第61話「煙羅煙羅」
コバルトブルーに輝く空の下に、歪む景色が拡がっている。
この鮮やかな薄暗さは、黒い太陽が生み出す独特の光景だ。
まるで
今日の
昼も過ぎた頃、
その足運びは速い中にも優雅さがあり、夜を溶かし込んだような長い黒髪を風に
引き締まった表情は美麗だ。
墨黒色の着物に黒いインバネス
否、彼は
妖刀『
漂う気配はやはり
この場に彼の他は誰一人無く、やがて青年は一つの墓石の前で足を止めた。
渚家代々の墓。
蘭丸は墓の掃除をしてから花を生け、墓石に水をかけた。
年に一度の墓参りだ。
「師匠、今年も来ましたよ」
優しい
「蘭丸、少しは人らしい幸せを見つけたかい」
煙はやがて流れるような長い黒髪のスリムな体型の女性の姿を取ると、少しハスキーな声で蘭丸に話しかけてきた。
「君には守るべき者が必要なんだ。でなければ自滅の道を辿ることになる」
クールな落ち着きを持った女性の姿が煙の中に浮かんでいる。
「師匠はいつだって俺に無理ばかり言ってましたね」
困ったような声音で下手な笑顔を作る。
蘭丸は感情の中で笑顔というものが苦手だった。正確に言えば、どんなときに作れば良いのか分からない。
嬉しいときか。可笑しいときか。それとも自分を幸福と感じた時だろうか。
元より、それらを体感したときに自然と出るものなのだろうか。
しかし結局どんな言葉で飾ろうと、人は独りだ。
そんなことを考えながら、腰に差してある刀を鞘ごと抜いて
「コイツも師匠に会いたがっていたと思います」
「ソレはもう君のものだよ。妖刀とはどういうものか、ちゃんと教えたじゃないか」
瞳にどこか優しそうな光を
もちろん、死者と会話をしているわけではない。蘭丸の記憶が煙を通して曖昧な形を作っているだけだ。
言うなれば、独り言に近い。
人は生きているうちは暖かくて柔らかいのに、死ぬと冷たくて硬くなる。
死というものは
それは
「俺は特に何も感じません……か」
腹が鳴る。気がつけば、もう昼をとっくに回っていた。
鞄の中から作ってきた弁当を取り出すと、思案の
彩子は蘭丸の作った筑前煮を
オニギリも取り出す。中身は鮭とタラコで、筑前煮に使った食材同様
「
両手を合わせて「いただきます」を言ったところで視線を感じた。
子供が一人、蘭丸を見つめている。正確には蘭丸の持参した弁当に興味があるようだ。
気がつかなかった。一年ぶりに師匠に
「腹が減っているのか?」
子供は小さく一度だけ頷いた。
蘭丸はオニギリと一緒に
「冷えたもので申し訳ないが、食べろ。栄養がつく」
子供は震える手で受け取ると、小さく「ありがとう」と言った。
「誰も居ないところで食べるんだぞ」
やはり小さく頷くと、子供は足早に駆けて行った。
蘭丸は自分の行為を
それが一日遅れてくるとすれば、今日一日でも餓えに苦しむことは無いではないか。
首都から離れたこの辺りは、まだまだ貧富の差が大きい。ボロを纏って一日の食べ物に困って、蘭丸もそんなようなものだったのだ。
墓参りを済ませると蘭丸はかなり遅めの昼食を取ってから渚の家へ帰り、掃除の続きに
狭い家だし、泊まるのに必要な部屋にしか手を入れないから、それほど大仕事というわけではない。
彩子の命日には蘭丸が出来る限り渚家の掃除をしている。今はもう管理する者も無く、誰も住んで居ないから
家は人が住まないと痛む。
蘭丸は
毎日が辛い修行の日々であったが、複雑な事情と思いが
そんな感情を教えてくれたのも、師匠である彩子であった。
掃除にキリがつくと銭湯で汗を流し、帰る頃には夜も良い具合に
軽めの夕食を済ませると、もうやることが無い。蘭丸には趣味と呼べるものが何一つ無いのだ。
そうなると「斬る」という行為は不謹慎ながら、蘭丸を蘭丸たらしめる要素の大部分であるのかもしれない。
それにしても久しぶりの独りである。やはり
そもそも最近の『
それを悪いとは思わないが、
今頃、亜緒たちはどうしているだろうか。ちゃんと夕食は食べただろうか。
蘭丸は急ぎで金が入り用になった時のために
その金の一部を、出掛けに目の付く場所へと置いてきた。
亜緒の食事を
もしも金を置いて来なければ、亜緒は粗暴な家捜しを始めるに決まっているからだ。畳もひっくり返そうかという勢いで、ついには隠した金を見つけてしまうことだろう。そして間違いなく、全額を使い込んでしまう。
蘭丸には豪遊する亜緒の姿が目に浮かぶ。
けれど、それなりの金銭を
やはり、どうしようもなく雨下石 亜緒とはそういう男なのである。
「まったく、本当に困った奴だ」
出会った頃から、後先考えないところは変わらない。
昼間に干した布団を敷く。結局、もう眠ることにした。
ところが体を横にしても、不思議と眠気が降りてこない。
昼間の掃除で疲れているはずであるが、どうにも寝付けない夜になった。
慣れない酒を口に当ててみるが、
遠くにチロチロと揺れる火の手が見えた。何処かで妖退治でも行なわれているのだろう。
「
などと口に出してはみたものの、彼女を前にして本当に斬れるのかと心の何処かで
闇子を前にすると、いつも迷いに捕らわれる自覚はあるのだ。
蘭丸は
絶対的な確信がある。
「出来ないよ。だって、お前は心の何処かで闇子に消えて欲しくないと思っているから」
酒に酔ってきたのか、
「あの時も結局斬れなかったじゃないか。否、斬らなかったのか」
煙羅香の効果が後を引いて見える幻覚の正体を、
「斬るさ……」
蘭丸は黒い
過去はいつまでも蘭丸を見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます