第17話:『ディラック』の使い方がわかったの?
「いまのわたしは機嫌が悪くてよ!」
そう吠えたシィが『ケレリタス』を駆る。小型魔石炉に火が灯り、蒸気を纏って空へと羽ばたく。20メートルのヴォイニッチ朱鋼の巨体であったが、その重量を微塵も感じさせない優雅な軌道だった。
「おおう、飛ばすねえ、シィは」
がしょんがしょんとデッキから出ていこうとしているのは、深蒼の機体。『ケレリタス』とは正反対に鈍重なその機体は、一撃必殺の砲を持つ。『マグネス』、ミューが搭乗したその蒸気機甲は、各関節から蒸気を吹きながら、遠くのハムスターに狙いを定める。背部の円環状のパーツが展開し、チャージが始まる。
「それで、ゼペットは何をやってるの?」
「『ディラック』の仕事さ」
ぼくとロールが搭乗した『ディラック』。副座式のコックピットでロールの後頭部を見つめながら、無数のサブアームを動かしていく。まだ調整は完璧に終わったわけではないけど、十分実用に耐えうるレベルだ。
「仕事? まあ、いいや。急に射線上に出ないでね」
ファフロッキーズが一体。すでに神速の『ケレリタス』が向かっている。万が一のことがあっても、『マグネス』が控えている。そんな状態で、『ディラック』が表に出る必要はない。ぼくの操るその蒸気機甲は、デッキをうろちょろしていた。うろうろしては、わしわしとサブアームを動かしている。
『あのー、真面目にやってくれません?』
「わりと酷いですよね、オペ子さん」
『ディラック』という機体。鈍重な姿に、非力な腕。操作系を混乱させるだけとも思える複座式に、武器らしい武器も用意されていない。
そのデメリットの塊のような構成は、しかし、賢者たちが遺した意図があるはずだ――、それがぼくの考えの取っ掛かりだった。ランダムに組み合わせて賢者たちがロボット遊びをしていたのでなければ、この機体がデッキの片隅で埃をかぶっていたのは、我々がその真価に気づいていないからだと考えた。
「『ディラック』の使い方がわかったの?」
「ああ。それに、どうしてこの機体にぼくが馴染んでいたのかもわかった気がする。でもこの能力が試せる機会は、きっとないほうがいい」
ロールが複座の前の席から、こちらを向いて、その無表情なデュアルアイでぼくを見つめた。ぺかぺかと輝いている。不思議と、いまの彼女の姿は哀しみをたたえているように思えた。夢のなかで出逢った『ディー』が頭をよぎった。
「そうね。使われない方がいい」
そう呟いて、ロールは正面を見つめた。
『ディラック』の機体は無数のサブアーム、隠し腕を備えているために、すべて展開したときの装甲の隙間はかなり多い。逆にすべて展開すると、腕がわちゃわちゃしてかなり気持ちが悪いけれど、まあ、それも賢者の意図を考えれば、合理的といえば合理的だった。
隙間が多いということは、そこにモノを詰め込めるということ。
デッキでの作業をしながら、ロールが口を開いた。
「ミューはもう焦ってはないようね」
「ケーキはしばらく作らないって言ってたからね。わざわざ『タキオン』なんて使って戦闘を早く終わらせる必要はないって」
シィという少女が、魔石の毒を受けない(あるいは受けても影響がない)という特性を持っているのは、いまは黙っておく。理由がわかったら、ロールに相談をすればいい話だ。
「ケーキ、美味しかった?」
「まずかった」
「あら、それじゃ負けず嫌いなあの子はさらに頑張りそうなものなのに」
「この戦いが終わったら、しっかり美味しいものを食べさせるから見てなさいよ!って言われたよ」
なぜだかロールがため息をついたような気がした。でも安心して欲しい。今度ケーキに誘われた時には、きちんとロールも連れて行くから。あ、でも、食べられないか。そういうため息か。
『とりゃー!』
『ケレリタス』を駆るシィの声が聴こえて、『ディラック』は平原の方へと視界を向けた。サブアームで掴んでいた機材をひとつ、ポケット状になっている装甲の隙間に詰め込んで、モノアイにカメラを動かし、焦点を合わせる。
「気合入ってるね、シィ」
「よっぽど幸せな夢が見れたんじゃないの」
今朝のあの状態のことだろうか。こころなしかロールの言葉の温度が低かったような気もするけど。いつも以上にテンションが上がっているシィは、H2型ファフロッキーズ――、巨大ハムスターの周りを蒸気を捲き上げながら、地道にダメージを稼いでいた。巨大ハムスターはそれに翻弄されるばかりで、『ケレリタス』の敵ではないといったところだ。ぼくだけでなく、ロールもミューもそう思っていたことだろう。
『ToeIC』を通した身体機能反映デバイス、シィはその類まれなる才能を駆使して、神速でコッペリアを駆動させる。人機一体とも言えるその状態の動きは、もはや『機械』とは呼べないものだ。疾く、滑らかに、舞うように、『ケレリタス』は手にしたコンバットナイフでハムスターに無数の傷を創っていく。
『これで、とどめよ!』
ハムスターの前足での攻撃を嘲笑うように高速回避した『ケレリタス』は、その勢いを右脚で殺して急旋回。コンバットナイフを構える。土煙と蒸気で『ケレリタス』の姿が見えなくなる。
「ロール」
「ふぇ、なに? 晩ごはんはカレーだけど」
完全に終わったつもりでいるロールの言葉に反応することなく、ぼくは『ToeIC』を踏み込んだ。スタンバイ状態だった『ディラック』の魔石炉が回転を始め、各関節から蒸気が噴き出す。
「出撃するよ――」
※
「あ、あれ……」
こんなはずではなかった。『ケレリタス』はこんな無様な倒れ方をしない。無二姫(ワンオフき)と呼ばれるこの機体は、もっと華麗に敵を屠るはずだったのに。
「え、ちょっと……」
蒸気の噴出を利用した急加速、そして脚で速度を殺す急停止による旋回、それがこの機体の基本的な運用のはずだった。わたしもそうやって何十体ものファフロッキーズを屠ってきた。それなのに、いま、『ケレリタス』は無様に地面に倒れており、変な方向に曲がった右脚は捻れて火花が散っていた。
――どうして。
ハムスターの攻撃? いや、見えなかったし、そんな兵装も確認ができない。特殊なギミックを使い始めたカエル型や蜘蛛型ならともかく、そんな動きをしたようにも感じられない。
「動いて。どうして動かないの……!」
右脚を踏み込んで『ToeIC』経由で動かそうにも、膝から下がピクリとも動かない。ハムスターがゆっくりと振り返り、その紅色の眼で、わたしを見つめる。
「……ひ」
自分の声とは思えないほど情けない声を上げてしまう。大きな右前脚が画面に大写しになる。漆黒の鎧を纏うファフロッキーズ、足裏面に映って見える、倒れた『ケレリタス』は蒸気のせいだろうが、涙を流しているように見えた。
『ケレリタス』は光速の名を冠する騎士。コンセプトのすべては疾さのためにあり、デッドウェイトとなる装甲は最小限まで減らされている。ミューの『マグネス』ならば耐えられるかもしれないが、『ケレリタス』なら、ハムスターが脚を乗せるだけで、くしゃりと脆く潰れてしまうだろう。
「やめ……」
バックパックの蒸気噴出口に思い至る。脚がやられただけで、『ケレリタス』の機動力は健在のはずだった。とりあえず距離を取って、ミューにバトンタッチを。と思い、操作をしてみるものの、うんともすんとも言わない。暗くなる視界、半ばパニックになりながら、コンソソールグリップをがちがちと動かし、『ToeIC』を右脚で踏みつける。
「なんで!」
涙目になりながら計器類を見てみると、バックパックへの動力に物理的な故障が発生していた。眼が釘付けになると同時に、いまの自分の機体を俯瞰で眺めたイメージが脳裏に浮かんだ。
超加速からの急停止、旋回の時点で、右脚へのなんらかのダメージがあり、バランスを取れずに倒れこんでしまう。地面を蹴ってブレーキを掛ける以上、重心よりも脚のほうが前に出ていて、機体は仰向けに地面に倒れてしまう。当然、背中にランドセルのように装備されたバックパックにかかる負荷は大きく――。
高速で縦横無尽に動き回るこの機体、バックパックはその機動力の肝だから多少装甲は厚かったが、それでもこんなダメージは想定されていない。噴出口は、ぐしゃぐしゃに潰れてしまったのだろう。
――逃げられない。
すでにハムスターの足裏は、視界全体に映しだされている。『ケレリタス』は動けない。対抗する武装もない。もうコクピットから出る余裕もない。どうしようもなくなったわたしは身を丸くして、涙を流していた。
「助けて……」
ミシリと、機体のフレームに圧がかかる音がした。
「助けてよ、ゼペット!」
※
「おまたせ」
まさに間一髪というところだった。『ディラック』の無数のサブアームの上には、負傷した『ケレリタス』が乗せられている。華奢な右脚が捻れて、稼働不能になっていた。
『ゼペット!?』
「間に合ってよかった、危ないところだったね」
『あ、ありがと』
サブアームの操作はロールに任せ、ぼくは『ToeIC』を踏み込んで全速力でその場を離れる。ズズン――、という地響きが聴こえた。これに『ケレリタス』が巻き込まれていたと思うとゾッとする。
複座の前に席に座るロールが、『ケレリタス』を見下ろす。
「お姫様抱っこの居心地はいかが?」
『……最高』
『ケレリタス』がぷいっとそっぽを向いた。
「右脚のことはいつか言おうと思っていたんだけど、ごめん、もっと早くに言えばよかった」
『何かあったの?』
「シィは基本的に姿勢が悪いんだ」
『こんなときに喧嘩を売られた……』
そうじゃなくて――、ぼくは慌てて否定する。あのシャワー室の事件から関係が始まったぼくとシィだったけれど、彼女の立ち振舞には若干の違和感があった。その違和感の正体を探ろうといろいろ見つめていたら、脚ばかり見ていると言われたわけだ。まったく興味がないと言えば嘘になるけど、ぼくはただの脚フェチじゃない。
「シィ=ライトロードは日常生活で右脚ばかり使っているんだ。自然体にしていても、そのせいで身体の軸が傾いている。もしこれが小説だったら、シィの描写の端々に右脚という単語が出てきたことだろうね」
『そんな気が付かなかった』
「そりゃそうさ。日常生活でも支障が出ないレベルの癖なんだから。でも、身体機能反映デバイスを使ったコッペリアの操作でも、良くも悪くもその癖が出てしまっている。人間が、シィが舞うようにコッペリアを動かせるけど、急停止をするたびに右(ライト)脚にかかる過(オーバー)負荷(ロード)は蓄積されていく」
しかしそれさえも僅かな影響に過ぎないはずだった。しかしここ数週間の戦いにおいては、ファフロッキーズの連続投下に対応するべく、『ケレリタス』ばかり使われていた。しかもシィはケーキ作りに勤しみたいばかりに、尋常ではない負荷をかける『モード:タキオン』を連発していたのだ。
『そんなところまで見ていてくれたんだ……。ただの脚フェチだと思ってごめんなさい、ゼペット』
「そうだよ、ぼくは脚フェチじゃない。誤解が解けてよかった。ぼくは脇フェチだってのに」
『……』
「……」
『……』
「……」
ミューから通信で『長くなるなら撃つよー』と声が聞こえた。見れば、チャージが完了した『マグネス』が構えている。とりあえずハムスターから距離をじゅうぶんに取った『ディラック』は逆噴出で、地面に降り立つ。
「撃たなくていいよ。ミューの身体も心配だから、無駄撃ちしなくていい」
『真顔でそういうことを言うからズルいんだよ、君は。で、どうするの。『ケレリタス』はそんなだし、イプシィは酔いつぶれてるでしょ。『ディラック』で戦うの?』
「いいや」
ぼくは手元のコンソールグリップを操作して、ロールと操作系を交代させる。彼女が機体全体の操作を行い、ぼくがサブアーム群のコントールを得る。
「『ケレリタス』が止めを刺すんだ」
『はぁ?』
「シィ、じっとしていてね」
『ディラック』のメインアームで『ケレリタス』をお姫様抱っこしたまま、サブアームがわきわきとその女騎士のような機体に迫る。
『ちょ、何するの……、いや、変態!』っていいそうな顔をしているけれど、相手はコッペリアだった。シィも特に事情が飲み込めていないのか、沈黙したまま。あるいは腋フェチの発言から続く沈黙が続いているのか、『じっとしていてね』を忠犬のように守っているのか。
――いずれにせよ、暴れてくれなくて助かる。
修理が必要な箇所は、バックパックの加速装置に、捻れた右脚。いずれも『ケレリタス』の根幹を為す部分であり、それ故に過負荷も激しい部品だった。
舌なめずりをしながら、ぼくは八本の細いサブアームで『ケレリタス』の右脚に触れる。少しずつ動かしていきながら、損傷の状況を調べる。同時に三十二本のサブアームを操作して、装甲の隙間に仕込んでおいたコッペリア用工具と、代替パーツを取り出す。
「すぐ、直すよ」
これが、『ディラック』の真の目的。ずんぐりむっくりな体型は装甲の隙間、ポケットを増やすため。無数のサブアームは、現場でこうした手術を行うため。
そして――
「ディラック、ハムスターがこちらに来る。動かすわ」
「いいよ、この機体はホバーで動く。振動はあまり大きくないから」
さらに、複座である理由はこれ。戦場において負傷した兵を回収しつつ、戦場を離れ、治療をすることができる。『どうやって戦うのか』という目的が不明だった『ディラック』だったが、最初からそんなものはなかったのだ。
「ゼペット、これを自分で思いついたの?」
ロールがこちらを振り返らずに言った。
「ああ。『ディラック』に隠されているヒントを繋ぎ合わせれば、これが正解のはずだ」
そしてぼくは作業員であり、コッペリアの整備についてはほとんど誰よりも長けている。思い出せない記憶も(それが本当に失われた科学の知識ならば)、この機体に乗るのはこれ以上ない人材だろう。複座なのも、ぼくとロールが二人一組で動いているからちょうどよかった。
――できすぎなくらい、できすぎている。
ぼくが『器用貧乏』と呼ばれていた『ディラック』を見つけたときに感じたシンパシー。ぼくはこれに乗るのだと思った謎の直感はきっとそれにつながっている。
これをきっと『運命』だとか呼ぶのかもしれない。
「ロール、操縦は任せていい?」
「ええ、ゼペットはしゅじゅちゅ、しゅじゅ……、しゅじゅしゅ……、『オペ』に集中してちょうだい」
ロールがコンソールグリップを握り直して、ハムスターを見据える。ようやく明かされた『ディラック』の秘密――、けれど、ロールのいいぶりはどこか不自然だった(噛んだのは置いておいて)。
しかし、違和感を抱いている暇はいまはない。ほんとうはどこかで練習したかったのだけど、ぶっつけ本番になってしまった。
でも。
「やるしかない」
まずはサブアーム四本で脚部を固定し、残りのアームで傷口を触る。火花が出ているのは魔石炉から伸びているケーブルだった。ぼくの中のもやがかかった記憶が囁く。これは電力を送電するためのケーブルだ。道理でさっきから『ケレリタス』のこのケーブルから先は、石像になってしまったように動かない。
「ロストテクノロジー」
ぼくたちでは再現不可能な産物――。けれど、予備はいくらでも遺されている。外装やコッペリア特有のギミックは基本的に替えが効かないけれど、共通規格で採用されているものは流用が効くのだ。右の脇腹あたりの装甲の裏側から、念のためデッキから拝借していたケーブルを用意し、慎重に付け替えを行う。ケーブルには節のような部分があり、そこで取り外しが容易に出来た。
右脚の酷使による過負荷の影響で、物理的に損傷した部品は、別のコッペリアのものを流用する。人工筋肉、関節部品、膝外装、踵底部、サスペンション。さすがに以前のような壮麗さは、外観上なくなってしまうけれど、急造品としては仕方がない。あとで塗装も白に合わせるとしよう。
「とりあえず右脚はこれで大丈夫。シィはとりあえず左右の偏りを気にしないでいまのまま動かして。それでちょうどバランスが取れるものを選んだつもりだから」
『ゼペット』
「ん、なに、シィ」
『ありがとう。まだこの子は舞うことができるわ』
見ると、右脚の膝から先を動かせることに感動したのか、にぎやかしく動かしているところだった。気持ちはわかるけれど、お姫様抱っこしたところでそんなことをされると重心が動いてしまうので、ロールから怒られるシィだった。
「バックパックの蒸気噴出口なんだけど、さすがにこの場では直せないから、ありあわせの部品の継ぎ接ぎになっちゃう。原理的には動くはずだけど、テストもしていないし、シィの操作の感触も違うかもしれない」
『任せるわ。きっとうまく使ってみせる』
その言葉を聞いて安心した。
サブアームをわきわきと動かし、まずはバックパックごとはぎ取る。バーニア部分が着地の衝撃でひしゃげており、無理をすれば内部の蒸気圧で本体にダメージがいくところだった。いくつかの部品に素早くバラして、装甲内のポケットに入れる。
さて『ケレリタス』のバックパックはその機体に合わせて設計されているから、動力ケーブルのような規格品ではない。そのためデッキを漁っても、ちょうどこれだとすげ替えられるようなものがなかった。デッキに残っていたものも、きちんと動くかどうかわからない。
――でも。
きちんと動くバーニアがここにはあるのだ。ぼくは『ディラック』の背部に手を回す。
「ゼペット!?」
「ごめん、ロール。ホバーだけでどうにかして」
「無茶を言うわね。あとでゼンマイ巻いてくれるって約束してくれる?」
「もちろんさ」
全力でハムスターから距離を取り、慣性を殺さないようにホバーで逃げる。『ディラック』の簡易的な背部バーニアを外して、『ケレリタス』の背に移植する。
極端に速度が落ちるようなことはなかったが、明らかにロールが困惑しているような感覚がした。それもそうだ。ホバーだけなら前進はいいものの、ちょっとした位置取りは摩擦がないせいで、右に左に暴れてしまうことだろう。
距離を詰められるのも時間の問題だった。ぼくは目の前のことだけに集中する。同じコッペリアの、同じ目的のための部品。『ケレリタス』の繊細な軌道制御と、『ディラック』のホバーの補助動力では、構造は違うかもしれないが、移植が不可能なものではないはずだ。『ディラック』のこの巨体の姿勢制御に用いるものだから、細身の『ケレリタス』なら充分なはず――。
「できた……」
合計六十四本のサブアームをしまいながら、『ディラック』は『ケレリタス』を地面に立たせる。はじめて車いすから降りた少女のように、不安定そうな立ち方ではあったけれど、シィの操作技術もあいまって、しっかりと地面に立つことが出来た。各関節から蒸気が吹き出し、急遽移植したバックパックからも、きちんと白い蒸気が確認できた。
「シィ=ライトロード」
『ケレリタス』の装飾の施されたフェイスを見つめ、ぼくはそう言う。弱音はいくらでも言うことができる。はじめてだったから、じゅうぶんな部品がなかったから、逃げながらだったから、テストをしていないから――。
でも、ぼくはこう喋ったんだ。
「シィ、任せた」
『任された。大丈夫。ゼペットが直してくれたんだから!』
そう言って『ケレリタス』は蒸気を纏い、駆けて行く。ハムスターの血色の瞳が、再び立ち向かってきた白騎士を見据える。『ディラック』に乗るぼくたちはそれを見つめる。
「お疲れさま、ゼペット。初めてにしては上出来だと思うわ」
「ありがとう。うまく動かしてくれた、ロールのおかげさ」
「ゼンマイ、巻いてね」
「ああ、いつも以上に」
『ディラック』の仕事はもう終わった。あとは『ケレリタス』の戦いぶりを見守ることしか出来ない。
蒸気をまきあげて飛翔する『ケレリタス』は、ハムスターを圧倒する。打撃こそ微弱なものの、確実に継続的なダメージを与えていく。対して、ハムスターはそのダメージの蓄積ともともとの鈍重さがあいまって、もはや『ケレリタス』に追いついていない。もともとあの過負荷がなければ勝っていた戦いなのだ、もはや負ける要素は残されていない。
「わたしはね、驚いているの」
「ロール?」
「『ディラック』のこんな使い方。ゼペットがこの子の役割を見つけたと言い出したときは不安だったけれど、まさかこんなふうに使うなんて」
ロールが複座の前の席から、ぼくに振り返る。デュアルアイがぺかぺかと光る。無表情なそれだけれど、どこか、切なそうに笑みを浮かべている、そんな表情にも思えた。
「もしかして、これが正解じゃない……?」
「『この機体の開発者の意図』からすれば正解とは言えない。偶然が重なり合った結果、たまたま機能が合致したに過ぎないわ。でも――、」
視界の向こうでハムスターが崩れ落ちる。
「ゼペット、あなたがしたことは『正しいこと』だわ」
天空に魔法陣が描かれる。木々が絡みあった複雑な文様が見えざる手によって描かれて、もはや動かなくなったハムスターの身体を浮かべていく。
――どくん。
心臓が跳ね上がるのを感じた。
「クァンタム――」
「見ないで。ゼペット。大丈夫だから、ね」
ロールに抱きしめられる。不思議とこころが安らぐような感覚がして、奪われそうになった意識がどうにか返って来る。そういえば、こんなに近くで魔法陣の展開を見るのは初めてだった。いつもは帰還の魔法陣が閉じてから、シィが脱ぎ散らかした服を拾い集めるのが『ディラック』の仕事だったから。
――もし誰かがあの魔法陣からこの世界を見つめているのだとしたら、この戦闘で初めてこの機体を認識したことになる。
『ゼペットー、あんたのおかげよー、ありがと!』
外部スピーカーで、シィの声が聞こえた。ロールに視界を塞がれているから、見えないけれど、ぶんぶんと無邪気に手を振る『ケレリタス』が容易に想像できた。
『シィさん、ロールさん、ゼペット、おつかれさまでした。H2型の撤退を確認しました。帰投してください。あとゼペットは無断で持ちだした工具、予備パーツ類の始末書を書いてください』
「マジか」
『お役所ですので』
うなだれるぼくに、シィが声をかけてきた。もう魔法陣は閉じたのか、ロールが身体を離す。『ケレリタス』が『ディラック』の肩に手をおいての接触回線。
『お礼にケーキを作ってあげる。今度は隠し味なしでね』
「ありがと、シィ。君が無事でよかった。無茶なことを頼んでしまったからね」
『もう。始末書はそのときに一緒に書きましょ。たぶんわたしもコッペリアの損壊のやつ書かないといけないし』
『ディラック』のホバーを吹かして、『ケレリタス』と手を繋いでデッキに戻ろうとする。細かな軌道修正はシィが行ってくれた。もう彼女はあの無茶な調整に対応したらしい。
『とりあえず帰ったらシャワー浴びるから、覗かないでよね』
「ちょ、ちょっとまって。たしかにシィのが大変だったのはわかるけど、ぼくだって冷や汗やらなんやらでもう大変なんだよ。どれだけ集中力の要るしゅじゅちゅ、しゅ……、『オペ』だったか!」
『はぁ? 男の子ならちょっとくらい我慢しなさいよ!』
わーきゃー騒ぐぼくたちにロールが冷ややかな眼を向ける。
「一緒に入れば?」
『ナーイスアイディア、ってそんなわけないでしょー!』
オペ子もきっと似たような表情をしているのだろう。
『エッチです』
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