第5話:『ファフロッキーズ』がいなくなれば、こんなこともなくなるのかな
「ずっと君の脚のことばかり考えていたんだけど」
「ふぇ?」
「ゼペット!?」
あ、あれ?
雑踏の物音が一瞬消え、筆舌に尽くしがたい視線に晒されることになったぼくは、青ざめながら手を振った。
「い、いや、そうじゃなくて、その脚の感じを確かめるためにも今晩あたり一戦お願いしたいなって!」
シィは顔を真赤にしてぷるぷる震えているし、ロールに至ってはデュアルアイがそもそも点灯していない。いつもならボディブローをすぐ仕掛ける彼女だったけど、今回はそれどころじゃなかったようだ。
ベッドの下に隠していたおいた本が見つかったときだって、こんな反応ではなかったのに。
あ、眼が点いた。
「ゼペット」
「はい」
「前々から薄々思っていたけど、まさかあなたが、そこまで変態だとは思わなかったわ。もう知らない。……この、えっと、その、……変態!」
語彙の足りないロールが怒って、雑踏をかき分けて駆け出していく。勢い余って数人とぶつかってしまっていたが、それでも肩をいきり立たせて、大きな歩幅でずいずいと進んでいった。
一方、うつむいたままのシィが口を開いた。
「……わたしから10メートル以上距離をとって、きちんと前線基地まで送り届けなさい」
「そういうつもりじゃないのに……」
※
「ねえ、ほら、シィ。イモリ揚げだって。食べたことないでしょ、これが意外とイケるんだよねえ」
「……いらない」
「あ、ほら、あそこの服屋さん、年頃の女の子に人気があるって、ロールが昔言ってたけど」
「……いらない」
そんな帰り道だった。人混みの中ではぐれないように手でも繋いでくれればそれらしいのだけど、さきほど完全に嫌われてしまったぼくは、絶対に振り向かないことを条件に、『アンティキティラ』の中央ブロックから最前線基地へと向かっていた。シィは不機嫌そうに、ぼくの服の裾を引っ張りながらついてくる。
周りの賑やかさと裏腹に、重苦しい沈黙がぼくたちを包んでいた。思い返せば、シャワーを図らずも覗いてしまって以来、ずっとろくでもない面ばかり見せている気がする。
不意に、あのときの姿が脳裏に浮かんでどきりとする。
「えっと、ほら、シィ、『ケレリタス』のキット――」
「どこ」
指差すと、シィはぱんぱんになったリュックを背負い直して、その出店に向かっていった。そこには三体の街の守り神『ケレリタス』のキットがあって、(ぼくからすれば)相当の値段だったけれど、サングラスを装備して彼女は、その三体をすべて買った。そしてもう入らないからと、その袋をぼくに持たせた。
「いいけど。そもそもどうしてこんなに買ってるの? そんなチョー似合うサングラスで、正体まで隠して」
「……う゛」
明らかに言葉に詰まった彼女の顔を見たくてそっと振り返ってみたものの、「前を向いてきりきり歩きなさい」と言われた。しかもスカートを伸ばして脚を出来る限り見せさせないようにして。
「で、なんで?」
「わたしのお守り」
「お守り?」
「そう。怖くて眠れないときとか、体調が悪いときに励ましてもらうの。わたしはこんなに必要とされてるんだって」
意外だった。
このあいだの決闘よりも前から、ぼくは彼女のことを知っている。この街が産んだ最高峰のコッペリア乗り。エースパイロット。無二姫。そのときは遠くからでしか知らなかったが、革命に立ち上がった気高い少女のようなイメージを抱いていた。街の人達もきっとそうだろう。ぼくだって今日、彼女が無様に迷子になっていなければ、きっとそのイメージを抱き続けていたことだろう。
「他の誰かに言ったら殺す」
「……はい」
『アンティキティラ』の出店が並ぶ商店街を抜けると、そろそろ外縁に近づいていく。ドーナツのように広がった居住区に入れば賑やかさはなりを潜め、そこを抜けると、いわゆる貧困街と呼ばれるエリアに入る。
ここまで来ればもう人混みに飲まれて迷子になることもない。シィはぼくの裾から手を離し、少し距離をおいて並んで歩く。いつもはそこはロールがいる立ち位置なのだけど、今日は少し落ち着かない。
――そういえば、ロールは無事に基地に帰れただろうか。
「おねーちゃん、なにかちょーだい?」
スラム街の少女がそんな声を上げた。薄汚いボロ布をまとって、手足はがりがりにやせ細っている。髪もぼさぼさで、眼には虚ろな光が宿っている。
「なにか、ちょーだい?」
ぼくよりシィに声をかけたのは、彼女が山程なにかを持っているからだろう。絶対無敵のエースパイロットは一瞬たじろぎ、苦虫を噛み潰したような顔をして、彼女から眼を逸らした。そして早足でぼくを追い抜いていく。
「早く来なさい」
少女の縋るような眼がぼくに向けられる。一瞬鼓動が止まりかけるが、ぼくもシィについていく。物陰からの様々な視線に射抜かれながら、ぼくたちはただ前を向いて歩いて行く。
「昔、初めて司教からお小遣いをもらったときに街に出てきたことがあったわ。そのときも迷子になったんだけど、結果的にこのスラム街に迷い込んで、あの子に声をかけられたの」
「うん」
「持ってるお菓子全部あげたわ。なんなら一度商店街まで戻って、いろいろ買って戻ってきた。そしたら彼女は喜んでくれて、わたしも嬉しかったんだけど、それが間違っていたんだって気づいたのは、次に訪れたときだった」
『おねーちゃん、なにかちょーだい?』
少女は、少女である自分がその格好でこの口調で物乞いをすれば、優しくしてもらえることを学んでしまった。中央街ではまだ労働力の不足が叫ばれているから、もし彼女がそこで技術を手にしたなら、継続的な安定に繋がったかもしれない。が、シィが優しくしてしまったことで、彼女は気づいてしまったのだ。
「……ぼくも同じことをしたことがある。ロールに窘められたけど」
「どうしてこんなことがあるのかしら。わたしたちが必死で守っている街なのに」
「『アンティキティラ』の時計台に封印されている『魔石』のエネルギーはほぼ無限に等しいけど、ある時間単位の供給量で区切ったら、どうしたって有限だからね」
もちろん『魔石』をオーバーワークさせることで、おそらく一時的には供給量を増やせるのだろう。けれど、誰もそんなことはしない。『魔石』が封じられている炉は、『賢者』たちの遺したオーパーツであり、壊したら誰にも直すことはできない。どころか、一度暴走すれば、この街が熱の坩堝に沈むという話もある。
「『ファフロッキーズ』がいなくなれば、こんなこともなくなるのかな」
シィは蒸気煙る空を見上げて、そう呟いた。
「コッペリアは独立の『魔石』の炉で動いてるから関係ないけど、防衛施設は街から動力を引っ張ってるからね。『ファフロッキーズ』のせいで、街に回せない分、ってのはあると思う」
「負けられないね」
シィはサングラスを外して、ツインテールを揺らした。空に手を伸ばして、そう呟いた。
――その瞬間、街全体を震わせる警報音が鳴り響いた。
「これは……」
スラム街の者たちがボロい家屋の奥へと隠れていく。中央ブロックの方でもどたどたざわめいているような音が伝わってくる。耳をつんざく警報音は、街の中心、蒸散塔から発せられていた。
シィが伸ばした手のひらの先、蒸気で霞む大空に複雑な文様が描かれていた。紫色に発光するそのラインは、分岐をしたりつながったりを繰り返しながら、禍々しい幾何学模様を描いていく。
「魔法陣!?」
「もうなのか。まだ1日経ってないぞ」
こうしてぼくたちが街に買い物に出ていたのは、外敵の襲来には一定の規則があったからだ。それは正確に予言をするものではないが、さすがに1日も置かずに再出現するのは聞いたことがなかった。
魔法陣がひときわ輝き、そこから黒鉄の巨体が重力を無視して、ゆっくりと降りてくる。まず見えたのは、八本の先端。魔法陣の光に包まれながら、その姿が明らかになっていく。赤黒く発光する複数の眼があらわになり、ここまではかなりの距離があるのに見射抜かれたような気がした。
「蜘蛛? S型、ゼペット、ここから基地までは?」
「走ったとしても三十分はかかるよ」
シィ=ライトロードは空を見上げながら、爪を噛んだ。
魔法陣から降りてきた蜘蛛は、その八本の脚をクッションにして地面に降り立ち、その存在感を示すように咆哮した。多脚をそのスケールに従った速度で動かし、地面からは土煙が起こる。
全高は30メートルほど。脚のせいでそれよりも巨大に見える。複眼をぎゅるぎゅると動かして、街に向けて歩を進めていく黒鉄の虚神。降り立つもの(FAlls FROm The SKIES:ファフロッキーズ)。
狙いは、『アンティキティラ』の街の中央に封印された『魔石』。現代の技術はとても再現できない無限のエネルギー源。この街は完全にその炉からのエネルギーに頼りきっているため、それを奪われることは、まちがいなく都市の死を意味する。
「これ持って」
ぱんぱんのリュック、両手に提げていた紙袋をごっそりと渡される。『走ったとしても間に合わない』と言おうと思ったけど、それは彼女が一番よくわかっていることだろう。
「わたしが止めないと」
ツインテールを解いてひとつに結び直し、シィ=ライトロードがその右脚で地面を蹴ろうとしたそのとき、もうひとつ大きな地響きが街を震わせた。
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