オバケの勇者を捕まえろ!

阿井上夫

第一話 出会う

 初めて「それ」を感じた時、私はただの気のせいだと思った。

(――はふぅ――)

 穴の空いた浮き輪がへこんで、最後の最後、奥のほうに少しだけ残っていた空気が漏れ出た瞬間。

 そんなイメージが私の頭に浮ぶ。

 もちろん、春が始まったばかりの東京都世田谷区の路上に、浮き輪が転がっているはずもない。

 はずもないのに、なんだか「今まで大切に握りしめていたものが、手の中からゆっくりと抜け落ちてしまった」ような、そんな切なさを感じて、私は立ち止まるとあたりを見回した。

 朝から降っていた雨が昼過ぎに止んで、まだ濡れたままの世界が輪郭を明らかにしている。

 いつもの通学路。

 私の家と学校の中間地点より、すこしだけ家側によった帰宅方向の右手側。

 立派な和風の家が立っているあたり。

 その和風の家の周囲には今どき珍しい生け垣がめぐらされていて、その生垣の中に一輪だけ椿の花があった。

 その花の生々しい赤にさきほどの弱々しさとの落差を感じて、ちょっと戸惑いを覚える。

(やっぱり気のせいかしら)

 と、私は足をまた家のほうに向けようとした時、

(――はわぁ――)

 感じた。

(間違いじゃない)

 さっきよりも注意深く周囲を見回す。

 雨に洗われた滑らかな葉っぱが、光を跳ね返している柿の木には――いない。

 道ばたに放置された、サビの浮きはじめた古い自転車のカゴには――いない。

 投げ捨てられ、下半分がつぶれた空き缶の飲み口の向こう側には――いない。

 汚れた水が音をたてて吸い込まれてゆく、雨の後の側溝の中には――いた。

 よく目をこらさないと分からないほどに、「それ」は薄汚れて他のものと混じりあっていた。

 大きなゴミをより分けるために側溝内に設置されている鉄格子に、他のさまざまなゴミと一緒になって貼り付いている、ピンポン玉よりも小さい毛玉状のもの。

 その上に木の切れ端が覆いかぶさり、押されて時折沈みかけている。

 どうにか水面上に顔を出そうともがいているようにも見える。

 私には「それ」の正体が分かった。

 流れから飛び出している毛玉の端の部分をつまんで持ち上げる。

 ぱたりぽたりと褐色の水をしたたらせた姿は、色の薄いウニのようだった。

(オバケだ)

 私も実物を見るのは初めて。ネットの不鮮明な画像でしかお目にかかったことはない。

 しかし、私は確信していた。

 素早く何か容器になりそうなものを探すが、あいにくと適当な大きさのものがない。

 空き缶やペットボトルは口が小さすぎる。

 押し込めば入るのはわかっていたが、しのびなかった。

 また、「それ」よりもさらに薄汚れた菓子パンの袋に押し込めるのもどうかと思う。

 しかたがないので、ペンケースを犠牲にすることにした。

 中身をランドセルの中に放り込むと、入れ替わりに「それ」を丁寧におさめる。

 そして、大金を抱えた銀行員のような怪しげな姿で、私は早歩きで家に向かった。


 *


 私の名前は『御厨みくり』、ただいま小学校五年生をやっている。

 私は学校から徒歩で二十分の、そこそこ大きな一軒家に住んでいる。

 自宅の玄関ドアには鍵が五つもかかっていて、いちいち開けるのが面倒臭い。

 だから、普段は真ん中のものだけかけてあり、あとはロックされていなかった。

 私はランドセルに頑丈な鎖でつながれた、どうということもない普通のキーを差し込む。

 そして、ドアを開けると汚水が廊下のカーペットに点々と、消えないシミを残していくことは無視して、「それ」をお風呂場の洗面台に持っていった。

 ママが残していった高級なシャンプーを惜し気もなく振りかける。

 最初は毛の間にまで入り込んだ泥をかき出すようにして、すこし強めに毛をかき回した。

 汚れが落ち始めると、元々の色らしい白っぽいところが広がってゆく。

 あらかたの汚れが落ちたところで、今度はてのひらの中をころがすように丁寧に洗う。

 さすがは高級シャンプー、威力が違う。

 泡を水で流してから、またシャンプーをつけてもみ洗い。

 一時間もすると、わずかなシミすら残っていないほど真っ白な濡れた毛玉が出来上がった。

 タオルにはさんで水気を抜く。

 そして、仕上げにドライヤーで乾燥させると――


 白だと思っていたら、淡いピンク色をした、ゴルフボールより大きめの毛玉が出来上がった。


 ふわふわのタオルを敷き詰めたお菓子の空き缶に入れて、窓際に置いてみる。

 すっかり暗くなってしまったが、明日、太陽が出てきたらぽかぽかになって気持ちがよいにちがいない。

(猫ならば、だけど)

 さきほどまではただのぼろ布で、今、生きているのかどうか分からない。

 いや、そもそも、生きているという表現が適切なのかもわからない。

 しばらくそのふわふわとした姿を眺めていると、玄関のチャイムが鳴った。

「こんにちわぁ、まごころキッチンですぅ」

 いつものお兄さんが白いビニール袋をもって立っていた。

 黙って受けとると、

「ありがとうございましたぁ」

 と元気なんだか分からないような挨拶を残して、お兄さんは帰っていった。

 袋をダイニングのテーブルに置くと、いったんお箸を取りにキッチンへ向かう。

 途中で「それ」のほうを見ると、相変わらすふわふわとしていた。


 *


 食事が終わったところを見計らったように電話が鳴った。

 ママからだった。

 時差を考えると向こうは早朝の出勤前だろう。

 出てみると、なんの前置きもなく、

「どうして電話を持ち歩かないの。携帯しない携帯電話なんて矛盾しているじゃない。何かあったらどうするのよ」

 という声が流れ出してきた。

「ごめんなさい。忘れてました」

「いつもいつも同じ言い訳で納得できるわけないでしょ」

 それから、いつものくどくどとした話がはじまる。

 私は適度に相槌をうちながら聞き流して、他のことを考えていた。

(なんで小学生は携帯電話を持ちたがるのだろう)

 難しそうな機械を持つことへのあこがれがあることはわかる。

 しかし、親から与えられる携帯電話は、機能が制限されている上、「今いる場所」が分かるようになっている。

 そんな監視された状態に自分を置きたいものなのだろうか。

 確かに子供用の携帯電話の宣伝文句にはこうある。

「いつでもどこでもパパやママがお子さまを見守っていられます」

 しかし、知ることができたとして、その情報をどうするのだろうかと思う。

「見守る」というのは、見るだけでなく、守ることもできる人のための言葉だ。

 ママはひとしきり文句を言った後、ふと、

「電話代がかかるから切るね」

 と思い出したように言って、電話を切った。

 私のことは何も聞かなかったが、それはおそらく聞くことで若干のうしろめたさを感じてしまうのが嫌だったからではないか。

 その点、パパは賢い。

 基本的に電話をかけてこない。


 *


「ねえ、みくりちゃん。今日は一緒に帰らない?」

 翌日の昼休みに、同じクラスの笹原麻衣ちゃんが話しかけてきた。

 彼女は幼稚園の頃からの顔見知りで、下校する方向が同じこともあり、小学校低学年の頃まではたまに一緒に帰ることがあった。

 今はほとんどない。

 あっても、たまたま変える時間が重なった時ぐらいで、待ち合わせて帰ったことはない。

「ごめんなさい。今日は忙しいの」

 私はいつものように断る。

 そして、今日は珍しく忙しい。

「あ…そう。じゃあ、しょうがないよね」

 麻衣ちゃんが一瞬寂しそうな顔をすると、また笑顔に戻る。

「じゃあ、また今度、声かけるね」

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