魔窟掃除人が貴方の快適な迷宮生活をサポートします。

阿井上夫

第一話 迷宮に響く女の吐息

 カナンの全身は汗で濡れていた。


 その時、彼女は第十一迷宮の第十九層で単独行をしていた。

 ここは中級探索者向けの地下迷宮で、通路には三対三の対面戦闘に適した十五ブロック幅の標準モジュールが採用されている。

 遭遇する魔物もそこそこ強い上、複数でいて出ることが多い。

 そのため『旅人の書』でも複数名での行動が望ましいとレビューされていたが、カナンはそんなことで躊躇ちゅうちょするほど初心者ではなかった。

 しかも、彼女が右手にたずさえているのは魔剣『鋼星之誉アロイスター・グローリー』である。

 一年前に上級探索者向けの第七迷宮で行なわれた、序盤に現れるボスの攻略戦に志願して、味方の八割が死に至るという過酷な死闘に参加した末に、獲得したものだった。

 たまたま彼女がボスに止めを刺したことから、戦利品の分配を優先的に受けたために手に入れることが出来たが、そうでなければ攻略軍の総司令官レベルまで昇格しないと入手困難な逸品である。

 先程、人狼が三匹同時に現れたので魔剣を一閃いっせんした。

 これぐらいの上級装備になると、一振りするだけで魔法増幅が生じるため、三匹は断末魔の叫びを上げる間もなく、体液を飛び散らせて真二つになった。

 圧倒的な破壊力。

 これならば二桁迷宮での単独行は全然怖くない。

 汗は恐怖によるものではなかった。


 さて、第十一迷宮の最終ステージ、第三十八層にいるラスボスは火焔魔神イーフリートであるから、必然的に迷宮内の温度は外気温よりも高めになる。

 その上、途中に地底湖と川があり湿度が高い。

 通路の壁は第三層以降、じっとりと湿っていた。

 しかし、それも上級探索者の彼女にとってはたいした問題ではない。

 初心者の頃は金貨を少しでも節約するために、熱さを我慢しながら汗だくになって迷宮を駆け巡ったものだが、今やカナンはかなりの資産を保有するお金持ちである。

 迷宮の入口前にある寺院に寄附金を払って、外套マントに祝福を受けていた。

 それが迷宮内の高温と多湿からカナンを守ってくれる。

 つまり、汗は暑さのせいではなかった。


 寺院への寄附金は、人狼三体を秒殺した際に加算される金貨でお釣りがくる程度のものだから、資産は全く目減りしない。むしろ増える。

 さらに彼女は、余剰資金を初心者相手に装備購入費用を貸し付ける基金に出資しており、そこからの配当金だけで基本的な生活は十分にまかなえる。

 従って「迷宮内で魔物相手の戦闘に負けて、復活するために相当な費用を支払う」という危険を犯す必要はないのだが、今日は何としてもここに来る必要があった。

 三年前から温めていた彼女の計画に必要不可欠な要素がある。

 レアなその要素の目撃情報を、昨日やっと入手したところだった。

 大急ぎで装備を整え、寺院での祝福も手早く済ませて、休む間もなく迷宮にもぐり込んだ。

 そのため昨日は一睡もしていなかったが、気分は絶好調である。

 彼女が全身に汗をかいていたのは、もう少しで夢が現実になるかもしれないという興奮からだった。


 カナンは左手に持っていた妖精灯籠ピクシー・ランタンの灯りを目の前にかざした。

 妖精灯籠は、金属製の箱に持ち手がついた単純なものである。

 前方が嵌め込み式の格子になっており、その外側にある金属のふたを上げ下げすることで、灯りの向きや大きさを調節できるようになっていた。

 前方は闇が深い。

 カナンは灯籠を胸元に戻し、蓋をわずかに内側に絞る。

 すると、灯籠の中からキイキイという非難の声があがり、同時に光の強さが少しだけ増す。

 灯籠には、迷宮の入口前で捕獲した『明灯メイホァ』という可愛い少女の姿をした妖精が入っていた。

 明灯は閉所恐怖症なので、箱に閉じ込めると怒って髪を振り乱した妖婦に変身し、発光する。

 しかし、それで何か魔法が使えるようになる訳でもなく、相変わらず無害なままであったから、探索者たちは無視して灯籠に使っていた。

 明灯の金切り声が次第に小さくなってゆく。

 そのまま放置しておくと、彼女は諦めて妖精に戻り光らなくなるので、またどこかで金属の蓋を絞らなくてはならない。

 ところが、場所を選ばないと妖精の声に反応して魔物が湧いて出るから厄介だった。


 カナンは妖精灯籠を再び前方に掲げて歩いた。

 しばらくすると、闇の向こう側にかすかな光源が現れる。

 ――間違いない。あそこだ。

 情報屋から得た情報通りの場所である。

 さすがに「遣り手」という評判と悪名が同じぐらい高い男に、高額の報酬を支払っただけのことはあった。

 カナンはにやりと笑うと、妖精灯籠を迷宮の通路にあった岩の窪みに置いた。

 明灯は、そこに置き去りにされる恐怖から甲高い叫び声をあげようとしたが、カナンは無慈悲に灯籠の蓋を閉じる。

 辺りは闇と静寂に包まれた。

 湿度が上がったように感じたが、それは気のせいだろう。

 カナンは息を飲むと、前方の光源に向かって足を踏み出した。

 近づくにつれて、前方はさらに明るくなってゆく。

 顎の先から汗が一粒だけしたたり落ちたが、彼女はそれに気付かない。

 口の中が渇いていることには気付いて、唇を舌で嘗める。

 近づくにつれて、次第に声が聞こえ始めた。

 半球状の通路に反響しているので、内容まで聞きとることは出来なかったものの、どうやら女が何かを懇願しているらしい。

 カナンがさらに近づくにつれて、話の内容は鮮明になっていった。


「是非入れて欲しいの」

 やはり女の声だ。

 しかも、甘えるような鼻にかかった声である。

 カナンの背中を震えが走った。

 さらに口の中が渇く。

「高いですよ」

 落ち着いた男の声がした。

「でも、入れたほうが気持ちが良いのでしょう?」

「人にもよりますがね」

 なおも甘えるような女の声。

 それに、軸がぶれない安定した男の声が答える。

「試しに入れてみましょう。そのほうが話が早い」

 布地が開かれるような音がした。

 それに続いて、女の溜息混じりの声が聞こえてくる。

「あら、思ったよりも黒くて太いのね……」

 カナンはごくりと生唾を飲み込んだ。

 明りと声は、通路の右側にある部屋から漏れていた。

 通常は閉ざされている木製の重厚な扉が、大きく開け放たれている。

 カナンは足音をさせないように注意しながら近づいた。

 ボディアーマーが時折擦れて微かな音をあげるため、彼女は気が気でない。

 しかし室内の男女はそれどころではないのだろう。

 気づいた気配はなかった。

「それじゃあ、中まで入れますよ」

「えっ、大丈夫かな。裂けたりしないかな」

 落ち着き払った男の声に、当惑した女の甘い声が続く。

 言葉とは裏腹に、明らかに期待が込められていた。

「大丈夫です。ゆっくりと優しく入れますから」

「やっぱりきつい……壁が壊れちゃう」


 カナンは既に部屋の入口の横まで来ていた。

 ――何をしているの?

 カナンの頭の中には既に極めて明確なイメージが浮かんでいたが、とってつけたようにそう考えてみる。

 それにしても、そもそも迷宮の中にある小部屋は魔物の巣である。

 彼らが持ち込んだ雑多なものや、犠牲者の白骨という演出用の小物が、室内に充満して汚らしい魔窟になっていることが多い。

 その中で行為に及ぶとは、大胆にも程がある。

 そういう特殊な趣味を持つやからだろうか。

 実にしからぬ。

 実に不埒ふらちだ。

 場合により、迷宮管理組合に申し立てて査問委員会にかけなけれはなるまい。

 そのために、まずは現場を押さえる必要がある。

 これは正義のためだ。

 決してのぞきではない。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 カナンは心の中で、盛大に論理的な言い訳を試みる。

 しかし、実はここに来た本来の目的すら完全に失念していた。


 部屋の中からは、男が力を入れているらしい重い息遣いが聞こえてくる。

 汗がカナンの身体を伝った。

「後少しです。それで奥まで入ります」

「ああっ、本当にすっぽりと入った……」

 女の声のトーンが一段高くなる。

「動かしますよ」

 男のほうは未だ冷静だ。

「ああっ、いっぱい出てくる。気持ちいい……」

 歓喜の声を上げる女。

「まだまだ出てきますよ」

 満足そうに語る男。 


 ――いや、ちょっと待て。


「いくら何でも、それじゃあ早過ぎるし、出過ぎでしょう!?」

 カナンは思わず中に入ってツッコミを入れてしまった。

 ――しまった。

 と思ったがもう遅い。

 部屋の中にいた三人の視線が、入口に現れたカナンのほうに集中する。

「えっ? 三人?」

 その通り。

 目の前にはちゃんと服を着た、二人の男と一人の女が立っていた。

 女は先程甘えるような声を出していたご本人だろう。

 あまりにも可愛らしい声だったためにカナンは妄想が暴走してしまい、

「見た目は華奢だが、アンバランスな爆乳の持ち主である美少女」

 という想像をしていた。

 しかし、実物は豆狸のような三十過ぎの小太りの女である。

 ただ、目はつり上がっていて、キツい性格が顔に現われていた。

 なお「狐目は全員そうだ」と言いたい訳ではないので誤解しないで頂きたい。

 あくまでも「彼女については明らかにそうだ」という意味である。

 迷宮内であるにもかかわらず、彼女は裾の長い襞の多いドレスを着て、髪を頭の上に結い上げていた。

 その隣には気の弱そうなひょろ長い四十代後半の中年男が、背中を丸めて並んでいる。

 すだれ頭に、黒いセルフレームの眼鏡。

 これといった特徴が見当たらない、平凡な顔。

 初心者融資基金の窓口にいる地味な事務員に似ていたが、案外それに近い職業かもしれない。

 彼は一応、中級装備をフルセットで着用していたが、すべて迷宮入口前の売店に置いてあるような汎用品で、しかもかなり古ぼけていた。

 長い間収納されていたらしく、微かに防虫剤臭い匂いがしている。

 見た目だけから、失礼を承知の上で二人の関係を推測すると、

「飲み屋で知り合って結婚した若い嫁のわがままに振り回される、中小企業勤務で晩婚の中年男性」

 となる。

 迷宮の中なのに、何だか世知辛い世の中を感じさせる二人だった。


 二人から少し離れたところには、背の高い青年が立っている。

 迷宮内なのに黒い半袖に黒いハーフパンツ。

 革の手袋と革の作業ブーツを身に着けている。

 さらに厚手の布で作られたグレーの前掛けを腰に巻いていた。

 全身が、盛り上げるのではなく削ぎ落とす方法で成形したかのような筋肉に覆われている。

 髪は短く刈り込まれ、目は切れ長で細く、瞼の裏側からは鋭い眼光が覗いていた。

 無駄なものを究極まで排除したらこうなった、という姿である。


 ――それに、何だろうこの部屋は?


 扉の内側は、異世界の中の別世界だった。

 元々、迷宮の中の部屋というのは岩盤を刳り抜いただけの簡単なものである。

 上下左右は滑らかな平面になっているものの、ただそれだけで他には何もなしという、殺風景な造りが標準仕様だ。

 ところが、その部屋は違っていた。

 まず、床には落ち着いたグレーのタイルが貼られている。

 迷宮という場所柄、汚れが目立たないような色のメンテナンスが容易な素材を選択したのだろう。

 四方の壁は真っ白に塗られており、それによって迷宮の一室らしからぬ明るさが醸し出されていた。

 天井には全面に板が貼られており、そこに自然発光する蛍石がぶら下げられている。

 この蛍石は、明灯と違って半永久的に輝き続ける代わりに、単価が恐ろしく高い。

 迷宮内でロストするとかなりの痛手だから探索者は使わないが、軍編成の時にはサーチライトとして使われることがあった。

 その貴重な石を、暗闇に慣れた目が痛くなるほどの明るさになるまで、贅沢に使っている。

 これだけでも相当な出費に違いなかった。

 部屋の中には甘い香りが漂っている。

 入口から右側にはカウンターが設えられており、その奥には厨房設備がある。

 左側には簡単な作りの机と椅子が並べられており、飲食関係の店舗と思われた。

 部屋の奥にはさらに扉があり、その向こう側に部屋があることが分かる。

 そして、左手側の壁面上部には一定間隔の溝が刻み込まれており、そこに「黒くて太い」木材のようなものがめ込まれていた。

 その木材から乾いた涼しい風が吹き出している。

 カナンの視線の行先に気づいた青年が、言った。

「南方の高地に生息しているコジュミルの幹を、墨にしたものです」

 木材の素性に関する説明である。

 彼はさらに続けた。

「多孔構造であるコジュミルの幹を炉で蒸し焼きにすることで、さらに幹内部の隙間を広げます。そこに、空気中の水分を栄養源とする微生物を付加することで、湿気が取れるようになります。さらに、その際の熱交換で空気の温度も下がりますから、このように快適な空気が吹き出すのです。微生物を入れ替えることで、逆に温かい空気を出すことも可能です」

 実に滑らかな説明である。

 何度もやって慣れているのだろう。

「今ここについているのはサンプル品ですから、そんなに高性能ではありません。しかし、標準レベルでもこのぐらい速やかに空気を綺麗に冷やすことができます。早すぎることはありません」

「はあ」

 彼の淡々とした説明に、カナンは気の抜けた返事をした。

「ところで、貴方はどこのどちら様でしょうか?」

 狐目の豆狸がいぶかしむような低い声で言った。

 それはどこからさっきの高音が出ていたのか疑問に思うぐらい、低かった。

「あ、その――」

 カナンはどこからどう説明したものかと言いよどむ。


 その時、奥の扉が開いて人狼が三匹、姿を現した。

「御主人様、奥の荷物は整理出来まし……」

 丁寧な口調で狐目の豆狸に話しかけた人狼が、咄嗟とっさに魔剣を抜いたカナンを見て途中で息を飲む。

 しかし、カナンのほうも意外な展開に仰天していた。

 ――何、このイケメン!?

 魔物は迷宮の闇にうごめく者達であるから、大体が不潔である。

 先程斬り捨てた人狼も、

「何をどうしたらこうなるんだ?」

 と疑問に思うほどもじゃもじゃの毛玉だらけで、眼がどこにあるのかすら全然分からなかった。

 さらに全身から、湿っぽくて酸っぱい生ものの匂いを発散していた。

 しかし、目の前にいる三匹は全く違っている。

 上等の洗剤で丁寧に洗い、しかも乾いた風を当てながら丹念にブラッシングしたに違いない。

 全身の毛がさらさらとコジュミルから流れ出す風になびいていた。

 しかも明るい褐色の毛が照明を反射して、頭に光の輪を浮かび上がらせている。

 全身には丹念に香水がまぶされているに違いない。

 柑橘系のすっきりとした香りが、カナンの鼻腔びこうくすぐる。

 切れ長のつぶらな瞳は、知性の光を宿して輝いていた。

 そもそも、普通の人狼は人間の言葉すら理解できない。

 彼らは、獣としての荒々しさと理性の輝きという両極端な性質をあわせもった、信じがたいほどの超絶美形だった。

 カナンがその姿を思わず惚れ惚れと見つめていると、今度は、

「ああっ、その剣は!!」

 という甲高い声がした。

 見ると、これまでまったく会話に参加していなかった事務担当者が、眼を輝かせている。

「かの有名な魔剣『鋼星之誉』じゃないですか! 実物を初めて見ました。うわ、格好いい!」

 カナンの背筋を悪寒が走る。

 ――まずい、こいつは上級装備マニアだ。

 事務担当者は、よだれを垂らさんばかりの興奮状態にある。

「これってあれですよね。上級探索者向けの第七迷宮で、ボス攻略の時にしか手に入らない例のやつですよね。しかも、よく見たら貴方はかの有名な『カナン・ザ・グレート』ちゃんじゃないですか! うっわぁ、私、貴方のファンです。『月刊迷宮通信』でよく御活躍は拝見しておりますが、今日はあれですか、やっぱり迷宮探索方面か何かですか?」

 ファンと言いながら、今まで自分のことに全く気が付いていなかったというのはどうなのだろうか、とカナンは思う。

 恥ずかしくて女性の顔をまじまじと見詰められないタイプなのだろうが、憧れの上級装備を目にした途端、彼はそのハードルを楽々と超えてしまったらしい。

 無駄に指示語の多いマニア特有の話し方で、一気にまくし立てている。

「まあ、そんな感じです。今日はお忍びですけどね」

 カナンはにっこり笑って、男が言った最後の「迷宮探索」という言葉にそのまましれっと乗った。

「ああ、そうですよね。さすがは上級探索者のカナンちゃんだなあ。私なんか、最初のうちは迷宮探索に出ていましたが、戦いに慣れなくて専門事務職に鞍替えした口ですから、とても恐れ多くて貴方と話をするのもあれなぐらいですが――」

 ――駄目だ、これはもう止まらない。

 隣で自分の嫁が狐目をさらに吊り上げて怖い顔をしていることにも気づかず、事務担当者は頭から湯気を上げながら機関銃のように話し続ける。

 カナンは閉口した。


 そもそも、男が口にした『月刊迷宮通信』という雑誌が全ての元凶である。

 その雑誌が二年前、彼女に『カナン・ザ・グレート』という女の子らしさの欠片かけらもないセンスの悪いニックネームを付け、さらには勝手に紙面で特集まで組んで、次世代迷宮アイドルに祭り上げてしまったのだ。

 しかも、彼女の行動を盗撮したと思われる画像と共に、一か月の行動をレポートするという企画を、今でも延々と続けている。

 苦情を言いたいところだが、頼みの綱の迷宮管理組合ですら「誰が、いつ、どこで、何のために」作成しているのかが全く分からないという。

 流通経路も謎に包まれており、発売日の朝にはいつの間にか売店の前に山積みされているらしい。

 盗撮しているはずの人物も、気配が全く感じられなかった。

 これでは、どこにも拳の振り下ろし先がない。

 しかも、その雑誌には結構ディープな愛読者が多いらしく、カナンはちょくちょく迷宮でマニアの一方的な言葉攻めにあうようになった。

 迷宮内で馴れ馴れしく「カナンちゃん」と呼ばれると、魔剣を握る右腕がぴくりと反応する。

 が、さすがに斬り捨てたりはしない。

 愛想笑いを浮かべながら、

「そうですよね、えへへ」

 と適当な相槌をうちつつ、話の内容は完全にスルーするようにしていた。


 イメージ戦略は重要である。

 カナンの身長は百七十センチ近く、女性探索者の中でも背の高い部類に入る。

 癖のない金髪を背中の真ん中まで伸ばし、迷宮に入る時にはそれを赤いリボンで根元のところから、きりりと一本に纏めている。

 その先を編み込んで、先端に重しとして小さな木のアクセサリをつけていた。

 魔剣を振り回す時、それが背中でいい具合に揺れているのを感じる。

 額には数本の後れ毛。

 大きい瞳はアイスブルーに輝き、適度な大きさの唇は何もつけなくても健康的な赤みを帯びている。

 アクセサリは探索者という職業に似合わないので、イヤリングとネックレス程度に留めていたが、代わりに質はかなり高いものだ。

 軽量で柔軟性に富み、それでいて強靭なセラミックスで作られた白いボディアーマーは、その下にあるしなやかな肢体と適度に大きい胸のラインが隠れないように、念入りに特別注文したものだ。

 潔いほどのあざとさで、「女の子の可愛らしさ」を全力追究した彼女のイメージは完璧だった。

 ――これで人気が出ない訳がない。

 自分でもそう思っている。

 決して少なくない「ちょっと雑誌に出たからって、浮かれて調子にのっている」という刺すような視線を、完全に無視する。

 彼女は、利用できるものは最大限利用させて頂くことにした。

 これも、自分の夢を実現させるために必要なことである。

 私生活まで覗かれているのだから、自分にはそれを利用して最大の利益を得る資格と権利がある。

 彼女はそう完全に割り切っていた。

 お陰で、女友達は大勢減ったが、資産は膨大に増えた。

 どこに行っても、男達はカナンが最も利益を得られるように便宜を図ってくれるからだ。


「ところで、ここは何ですか。見たところ、可愛らしいお店ですが?」

 カナンは事務担当者を放置して、狐目の豆狸に尋ねる。

 しかも、わざと「可愛らしい」の部分を強調した。

 それまで怖い顔をして睨んでいた女は、自慢の店について「可愛らしい」という評価つきで尋ねられた途端に、急に態度を変えた。

 生粋の商売人なのだろう。

 彼女はとろけるような笑顔を浮かべると、

「ここでアイスクリーム屋さんをやることにしたんですぅ」

 と、脳天を直撃しそうな甘い声で言い切った。

 その時、カナンが即座に思ったことを正直に書くとこうなる。


 ――この女、頭に虫でも湧いているの?

 

 ひどい言い草だが、分からないでもない。

 ここは中級探索者用の地下迷宮である。

 しかも、第十一迷宮という二桁迷宮の中でも上位にある場所である。

 さらに、三十八層あるうちの第十九層という、ちょうど中間地点だ。

 魔物の数と質も半端ではないため、複数名での行動が推奨されているところだ。

 そんなところにアイスクリーム屋を開店するなぞ、正気の沙汰ではない。

 ところが、何の疑問も抱かずに目の前で微笑んでいる狐目の狸顔を見ていると、カナンもなんだか、

「いや、もしかしたらいけるかもしれない」

 と思い始めた。

 そこで、上級探索者の自分というフィルタで考えることをやめてみる。

 すると、驚くべきことに気が付いた。


 まず、来店のきっかけを考えてみる。

 中級者は蒸し暑い中を駆け回った挙句、ここまでやってくるだろう。

 ここが中間地点であることは全員が分かっている。

 休憩場所としては絶好のポイントである。

 途中の戦闘で獲得した金貨もそこそこ持っている。

 つまり資金面での問題がない。

 複数名だから、誰かがアイスクリームを食べたくなってもおかしくはない。

 いや、確実に一人はいるだろうし、特に女の子がいれば絶対だ。

 最近は男だけの集団だと特殊な趣味を疑われるから、男女混成が常識である。

 そうなると、男も巻き込まれて団体全員でのご来店となる。

 さらに、ダイエットをしている場合であっても「苦労して中間点に到達した自分へのご褒美。汗もたっぷりかいたから、全然大丈夫」という鉄板の言い訳つきだ。

 だからこその蒸し暑い地下迷宮なのだろう。


 続いて、店内サービスを考えてみる。

 部屋の中は外界とは別世界だ。

 明るい光の中、乾いた涼しい風を浴びて、甘くて冷たいアイスクリームを舐める。

 しかも、それを準備してくれるのは超絶美形の人狼達だ。

 言葉も理解する彼らとの「迷宮あるある」で、会話は弾む。

 これはたまらない。

 まるでホストクラブだ。

 観光地並みに高くても、峠の食堂並みに味に難があっても、確実に客は来る。

 ここにくるためだけに迷宮探索する者も出るに違いない。


 場所の難易度も絶妙である。

 第十一迷宮の中間地点は、初心者ではまず無理だが中級者であれば団体なら大丈夫だ。

 そして中級者レベルであれば、一年も探索者を続けていれば間違いなく到達する。

「この一年散々苦労したけれど、自分もやっとこの店のアイスクリームが食べられるほど立派になったか」

 こんな具合に、ロケーションのプレミア込みで半端ではない満足感を得られる。

 さらには、初心者相手に遠い目をしながら、

「あそこのアイスクリームを食べないと、一人前の探索者とは名乗れないわよ」

 と語る自分の姿が、容易に想像できた。


 続いて、往来する探索者の数を考えてみる。

 平均的な集団の構成は「攻撃にあたる戦士が二名、防御する戦士が二名、後方に控える攻撃系と治癒系の魔法使いが二名」という六名編成だろう。

 それが一時間あたり少なくとも三組は通るとして、十八名。

 この時点でかなり控えめに見積もっている。

 それが二十四時間として、四百三十二名。

 このうちの少なくとも半分が立ち寄るとして、二百十六名。

 人狼は魔物なので休憩は必要ない。

 だから、決してブラックな計算ではなかった。

 常時二百名強というのは、自営の飲食店にとっては決して悪くない数字である。

 よほどの有名店でなければ、実際の購入客数が一日に百人を超えることは有り得ないからだ。

 しかも、イベント発生時にはこれが数十倍まで跳ね上がる可能性がある。

 第十一迷宮は、中級者向けイベントのメイン会場である地底湖を有している。


 以上、計算してここに出店したのだとしたら、この店は間違いなく大化けする。


 カナンが愕然としていると、女がにっこりと笑って言った。

「試食、してみます?」

「ええっ、いいんですか?」

 カナンは妙にテンションが上がった。

 女はカウンターの向こう側に入ると、置いてあった木の箱からプラスチックのケースを取り出した。

「貴方は運がいいわ。今日はディスプレイの様子を見ようと思って、いくつか持ってきたんです」

 そう言って女は、手際よくガラスケースの中にプラスチックの容器を並べ始めた。

 蓋には丁寧な字で中身のフレーバーが書かれている。

 バニラ、ストロベリー、バナナ、ミント、グリーンティ。

 実際の成分はまったく違うものだろうが、この世界では常識なので関係ない。

 中には、ふっくらと空気を含んで盛り上がるアイスクリームが収まっている。

 ――いやもう、この姿を見た時点で合格!

 カナンの目は釘付けになった。

 ここはシンプルにバニラで行くか。

 いや、ストロベリーも捨てがたい。

 それとも気分を変えてバナナにするか。

 これからの行程も考えると、ミントで目を覚ます手も。

 しかし、抹茶はやっぱり外せないのではないか。

 細かい理屈付きで、目はガラスケースの上を彷徨う。

 ここまで真剣に食べ物の選択に悩んだのは、久し振りだった。

 カナンの様子を微笑みながら見つめていた女は、こう言った。

「全部、試してみます?」

 まさに神――狐目の豆狸と思っていた自分が馬鹿だった。

 カナンは頭を上下にぶんぶん振りながら、涙を流さんばかりに言った。

「ぜひ、ぜひ、食べます。食べさせて頂きます」

 女は滑らかな手つきで、まずはバニラのアイスクリームを掬い取る。

 それをガラス製の器に入れ、輝く銀のスプーンでカナンの目の前に差し出した。

 この、あえて効率を無視してガラスの器を使うという配慮と、高級感。

 受け取るカナンの手は震えていた。 

「頂きます」

 鋭い輝きを放つ銀のスプーンを、バニラの白き柔肌にゆっくりと差し込む。

 そして、一角をえぐる様にすくい上げる。

 抵抗はなかった。

 それを口の中に運ぶ。

 スプーンの感触を舌に一瞬だけ感じた後、カナンに歓喜が訪れた。


「むっふうううん――」


 ――何、この味わい? まるで別世界、舌の上に牧場まきばが広がる!

 ソフトクリームのような柔らかさではなく、ねっとりとした重量感がある。

 それが、濃厚なミルクの味わいを放出しながら、柔らかに舌の上で溶ける。

 舌の根元からじんわりとした甘みが染み込み、顎から喉にかけて染み渡る。

 バニラの甘い香りが鼻の奥からのぼって、目の端まで優しく刺激してくる。

 ――やばい、美味おいし過ぎて泣けてきた。

 こんな美味しいアイスクリームは今まで食べたことがなかった。

 近いといえば、自分が幼い頃に母親が作ってくれたものだろうか。

 素人くさい、お世辞にも上手とは言えない、中途半端な塊だった。

 それでも、私には最高の御馳走だった。

 ――母さんのことをしばらく考えたことがなかった。

 思わずそんなことを考えてしまい、カナンの頬を大粒の涙が、こう、すいーっと流れて落ちそうなところまで感情的に高まっていた時……


「それで、何故ここに来たのですか?」


 無駄な感情を削ぎ落としたかのような声が、カナンの耳に響いた。

 瞬間、どす黒い殺気がカナンの総身を走る。

 左手は器を、右手はスプーンを机に置く。

 右手は即座に魔剣のつかを握った。

 魔剣『鋼星之誉』が緊急で強制起動する。

 直後、刀身はうなりをあげてさやを離れた。

 刃は、声の主に向かって斜めにり上げられる。

 そこでやっとカナンは我に返るが、もう遅い。

 魔法増幅を示す青白い輝きを残像として後に残しながら、刃は犠牲者に向かって加速した。

 それが深々と肉を断つ――寸前で、ぴたりと止められる。


 しかもトイレのスッポンで、である。


 どうして魔剣が空色のプラスチックで出来ているスッポンを両断できなかったのか、誠に不思議ではあるが、

「危ないなあ。普通の人なら死んでいますよ」

 と、無駄のない青年はそれには一切言及せず、真面目な顔でそう言った。

 さらに、

「なお、これは新品ですからご心配なく」

 と、一応トイレのスッポンの衛生面についてフォローすることを忘れない。

 カナンは驚愕した。

「アイスクリームを堪能している最中に邪魔をされたため、人を一人叩き斬った女」

 そんなことになったら、イメージ戦略どころではない。

 負のスパイラルが働いて、カナンは大変なことになっていたはずだった。

 だから、それが未遂で済んだことに安堵すべきだった。

 が、カナンはそれどころではない。

 いくら座っている姿勢であったとはいえ、魔法増幅で加速していたのだから、第十一迷宮の魔物であっても両断することができる威力が、魔剣にはあった。

 それを男はまばたきすらせずに、止めた。

 しかもトイレのスッポンで、である。

 やはり、噂は真実だった。

 この、トイレのスッポンを右手に持った彼は、只者ではない。

 やっと心を落ち着かせると、カナンは、

「ごめんなさい、本当に危ないところでした。助かりました」

 と、まず謝罪して、感謝していることを告げる。

 その上で、

「今日は、貴方に用があってここまで来たのです」

 と、やっと当初の目的を思い出して、トイレのスッポンを右手に持った男に伝えた。

「特級探索者のイアン・チューリング、別名『魔窟掃除人』に依頼したい仕事があって、ここまで参ったのです」

 特級探索者と呼ばれた男は、いまだトイレのスッポンを右手に握りながら、言った。

「私は掃除の依頼しか受けませんが、それで宜しいですか」

「はい、結構です――」

 カナンは頭を下げて言った。

「私の心の中を綺麗に掃除してほしいのです。それならば宜しいのでしょう?」

 男は、あくまでもトイレのスッポンを手放さずに言った。


「あの、申し訳ございませんが貴方の言っていることは文学的過ぎて、意味が全然分かりません」

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