第14話:「ここにおられましたか、『マスター』」

 は〜い、こんばんは☆

 みんな聞いてるっ?

 土日の深夜恒例、今日も『朝までふろんてぃあ☆れいでぃお』はっじまっるよ〜!


 DJはお馴染み、どこかの前線基地で働いているかも、もしかしたら街で暮らしているかも、その正体がすべて謎の『MeowMeow』でぇ〜す。


 ところでみんなはこんな格言が在るのを知ってるかしら。

 『失った記憶と壊れたテレビを直すには、ガツンと衝撃を与えればいいなぽ』


 テレビってやつの意味はよくわからないけれど、たぶんそういう精神状態があるのかしらね。まあ、それは置いておいて。ちょうどいまわたしの周りに重大な記憶を喪失しているやつがいるんだけど、そいつの記憶を呼び起こしてやろうという、そういう魂胆だ!


 もし、これを聞いてるリスナーたちの中に、ファフロッキーズの魔法陣を見るとトリップする、いつもロボ娘と一緒にいる少年の記憶喪失はこうやって直しました――、って成功談があれば、どしどし応募してね〜!


 ※


 「そんなひと、他にもいるんだ!?」

 「ゼペット、いつかほいほい騙されそう」


 ※


 それじゃあ、今日のメールは、お、久し振りだね。『ひとりのクリスマスイプ』さんからのお便りだ!


 え〜っと、最近引っ越しました。引っ越したといっても自分の意志ではなくて、仕事上の理由からであって、本当は面倒をみなければいけない子たちもいるから、新しい環境はちょっとって思ったんですけど、お金がないことにはこの子たちの面倒も見れないしということで、新生活が始まったんですが、新生活といってもだいたい同じようなところからあんまり変わらないというか、あ、でも距離はすごく遠くて大変だったんですけどね、反対側でしたので、それで、前に比べればかなり忙しくて、今日もさっそく仕事があったんですけど、

 (10分経過)

 それで、シャワーを覗かれてしまったんですが、わたしなんかの裸を見てしまって本当に可哀想なことをしてしまったなというか、眼が爛れてしまうのではないかと心配になってしまいまして、あるいはトラウマになってしまうか、石になってしまうか、いずれにせよ、そんな末路を想像しただけで絶叫してしまったわけです。


 ――やぁ、ようやく見つけたよ、ふたつ目の句点。相変わらずの長文だよねえ。こういう人に限って、普段は無口だったり?


 しっかし、引っ越した直後に男の人にシャワーを覗かれてしまったわけだねえ。わたしの周りにもそういう被害にあった人がいるんだけど、いまではとっても仲良しだよ。これをきっかけに、ひとりのクリスマスイプも彼と仲良くなれるかも!?


 っていうか、覗かれてきゅんきゅんするって、ストックホルム症候群以外のなにものでもないよね……。ライトに言えば、吊橋効果なのかな。


 あ。

 『MeowMeow』すごいこと思いついちゃった!


 天才かもしれない。もっとも彼にとっては、天災かもしれないけどね。あ、そうそう、天才と言えば、あの重厚機体『マグネス』の天才パイロットのことなんだけど〜(10分経過)


 ※


 ぼくはそれを夢だと気づいていた。


 いつかのシィとミューとロールが、コッペリアを駆ってぼくを取り合うようなあんなほんわかしたものではない。夢のなかのぼくは苦渋の表情で、少女を見つめていた。


 それをぼくが夢だと気づいたのは――、現実ではないと気がついたのは、ぼくのいる周囲が見たこともないような機器で埋め尽くされていたからだ。部屋は閉ざされていて、暗く、冷たい。ジー、という重低音が四方八方から鳴り響いている。


 壁のいくつかの部分が緑色に点灯していたけれど、その原理をぼくはあまり良く知らない。不意にリウス司教のデスクを思い出した。暗くてよく見えないが、あれによく似ていた。その意味するところは、わからない。


 『ぼくを赦してくれ』


 ぼくは、目の前の水槽に向かってそう呟いた。迷いの表情。苦々しい表情。けれども、水槽に映ったぼくの瞳は絶望に埋もれてはいなかった。一点のひかりが、そこに感じられた。


 『君は――、』


 脚があった。

 綺麗な脚があった。

 水槽の中には同じ年くらいの少女が全裸で浮かんでいた。身体には無数のケーブルが接続されていて、その形のいいまつげには水泡が浮かんでいる。


 『ああ、君は、』


 硝子に映ったぼくが郷愁の表情を浮かべるその後ろで、ぼくは驚きの表情でその光景を見つめていた。その全裸の少女には見覚えがあった。記憶よりも若干幼いけれど、それは紛れもなく、あの少女だったのだ。


 薄い胸が上下する。眠っている少女は幸せな夢でも見ているのか、にこりと微笑んだ。硝子に映ったぼくはそれを見て安堵の表情を浮かべたが、聞こえてきた足音に表情を険しくさせた。がしょんがしょん、生身のヒトではない、特徴的な足音。


 扉が開かれて、この部屋に明かりが差す。


 「ここにおられましたか、『マスター』、蒸気機甲団第一部隊長がお呼びです」

 「すぐに行く」


 がしょんがしょんという足音、振り返らないぼくの背中に、彼女が近づく。ぼくを『マスター』と聞き慣れない名詞で呼ぶ彼女。


 「そんな少女に切ない顔をしないでください、マスター。もしかしてそういう趣味なんですか。わたしが一番だとあんなに言ってくれたじゃないですか。ねえ、マスター。わたしを、見てください」


 ぼくは振り返る。そこにはヴォイニッチ朱鋼で造れた擬体がある。ぼくの記憶の中にある、母のような姉のような、彼女――によく似た。


 ぼくの唇が動く。

 「ディー」


 ぼくのその声を聞いて、彼女はデュアルアイをぺかぺかと光らせた。

 「はい、わたしのマスター」


 そのあとの光景はフラッシュバックのようだった。網膜を焼くような閃光。轟音。砕かれた水槽に、千切れたコード。溢れだす培養液。叫び声。無数の腕を備えた機体が――。


 『マスター!』


 記憶は、霧の向こうに塗りつぶされる。


 ※


 「ゼペット」


 頭の奥がずきずきと傷んでいた。


 「ゼペット、起きて」


 ベッドで眠っているぼくの上に、金属でできた少女が乗っかかっていた。寝坊助なぼくのために、彼女はいつもこうやって起こしてくれる。記憶を失い、アンティキティラの街にやってきてから、何千回と繰り返された、いつもの朝――。


 「ディー」


 さっきまで見ていた夢の残滓が、ぼくの唇をそう動かせた。薄く眼を開けると、ぼやけた視界の中に、ロボ娘の像が結ばれる。


 「ロールよ、わたしはロール」

 「ロール」


 ロールのデュアルアイの奥のレンズが焦点を絞るように、きゅいきゅい動いているのがわかった。その無機質な手のひらが、ぼくの頬を包む。


 「そう。わたしは、ロール。あなたはゼペット」


 その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、頭のなかにかかっていた霧のようなものが吹き払われた。慌てて周りを見回す。右側の棚にあるのは怪しげな機器ではなく、たたまれた作業着の洗濯物であるし、左側にあるのは妖精のような少女が収められた水槽ではなく、ロールが用意してくれたちゃんとした目玉焼きだった。ここは、ぼくが生きてきた風景だった。


 「ごめん、寝ぼけてた」

 「もう」


 ロールのデュアルアイがぺかぺかと光る。「コーヒー淹れるねー」とぼくの上から降りたロールは、がしょんがしょんと、台所に向かっていた。


 「なんだったんだ、あれは――」


 不可解な夢の深淵、ぼくが当たり前のように『ディー』と呼称したあの少女は、ロールと同じような擬体少女だったけれど、どこかロールとは違うような気がした。距離感? ゼペットではなく『マスター』と呼ぶ彼女は、そうだ、ロールのようなノイズ混じりの声ではなく、クリアに話していたような気がする。


 『ゼペットは本当に何も憶えていないわ。もしかしたら天才科学者だったのかもしれないし、妄想癖が過ぎる小説家だったのかもしれない。とはいえ、その記憶の片鱗は時折こうして顔を覗かせるみたいね』


 と、あのときロールは言っていた。あの夢がぼくの空想の産物であるとするならば、まったく見たことも想像もしたこともないような光景が広がっていたことを考えると、もしかしたらぼくには小説家の才能があるかも知れなかった。


 苦笑する。


 「『ディラック』にかかりきりで疲れているのよ、ゼペット。はい、コーヒー。朝ごはんも食べちゃいましょう」

 「うん」


 むぐむぐと食べるぼくを、ロールは頬杖をついて見つめている。ちょうど好みの硬さに焼かれた半熟の卵焼きが、舌の上でとろける。胡椒の風味が鼻から抜ける。いつもの、味。


 「ねえ、ロール。君はどうして食べなくても平気なんだろう。ぼくたちはこうして食事でエネルギーを得ないことには、身体を動かすことができないよね」

 「そのために、あなたにゼンマイを捲いてもらっているじゃない」

 「あれだけ?」


 ロールが悩ましげな声をあげるだけで、ぼくの力ではそれほど巻けていないような気がする。効率だけで考えるなら、街の魔石から直接供給されている動力『ギアスポット』に嵌め込んで、全力でぐるぐる回したほうが、より多くのエネルギーを蓄えられると思うのだけど。


 「ゼンマイを巻いてもらうのは、起動の鍵でしかないわ。わたしのここには――」とロールは、下腹部に手を当てて、愛おしげな表情をする。「ここには、半永久的にわたしを稼働させるためのエネルギーが詰まっているの。たいせつな、場所。でも、エネルギーはあくまで可能性(ポテンシャル)でしかないわ」

 「可能性?」

 「可能性はそれだけでは何もできないわ。わたしがわたしでいられるのは、ゼペットが鍵を回してくれるから。そうでなければ、コッペリアと同じよ。ねえ、だから、」


 ロールがぼくを見つめる。


 「ううん。なんでもない。美味しい?」

 「美味しい」

 「今日は、『ディラック』のサブアーム整備の仕上げなんだから、いっぱい食べて頑張らないと」


 朝食を食べ終わって、歯を磨き、作業着に着替える。それらの必要がロールは、その間に洗い物などを済ませておく。呼吸よりもよっぽど無意識な、ぼくたちの日常。


 「ほら、ゼペット、寝癖」


 と出かけようとするぼくを呼び止めて、髪を撫で付ける。


 「ハンカチとティッシュは」

 「お母さんかよ」

 「お母さん、知らないでしょ、ゼペット」


 作業着の各ポケットに入れられた工具類をひとしきり確かめて、帽子を被る。『ディラック』の運用の仕方――、あの機体をわざわざデザインし、遺した賢者たちの意図。それにぼくは気づきつつあった。


 ファフロッキーズと戦うためにデザインされたコッペリアであるにも関わらず、固有の武器を持たず、あるのは戦闘に向かない細いサブアーム群だけ。機動性もいまいちで、ずんぐりむっくりなだけ。装甲の隙間が多く、防御性もいまいち。


 ずっとそれを考えていた。起きている時も、寝ている時も。あとは考えていたのは、シャワー室に入るときには十分注意しなければならないとうことくらいで、あとは『ディラック』のデザインの意味をずっと考えていた。


 ――この理屈なら、通る。


 そう確信するものをようやく掴みとることができた。ドアノブに手をかけて、ロールと共に外に出る。と、いきなり廊下で待ち伏せていたであろう人影が顔を出した。


 「おはよー☆ ゼペッち! ねえ、今日は何しようかにゃん?」

 「えっと」


 腕を絡めてきて胸を押し付けてきたその少女は、よく見慣れた少女だったけれど、今朝の夢よりも非現実的な光景に、ぼくは唖然としてしまった。


 「も、もー、早くデッキに行こっ♡」

 「シィ、変なものでも食べたの?」


 と、ぼくが言うと、彼女は顔を真赤にしてうつむいて震えていた。困ったようにロールを見ると、デュアルアイをぺかぺかと光らせていた。


 「多分、あれね」


 ロールが指差した方向を見ると、廊下の向こうで、ミューが腹を抱えて大爆笑していた。シィがキッと、そちらを睨みつけた。


 「……だって、ゼペットの記憶を戻すためにはショック療法しかないって、ミューが」

 「他にもやりようはあっただろうに……」


 信じきって、しかもそれを実行したシィに哀れみの眼を向ける。『失った記憶と壊れたテレビを直すには、ガツンと衝撃を与えればいいなぽ』と、このあいだのふろんてぃあ☆れいでぃおで言っていたのを思い出した。


 いまでに腕に抱きついているシィの、押し付けられた胸の柔らかさと温もり。それを意識したのが伝わってしまったのか、顔を真赤にしたシィがパッと距離を取った。


 「ごめんごめん、失敗失敗。シィ、よくやったよ、戻れー」

 「ばか!」


 と、合流したシィとミューはこそこそと物陰に隠れていった。ぼくの記憶。確かにあれがあれば、コッペリアの強化や街の防衛だってやりやすくなるんだろうけど、さすがにいまのシィの振る舞いはやり過ぎて、プスーと吹き出してしまった。


 「笑うな!」


 物陰から声が飛んできた。


 「たしかに衝撃はあったよ」


 と廊下の、向こう側に返す。すると、後ろに立っていたロールがぼくの手を取って身体をすり寄せてきた。


 「ねえ、今日は何しようかにゃん?」


 ノイズ混じりの声だったが、いつもの声音ではなく、明らかにシィを意識したものだった。胸、に当たるパーツを腕に押し付けて、猫のようにぼくを見上げる。デュアルアイとバイザーに、ぼくの顔が映る。


 「やめて!」とシィの声が飛んで来る。


 「早くデッキに行こっ♡ それともベッドに行く?♡」

 「ロール!? そんなんで記憶が戻るわけないだろ!」


 おそらく人間だったら口を尖らせるような表情をしたロールは、ぼくをもう一度見つめ、ちょっと離れて背を向けた。手は後ろ手に結ばれて、石を蹴るようなしぐさ。


 「ちぇ、でも諦めないにゃん。『マスター』のためだったら、わたし、なんでもするにゃん?」

 「……マスター」

 「お」


 と期待のこもった声が、廊下の向こう側から聞こえてきた。「え、なに、ゼペット、そういう呼び方が好きなの?」とこそこそとシィの声が聞こえてきて、「しぃ、聞こえるよ。彼だってそういう変態性を隠すので必死なんだから」とミューの声が聞こえてきた。

 ひどい。


 マスター。

 『そんな少女に切ない顔をしないでください、マスター。もしかしてそういう趣味なんですか。わたしが一番だとあんなに言ってくれたじゃないですか。ねえ、マスター。わたしを、見てください』


 『ディー』と夢のなかのぼくが呼んだ、ロールによく似た少女。彼女の言葉が耳元で再生されて、頭の中に釘でも挿されたような痛みが走った。あれは夢だと、ぼくの中のぼくが叫ぶ。


 「……ゼペット、ゼペット」

 「ん、ああ、めまいがちょっと」

 「悪ふざけが過ぎたわ、ゼペット。反省するにゃん☆」


 と、ロールがぼくの手を握った。

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