第32話「閑古鳥」

 黒い太陽が照らす住宅街の中、民家に混じって変哲も無い木造建築の二階建てがある。


 『左団扇ひだりうちわ』という看板が掛かったその家は、妖退治を専門に手掛ける店であった。


 雨下石 亜緒は『左団扇』の経営者だ。


 青い髪に青い瞳が印象深い洋装の青年は、座敷に横になったまま足を組んでいる。


 まるで何もやる気が起きないというふうに。


 その傍らで正座をしている墨黒色の着流しを身に纏った青年。


 みぎわ 蘭丸らんまるも同じく『左団扇』の経営者だ。


 流れるような長く黒い髪を後ろに結った青年は色白で、まるで女性と見紛うほどの美青年だ。が、膝の前に置かれた刀からは彼の見かけとは裏腹に禍々しさが感じられる。


 二人が無言で考えていることは同じ案件であった。


 ――仕事の依頼が来ない。


 妖退治『左団扇』には今日も閑古鳥かんこどりという妖が鳴いているのだった。


 夏影の中、風鈴が鳴った。


 この世界の夏は強い日差しとは無縁なので比較的過ごしやすい。うだるような暑さが無い。


 だから夏は人が一番行動的になる季節でもあった。


 とはいえ、夏という言葉に相応しい空気の気だるさのようなものはあって、体を動かせば汗もかくし涼が欲しくなる。


 もっとも、亜緒と蘭丸が今欲しているのは先立つものだ。


 金が無ければ生活そのものが立ち行かない。


 当たり前だが生きていれば腹は減るのだ。


「蘭丸……」


 亜緒が三時間ぶりに力無く口を開いた。その後に空腹を告げる音が座敷に鳴り響く。


「蘭丸先生……御飯作って……」


「もう家には米も味噌も醤油も無い。ついでに言えば金も無い!」


 蘭丸は正座したまま語気を荒げた。


 この三日間、蘭丸は亜緒から同じことを何回も言われているのだからいい加減ウンザリもする。


「そんなこと言って、何処かに金を隠し持っているんでしょ? 蘭丸先生、そつが無いから」


「家に貯蓄と呼べるモノは何も無い」


 蘭丸は自分で言っていて情けなくなる。


「じゃあ、ノン子からお金を借りてこようか?」


「オマエには兄としてのプライドというものが無いのか?」


「生憎と生きていくのに不便そうな感情はアッチへ置いてきたんだ」


 アッチというのは多分、雨下石家のことなのだろう。


 妹から金を借りに戻れば、その「不便そうな感情」とやらも亜緒の元に戻ってしまうのではないか。


 そんな余計なことを考えながら、蘭丸は空腹を紛らわすための水を一口飲んだ。


 亜緒は横になった体を起こし、本当に出かけようとする。金策の見当がついて少し元気になったようだ。


 蘭丸は急に恥ずかしくなって、亜緒を止めた。


 亜緒が金を借りてくれば、それで蘭丸も腹を満たすことになるのだ。他人事ではない。


「借金よりも良い方法がある」


「おお! サスガ蘭丸先生!」


 それに亜緒は金を借りても返したためしが無いから、ノコギリが快く貸してくれるかどうかは怪しい。


「亜緒、バイトしろ」


 暫し間の空いた時を狙ったかのように、風鈴が三度鳴った。


「バイトって何?」


 亜緒が惚けた調子で聞く。


「働くことだ」


「働いてるよ?」


 そうは云っても、依頼がなければ妖退治屋なんて働いていないのと同じだ。


「世間では今の俺たちみたいな人間をニートと呼ぶ」


「な、なんだって! この僕がニートだっていうのかい?」


 膝を折って再び畳みの上へ横になる。その様子は、ちょっと芝居がかっていて大袈裟だ。


 どうやら亜緒にバイトをする気は無いようである。


「だいたいさー。蘭丸が何かれ構わずに妖を斬っちまうから客が来ないんじゃないかー」


「そんなワケがあるか」


 確かに蘭丸は依頼されてもいないのに、人に害を成す妖を斬ってしまうことがある。


 彼にしてみれば妖を斬るために『左団扇』に身を置いているようなところがあって、商売は二の次といった節がある。


 だから「妖殺し」などという異名が付いてしまうのだ。


「まぁいいさ。実は近々大金が入ってくるアテがあるんだよ」


 一転、亜緒の表情に明るい余裕が浮かぶ。


「嘘をつくな」


 蘭丸が一刀両断する。亜緒の言葉を真に受けるほど、短い付き合いではない。


「僕って信用無いなぁ……分かってるけどさ」


 しかし、亜緒は安堵する。夢の中で依頼されたとは言えない。


 ましてや、殺しの依頼と知れば蘭丸は拒絶するに決まっているのだ。


「ところで君はさっきから何をやっているんだい?」


 刀を前に正座をする蘭丸が、亜緒には奇妙に見えるのだ。


「心頭を滅却している」


「それすると腹減らないのかい?」


「まぁな」


 言ったそばから蘭丸の腹が鳴って、亜緒が大笑いをする。


「オマエが煩いから集中出来ないんだ!」


「たいした心頭滅却だねぇ」


 亜緒が笑いながら揶揄やゆする。


「すんまへん。どなたか居まへんか?」


 鵺の耳が大きく跳ねた。


「客か!」


 蘭丸は素早く立ち上がると、刀を掴んで玄関へと向かう。その足取りは軽く、速い。


「おい。ちょっと待て!」


 亜緒が引き止める声も聞かずに蘭丸は玄関の扉を開けた。


「ご免やす」


 玄関先には銀髪に赤紫の瞳を輝かせた、年の頃十五、六といった端整な少年が立っていた。


 紅藤べにふじ色の着流しはサイズが合っていないのか、片側の肩口が露になってしまっていて締りなく見える。


 彼のあどけない表情に、蘭丸は少し影を感じた。


 少年の三歩後ろには二十代半ばくらいの青年が毅然とした様子で控えていて、こちらは袴姿で整然とした印象である。


「亜緒くん、いまっしゃろか?」


 ――只者ではない! 


 蘭丸は警戒した。


「何者だ?」


 空腹など忘れて蘭丸の体は自然と臨戦態勢に入った。


 細長い指は既に妖刀『電光石火』の柄にかかっている。


 いつでも目の前の少年を斬ることが出来る間合いだ。


「僕は紅桃林ことばやし むらさきいいます。君は妖殺しやね」


「紅桃林……西の紅桃林家?」


 滅多に無い苗字である。それと少年の風貌から蘭丸は彼の素性を当てた。


 紅桃林といえば西の妖事を仕切る大家で、妖関係に携わる者で知らない者はいない。


「そやよ。分かったら刀から手を離してくれまへんか? 怖いなぁ」


 紫の声音には言葉とは裏腹に、恐れや怯えの類は一切乗っていない。


 日常会話の如く落ち着き払っていて、むしろ余裕さえ感じさせた。


「よう紫、久しぶりじゃないか。相変わらず何も変わってないな」


 亜緒も玄関まで出てくる。


 紫の響きを感じ取って、客が依頼人でないことは分かっていたのだ。同時に招かれざる客であることも。 


「亜緒くんこそ、相変わらず人が悪いなぁ。僕が歳取れへんのは知ってるやろ?」


 紫が笑うと少年めいた無垢な表情になるが、一瞬狂気のような鋭さが浮かんで消えた。


「そちらのイケメンは?」


沃夜よくやいうて、僕の御付きや。よろしゅう」


 紹介されると、男は軽く頭を下げた。無愛想だが異様な存在感がある。


 不快な感情を隠す気も無く、亜緒は沃夜の挨拶を無視した。


「まぁ、狭苦しいところだけど寄ってくか?」


「ほな、お言葉に甘えてお邪魔しよかな」


 紫が一歩足を出した瞬間、鋭い刃が細い首を狙って迫る。


 何処に居たのか鵺が爪を伸ばして紫の命を狙ったのだ。


 が、すんでの所で紫は抜き身の脇指わきざしで凶刃を受けた。そして払う。妖刀ではないが、業物わざものだ。


「危ないなぁ……」


 鵺のほうを見て、紫は何処か嬉しそうに目を細めた。


 鵺は紫の視線から逃れるように亜緒の背中へと隠れてしまう。


「鵺、紫は今日の処は取り敢えず客人だよ?」


 呆れてため息をつく亜緒の後ろで、鵺はいぶかしげな視線を紫と沃夜に送りつけている。


「怪我は無いかい?」


「大事あらへん。それより、今のが鵺? ほんまに人の体と混じってるんやね」


 それだけ言うと、紫は興味が無さそうに鵺から視線を逸らした。


 亜緒が客人らを家に入れた後も蘭丸は一人、玄関先から動けなかった。


 嫌な胸騒ぎがする。


 紫は一体、脇指を何処から出したのか?


 武器らしきものを、彼は何処にも所持しているようには見えなかった。


 暗器あんきの類ならともかく、抜き身の脇指である。


 ――それと彼の剣捌き。


 鵺の斬撃を一歩も動かず受け流してみせた。


 刀を持つ一動作だけで、達人には分かってしまうことがある。


 おそらく、蘭丸が今まで会ったどんな剣客よりも紫は出来る。


 屋内から名を呼ばれて、蘭丸は重い足取りで敷居を跨いだ。

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