第十四話 限界点

「お前が最弱とは思えないのだが」

 そう言いながら篠山はゆっくりと身構えた。

 右肘を軽く曲げて、右拳は顔の前に。左肘も軽く曲げ、左拳は身体に引き付け気味に右拳よりやや下の高さへ。標準的な攻撃の体勢である。

「済まないね。これでも人類の中では結構いけてるほうなんだけど」

 斎藤も同じ体勢を取る。

「すると、あの二人は化物か何かか」

「そういうこと」

「見た目では分からないものだ」

「大きなお世話だよ」

 他愛のない会話を交わしつつも、二人の間では闘気が膨らんでゆく。

「一応、始まる前に警告しておく」

「何をだい」

 斎藤は篠山の周囲を一定の間隔を維持したまま、ゆっくり右方向に回る。

「私が今着ている服だが、これは防衛省技術研究本部が試作した特殊装備品だ」

 篠山も身体を回して、斎藤を正面に捉え続ける。

「それがどうした。人間の潜在的な能力でも引き出すのか」

「いや、そんな荒唐無稽なものではない」


 *


 日本でも自衛隊や警察では「防弾ベスト」や「防弾チョッキ」と呼ばれる防護服が使われている。英語では「ボディアーマー」と総称されるが、厳密には二つの種類がある。

 まず、アラミド繊維あるいは超高分子量ポリエチレン繊維を使用し、軽量で身体の広範囲を保護するものを「ソフトアーマー」という。

 アラミド繊維は、和弓の弦にも使われているデュポン社のケブラーが有名であるが、鋼鉄の数倍の引っ張り強度を持ち、なおかつ熱に強い。

 ただし、防弾能力は拳銃の弾を止めるのが限界である。超高分子量ポリエチレン繊維のほうはハネウェル社のスペクトラが有名だが、アラミド繊維を超える耐衝撃性と耐摩耗性を有しているものの、熱に弱い。

 このソフトアーマーと併用して防御力を向上させるため、金属やセラミック、樹脂のプレートを差し込んだベストが使用されるが、これは「トラウマプレート」と呼ばれている。

 過去においては金属が主流だったが、重さの問題から現在では殆ど使用されていない。例えば、米軍ではセラミックのトラウマプレートに、スペクトラを裏地として使用したものを使用している。

 また、前述の超高分子量ポリエチレン繊維を加工して板状にし、トラウマプレートとして使用している例もある。

 アメリカ合衆国司法省国家司法研究所(NIJ)の防弾規格で「Ⅲ」以上の性能を持つものが軍事用に使用されており、ソフトアーマーとトラウマプレートを併用したNIJ規格「Ⅳ」ともなると、小銃の弾を阻止できるレベルである。

 近年では、通常状態では分子がバラバラで柔軟性があるが、衝撃を与えると硬化して衝撃を吸収するダイラタント流体を使用した「リキッドアーマー」の研究が進められている。


 *


「これはリキッドアーマーと呼ばれるものだ。面倒な説明は省いて単純に言うと、通常の衝撃であれば九十パーセントが無効化される」

 その言葉を聞いて、斎藤の足が止まった。

「……すると何かい。私が最大限の力で攻撃したとするじゃないか。それの効果は十分の一になってしまうのかい」

「理論上はそうなる」

「そんなもの着ているなんて、ずるくないかい? しかも後出しだ。やる前に言って欲しかったな」

「私も本意ではないが、あそこにいる夜叉の要請だ。それに、普通の戦場では相手が装備品について丁寧に説明する訳がない」

 一応の義理は果たしたということか――そう、斎藤は理解した。

「まあ、始めてしまったものは仕方がないか」

「事情を御理解頂けたようで嬉しい。しかし、手加減はしないからそのつもりで」

「無論だ。では、後は拳で」

「存分に語り合おう」


 闘気が弾ける。


 斎藤が篠山の間合いに駆け込む。

 下から上への右回し蹴り。

 篠山は無造作に左腕を出した。

 斎藤の右足は篠山の左上腕を直撃する。

 途端、斎藤は違和感を受けた。

 波打ち際で、めり込んだ足の下にある砂が急に凝縮する感じ。

 言葉にするとそうなる。

 手応えがなかった。

「くっ!」

 斎藤は左拳をフック気味に篠山の右脇腹へ送り込む。

 直撃。

 砂の感触。

 間合いを開ける。


「なんだよ、これは……」

 斎藤はあまりの手応えのなさに戦慄を覚えた。

(これでは早期決着は困難だ、どうする?)

 斎藤は戸惑った。その様子を察知したらしく、篠山は、

「逆の立場ならば私もそうなるかもしれないが――戦場に戸惑いと躊躇いは禁物だぞ」

 と、淡々とした声で言った。

「分かっているよ。しかし、こいつは随分と厄介な代物だな」

「ちなみに、今の攻撃であれば小学校三年生のキックとパンチぐらいだな」

「学年だけやけに具体的だな」

「そのぐらいの孫がいる。試しに本気で殴らせてみた」

「ちっ、実体験の話かよ」

 斎藤は考える。

 彼女の最大の力をもってしても小学校高学年程度だ。となれば、数で何とかするしかあるまい。そこまでは分かった。

 リキッドアーマーのせいで篠山も身動きがしづらいだろうから、防御力が向上したとしても瞬発力や攻撃力は落ちているはずだ。その隙を狙って技を繰り出せばなんとかなる――

「誠に申し訳ない」

 篠山が謝罪の言葉を口にした。

「もう一つ先に話しておくべきことを忘れていた」

「これ以上何があるんだよ」

 斎藤は思わず尖った声を出す。篠山は苦笑いをしながら言った。

「いくらリキッドアーマーが従来品より柔らかいといっても、嵩張ることに違いはない。防御できても身体の自由が効かなければ攻撃がやりにくくなる。そこで、こうなった」

 篠山の右腕上腕部から金属棒が飛び出した。

 軍用装備として当然の選択に、思わず斎藤の口から感想が洩れる。

「まったく、えげつないね」


 *


「まあ、小学生を相手にするよりはマシだけどさ」


 柏倉は帽子を脱ぐと、俊夫のほうに放り投げた。帽子は俊夫の手前で失速し、地面に落ちる。俊夫は苦笑しながらそれを拾った。

 柏倉は手櫛で髪を整えながら、言った。

「俺、こう見えても女性には意外に優しいんだよね」

 先程の深雪に対する仕打ちを忘れたように、柏倉はにやにやしながら言った。

 山根は黙っている。

「あれ、全然ノリが悪いじゃないか。短い付き合いなんだから、少しぐらいはお話しようよ。斎藤さんなんかノリノリだよ」

 柏倉は笑いながら、シャツのそでまくり上げた。夏でも運転手は正装が欠かせないため、彼は長袖を着ていたのだ。

 山根はそれにも付き合わず、右足を伸ばして静かに地面に円を描き始める。

 彼女が柏倉に背中を向けた時、

「しゃっ」

 という短い息を吐いて、柏倉は駆け出した。


 完全な不意打ち狙い。

 山根はまだ防御体勢すら整えていない。

 山根の後頭部に向けて、柏倉の右上段蹴りが伸びる。

 山根は振り向きながら、右掌底で弾いた。

 柏倉は弾かれた勢いで足を滑らせながらも、倒れることなく間合いを開ける。


「うへっ、こいつはすげえや。想像以上だよ」

 柏倉は山根の足元を見た。振り向きざまに柏倉の蹴りを弾きながら、山根の右足は円を描き切っていた。

「斎藤以上の化物か――なるほどね。中国拳法か何かかな。教えてくれない?」

 山根はやはり無言のままである。両腕を前に出して伸ばすと、腰を落とした。

 それと同時に、倉庫の裏側から、

「何だと!」

 という声がした。柏倉がその方向を見ると、俊夫が棒立ちになっている。

「柏倉、お前、まずいぞ」

 今まで俊夫は友の会関係者に動揺した姿を見せたことはなかった。その俊夫の上ずった声に、柏倉は驚いたが顔には出さない。

「なんだよ、あんたが動揺するなんて珍しいじゃないか」

「馬鹿を言うな、そいつは確かに化物なんだよ! お前なんかじゃ手も足も出ないから、今すぐ俊一と代われ!」

「はあ? なんだよそれは」

 柏倉は改めて山根のほうに向きなおる。

 やはり、普通の女がおかしな格好で身構えているようにしか見えない。

 それに、小学生と交代しろと言われたことに、柏倉は腹を立てていた。

 彼は会長専属の運転手であった父により、幼い頃から空手の修練を続けてきた。

 それは肉親であるがゆえの厳しさで、日常生活の延長線上で執拗しつように行われた。

 彼は何度、死を覚悟したか分からない。

 だからこそ、今まで空手の段位認定や大会に出たことはなかったが、全日本選手権であっても軽く優勝できるだろうと彼は思っていた。

 ただ、彼の空手は実戦用であるから、その過程で死傷者が山のように出る可能性がある。だから、彼は出なかったに過ぎない。

 裏の仕事も何度か熟してきたが、彼の空手に対抗できる人物はいなかった。

 夜叉とは手合わせをしたことがなかったが、それは会長から禁止されていたからである。戦ったら勝てると思っていた。

「邪魔するなよ、お楽しみはこれからじゃないか」

 そう言って、柏倉は俊夫の声を無視し、山根との間合いを切る。

 彼女が描いた線の手前まで行く間に、柏倉は山根の声を初めて聴いた。


「堅守一ノ形、筒」


 柏倉は腰を据えて右の正拳突きを繰り出す。

 山根は彼の拳を左掌底で上に弾いた。

 柏倉は腰が浮いた状態で仰け反る。

 なんとか膝をつかずに持ち堪えると、右足による下段蹴りに移行する。

 その柏倉の蹴りは、山根の左足裏で円から弾き飛ばされた。

 完全に体勢を崩した柏倉は、左膝を地面に突く。

 そして、

「しゃあああっ」

 と、奇声をあげながら低い体勢で飛び込む。

 そして、身体をしならせての右回し蹴りを試みた。

 柏倉自身も納得できる十分な力を載せた会心の蹴り。

 それは山根の右掌底によって弾き出される。

 倉庫の床をもんどりうちながら、柏倉は間合いの外に――逃げた。


 自分が逃げた。


「ふざけんな!」

 柏倉は沸騰した。今まで遅れを取って逃げたことなぞ一度もない。事実を認めがたい彼は、それを消去しようと試みる。

 右からの手刀。

 左正拳突き。

 右中断蹴り。

 左踵落とし。

 いずれも、山根により外に弾き飛ばされ、柏倉は無様に体勢を崩す。山根の足は、円の中心からは動いていない。

 それに気づいた柏倉は、顔に血を昇らせる。

 冷静さを失った柏倉の連続攻撃を冷静にさばきながら、山根は分析していた。

(この戦いの鍵は瞳子の体力――そこが臨界点となるはずだ)

「何、別なこと考えてんだよ!」

 柏倉の絶叫に山根は彼を見る。柏倉は荒い息を吐き、目を血走らせていた。

「ちっくっしょう、舐めやがって!」

 彼は両手をズボンのポケットに差し込む。

 次に両手が山根の視界に現われた時には、各々に鋭いナイフが握られていた。


 *


「なんで君が出てくるんだよ」

 佐藤俊一は、迷惑そうにそう言った。

 いや、実際、大迷惑だった。俊一にとっては一番やりたくない相手だったので、篠山か柏倉がやってくれないかな、と思っていたのだ。

 そうすれば、別な機会に彼らの相手をしなければならなくなった時、同級生のかたきという大義名分ができるので、一石二鳥だと思っていた。

 それが、よりにもよって自分が戦う相手である。俊一は眉を潜めて瞳子を見た。

 彼女のような、いかにも優しい両親に愛されて、悩み事もなしにすくすくと育ってきたような女の子が、彼は一番苦手である。

 山田聡子もそうではあるが、彼女はまだ小賢しいところがあるからなんとか対処できた。瞳子のような「今まで何も悪いことなんかしたことありません」という顔を見ていると、落ち着かないのだ。

 理由はよく分からない。だから父親にも何も言ったことはなかった。言えば「甘い」の一言と共に、瞳子を蹂躙じゅうりんするための方法を十個、考案させられていただろう。

「これは子供の喧嘩じゃないんだよ」

 俊一が怒ったように言うと、

「分かってる」

 と、瞳子は緊張した顔で答えた。

「いや、分かってない」

「ううん、分かってる」

「……子供の言い合いみたいなこと、やめようよ」

「だって本当に子供じゃない。こんなこと、子供のやることじゃないよ」

 俊一は瞳子を見つめ、そして溜息をつく。

「君は子供かもしれないけど。僕は自分が大人だと思ってる。これ以上、君が何か言ったからといって事態は何も変わらない。大人である僕は、役目を果たすだけ」

「そう思い込んでいるだけだよ」

「そうじゃない。僕には大人に負けない力がある」

「力があるかないかは関係ない」

「いや、大きな違いだ」

「違わない」

「……だから、いちいち子供の喧嘩にするなよ」

 俊一はうんざりとして瞳子を見た。瞳子は、思いきり肩に力を入れた姿で俊一を見つめていた。

「元はといえば、四月朔日さんが首を突っ込んだのがいけないんだよ。それに君の一家が巻き込まれたんだ。それなのに何で余計に深入りするのさ。被害者面して一歩下がったところで見てればよかったのに」

「そんなの正しくない」

「正しいことのためなら命を落としてもいいわけ? 世界中に、自分に関係のないことには無関心な人が一杯いるのに? 七十億の人間の中で、そういう人の数が一番多いはずなのに?」

「そうかもしれないけど、今回は私に関係のあることだもん」

 そこで俊一は、彼女が深入りせざるを得なくなった事件を仕組んだのが、自分であることを思い出した。つまり、瞳子がここで命の危機に陥っているのは、俊一が巻き込んだ結果であるとも言える。

 言葉に詰まった俊一の姿を見ながら、瞳子がさらに言った。

「悪いことはやめようよ。うちのパパも言ってた。彼は自分でも望んでいないことをやっているから、止めたほうがいいって」

 それを聞いて俊一はむっとした。

「君達に何が分かるのさ。大人になったら自分が好きなことだけしてればいい訳じゃないだろ。これは役目だから好き嫌いは関係ないし、悪いことかどうかも僕には関係ない。役目だから果たすだけ。原爆落とした人もただ役目を果たしただけじゃないか。だからあんなに人を殺しても罰を受けなかったんだろ。それに、君のパパと違って、僕の父は役目だから仕方がないことだ、と言っている」

「役目は関係ない。俊一君がどう思っているか知りたい」

「だから君には関係ないことだろ。なんでそんなに自分に関係のないことに口を出すんだよ!」

 俊一は最後の言葉を吐き捨てるように言った。しかし、瞳子は怯まない。 

「多分、俊一君のしていることを肯定する人はいると思う。でも、その数は世界人口七十億人のうちの一億人は絶対超えない。そして、俊一君の言う通り、その他大勢は無関心だと思う。ただ、俊一君がやっていることはいけないことだから、気がついたら止めてあげようよと思う人が、どんなに少なくとも二億人はいると思う。そっちの方が多い。だから私は止めに来た」

「――意味が分からないよ」

「分からないはずがない」

「全然分からない」

「俊一君に分からないはず、ない!」

 瞳子が強く断言したことに、俊一は驚いた。瞳子はさらに続ける。

「だって、学校中から誰にも知られずに物を集めてきて、私のロッカーに入れられるぐらい計画的で冷静なのに、こんな簡単なこと分からないはずないじゃない」

「僕はそんなことは……」

「やった。聡子ちゃんと真凛ちゃんがお友達全員にお願いして、ずっと調べて、やっと掴んだ。掲示板に俊一君のIPアドレスで「私が盗みの犯人」という書き込みがあって、それが一分後には削除されてしまったところを、その中の一人が画面コピーで残した。IPアドレスは俊一君自身の普通の書き込みでも確認できるから間違いない。その画面コピーがいくつか集まってる。だから、すべての出所が俊一君だって分かってるの」

 俊一は驚いた。まさかそこまで監視の目が細かく張り巡らされているとは思わなかった。

「じゃあ、こんな状況に君を引きずり込んだ僕に復讐したいってことなの?」

「違う、止めに来ただけ」

「でも、君の力で僕は止められないよ」

「いいえ、止められる」

「無理だ」

「できる」

「……だから、子供の喧嘩じゃ――もう、いいよ。じゃあ実力で排除する。怪我しても知らないよ」

「大丈夫だもん」

 そこで瞳子が、肩の力を抜いて手をぶらぶらと揺らし始めたので、俊一はその変化に驚く。父親から、喧嘩の前に緊張していない奴には注意しろ、と言われていたからだ。

「だって、私のパパが言っていた。俊一君は私には絶対に勝てないって」

 そう言いながら、瞳子は服のポケットから笛を取り出し――


 清から教わった朝の体操の動きを「松本ぼんぼん」の曲にあわせて、笛を吹きながら踊り始めた。


 *


「まさか、その子まで――」

 佐藤俊夫は瞳子の動きを見た途端、事態が急変したことを悟った。

 そして慌てて瞳子の動きから目を逸らす。見つめていると危険だからだ。俊一に警告したかったが、それがさらに深入りさせることになる可能性もある。

 わざわざ笛を吹いているのは、目を引き付けるためではなかろうか。

 ともかく、周囲の人間には動きの意味すら分からないだろう。もしかしたら柏倉を翻弄しているあの女には理解できているかもしれないが、ともかく、俊一は捉えられてしまった。

 この程度のことは想定すべきだった。なにしろ「帝釈天」あるいは場律の系譜なのだから。そのことは鞠子を襲った時の洋の動きで確信していた。

 だから娘が「増長天」場律の技を継承していても不思議ではないのだが、俊一の話では瞳子には武道の影が見えなかったはずだ。鞠子は自分で確認したから、系譜ではないことを知っていた。

 迂闊だった。まだ小学生だからあれは本格的なものではなかろう。それでも「多聞天」羅刹を止めるには十分な力を持つ。

 さらに「持国天」堅守まで現れた。山根は成人しているから四天王そのものに違いない。


 微塵流においては、四天王は各々天敵を持つ。

 場律は、羅刹に強く、飛走に弱い。

 羅刹は、堅守に強く、場律に弱い。

 堅守は、飛走に強く、羅刹に弱い。

 飛走は、場律に強く、堅守に弱い。


 だから、俊夫が言った通り、本来は山根と俊一が対決し、瞳子が柏倉あたりと対決していればまだよかったのだ。今のままでは俊一と柏倉は役に立たない。

 俊夫は瞳子の動きを視界に入れないように注意しながら俊一の姿だけを見る。

 彼は明らかに迷っていた。

 羅刹の技は一瞬で相手を様々な手段を用いて殺害する、いわば暗殺に特化したものである。その性格から、相手の弱点を見極めて、そこに最も効率よく最大の攻撃を集中することが必要だ。

 そのために場律のような動きや言動で相手を惑わす攪乱術に弱い。自分も、洋の手の動きで集中を乱されて何もできなかった。

 柏倉は完全に山根の術中に嵌っている。ナイフまで持ち出したが、それでも力の差は変わらない。服に掠ることさえできていないから、最後には力尽きて自滅するだろう。

 ここから場をひっくり返すためには、斎藤の相手をしている篠山が、さっさと彼女を片付けて俊一のサポートに入る必要がある。

 無論、篠山にも瞳子の動きは辛いだろうが、通常の格闘術が使えないほどの技ではない。あくまでも、羅刹では勝てないだけだ。

 そうすれば、残った山根の堅守では俊一の羅刹に決して勝てない。あれは殺気を感知しての条件反射だから、羅刹のような殺気すら調整して相手の懐に入って最大の効果を得る技には通じないのだ。


 あるいは自分が動くか。


 いや、それは辛い。

 なにしろこの裏側には「帝釈天」あるいは場律である洋がいる。自衛官を大量に投入させたからこそ、ここまでくる間に洋の体力は削られているはずだ。

 そこを自分が一気呵成に叩かなければ、この闘いには勝てない。だからこその体力温存である。

 俊夫はその点で迷っていたが、もっと事態が深刻であることには気づきもしなかった。


 *


 篠山の特殊警棒を避けながらの攻撃では、手数が足りなかった。

 斎藤は足を使ってなんとか篠山を切り崩そうとしたが、別に単体の打撃を貰っても痛くも痒くもない篠山は、がらあきの状態で斎藤の攻撃を向かい入れた。

 そして、攻撃直後の無防備なところに特殊警棒を叩きつけようとする。既に数回掠っており、部分的に打撲の跡が残っていた。真面に喰らったら骨まで持っていかれるに違いない。

 山根は柏倉を翻弄しているが、ナイフが出てきたので逆に防御の間合いが近くなってしまった。

 あれは相手の腕ないしは足の長さから割り出した防御線で、そこに入ろうとするものを早期に発見して迎撃するものだから、初期設定の円よりも相手の腕が長くなると辛いのだ。

 今は山根と柏倉の力の差で持っているようなものである。

 そして瞳子。まさか笛を吹きながら踊るとは思ってもみなかった。始まったら自分のほうは見ないでほしいと瞳子に言われていたので、視界を外して俊一を見たが、彼は明らかに迷っていた。

 どこを狙って攻撃したらよいのか分からないのだ。この均衡状態は、当然のことながら瞳子が踊っている間しか継続できない。しかも、疲れて綻びが出た途端に俊一が襲い掛かる。

 そうなればすべて終わりだ。

 小学校五年生が踊れる時間はそれほど長くはないだろう。

(となると、やはり自分がなんとかしなければ――)

 隙を見て間合いに入り込み、攻撃を加えたら即座に逃げる。そんなヒットアンドアウェイでは打撃に力が乗り切らない。散発的な攻撃ではまったく意味をなさない。時間だけが嵩む。

 馬垣はまだこないのだろうかと思った瞬間――足が滑った。

「貰った!」

 篠山の特殊警棒が斎藤の腹を突く。

 咄嗟に斎藤は後ろに飛んだが、そんなものですべての衝撃は吸収できない。

「がはあああ」

 棒が突き刺さったところが熱くなり、続いて激痛が走る。

 勢いで地面に叩きつけられて、数回弾んでから止まる。

 斎藤は飛ばされそうな意識を必死で繋ぎとめた。

(やべえ、これじゃ自分が最初に限界じゃん……)

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