戦いが終わった倉庫内に、呆けた空気が漂っていた。

 微塵流四天王の場律、堅守、飛走が三人がかりで対抗しても、引き分けすら持ち込むことができなかった羅刹を、帝釈天でもない洋があっけなく倒してしまった。

 しかも、一度も触れず、一度も触れられず、にである。その呆気なさを反映した余韻だった。

 俊夫は立ったまま気を失っていたらしい。洋が彼の上半身を弓の弦で拘束する際も、身動き一つしなかった。

 洋は俊夫を廃車のところまで引きずっていくと、隆に何か一言だけ告げて引き渡し、自分は鞠子達のほうに向かって戻ってきた。

 鞠子は近付いてくる洋の姿を見つめながら、考え込んでいた。

 最後にちゃんと勝つことができて良かったのだが、なんだか終わり方が釈然としない。

 それが贅沢なことだとは分かっているのだが、何だか子供の喧嘩に親が介入して蹂躙したかのような、身も蓋もない気分だった。

 洋は先程の技を「阿修羅」と呼んだ。つまり、俊夫の修羅に対抗するために、場律、堅守、飛走の技を融合させて「頭が三つ、腕が六本」の状態で戦った、という意味であろう。

 実際の戦い方を見ても、そのことが分かった。

 しかし、場律、堅守、飛走の継承者三人が連携した場合の技よりも、彼一人の融合技のほうが圧倒的に強かった。その理由は、連携に要する僅かな時間差が個人技では必要ないため、とも考えられる。

 しかし、鞠子には単に「洋個人が三人よりも遥かに強かった」と思えてならない。さらに、帝釈天である清と隆は、洋よりも遥かに強いという。

 それで、鞠子は最前考えた疑問に立ち戻った。

 それならば三人だけで戦っても良かったのではないか。

 それなのに何でこんなに大騒ぎになっているのか。

 その理由が分からない。

 そんな思いを鞠子がもて余していると――


 倉庫の裏側、壁面から重い音がした。


 鞠子が「秘密結社の首領が高笑いするのにお誂え向きだ」と感じた踊り場の背後の壁が左右に割れて、壁の向こう側にあった部屋が露わになってゆく。

 そこには友の会会長の浅月幽谷が一人立っていた。

 そして、そのかたわらには不穏な空気をまとった鋼鉄の塊――九二式重機関銃が、銃座に固定されていた。

 九二式重機関銃は、旧日本軍が第二次世界大戦中に使用した国産の重機関銃である。

 横に突き出した保弾板の上に三十発の弾丸を並べて発射する機構になっており、弾丸の数が減ると発射の速度が増して、非常に個性的な発射音がする。

 そのため、連合国軍は九二式のことを「ウッドペッカー(キツツキ)」と呼んでいた。

 彼と重機関銃の姿が見えた途端――

 馬垣は即座に斎藤の前に、榊はすぐさま山根の前に立った。

 洋と清は鞠子と瞳子を背中に隠し、その下ではカニコ二号が足を伸ばして立っていた。

 空山もいつの間にか四月朔日を背後に回している。

 そして、深雪の目の前にも壁が立った。

 三好と沢渡だった。


「え――」


 深雪は予想されていたこととはいえ、幽谷の出現に動揺した。

 しかも重機関銃という殺人兵器と一緒に、である。

 その用途は明らかだった。銃口は間違いなく自分達のほうを向いている。

 それが普段の幽谷の冷たく厳しい視線と重なって、深雪は身がすくんで動けなくなった。

 それなのに、目の前の二人は機敏に動いた。

 その彼らの反射神経の良さに、深雪は驚く。

 そして、彼らの後ろ姿を見てさらに驚いた。

 二人の足は、恐怖にがくがくと震えていた。

「三好、お前、震えてる、ぞ」

 と、沢渡は震える声で三好にツッコミを入れる。

「いや、これは、だな、機関銃の、狙いを、逸らす、ための、技だ」

 三好が同じく震える声でボケる。

「そうか、じゃあ、俺も」

「お前、言う前、から、震えて、いるだろ」

 銃口を向けられた恐怖にぶるぶると震えながら、たどたどしい言葉で二人は軽口を叩く。

 怖いのだ。

 怖いから、黙っていることが出来ないのだ。

 二人のその様子を見て、深雪は叫んだ。

「三好君、沢渡君、二人とも危ないからちゃんと隠れて頂戴!」

「そんな、ことを、言われ、てもなあ、三好」

「ああ、そうは、いかないな、沢渡」

 三好と沢渡は、震えながら顔を見合わせて苦笑した。

「馬垣、さんや、榊、さんは、ちゃんと、好きな、女性を、守って、格好、良かった」

「でも、俺達、には、武術の、嗜み、ないし、な」

「この、ぐらい、しか、できる、こと、ない、からな」

 二人はそこで腹に力を籠め、声をあわせるとこう言い切った。

「「好きな子は守る!」」

 恐怖に全身を震わせながらの宣言は、正直、全然、格好良くはなかった。

 本当はその場から逃げ出したくてたまらないのに、足を踏みしめて我慢しているのも、見栄えがよくはなかった。

 しかし、深雪はその二人の姿が、誰よりも格好良い、本当の正義の味方に思えた。

 だから、彼女はその後ろ姿に向って呟いた。

「有り難う――」

 自分も負けてはいられない。


「夜叉も鉄人も、所詮しょせんはこの程度の人材だったか」

 幽谷は、人の上に立つことに慣れた者の尊大さで、そう言った。その声音はさほど大きくなかったが、倉庫内に響いて深雪達の耳にも届く。

「自衛隊も駄目ときた。やはり最後に物を言うのは、小賢しい人間ではなく、物を言わぬ機械だな。何だか矛盾しているが」

 幽谷はゆっくりと重機関銃の後方に回り込み、トリガーに指を掛けた。

「この機関銃は年代物だが、本体にはちゃんと念入りな整備を定期的に施してあって、弾丸も一つ一つ丁寧に管理しておいた。ついでに現代の技術も導入して、一つの保弾板で発射可能な弾丸数も二百発に増やしてある。そして、私は重機関銃の扱いについて軍で正式な訓練を受けている」

 銃口をゆっくりと深雪達の立っているテーブルに向けて、左右に動かす。

「さすがにこの機関銃は、立って撃てるように高架式にした関係で床にしっかり固定されているから、気軽に外に持ち出して撃つことは出来ぬがな。海外では機関銃の試し打ちができるところがあるから、腕は衰えていない」

 そして、それは三好、沢渡、深雪のいる位置で止まった。

「さて、まずは友の会の情報をすべて漏らして、この状況を引き起こすに至った最大の責任者を処罰することにしようか」

 深雪の目の前で、三好と沢渡の全身が硬直した。

 しかし彼らの足は決して動かなかった。もはや軽口すら出ないほどの恐怖に耐えて、彼らは踏みとどまっている。

 その姿を見て、深雪は立ち上がった。

「お爺様、もう止めて下さい! 既に友の会は壊滅しました。これ以上、無駄な抵抗をするのは――」

「ほう、口答えするのか。お前が、わしに」

 幽谷の冷たい声に、深雪の背中が硬直した。しかし、口はまだ動く。

「これ以上は無益です。もう元には戻りません。そして、私ももう退きません。脅されても屈しません」

「これが脅しだというのかな」

 幽谷は銃口を僅かに上げ下げした。

 深雪は口を閉じる。それは決して恐怖からではない。幽谷であれば躊躇ためらいなく引き金を引くだろう、と知っていたからである。

「お前はもう終わりだと言うが、組織というのは想像以上にしぶといものでな。打つ手はまだまだあるのだ」

 幽谷は自信に満ちた声で話を続ける。

「まずはこの銃でお前達の口を塞ぐ。さらに、陸上自衛隊であれば東部方面隊、警察であれば長野県警本部を動かして、事態を収拾する。長野県に限って言えば友の会人脈はあちらこちらに伸びているからな。巨大組織というのは、そういうものなのだ。持ちつ持たれつで、互いに隠蔽工作の片棒を担ぎ合っている」

 深雪もそのことは分かっていた。友の会という巨大組織の息の根を絶つのは、容易ではない。部分的に切断したとしても、他のところから養分を得て復活する。

「お前たちは巨大な樹に取りついて、その根の一部を食い破った寄生虫に過ぎない。幹を斬り倒した訳ではないのだから、調子に乗るのも大概にしておくのだな」

 幽谷が勝ち誇ったようにそう言い切った時――長閑な声が倉庫内に響いた。

  

「まったく、年を取ると物が見えなくなるもんだな」


 清である。

 彼は腕組みをして、胸をそらせながら言った。

「敗戦により、全てが灰燼かいじんに帰すこの国の将来をうれい、再興の時に備えて大胆にも軍の資金をかすめ取り、特定の権力には依存しないという意思を込めて『友の会』という普遍的な名称を定め、有為ういの士を各界に送り出さんがために基金を創設した、そんな気宇きう壮大な男の言葉とは思えないな」

「……お前は何者だ」

 幽谷は清を睨みつける。一方で彼は、総務担当が事件の直接的な関係者を調べ上げたファイルに、該当する人物がいなかったことを冷静に分析していた。

 清は一歩前に出る。そして、

「忘れたのかよ。全く、年を取ると記憶まで駄目になるのかよ。俺は笠井清だよ」

 と、小学校の頃の同級生が、同窓会で話すような気軽さで言った。


 その名前を聞いた幽谷の身体が、遠目でも分かるほどに震えた。


「な、に、笠井清、だと!? さくら機関の笠井か?」

 さすがに機関銃からは手を離さなかったが、幽谷は明らかに動揺していた。

「なんだよ、覚えてるじゃないか」

 対照的に、清はいたってフレンドリーな姿勢を崩さない。

「貴様、ここに何をしに来たんだ?」

 幽谷が吐き捨てるように言う。

「何を、じゃないよ」

 清はにやりと笑いながら言った。

「お前のほうから俺の息子とその家族にちょっかいを出したんじゃないか。それに、昔の約束を忘れた訳じゃないよな。お前が軍の資金を掠奪したことを不問に付す代わりに、当初の目的を忘れて人様に迷惑かけたら、俺が必ずお前を止めに来ると言っただろう」

 そして、組んでいた腕を解くと、腰に手をあてて、こう言った。


「その約束があったからこそ、静代さんは黙って中川家に嫁いだんじゃないか」


 四月朔日は清の言葉に驚く。

 もちろん、浅月幽谷と中川静代の間に過去の因縁があったということは、四月朔日にも理解できた。なぜなら事件の経過が不自然だったからである。

 覆面怪盗を名乗る人物が、友の会会員の所有する古文書や絵画を狙い始めた。

 それらは、中川家が秘匿している「第一の鍵」に記載されたものだった。

 当然友の会はその事実確認をするはずである。静代はそれを否定しただろうが、普通であればもっと早くに夜叉か柏倉が動いていたはずであろう。

 しかし、それがそのまま見過ごされていた。理由がないほうがおかしい。

 会長と中川家当主との間に、幽谷と静代という濃厚な関係があったのであれば、納得できる。

 ただ、そこに笠井清がどうして関与しているのかが、四月朔日には分からなかった。

 話の筋からすると、戦後の物資隠匿に関連して、特務機関所属の清が幽谷に会ったということになる。

 覆面怪盗として活動を始める前、四月朔日は旧日本軍に関する基本的な情報を一通り浚っていた。

 戦時中の特務機関として、

 養成所としての陸軍中野学校。

 シベリアから満州にかけて情報将校を統轄したハルビン特務機関と、それが改編された関東軍情報部。

 インドの独立運動の裏で暗躍したF機関、岩畔機関、光機関。

 ミャンマーの独立運動を支援した南機関。

 この程度のことは承知していたが、その中に幽谷が口にした『櫻機関』なるものは登場しなかった。

 それに戦時中、あるいは戦後すぐの話だとすると、各自の年齢を考えてもおかしい。

 幽谷は終戦当時、部隊の長を務めていた人物である。従って士官学校を卒業して入隊した組だろう。すると終戦時点で最低でも二十歳は超えていたはずだから、現在は九十歳を超えていることになる。

 清のほうは、外見からは年齢が想像もつかないほどしっかりしているが、洋の年齢が四十代後半だから七十歳というのが順当なところだろう。

 静代も、本人に聞いたことはないが、四月朔日の元夫が現在であれば洋より若干下の年齢であったから、同じく七十歳かその手前が順当だろう。

 しかし、それでは二人とも終戦時点で幼児だ。

 戦後の話だろうか。そうなると余計に「特務機関」の実在が怪しくなる。戦後、日本に情報機関は存在しなかったはずだ。

 四月朔日は混乱した。


 そんな四月朔日の戸惑いは別にして、幽谷と清の会話は続く。

「静代に会ったのか?」

「まだだよ。ここ数日は忙しくて、そんな暇なかったからな」

「――では、どうやって儂を止めるつもりなのだ? 静代の助けを借りるつもりならばともかく、お前は長野県にはえにしを持たぬはずだろう? それとも、まだ櫻の一員なのか?」

「そんな訳ないだろ。それじゃあ身がもたないよ」

 清は胸に右の拳をあてて言った。

「今は、笠井豆腐店の三代目店主、笠井清――ただのジジイだよ」

 隣から洋が思わずツッコむ。

「父さん、それは胸を張って言うことではありませんよ」

「ん、そうか? じゃ、まあ、そういうことだ。今の俺には何の力もない。だから他力本願で行くことにした」

 かなり遠くのほうからヘリのローター音が聞こえてきた。

「ちょっと東京に出て、昔の知り合いを何人か訪問してきた」

 ローター音は次第に近づいてくる。しかもそれは複数だった。

「昔の借りを返せと言ったら、みんな素直に協力してくれた」

 ローター音に隠れていたが、車両の走行音も微かに聞こえていた。

「ただよ、話の邪魔になるから午後九時三十分に現場に来いと言っておいた」

 ヘリはこの付近にホバリングし始めたようだ。車両のブレーキ音も続いている。

「ということで、騎兵隊の到着だよ。ハイヨー、シルバー、ってな」


 幽谷は青ざめていた。


「笠井、お前、一体何をしたんだ?」

「今言っただろ。防衛省統合幕僚監部と警察庁にいる古くからの知り合いに頼んだだけだよ。部下を派遣しろ、と」

 防衛省統合幕僚監部は、陸上、海上、航空、の自衛隊組織を一括運用するために設立された機関である。防衛大臣の指揮及び命令は、全て統合幕僚監部を通じて実施される。

 警察庁は、言わずと知れた警察機構の頂点である。都道府県警は地方公安委員会の管理下にあるので、警察庁の直轄ではないが、公務の監察及び指導の権限は警察庁にある。

 もっと簡単に言う。

 長野県あるいは甲信越単位の組織では、太刀打ちできないほどの上位団体である。


「貴様ああああっ!」


 幽谷は吠えた。銃口がえられ、引金にかかる指に力がこもる。

 不穏な空気を纏う鋼鉄の塊から、獲物に群がる黒き猟犬が吐き出されようとした瞬間――


「やめなさい」


 という、腹の底に響く重い声が幽谷の背後から聞こえてきた。

 途端に幽谷の身体は硬直した。

 動かない。指すらぴくりとも動かない。

「もう貴方の随意筋は動きません。ただ、声だけはよしとしましょう」

 重い声の主は、事実を確認するかのように言った。

「――貴様は何者だ?」

 幽谷は擦れた声で尋ねた。

「さすがに私のことは御存知ないでしょうね」

 重い声には苦笑が混じっていた。

「一般的にはこう呼ばれています――傀儡師パペット・マスター

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