パパは覆面作家 第一章 パパは覆面怪盗?

阿井上夫

前日譚

 広島に原子爆弾が投下された翌日の深夜のことである。

 東京の月島に駐屯していた日本帝国陸軍帝都防衛高射砲中隊の各班に、「至急隊員二名を選抜し、官舎の中庭に集合させよ」という命令が下った。

 突然の招集に息を切らして中庭へ駆けつけた三十名の砲兵隊員達は、全員が戦々恐々としていた。何故なら「不測の事態が発生し、自分達がその対応をすることになった」と考えていたからである。

 ところが、彼らの前に立った中隊長が下した命令は次のようなものだった。

「只今より越中島の倉庫に急行し、物資を搬出して、それを明け方までに海洋に投棄せよ。本作戦は極秘任務であるから、現地で見聞きした事柄については今後一切口外しないように」

 深夜に緊急招集された砲兵隊員達は、なぜこんな時間に、こんなに急に、しかも兵站へいたんの輸送を扱う係ではなく自分たちがその任に当たることになったのか、といぶかしんだ。

 しかし、彼らはそれ以上考える時間は与えられなかった。命令に従って越中島の倉庫へ急行する。

 現場に到着してみると、そこには既に緑色の塊を満載した大八車が六台準備されており、しかも闇に紛れた倉庫の奥の方には同じような塊がいくつか山になっていた。

 その塊をすべて大八車一台あたり五人がかりで運び出し、少し離れた岸壁から海洋に投棄しなければならない。ぐずぐずしていると夜が明ける。

 砲兵隊員達は大八車に取り付き、その重さに閉口しつつ動かし始めた。


 倉庫を取り囲んだ路地の片隅。前照灯を消したトラックの助手席で、事の成り行きをうかがっていた男が呟いた。

「餌がかれ始めたな。我々も行くとしよう」

 運転席の男はうなづくと、アクセルを思いきり踏み込んだ。

 相当な重量物を搭載しているため、トラックのサスペンションは深く沈んでいる。見るからに走りにくそうであったが、エンジンの咆哮ほうこうとも悲鳴ともつかない音と共に徐々に動き出した。

 同じ状態のトラックが三台、純度の低い燃料が燃焼する際の黒煙を大量に吐きながら、隊列を組んで蝸牛かたつむりのごとくのろのろと闇の中へと消える。

 後に残った黒煙も、時間の流れの中に消えていった。


 *


 さて、マーフィーの法則ではないが、極秘任務というものは必ず漏れる。

 昭和二十一年四月八日には、NHKと新聞数紙が東京湾の宝探しを次のように報じた。

「東京湾に貴金属が埋まっているという情報を元に米軍が潜水夫による調査を行ってみたところ、プラチナの塊が一つ発見された」

「まだ数千個の塊が沈んでおり、総額は二十億ドルにのぼるという。全部でトラック三台分、三百八十億円相当となる」

 その続報は四月十九日の新聞に掲載された。

「東京湾から六千八百万ドルの銀塊が発見された。場所は日本商船学校付近である」

 さらに四月二十日の続報は、以下の通り伝えている。

「東京湾芝浦沖の海中から金塊百三本を引き揚げた。価格にして六万数千ドル。現在までプラチナや銀は一本も発見されていない」

 このように初期の報道でも見つかった宝物について、プラチナだった、銀だった、金塊はあったがプラチナや銀はなかった、などの差異が見られる。

 その総額についても二転三転していた。


 本件については、その後、

「米国から日本へ押収物の返還がなされた」

 という報道があったものの、その一方で、

「返還されたにしては、日本銀行の金庫に保管されている金塊の量があわない」

 という話もあり、余計に総量が不明瞭になってゆく。

 昭和二十年十月時点、米国憲兵隊が日本銀行を封鎖した時点の日本国の金保有量は百八トンだった、と大蔵省の記録に残っている。

 しかし、昭和二十七年六月の衆議院大蔵委員会で報告された保有量は、それよりも少ない百二トンだった。

 その間、日本は連合国軍司令部の統制下にあった訳だから、日本の都合だけで金を移動できたとは思えない。従って、東京湾から発見された金塊はその全量がどこかに消え去ってしまったことになる。

 一体どれだけの量の金塊その他が越中島沖合に投棄されたのか不明瞭であり、果たしてそれが日本帝国軍部の秘匿ひとくしていた金塊の総量と同じなのかについても明確ではない。

 その点は置き去りにされたまま、越中島の金塊騒動のみが戦後の闇の中で燻り続けることになる。

 一説に、引き揚げられた純金は一・三五トン、純白金が五十四トンであったという。

 これは当時の米価換算で三十六億ドル。円貨換算で一兆四千億円という膨大な金額となる。

 敗戦時の日本の国家予算が二百十五億円だったことからも、この数字の膨大さが分かるというものだ。


 しかし、そもそも終戦直前に日本が保有していた金塊の全てが越中島海域に秘匿されたと考えるほうが、どうかしているのではないだろうか。

 その方法も、よりにもよって海洋投棄である。これでは早く見つけてくれと言わんばかりの秘匿方法であり、その後の迷走ぶりも全く一貫性がない。

 まるで誰かが書いた台本があり、その筋書きに従って混乱が生み出されているかのような有様だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る