第50話「招き猫」

 玄関からホールへ入るとシャンデリアがパッと点いた。この家には電気が通っているのだ。


 ガランとした殺風景な空間には一台のピアノが置いてあった。


 妙に存在感が在るのは、他に目立ったものが何も無いからかもしれない。


鍋島なべしまさん、ピアノを弾くの?」


 なんとなく、弾けそうなイメエジである。


 フリルのついたエプロンドレスが似合う彼女はまるで砂糖菓子のようで、その白く長い指は鍵盤の上を湖上の白鳥のように優雅に滑りそうだ。


 小夜子さよこには紫苑しおんの花のような可憐さが在る。しかし、何処か妖しげな雰囲気も同居している。


 彼女が人ならば良し。あやかしならば討つ。


 ノコギリが小夜子の招きに応じた理由は、彼女の正体を見極めるためだ。


 なれど、慎重に行動しなければならない。


 いて事を仕損じることはもちろん、雨下石しずくいし家の人間が害も無い一般人に危害を加えたなど、万が一にもあってはならないことだ。


 そのためには鍋島 小夜子を観察する必要がある。


「先ず御両親に挨拶をしたいのだけれど」


 少女の足が引きるように止まった。


「別に必要ないわ。そんな礼儀、此処ここでは不要なの」


「そういうわけにもいかないでしょう? こんな立派なお屋敷にお邪魔させてもらっているのだから」


 会話から不自然な言動を探る。なるべく小夜子本人の嫌がる行動を心掛けるのが良い。


 不快な感情を刺激して、モノの本性を出やすくしてやる。


 彼女のペエスに嵌らないよう注意も必要だ。


 もしかしたら、ここは魔窟まくつであるかもしれないのだから。


 もちろん、魔窟であったとしても背を向けて逃げ出すわけにはいかない。


 妖は調伏ちょうぶくするのが当たり前、自分の手に負えない場合は刺し違えてでも討つ。


 それが雨下石家の精神の在り方だ。そんな家だからこそ、市井しせいに必要とされるし頼りにもされる。


 小夜子は足元に転がっている小さな猫の縫いぐるみを蹴飛ばした。


 ノコギリは「ニャア!」という猫の悲鳴が何処からか聞こえたような気がして、はっとなった。


「では、こちらへ……」


 小夜子は数歩歩いてから、ノコギリのほうを振り返った。


「父様と母様です」


 彼女が紹介したのは一枚の絵だった。


 モーニングコートにトップハットを着用した男性と、クローシェ帽を被った白いワンピースの女性が描かれている。


 しかし、奇妙なことに二人の顔は猫なのだ。


 すました表情でお茶しながらノコギリを見ている。


「鍋島さん、私はこの手の冗談は好かないのだけれど」


「ごめんなさい。両親はそのうちに帰ってくるだろうから、挨拶はその時にでも」


 そんな小夜子の顔は、少しわらっているようだった。


 応接室に通されると、ノコギリは椅子を引かれて半ば強引に座らされた。


 幾つもの満月灯がぼうとだいだい色に光っていて、行灯あんどんの光とそう変わらない明るさだ。


 小夜子にとって丁度良い光量なのかもしれない。


 ノコギリにとっても充分だ。彼女の慧眼けいがんは集中すれば闇の中であっても迷うことはない。


「貴女、変わった歩き方をするのですね」


 小夜子はぼうっとして、無表情だった。何を言われているのか良く分からないといったふうだ。


「足音が全然しない。何かコツでもあるんですか?」


 ああ。と、小夜子はノコギリが何を言いたいのかを理解した。


「足音を立てるなんて、何だか下品だわ」


 そんなことを小さく言ってから、お茶の準備をするために応接室を出て行った。


 やはり、足音はしない。


 一人部屋に残されて、ノコギリは小夜子の正体を決めかねていた。


 少し変わっているけれど、人に見えないこともない。


 長期に渡り学院を無断欠席するような生徒である。多少の風変わりな言動があっても不思議ではないのかもしれない。


 応接室にしても変わっている。


 大小たくさんの縫いぐるみが其処彼処そこかしこに転がっていて、客人をもてなす部屋としてのていを成していない。


「兄様なら、一目で妖かどうか見破ってしまうのでしょうけれど」


 そもそも雨下石家の慧眼は物事の本質を見抜くものだ。亜緒の前では、どんな妖の化け術も意味を成さない。


 比べてノコギリの瞳の水色が真実を映してくれることは稀だ。


 上手く化けられると、もうお手上げである。特に化け術に特化した狐狸こり妖怪の類には効果が無い。


 勘と経験で対処するしかないのである。


 ため息をついてから、指で髪の青に触れる。


 これはノコギリの癖で、妖事あやかしごとで困ったときに出る仕草だ。


 さてどうしたものかと思案に暮れていると、「ニャア」と何処かで猫の鳴き声。


 ホールの場でも聞いた気がする。


「猫を飼っているのかしら」


 辺りを見回しても姿が無い。割と近くで聞こえた気がしたのだけれど。


 急に部屋のドアが勢いもよく開かれた。


「これは、これは。小夜子の友達かね? よく来てくれた。是非ともゆっくりしていってくれたまえ」


 モーニングコートにトップハットを被った紳士が急ぎ足でツカツカと部屋へ入ってくると、ノコギリの手を取った。


 強引に三回ほど振ってから「これは、これは」と言いながら、すぐに出て行ってしまった。


 再び部屋の中に静寂が戻る。


「もしかして、さっきの方が鍋島さんのお父様かしら」


 妙に落ち着きの無い人物だった。


 サルバドール・ダリのように上向きにピンと跳ねたカイゼル髭と、大きく見開いた目が印象的な男性。


 そして、小夜子と同じで左目に眼帯をしていた。


 それ以外は良く思い出せないほど、急に現れては去ってしまった。


「あの人、家の中でも帽子を取らないのかしら……」


 それとも、帰ってすぐにまた出掛けるほどに忙しい人物なのだろうか。


 そんなことを考えていると、また「ニャア」と猫の鳴き声がして部屋の扉が開いた。


「あらまぁ。いらっしゃい。小夜子ちゃんのお友達? アレは気難しいところがありますけど良い娘ですから、これからも仲良くしてあげてくださいね」


 おそらくは母親なのだろう。ショートカットの髪にクローシェ帽を被り、スマアトな白いワンピースを着ている。


 父親と違って落ち着いた話し方で、柔和な雰囲気だ。


 本当に見えているのかと心配になるくらい目元が細く、それが愛嬌にもなっているから得な人かもしれない。


 やはり左目は眼帯で隠れている。


「あらまぁ。もうこんな時間ですね。急がなければ」


 時計の無い部屋で時間を気にすると、パタパタと走って行ってしまった。去るときは慌しい。


「髭……生えていましたわよね?」


 聞き手の居ない言葉が口を突く。


 確かに左右の頬に、ちょんちょんと猫のような髭が伸びていたように見えた。


 気のせいかもしれない。この家があまりにもノコギリの住まう環境と違いすぎるから、幻覚でも見たのかもしれない。


 辺りがあんまり静かなので、挨拶に来た小夜子の両親すら幻だったのではないかという気がしてくる。


 また、一人になった。


 それにしても、突拍子も無いという表現がピタリと当て嵌まるような御両親だ。


 三人とも同じ位置に眼帯をしているのが気にはなったけれど、背丈や骨格が異なるから別人であるには違いないのだろう。


 もっとも、鍋島 小夜子が化ける妖であったならば、この考えは前提から成り立たない。が、それなら眼帯という共通点をわざわざ残すだろうか。


 思考の迷いがノコギリの中をぐるりと回る。こうなると、相手が妖であると仮定して行動したほうが良いのかもしれない。


 前触れもなく部屋に流れ始めた音楽のせいで、ノコギリは思考の海から引き上げられた。


 いつの間に戻ったのか、蓄音機の前に小夜子が立っている。


 テーブルの上に載った焼き菓子と紅茶が、異国の香りをノコギリの嗅覚に届けては手招く。


「バッハですか」


「ええ。無伴奏チェロ組曲。桜子さんはチェロの音、お好き?」


「まぁ……」


 上の空で答えた。正直、音楽よりも初めて見る菓子とお茶に関心が向いてしまう。


 家ではいつも和菓子と緑茶だし、ノコギリだって、そんなところは普通の女学生なのだ。


「何処かの文豪がホーンの中へ頭を突っ込んで、世界が見えると言ったそうよ」


「宮沢賢治でしたかしら」


「さすが桜子さん。ご存知でしたか」


 小夜子は蓄音機のホーンの中へ頭を突っ込むフリをしながら、子供っぽく笑ってみせた。


「私の話、退屈?」


 心ここに在らずといったノコギリの反応に小夜子が俯く。


「そんなことは、ありませんわ。ところで鍋島さん、猫を飼ってらっしゃるの?」


「猫はお嫌い?」


「好きも嫌いもありません。猫は、猫でしょう?」


 兄が最初にぬえを猫の姿で傍に置いていたことを思い出して、なんだか不愉快な気分になった。

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