第66話「戯れ」

 音無しはまだ意識があるのが不思議でならなかった。


 それとも自分はすでに死んでいて、この意識自体が残像のようなものなのかもしれないと疑う。


 せめて今が夜で、音無しのほうから仕掛けるのならば一億分の一の確率で勝機があったかもしれない。


 二人の実力には、そのくらいの落差がある。


「おや? その刀……」


 彩子さいこが構えを解いた。しかし、スキは無い。


「それだよ。君が持っている刀だ。どこで手に入れた?」


 声音の中の平常心に、少し興味が混じっている。


 刀については音無し自身もよく覚えていない。


 拾った気もするし、盗んだ気もする。誰かに与えられた気もしてくる。


 気がついたら手元にあったという解釈が、一番シックリとくる気もする。


 よく、分からないのだ。


「この刀は音無しのものだ!」


 その叫び声を背後に聞いて、音無しはやっと闇子やみこの存在に気が回った。とっくに逃げていると思っていたのだ。


「闇子、何をしている!」


「だって……」


 闇子が躊躇ちゅうちょする。


 ――まだ髪に結んだリボンを褒めてもらっていない。


 たったそれだけの理由が、単眼の少女の心を場に繋ぎ留めていた。


「それは『雷切丸らいきりまる』とって、雷を斬ったという逸話いつわを持つ刀だよ」


 戦国時代、戸次べっつ道雪どうせつという名将が――。とまで言ってから、彩子が途中で言葉を切る。面倒になったのだろう。


「何故、少年がそんないわく付きの刀を持っているのか気になるじゃないか」


 彩子は再び抜刀の構えを取った。


「その逸話にならって、君も斬ってみるかい? 私の『電光石火でんこうせっか』の一撃を」


「音無し、気をつけろ! 彩子が持っているのは妖刀だ!」


 妖刀。音無しも話に聞いたことはあった。


 妖に対して絶大なる威力を発揮する刀。この世に五振り存在する人間側の切り札中の切り札。


 それぞれに異なる能力が宿っており、その能力も振るう者によって多少の変化が現れるという。


 何故、闇子が彩子の持つ刀を妖刀と見抜けたのか。その疑問に自ら気づけるほど、今の音無しに精神的余裕は無い。


「たかが俺一人を殺すために、妖刀使いのお出ましとはおそれ入る」


 もっとも、目の前の剣客が妖刀使いであろうとなかろうと、音無しを待つ未来に何ら変化は無かったであろう。


「まぁ、本来ならこんな仕事を引き受けたりはしないんだが、今回は鬼退治ということらしいからね」


「鬼?」


「殺人鬼は立派な鬼だろう?」


 彩子の言葉になるほどと、少年は自身をわらった。まったく、違いない。


「音無しは――」


 言葉途中で闇子の首が跳んだ。それは瞬き一つする間も無いほどの瞬間で、彼女の頭部は不満げに濡れた草の上へと落ち、予想外に重たい音を立てた。


 ――これが妖刀の能力チカラ


 音無しは何処どこか遠くで雷鳴の音を聞きながら、動けずにいた。


 縮地しゅくちなんてものじゃない。速さが段違いだ。いや、刀を抜いた瞬間も、鞘に収めた瞬間さえ分からなかった。


 目の前の剣客が、まるで自分の時間すら斬り裂きながら走り抜けたような感覚。


「せめて苦しませないでかせたことに感謝して欲しいな」


 音無しの後ろで声がした。


「なるほど。自分の斬撃を雷に例えた理由わけが分かったよ」


 音無しは振り向いてから、再びかすみの構えを取った。


「今の一撃をの当たりにして逃げ出さないなんて、勇敢じゃないか。さすが男の子」


 実際、目には映らなかったのだが、確かに心を折るにる衝撃ではあった。しかし、臆病風に吹かれている暇も無いほど、音無しには背を向けられない理由が出来てしまった。


「お前の目的は俺の命だったはず。何故、彼女まで殺した?」


 闇子が殺されても、やはり自分は泣いていない。そんなばくとした思いが音無しの中をゆっくりと血流けつりゅうのように巡っていた。


 同時に、涙の出し方を思い出せないでいる自分にも気付く。


「君よりもお嬢さんのほうが厄介そうだったからね。先にらせてもらった」


 二人で影の中へ逃げ込まれたら、彩子には追いようが無い。


 果たして闇子にそんなことが可能であったかどうかは問題ではない。やられてからでは遅いのだ。


「ホムンクルスは国にとっても大事な財産なんだぞ。何を考えているんだ」


 貴重な実験動物であり、兵士であることは事実だ。


「単眼のホムンクルスなんて非合法に決まっているだろう? 何処かの違法錬金術師が無許可で創った玩具オモチャだよ」


「それでも、尊い命には違いない!」


「勝手なことを言うな。その尊い命とやらを、君は問答無用で斬り捨ててきたんだろう」


 音無しの激しい口調とは対照的に、彩子の声は呆れたように涼しい。


「友達だったんだ!」


 友達だったはずだと、自分に言い聞かせるように叫ぶ。


「友達って、相手はあやかしみたいなものじゃないか」


 彩子がせせら笑う。


 それでも自分が死んだら泣くかもしれないと言った者を殺した相手に、音無しは一歩も退くつもりは無い。


 0.5秒、いや0.1秒でもいい。首をねられても意識が持ってくれたら、刺し違えてでも討つ。


 自分の命で闇子の仇が取れるなら安いものだ。


「良い目だな、少年。自分がかなわないと分かっているから、刺し違えようとしている覚悟の瞳だ」


 音無しは彩子を迎え討つため、構えを正眼せいがんに変えた。


 彩子の剣はせんせんを取るのが定石じょうせきの抜刀術だから、の先に賭けるしか音無しに手は無い。


「最後に少年の本当の名前を聞いておこうか。音無しなんて、本名ではないのだろう?」


「俺の名前など、お前には関係ないだろ」


「私は斬る相手の名前を知っておきたい性質たちなんだ。癖といったら変だけど、名も知らぬものを斬ると寝覚めが悪くてね」


 妙なところにこだわりを持つのだなと、音無しはなかば唖然として目の前の手足てだれに眉根を寄せた。


「俺に名前は無い」


「おいおい。本当に名無しなのかい?」


 音無しは沈黙をもって答えた。


 彩子は困ったように溜め息を一つ漏らすと、


「それじゃあ、君の名前は蘭丸らんまるにしよう。理由は無い。ただ、何となく思いついたのさ」


 と言って、音無しに涼やかな視線を送った。


 今から殺す者にわざわざ名前を付けるなど、馬鹿げている。というか、変わっている。


 それに音無しにはピンと来ない名前である。たった今、名付けられたのだから当然だ。


 目の前に立つ女は相当に腕が立つのだろうが、変人のたぐいのようだ。


「この名前を冥土の土産に持ってゆけ」


 彩子が抜刀の構えを取った。


 ――来る! と思う間も無く、彩子が目の前にいた。まるで彼女以外の時間が止まってしまったかのように突然だ。


 音無しの脳から神経を通して体に命令が届くよりも、彩子の動きは速い。


 刹那せつな。音無しの目に映る景色が弾け飛んだ。


 ――やはり、こんなバケモノ相手に一矢いっしでもむくいることすら出来ない。俺は弱い。


 遠のいてゆく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えてから無に果てる。それはとてもスローモオションな独白であったが、時間にしたら一瞬だったのだろう。


「感謝しろよ。お前を鬼から人へと戻してやるんだ」


 彩子は意識を失った少年の体をかついだ。


「それにしても随分と軽いな。ちゃんと食事を取っているのか、少年は」


 彩子は刀の柄頭つかがしらを音無しの鳩尾みぞおちに当てて気絶させたのだ。


 別に斬って捨てても良かった。気紛れというわけではないが、たわむれではあったかもしれない。


『名付けるという行為はしゅだ。付けられた方は生涯を名に縛られるし、付けた側は責任という呪に縛られる』


 知人の声が彩子の中で再生される。


「でもね、群青ぐんじょう。この子は妖刀に触れても死ななかったんだ」


 『電光石火』に触れても、少年の体が吹き飛ばなかったことに彩子は興味を持ったのだ。


 妖刀はその所有者以外が触れると死ぬ。事実、他人が『電光石火』に触れて落雷したかの如く絶命するのを何度も見ている。それは凄惨な光景であった。


 唯一の例外は妖刀が所有者の死をさとった時。


 次の所有者を求めて、刀は人の品定めを始めるという。


 そんな話を聞いたことがあった。


 ――彼が私の告死天使アズラエルかな。


 彩子は肩に乗せた変声期前の見目みめ美しい少年の温もりから伝わってくる直感に耳を傾けた。



* * * *



 彩子が去った後、濡れた草を踏みしめながら一人の男が現れた。


 その足音に返事をするように、閉じられていた闇子の瞳がゆっくりと開いてゆく。


 夜が足元まで迫った原っぱから、男はおもむろに闇子の首を持ち上げると嬉しそうに微笑んだ。


流石さすがは彩子。実に綺麗な斬り口だ」


 これならば、繋がるのも早い。


 男は倒れていた闇子の体と頭部の切り口を合わせると、形の良い口元から何やら呪文のような言葉を紡ぎ始める。闇に溶け込むような、落ち着いた声の羅列られつ


「父……様」


 やがて闇子がすがるような声で創造主を呼んだ。


「だから館から出るにはまだ早いと言ったんだ。でも、良い勉強にはなったようだね」


 闇子は心も体も未完成だ。ゆえに彼女の創造主は、今回の自分の作品の結末を知っていたかのような表情を顔に出した。瞳に宿るアズライトの輝きがまがはらんで揺れている。


「いつか必ず私のことを迎えに来てくれる人が現れると思ったの。でも、違ったみたい」


「彩子が相手では仕方ない。彼女の腕は超一流だし、『電光石火』は人の知覚するすべてを超えた領域から攻撃できる。避けることの出来ない一撃必殺の妖刀だ」


 とりわけ速さにおいては、他の四振りを大きく凌駕りょうがしている。


「あいつ、私の音無しを持ってった」


「そうだね。でも、取られたら奪い返せば良い。そのための新しい体と、武器も作ってやろう」


「素敵……」


 闇子を優しく抱えると、男は彩子が向かった反対方向へと歩き出す。


 端正な顔を隠す群青色の長い髪が闇子の頬をくすぐった。


 異形の単眼が妖しく歪む。


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