第六話 お園
「おとっつぁんからも、おっかさんにちゃんと言って下さい」
染物屋『丸木戸』の奥座敷。主の庄左衛門を前にして、娘のお園は厳しい声をあげた。
「そうは言ってもお園、お染は店のためを思ってだね――」
「それにしてもやり過ぎです」
お園はぴしゃりと庄左衛門の反論を封じた。
「仁蔵さんには私のほうから話をしておきましたから、今回は大事に至りませんでしたが、おっかさんにあんなことをされたのでは、仁蔵さんの面子が立ちません」
「……」
「作業場のことには職人頭に任せて一切口出ししないように、おとっつぁんからも、おっかさんにちゃんと言って下さい」
お園は先程と同じ言葉を繰り返した。
「……」
庄左衛門は困ったような顔をしながら、黙って腕組みをしている。何かを考えているようにも見えるが、しかし、恐らく父は何もしないだろう。今までと同じように、黙って見ているだけだ。
後妻のお染を店に迎え入れてから三年になる。最近では、庄左衛門はすっかり商売に対する興味を失ってしまった。
店は繁盛している。
昔からの家業である「染物」については、長年培ってきた確かな技術がある。そこに、粋な小紋を染め付けた布製の小物という品揃えが加わって、売り上げは日増しに伸びている。しかし、小物を加えたのは、主である庄左衛門の才覚ではなかった。むしろ、己の存在理由をすっかり見失って庄左衛門は魂が抜けていた。
それでも、店は繁盛している。
(これでは、自分がいる必要すらないのではないか――)
そこまで思い詰めているらしい父親の姿を見ていると、昔の
*
「江戸小紋」は室町時代に起源を持つ。最初は、
衣服を染めるようになったのは室町後期のことであり、現存する最古のものは「上杉謙信公」の衣服と言われている。山形県米沢市の上杉神社が所蔵している「紋付小紋帷子」である。
そして、江戸時代の初めになると、武士の礼装である
将軍家や、御三家を始めとした各藩が特定の小紋柄を自藩用と定めており、それを見れば「誰が何処の藩の者なのか分かる」ようになっていた。いわば「藩の制服」のような役目を果たすこれらを、「定め小紋」あるいは「留柄」と言う。代表的なものに、紀州藩徳川氏の「鮫」、加賀藩前田氏の「菊菱」、薩摩藩島津氏の「大小あられ」、佐賀藩鍋島氏の「胡麻柄」がある。
江戸時代の初めには、同じ技術で大きな柄を染めることもあったようだが、幕府が細かい柄のものを公に指定したことから、各藩が競い合ってより細かい柄を求めるようになった。近くに寄ってみなければ分からないような、繊細な小紋柄が生み出されて、それが主の裃だけでなく、奥方の衣装にも使われるようになってゆく。
しかし、このような武家の習慣から発達した「定め小紋」は、格式が高く畏れ多いため、庶民には普及しなかった。庶民が小紋を用いるようになったのは、元禄以降である。
その頃になると、庶民の感覚から考案された小紋柄が、町人に愛用されるようになる。これには、歌舞伎役者が好んで小紋を取り入れたことも一役買っていた。庶民は小紋を、生活用品など身近にある物に取り入れて楽しんだ。「宝尽くし」などのおめでたい柄や、野菜、玩具、動物や気象など、庶民の遊び心から生まれた小紋柄を「いわれ小紋」と言う。
その後、大名家が小紋柄の豪華さを張り合うようになると、幕府は派手な着物を禁止する「
しかし、そうなると職人達は「遠くから見ると無地に見えるほど、模様を細かくする」繊細で緻密な技術を競うようになり、「いかに微細な柄を彫り出して染め上げるか」の限界へと挑戦していくようになった。次第に、小紋は高度な染色技術を駆使したものになってゆく。
特に町人に対しては、着物地を「
例えば「
あるいは、着物の裏地に趣向を凝らして、禁止された正絹や派手な染め色を隠れたところに使う「そこ至り」や、山東京伝の書いた『小紋雅話』に出てくる「ごぼうの切り口、うなぎつなぎ、まいまい巴」のような、一風変わった小紋柄の提案など、随所に規制に対する反骨精神が見られるようになっていった。
なお、今日の「規則正しく配列されて、一見無地に見えるほど細かい小紋柄」を指す「江戸小紋」という呼び名は、昭和三十年に生まれたものである。東京都の小宮康助氏が重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」に認定された際、京小紋や加賀小紋と区別するために定められた。
以下、この物語で「小紋」と言う場合には、この江戸小紋の流れを指している。
横道ついでに、小紋の製作工程を見てみる。
まず最初に「色糊」の調整を行う。
小紋の染める色には、生地を染める「地色」と模様を染める「目色」がある。おのおの
続いて「地張り」を行なう。
一反の半分の長さ(約七メートル)の板に、薄く糊を塗って白い生地を張る作業だ。表裏に貼るので一反分の布地が必要になる。
その後「型付け」を行なう。
小紋に用いられる型紙は、もっぱら伊勢で作られたものが使われていた。そのため、「伊勢型紙」と呼ばれていたが、要するに江戸には繊細な型紙を作ることができる職人がいなかったのだ。
型紙を一晩水につけてよく伸ばしておき、生地の上に置いて、その上から
型紙の長さはだいたい「二十から三十センチ」くらいであり、一反(十三メートル弱)に糊を塗るためには、数十回も型紙を送らなければならないことになる。そして、送った時に柄の継目をぴったりと合わせる必要がある。これが難しい。そもそもが繊細な柄であるから、少しでもずれると台無しである。そのため、型紙の端には「星」という小さな穴が空けられていて、型紙を送る際に前の型紙の「星」と次の型紙の「星」を合わせることで、柄が見事に繋がるようになっている。
さて、糊が乾いたら生地を板から剥がして、今度は染料が入っている地色糊を生地全体に平均に塗り付ける「地色染め」をする。
生地の上に色糊を置く際にヘラでしごくので、「しごき染め」とも言う。
それが終わったら、今度は「蒸し」だ。蒸すことで染料を発色させて、定着させるのだ。
その際、糊同士がくっついたり、色移りしたりしないように、生地全体にまんべんなくおがくずを
その後、水で糊を洗い流す「水もと」という作業を終えると、最初に防染糊を置いた部分が白く抜かれる。この作業は川で行なわれた。
水洗いされた生地は「天日干し」で乾燥させ、その後、蒸気で皺を伸ばして幅を整える。これを「湯のし」という。
最後に「地直し」で、一連の工程を終えた生地を検品して、斑のある部分を筆と小刷毛で修正する。
これだけの地道な手作業を経て、美しい小紋は作り上げられていた。
*
染めに関する技術を先祖代々から受け継ぎ、新たな技術の開拓を地道に続けて、商いを細々と繋いできた染物屋『丸木戸』の小紋が、それこそ爆発的に売れるようになったのは、後妻であるお染の功績である。そのことはお園も分かっていたし、感謝もしている。
お染は遊女上がりである。庄左衛門が後妻として深川から
ほっそりとした柳腰で店頭に立つだけでも絵になったが、彼女は「遊女」という来歴を隠すどころか、有効活用することを
まず、昔のつてを辿って、遊女に小紋を販売する経路を新規開拓する。そして、人気に火が付いた小紋柄を小物に仕立てて一般客へ逆流させた。いわゆる「広告宣伝」に遊女を利用したのだが、当時そこに目をつけた経営手腕は並大抵ではない。なにしろ『丸木戸』の身代が倍になるほどである。
しかし、それと商売を専横することとは別問題だった。
昔ながらの腕の確かな職人たちを「愛想が悪い、言うことを聞かない」という理由だけで冷遇する。その一方で、修行途中の如才ない目端が利くだけの若い職人を持ち上げる。次第に、古くからいる職人たちの心は店から離れかけていったが、それをなんとか食い止めていたのがお園である。
前の女将、つまりお園の実の母親は、明るい気性で皆から好かれていた。職人と一緒になって働きながら、その雰囲気を和らげることに腐心していた。決して美しいとはいえなかったが愛嬌があった。そして大女であった。
その血を受け継いだお園も、明るい気性で、そして大女である。
お染は「大女というのは粋じゃないやね」と冷笑するが、お園は気にしていなかった。いや、実際には「気にしていない」振りをしていた。染物屋の娘として小紋の繊細な美しさはよく知っている。そして、その繊細さはお染のような艶やかな女を彩るためのものである。
大女の自分が身に着けると、いかにもちぐはぐで格好がつかない。
そう、お園は考えていた。
*
その日の夕方、お園は小紋を染める作業場にいた。
染物屋『丸木戸』は、布地を染めるだけの請負職人ではない。そして、出来合いの布地を扱うだけの卸問屋でもない。布地の染めから、それを使った品の販売までを一貫して手掛ける店であったから、自宅兼店舗の隣に作業場があった。
そして、お園は幼い時分からこの作業場で、職人の邪魔にならないように気をつかいながら作業を眺めていた。
地張りの際、無造作に見えながら力の加減が行き届いて、板に皺ひとつなく布地が貼り付けられるところ。
型付けで、型紙が送られる瞬間の緊張感と、上手く行った時の職人の満足げな表情。
地色染めの、手早い刷毛の動きと、それに合わせてするする伸びてゆく染料の流れ。
水もとで糊を洗い流されて、天日干しされた後の、小紋の鮮やかさ。
地直しで消えてゆく斑と、地直し職人の真剣な表情。
いつ見ても、いつまで見ていても飽きることがなかった。
職人たちと一緒に働く母親の姿を見ながら、いつの間にか自分も作業を手伝うようになり、次第に腕を上げていき、十七歳の今では一通りの作業を一人で熟せるほどになっている。
五年前に亡くなった母親が愛した染物の世界、自分がこれほどまでに心惹かれる小紋の世界が、あの後妻の我儘で掻き乱されるのを、お園は決して看過できない。
確かに、鮮やかな色の精緻な小紋で染めた布で小物を作り、それを
仁蔵はお園にこう言った。
「確かに小紋は粋で人目を引きますがね。元々は武士の裃を染めた技でございやすから、それなりの格というものがありやす。女将の言うような人目を引く珍しい柄は、ただのお遊びに過ぎやせん。職人には職人の誇りがありやすから、金のためにもっと作れと言われても、作れやしません。若いもんはそこまでの拘りがありやせんから、ほいほいと言うことを聞いてくれましょうが、出来あがりの雑なものが『丸木戸』の名で売りに出されるところを見ると、我慢がなりやせん」
全くその通りである。
お染は全く現場を知らない。知ろうともしない。売りが増えればよい、という発想しかない。それも一つの見識だが、作る者の誇りを知らずして売りだけを追求するやり方では『丸木戸』の名が泣く。
既に同業者の中からは「最近の『丸木戸』さんの柄はどうも品がなくていけない」という言葉が
そんなことをつらつらと考えていたために、お園は時間が経つのを忘れていた。
小紋を染める作業に明かりは欠かせないから、日が傾くと職人たちは作業を止める。既に日は落ちて作業場の中は薄暗かった。
(こんな中で物思いに耽っている自分は、どうかしている)
自虐的に笑うと、お園は腰をあげようとした。ところが――
作業場の裏手から何やら話し声が聞こえてきた。
作業場は小名木川に面していた。地色染めが終わって蒸し上がった布地を、そのまま裏手にある小名木川岸の洗い場に持ち出して、丁寧に糊を洗い流すのに便利だからだ。
(こんな時間に人の声が聞こえてくるとは――)
怪しい。盗人の相談事か何かだろうか。良かれ悪しかれ『丸木戸』の商いは好調であったから、盗人に目を付けられたのかもしれない。
お園は明るく面倒見の良い気性である一方で、肝が太い。普通ならば誰か男衆を呼びにいくところだろうが、まずは一人で外の様子を探ることにした。
作業場の裏に続く引き違い戸を、音がしないように慎重に開けてゆく。油を差したばかりのようで、戸は滑らかに動いた。外に出ると、板塀の切れ目から川面のほうを覗き込む。
小名木川に一艘の猪牙舟が浮かんでいた。
その上に三人の男がいて、舟の上に縦に並んでいた。
舳側の二人は手に櫂を持っており、座っている姿からでも大柄であることが分かる。
一方、艫に座った男は、随分と小さい成りであった。前の二人からすると子供にしか見えない。
しかし、話している言葉の調子からすると、三人は対等な関係にあるようだ。
「清二、お前が言う通りだ。どうにも巳之助と力が揃っていない」
「舵でなんとかならんのか、宗太」
「限度ってぇもんがある。思いっきり傾けても釣合が取れない」
「すまない。おいらのせいで」
「いや、そいつは仕方がないってもんだ。それに、おいらだったらもっと酷い有様になってるよ」
「違いねえや」
「さぁて、もう一回試してみようか」
どうやら、一番小柄な男――宗太という名前の男が仕切っているらしい。
お園はそのことに驚いた。お園は自分が「大女」であることを気にして、自由に身動きが取れずにいたからだ。
店にいる女衆の中では一番背が高い。それどころか男衆を含めても、お園より背が高いのは職人頭の仁蔵ともう一人しかいない。ただでさえ背が高くて目立つ。しかも主の娘である。作業も一通り承知していたから、職人から見れば普通は「煙たい存在」のはずだと、お園は思い込んでいた。
だから、作業場では立ち振る舞いに人一倍神経を使っており、物を頼むにしても、普段の彼女からすると滑稽なほどに丁寧な言葉遣いになる。
職人連中は、そんなお園の心の内を知っていた。彼らはお園のことを、小さい頃から知っていたし、確かにどんどんと身の丈はでかくなっていったが、依然として心根は昔のお園と同じであるから、見た目なんか気にしていない。お園だけが自分の身の丈を気にして、あたふたしているだけだった。周囲はその様子を温かい目で見守りつつ、お園に気を遣って何も言わなかった。
むしろ、ちゃんと言ってもらったほうがよかったのかもしれない。
お園自身は、それゆえ「外見の違い」に対して変な拘りがあった。
彼女が面と向かって後妻のお染に言い返せないのも、お染の容姿が染物屋である『丸木戸』によく似合っている、というお園の思い込みがあるためである。
そんな、外見への拘りが、目の前の男達には感じられなかった。三人は全く対等な関係で話をしている。しかも、背の低い男がむしろ中心人物である。お園の常識からすると考えられない。
彼女の当惑を余所に、舟の上の男たちは何やら準備を始めた。
櫂を水面と平行に構える。
宗太という名の男が、
「やああっ」
という声をあげる。
清二と巳之助は腕を真っ直ぐに伸ばした。
「せーい」 漕ぐ。 舟は一旦舳をふわりと上げる。
「やあっ」 櫂を返して、
「せーい」 漕ぐ。 舟はすいっと水面を滑った。
「やあっ」 櫂を返して、
「せーい」 漕ぐ。 舟はぐいっと勢いに乗った。
その繰り返して、猪牙舟はみるみるうちに小さくなってゆく。
お園はそのあまりの速さに声も出ない。
腕を見ると、鳥肌が立っている。
足まで震えだした。
(何だ、今のは――)
猪牙舟はあんなに速いものだったのか、とお園は考える。
何度か乗ってみたことはあるが、左右に大きく揺れて大して乗り心地は良くなかった。ましてや、あんな勢いで進むのを見たことがない。
そう――速いのだ。そしてそれが、自分の心の中に溜まっていた
お園は布を洗うための桟橋に出る。
暗闇の向こうの小名木川を見つめてみたが、彼らの姿はもう見えなかった。
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